06:将来は王属調合師?
数か月待たされた調合の許可が、メルツェーデスさん宅であっさり下りた。
慣れ親しんだお師匠の山小屋ではなく初めて立つ調合室で、とは中々に緊張するものだが、待ちに待った実践だ。意気込んで取り組んだところ、
「ほほー、相変わらず弟子が成長する楽しみを与えてくれない子じゃのう。初めての調合でこれとはな」
お師匠は乾いた笑いを浮かべながら、私が初めて作った回復薬をぺろりと舐めた。
その言葉から察するに、上手くいったのだろうか。
手順は十分予習していたが、我ながらスムーズに行えたと思う。そもそも、一番基本的な回復薬を作る手順としては、薬草をすり潰し、真水と一緒に煮詰め、それを濾すだけだ。効力を足したい場合はここにその効力を持つ薬草を濾したものを足していく。
この説明だけだとただの単純作業と思われるが、温度や混ぜ具合、濾すときの微細な動きにも回復薬の効力は左右されてしまうと言う。つまり作るだけなら誰でもできるが、質の良いものを作ろうとすればするほど高度な技術が必要となってくるのだ。
「ここにある薬草を好きなだけ使って、好きなようにやって構わん。ワシは隣の部屋におるから、なにかあったら声をかけるんじゃぞ」
そう言ってお師匠はゆっくりとした動きで調合室から出て行く。まさかいきなり放っておかれるとは思ってもみなかったため、その背中に制止の言葉を投げかけたが、お師匠はただ右手をあげるだけだった。
確かに今までも、授業のようにマンツーマンでお師匠が教えてくれたことは少なく、「ここにある本には目を通しておくんじゃぞ」と文献を渡すだけ渡して放っておかれることが多かったけれど。まさか実技まで一度見たらあとは放置されるとは。
いやしかし、と思い直す。この放任主義具合は、それだけ私が優秀だということなのかもしれない。隣の部屋にはいるようだし、何かアクシデントが起きた時に泣きつけばいいだろう。
私は調合台に向き直る。先ほど言われた好きなようにやっていいという言葉に、今更高揚してきた。
よし、次は基本的な回復薬を土台として、体を温めてリラックスさせる効力を追加してみよう。
そのために必要な薬草は、と辺りを見渡し――まさかいるとは思わなかった人物の姿に、固まった。
「……あの、アルノルトさん……?」
綺麗な顔をした黒髪の男の子――アルノルトが部屋の隅に立ち、私をじっと見つめている。いつからそこにいたのだろう。
私の呼びかけにアルノルトはわずかに眉をピクリと動かし、こう応えた。
「見ててもいいか」
「は、はぁ……」
否定とも肯定ともつかぬ曖昧な返答をしてしまったが、アルノルトはそれを肯定の意味で受け取ったらしい。壁に体重をかけるようにして、その場にとどまっている。
なぜここにいるのかは疑問だが、見られて減るようなものでもない。それに嫌です、なんて言ったらまたご機嫌を損ねてしまいそうだ。だからその存在を風景の一部として扱うことに決めた。
目当ての薬草を探す。見つけたら、丁寧にすり潰していく。今回は2種類の薬草を使うため、それぞれ同時進行で行わなければ。
適量の真水と混ぜ、煮詰める。薬草によって火を止めるタイミングは異なるので、しっかりと記憶の中の文献と実物を見比べる。
うん、よし、これぐらいだな。
こればっかりは視覚と感覚――さらに言えば、勘――に頼るしかない。回数をこなすうちにタイミングをはかる力も自然と鍛えられていくんだろう。
出来あがった2種類の回復薬を、少量ずつ混ぜていく。混ざらずに分離してしまうトラブルもなし。容器を振って軽く確かめ――完成!
まだまだ基本の基本だけれど、そこまで悪くないのではないだろうか。後でお師匠に確認してもらおう。
――上機嫌で次の調合に取り掛かろうとした私を止めたのは、またしてもアルノルトだった。
「オマエ、本当に初めてなのか」
気がつけば、アルノルトは私のすぐ近くまでやってきていた。その表情は険しい。
また彼の機嫌を損ねてしまったのか、私は。
「は、はい、そうです……」
「むかつく」
問いかけに素直に答えたのに、むかつくとのお言葉を頂戴してしまった。
いちゃもんに近い悪意を向けられて、流石に反応に困ってしまう。ここで謝れば更にアルノルトのプライドを傷つけかねないし、だからといって失礼だと憤るのも今後のことを考えると躊躇われる。私は彼に聞きたいことがあるのだ。
返答に困っている私を知ってか知らずか、アルノルトは再び口を開いた。その声はむかついている、というよりも、拗ねているようだった。
「自信がなさそうな表情をしながら軽々とこなすオマエにもむかつくし、気がつかないうちにおれは出来がいいとゴウマンになってた自分にも、むかつく」
アルノルトの口が紡いだその言葉たちは、私の彼に対する認識を改めさせた。
恐らくは優秀な弟子なんだろうと思っていた。それ故に捻くれた――あえて悪い言い方をすれば、驕ったところがあるのではないかと数度のやりとりから感じていた。しかしそれはあくまで第一印象。深く知れば知るほど、アルノルトから受ける印象は変わってくるのかもしれない。――エルヴィーラと同じように。
なんだ、案外かわいいところもあるじゃないか。
そう一度思えたら急に、アルノルトをちょっと背伸びしている年下の男の子、として微笑ましく感じるようになってしまった。
まさか目の前の――実年齢上は――年下の女児にそんなことを思われているとは露ほども思っていないだろうアルノルトは、私の瞳を真正面から見つめてきた。一瞬睨まれているのかと思ったが、その瞳からは以前感じた悪意や嫉妬といった感情は感じ取れない。むしろ――
「見てろよ。すぐにオマエなんか追い抜かしてやる」
その瞳にも、声音にも、どこか嬉しそうな色が滲んでいると感じたのは、私の願望が現れているのだろうか。
「オマエ、王属調合師になるだろ?」
「……オウゾク調合師?」
聞きなれない単語に首をかしげる。響きからしてその意味を推測することはできるが――王属調合師という単語は、「ラストブレイブ」には出てこなかった。
私の言葉にアルノルトははぁ、とため息をこぼすと、すぐ近くの椅子に腰かけた。
「王都の城勤めの調合師のことだ。……そんなことも知らないのかよ」
一言多い。かわいいと思ったのはとり消そう。
それはともかく、王属調合師という職業があるのか。お師匠もおそらくはその職についていたんだろう。私が目標としている、王城勤めの調合師、それが王属調合師。
「なれたらいいなぁ、とは思いますけど……まだまだ分かりませんし……」
「なれよ、絶対」
私の言葉に被せてくるようにして、アルノルトは言った。まっすぐな言葉だった。
突然の言葉に目を丸くした私を一瞥すると、彼は何も言わずに部屋から出ていく。しばらく私は固まっていた。
王属調合師に絶対なれ、だなんて。まさかの勧め――いいや、あの口調はもはや命令に近かった。
アルノルトは必ず私を追い抜かしてやると言った。その流れで王属調合師を勧めてきたということは、アルノルトも王属調合師を目指しているのだろうか。
なるほど、王属調合師か。
私はその単語をしっかりと記憶に刻む。
最終的な目標が具体的に、しっかりと設定された。私は将来、王城務めの調合師――もとい、王属調合師になることを目標に、これからも勉学に励みます!
***
「ラウラちゃん。王属調合師を目指す気はない?」
その日の晩、メルツェーデスさんが突然尋ねてきた。
「王城では数年前から、王属調合師“見習い”を毎年募集しているの。とても狭き門だけれど……14歳になれば、出身や身分関係なく採用試験を受けられるのよ」
メルツェーデスさんの説明を聞いて、にわかに“王属調合師”が近い存在になった、ように思えた。
見習いという制度があるとは。しかも、受験資格で必要となるのは年齢だけ。14歳――5年後だ。5年後には私も受験資格を得る。
「3年後、アルノルトは試験を受けるわ。少しでも気になるようだったら、3年後、下見としてアルノルトの試験に同行してみない?」
願っても無いお誘いだ。ぜひともお願いします、と頷きかけて――しかし私は、躊躇ってしまった。
本腰を入れて王属調合師を目指すとなれば、両親に許可をもらわなければならない。現在両親は、お師匠の元に通い詰めている私を何も言わずに見守ってくれているが、14で親元を離れるとなると話は変わってくるだろう。
しかし、それはさしたる問題ではなかった。もし反対されても話し合いを重ねれば理解してくれるはずだ。彼らは子供の夢を応援してくれる人物だろうと、両親に対する信頼があった。
私が懸念しているのは――勇者様の幼馴染という職業を「ラストブレイブ」で与えられていた私・ラウラが、このままその職業から外れるような行動をして世界に影響を与えないだろうか、という点だ。
自分が「ラストブレイブ」において、単なる端役であることは重々承知している。私の行動で、この世界の行く末が――勇者様の冒険の道筋が変わるなんて大層なことは思っていない。思っていないが、アルノルトの存在、そして何より薬草園にすげ変わっていた噴水広場の存在が気がかりだった。
ここは、“私”が知る「ラストブレイブ」の世界とは少しだけれど確かに違う。今後、その違いが大きなものになっていくことも考えられる。“私”の記憶だけを頼りに、このまま道を決めてもよいものか――
自然と判断は慎重になっていった。
「あなたのその才能は、あなたが思っているよりも遥かに沢山の人を救うことができるはずよ」
黙りこくった私を励ますように、悩む私の背を押すように、メルツェーデスさんは言葉を重ねる。
「アルノルトがラウラちゃんの才能を目の当たりにして落ち込んでいたわ。でもそれ以上に燃えているの。絶対アイツよりすごい調合師になってやるって」
ふふ、と嬉しそうに微笑むメルツェーデスさん。目を眇め、目の前の私ではなく記憶の中のアルノルトを愛おしく見つめるような表情だった。
メルツェーデスさんの言葉に重なるように、アルノルトの声が蘇る。
必ず追い抜かしてやる。
王属調合師になれよ、絶対。
おそらくだが、彼は私をライバルとして認識しているのではないだろうか。
「いつもどこか斜に構えていたのに……あんなアルノルトを見たら、師としては是非、ラウラちゃんと切磋琢磨して欲しいと願ってしまうの」
眉尻を下げて、どこか申し訳なさそうな表情でメルツェーデスさんは言った。
彼女の師としての思い、願いは理解した。特にそれを不快だと思うこともない。そもそも、私は王属調合師を目指していたのだから、何も不都合なことはないはずなのに。
「……親に、相談します」
今すぐ頷くことはできず、返答を先延ばしにしてしまった。
アルノルトの没キャラクター疑惑に気がついていなければ、そして噴水広場が薬草園にすげ変わっていなければ、私はメルツェーデスさんの提案に喜んで頷いていただろう。しかし――
まずは、アルノルトのことをはっきりさせよう。帰るまでに、本人に尋ねてみよう。アルノルトがエルヴィーラの兄かどうか分かったところでどうすることもできないが、この胸に渦巻く靄は多少晴れるはずだ。
それと薬草園のことも聞いてみよう。いつからこの街にあるのか、また、薬草園が出来る前に噴水広場がなかったか。それと今後、噴水広場が出来る予定はないかも尋ねてみよう。“今”噴水広場がないという時点で「ラストブレイブ」とは違ってきているのだが――念のためだ。
「これ、試験の募集要項よ。何か疑問に思うことがあったら、いつでも聞いてね」
メルツェーデスさんは数枚綴りの募集要項を私に渡すと、部屋から出ていった。
手元の紙をぼんやりと眺める。受験資格のところには、14歳以上20歳未満の男女としか書かれていない。
14歳――5年後。5年後私はどこにいるのだろう。何をしているのだろう。誰の隣に、いるのだろう。そう考えたとき、脳裏に浮かんだ人物は――未来の勇者様だった。
脳が勝手に思い描いた人物に一瞬驚いたが、すぐに口元に苦笑が浮かぶ。
なるほど、私はまだまだ勇者様の幼馴染という職業から、ジョブチェンジできていないわけか。
その晩、何も考える気が起きなくなって、私はすぐにベッドに潜り込んだ。部屋に差し込んで来る月の光が、やけに眩しい夜だった。