58:オリヴェル・ブルーム
シュヴァリア騎士団・フラリア駐屯地。思わぬ再会を果たした人物――オリヴェルさんに案内されるまま、私たちは応接室のソファに座った。
駐在所の中はしっかりとした造りをしており、応接室に置かれているテーブル、今まさしく私たちが腰かけているソファなど目に付く家具はどれも新品のように思えた。最近買い替えたのだろうか。
ソファ中央に私が座り、両サイドにリナ先輩、チェルシーが腰かける。サイズ的に三人で満員になりあぶれてしまったルカーシュは、オリヴェルさんが新たな椅子を用意しようとしてくれたのを断って私の後ろに立った。
テーブルを挟んで目の前には一人用のソファに腰かけるオリヴェルさん。赤の瞳と目が合って、
「ど、どうしてオリヴェルさんがここに?」
気が付けば既に数度目となる問いを投げかけていた。それにオリヴェルさんはにっこりと微笑んで、ようやく答えをくれる。
「各地の警護強化の一環です」
「で、でも、騎士団長のヴェイクさんが王都を留守にしている今、副団長のオリヴェルさんまで……」
オリヴェルさんがフラリアにいたことに驚き、何よりも先に脳裏に浮かんだのは王都の安全だ。
シュヴァリア騎士団には日々厳しい訓練に励んでいる団員が数多く所属しており、私は顔も知らない彼らのことを心から信頼している。しかし団長のヴェイクが新人魔術師・フロルと共に視察で各地に赴いている今、この国の中枢である王都を守るためにシュヴァリア騎士団の指揮を執るのは、副団長であるオリヴェルさんの役目ではないのか。
私の不安がそのまま表情に現れていたのか、彼はその美しい顔に苦笑を滲ませた。
「ラウラちゃんがそんな心配をする必要はありませんよ。大丈夫、きちんと考えた上での人選ですから」
オリヴェルさんはわずかに目を伏せて続ける。
「シュヴァリア騎士団の体制が変わりつつあるんです。団長が大怪我をして戦線を離脱してから、徐々に。実は今、副団長は僕を含めて5人いるんですよ。ほら、団長が抜けた穴をどうにかこうにか埋めようとしたんです」
彼の口から告げられた事実に驚くと同時に、納得もした。
ヴェイクが右目に大きな怪我を負ってそこまで長くない間にしろ戦線を離脱したからには、彼の分の補填が必要になってくる。それも、ヴェイクの怪我は後々に引きずるものだ。何せ彼は右目の視力を怪我によって失ったのだから。そして更に付け加えるならば、最近の魔物の活性化のこともある。
そう考えると、シュヴァリア騎士団が体制を変えるのも当然と言えた。空いてしまった穴を補うだけでなく、今まで以上の働きをしなくてはいけないのだから。
「今まではそこまで人員を割く必要がなかった地方の護衛にも、今まで以上に優秀な戦力を送り込まなくてはならなくなった……そういうことです」
そう言ったオリヴェルさんの瞳は真剣そのもので。強い決意のようなものを感じて、私は思わず背筋を伸ばす。
中性的な容姿と穏やかな雰囲気に騙されてしまいそうになるが、彼は大国の騎士団の副団長なのだ。何十、何百という騎士団員の命を、そしてこの国の国民の命を背負っている。
オリヴェルさんの瞳の奥で燃える決意に何も言葉を返せずにいると、彼はすかさず私の様子に気づき、いつもの王子様スマイルを浮かべて空気を和らげてくれた。
「それに、ラウラちゃんがいるところに魔物あり、と、団長が心配されていましたよ」
「そ、それは……」
冗談めかした口調に私は苦笑することしかできない。実際オリヴェルさんが言ったことは事実だ。
王都、プラトノヴェナ、エメの村――と、私は三度魔物の襲撃に遭遇している。そう思われても仕方がない。
こうも私が魔物の襲撃に遭遇するのは、本編へのフラグ管理のようなものではないかと考えている。主人公であるルカーシュの周りで魔物の活性化に通じるイベントを起こすならば、エメの村から出ないルカーシュ周りよりも、王都におり比較的遠征の機会がある幼馴染キャラ・ラウラの周りで起こした方が発生場所の偏りがない。幼馴染が巻き込まれたと聞けば心優しい主人公は心配するに決まっているから彼の元にも情報は入ってくる。
主人公の元に本編へ通じる情報を集めるのに、おそらくは便利な存在なのだ、私は。
「団長から既に話は聞いています。精霊の飲み水を探しに行くラウラちゃんたちの護衛、と。もちろんお受けしますよ」
ありがたいことに、この件――精霊の飲み水捜索の件――については常にスムーズに事を運べている。カスペルさんから遠征研修の許可が下りたことだってそうだ。それもこれも、先へ先へと手を回してくれたアルノルト、そして気にかけてくれたヴェイクのおかげだろう。
「ただ一日だけ、お時間を頂けませんか。ラウラちゃんがこちらに来るまでに片づけておこうとした作業があったのですが、情けないことに、どうにもこうにも終わらなくて」
オリヴェルさんは申し訳なさそうに目線を下げながら「引継ぎの作業なんですけどね」と付け加えた。引継ぎ、というからには彼もフラリアに来て間もないのだろう。
今回の件で謝るのはそんな忙しい時期に押し掛けた私であって、オリヴェルさんは何も悪くない。慌てて大きく首を振った。
「謝っていただくようなことはなにも……! 私の方が無理を言っているのは百も承知なので、オリヴェルさんのご予定に合わせます」
前のめりにそう言えば、オリヴェルさんの口角がほっとしたように緩んだ。その表情の変化に私もほっと強張っていた肩から力を抜いて続ける。
「むしろ私も、森に行くからには魔物撃退用の毒薬を作らないといけませんし。一日と言わず何日でも……あ、でも、与えられた研修期間は30日なので――」
「もちろん、把握していますよ。それに残っているのはほぼ書類仕事なんです。一日頂ければ確実に終えられます」
力強く頷くオリヴェルさん。その姿に頼もしさを感じ、ようやくシュヴァリア騎士団副団長の力を貸してもらえるのだと実感が湧いてきた。
これ以上ない力添えだ。ルカーシュの負担を少しでも減らせれば、とは思っていたが、まさかここまで全面的に力を貸してくれるなんて。オリヴェルさんにもヴェイクにも、今後頭が上がらない。
不意にオリヴェルさんは私から視線を横にずらし、リナ先輩とチェルシーの顔を数度交互に見つめた。そして。
「調合師見習いのリナ・ベーヴェルシュタムさん、同じくチェルシー・ガウリーさん。改めまして、オリヴェル・ブルームです。よろしくお願いしますね」
安心させるようにいっそう穏やかに微笑んだ。
王子様スマイルを目の前で浴びた二人は僅かに頬を赤らめつつも、改めて自己紹介を交わす。リナ先輩もチェルシーも、オリヴェルさんと王城内ですれ違ったり挨拶をすることはあっても、一対一でしっかりと会話するのは初めてのはずだ。そういう私も、そこまでしっかりとした接点がある訳ではないが。
リナ先輩たちと一通り挨拶をした後、オリヴェルさんの瞳がとらえたのは私の背後に立つルカーシュの姿だった。
「それで、そちらの方は? もしや噂のルカーシュくんですか?」
オリヴェルさんはソファから立ち上がりルカーシュに歩み寄る。差し出された右手を握りながら、幼馴染はわずかに首を傾げた。
「ルカーシュ・カミルです。よろしくお願いします。……あの、噂、とは?」
「ラウラちゃんの幼馴染で、将来期待できる少年がいるとヴェイク団長が手紙で教えてくれました。お会いできて光栄です。よろしくお願いしますね」
なるほどヴェイクは既にルカーシュのことを買っているらしい。「ラストブレイブ」序盤の、ルカーシュとヴェイクの出会いを思い出した。
勇者の力を王都からの使者に認められ連れてこられたルカーシュは、王城でヴェイクと初対面を果たす。するとその場でルカーシュの秘めた力を見抜いたヴェイクが手合わせを願い出てくるのだ。結果としてはヴェイクの勝利に終わるが、未来ある若者の旅に同行したいと言い出し――
未来に無限の可能性を秘める若者と、そんな若者を厳しく、けれど温かく導く成熟した大人。
初対面を「ラストブレイブ」とは違った形で迎えてしまったヴェイクとルカーシュだが、彼らの間に育まれる絆が変わることはなさそうだ。
「ヴェイクさんには本当にお世話になりました。こちらこそよろしくお願いします」
どこか気恥ずかしそうに空いた左手で頬を掻くルカーシュ。その仕草を見て目を細めるオリヴェルさん。「ラストブレイブ」でこの二人が対面することはなかったが――そもそもオリヴェルさんは「ラストブレイブ」に登場していない――この二人もまた、良好な関係を築いていけそうだ。
その後、今後のスケジュールとして明日はお互い準備を整える一日とし、二日後再びフラリア駐在所を訪ねる運びとなった。
***
その日の夜、私はお師匠からもらった毒薬調合ノートに目を通していた。
万が一魔物と遭遇してしまった場合には、私は大人しく守られていた方がいいのではないかと思う。無理に戦おうとして逆に足を引っ張ってしまう、なんて前世でそれなりに見た展開だ。けれど何か一つ、自分の身を守るものは持っていた方がいいだろう。それに作った毒薬は私だけでなく、オリヴェルさんもルカーシュも闘いの中で使用することができる。
材料が用意できそうな毒薬に一通り目星をつけると、私は調合ノートを閉じた。すると私が作業を終える機会を窺っていたのか、すかさずルカーシュから声がかかる。
「ねぇ、ラウラ。今日会ったオリヴェルさんってメルツェーデスさんの……」
「双子の弟さんだよ」
「やっぱり。そっくりだね」
ルカーシュの言葉に私はわずかに苦笑しつつも頷いた。
メルツェーデスさんを知っていれば気づかない方がおかしいと思う程、ブルーム姉弟はよく似ている。髪の色も目の色も、そして何より顔立ちも。おそらく同じ格好をして顔だけ見れば見分けが付かないのではないか。――もっとも、私はしばらく気づけなかったのだが。
「そういえば、オリヴェルさんとの会話の中で毒薬を作るって言ってたけど、横で見ててもいい?」
突然のお願いに私は目を丸くする。
見てもいいかと言われて駄目だと断る理由はないが、毒薬を作っている様子を横で見ていて楽しいものだろうか。私は首を傾げつつ、思ったことを素直に投げかけてみた。
「いいけど、大きなマスクしなくちゃいけないし、面白いことは何もないよ?」
「いいんだ、僕が見てたいだけだから」
あまりに嬉しそうにルカーシュが微笑むものだから、今更駄目だなんて言い出せず。鳥の嘴の形によく似ている防護マスクを身に着けたルカーシュの姿を想像して、一人こっそりと笑った。




