54:期待の新人魔術師
定刻を告げる鐘が鳴り終わった瞬間、扉が数度叩かれた。
手元のリストから視線を上げる。ここ数日、魔物の襲撃を受けた他国に支給する回復薬の調合に追われていた。
ちょっと待ってください、と扉の向こうに声をかけて、机の上を軽く片付けた。こぼれてしまっては困る回復薬をきちんと容器に入れ蓋をし、調合道具も一通り箱に戻してから、ようやく扉へと駆け寄る。
「お待たせしてしまってすみません」その言葉と共に扉を開けると、
「よぉ、忙しいところ悪いな、嬢ちゃん」
ヴェイクが右手をあげて挨拶してきた。その隣には見慣れない青年の姿がある。
少し薄汚れたローブを身にまとっている彼は、素朴な、という形容詞が良く似合う好青年だ。短く切りそろえられた茶の髪に、優しく細められた淡い紫の瞳。
ぱちり、と視線が絡んだ。その瞬間に違和感を覚えた。――初対面であるはずなのに、彼の顔に見覚えがある。
乱暴な言い方をするが、これといって目に付く特徴のない平凡な青年だ。偶然街で見かけた誰かに似ていたのだろうか、ととりあえずは結論付けて、初対面――のはず――である彼に、会釈で挨拶した。
「嬢ちゃんとこの結界の話だが、こいつでどうだ? うちの若い魔術師だ」
「はじめまして」
改めて視線が絡む。やはりその顔に既視感を覚えた。
ヴェイクは隣に立つ青年の肩に手をやって、自分の息子を自慢する父親のような誇らしげな表情で口を開く。
「こいつも俗にいう天才でな。調合師界の期待のルーキーが嬢ちゃんなら、魔術師界の期待のルーキーはこいつだ!」
ヴェイクの言葉に青年は照れ臭そうに笑う。そうなんですね、と心ここにあらずな相槌を返した。
見れば見るほど、“私”はこの青年を知っている気がしてならない。しかし記憶の中の誰とも彼はなかなか重ならない。一体なぜ――
じっと青年の顔を見つめて考え込んでいた私を、心配のあまり黙りこくってしまったと勘違いしたのか、ヴェイクは私の肩に手を置いて笑いかけてきた。
「俺も同行する。心配すんな」
ヴェイクの言葉に私は反射的に「えっ」と声をこぼした。
「ヴェ、ヴェイクさんも行っていただけるんですか?」
「ああ」
確かめるように鸚鵡返しした私の言葉に、ヴェイクは力強く頷いた。
怪我で休養中とはいえ、騎士団長と期待のルーキーが片田舎の村まで行ってくれるなんてありがたい話だ。しかしそれ以上になぜこうもありがたい話が次から次へと舞い込んでくるのかと不安になる。期待のルーキーと騎士団長が揃って王都を留守にしても大丈夫なのだろうか。
そしてヴェイクが同行すると聞いて、新たな懸念が一つ生まれた。
ヴェイクがエメの村に行くということは――ルカーシュと顔を合わせることになる。それ即ち、「ラストブレイブ」での二人の初対面とは些か変わってきてしまう。
だからといって今回の申し出を断るような愚かな真似はしないが、やはり気になるものは気になるもので。
「でも、お二人のご予定が……」
「遠征研修と銘打っていくから大丈夫だ。それに、お偉いさんから地方の様子を見てきてほしいとの命も承った」
ヴェイクの言葉にどきっとした。それと同時に悟る。
なるほど、やけに話がうまくいきすぎていると感じていたが、どうやらエメの村は“本題”ではないようだ。地方の様子を見てこいという上からの命令が先にあって、運よくそこに忍び込ませてもらった、というところか。
けれどそうだとしても、随分とタイミングが良ければ運も良い。
「地方の様子を見てこい、というのは……魔物の活動が最近活発だからですか?」
「まぁ、そんなところだ」
ヴェイクは言葉を濁して曖昧に笑う。彼らしくない態度だったが、嘘を嫌い、そもそも嘘が苦手な真っすぐな男であるヴェイクからしてみれば、その態度はもはや肯定と同じであった。
王都、プラトノヴェナ、エメの村、そして今回。短期間のうちに魔物による襲撃が相次いでいる。国としても本格的に調査・対策へと乗り出すつもりなのだろう。
「急で悪いが、5日後には発つ。話を通しておいてくれないか」
「はい、もちろん! 手紙書いておきます。それと、ヴェイクさんにも紹介の手紙をお渡ししますね」
急だとヴェイクは言ったが、遠征の話自体はもっと以前より決まっていたのだろう。しかしそれは口には出さず、私は力強く頷いた。
思っていたよりもずっと早く、そして期待していたよりもずっと強力な結界魔法をエメの村に張ってもらうことが出来そうだ。
ヴェイクとルカーシュの件は気がかりだが、そればかりに気をとられて今回のありがたい話を逃すわけにはいかない。初対面の時と場所が多少変わろうとも、大きな影響を受けることはないだろう――そう一人で多少強引に納得しようと頷いた瞬間、思い出す。
この世界のルカーシュは、ヒロインとも既に夢の中で出会っていた、と。
一番重要である主人公とヒロインの出会いすら、多少形が変わってきているのだ。そう考えるとすっと気持ちが楽になった。
胸のつっかえが取れた後、押し寄せてきたのはヴェイクと魔術師の青年、そしてアルノルトへの多大な感謝だ。私は改めて目の前の二人に大きく頭を下げた。
「……本当にありがとうございます」
「気にすんな。故郷の……家族の安全が第一だろ。使えるものは使っとけ」
家族、という単語を強調するような言い方をしていたことが気にかかって、しかしすぐにああそうだ、とヴェイクの過去に思い至った。
彼は幼い頃、両親を魔物によって殺されている。自分も子供であったにもかかわらず、弟と妹を育て上げた苦労人だ。家族、故郷といったものには人一倍強い思いを抱えているのかもしれない。
「それでー……もう一つ頼まれていた、フラリアへの護衛の件だが」
そこで一旦言葉を区切ったかと思うと、ヴェイクは浅く、しかし確かに頭を下げた。
「悪いな、任務になったばかりに俺の予定がしばらく埋まっちまった。急ぐか?」
どうやら彼は、都合さえあればフラリアへの同行も買って出てくれるつもりでいるようだった。
私は反射的にぶんぶんと首を振る。そこまでしてもらうのは流石に申し訳ない。
「いえ! 私も調合の仕事があるので、すぐには……。でも護衛までヴェイクさんに頼むのは申し訳ないですし……」
言葉尻を濁しつつもそう言えば、ヴェイクは眉根を寄せた。心を痛めたような、悲痛な面持ちだった。
「14、15そこらの女の子が変な気を遣うんじゃねぇよ。出来る限り調整してみるからよ」
「……ありがとうございます」
私と視線を合わせるようにしゃがみ込むヴェイク。緑の瞳と目線が絡んで、するとそれは三日月形に細められた。
年齢的に言えば父と娘に近いだろうが、おこがましくも歳の離れた兄のようだと思ってしまった。こうして心配してくれて、手を差し伸べてもらえることがどんなに幸福なことか。
そう噛み締めつつ、もう一人しっかりとお礼を言わなければならない人物がいる、と私はヴェイクから目線を外した。見上げたのは、期待の新人魔術師。
「あの、ラウラ・アンペールです。今回は突然のことですみません、よろしくお願いします」
茶髪の青年を見上げる。こうして改めて真正面から見つめると、すらっと背が高く、顔立ちもすっかり成長を終えた青年、といった印象だ。アルノルトよりも年上――18歳あたりだろうか。
「気にしないでください。オレ自身の修行のためでもありますから、むしろこっちが申し訳ないくらいで」
にっこりと細められた瞳が、不意に真剣なものになる。
身長差的に自然と彼が私を見下ろす形になって――彼が意図したものではないにしろ、どこか冷たさを感じる紫の瞳に見下ろされた瞬間、私の頭の中で何かが弾けた。
鼓膜に蘇ってきたのは、ある男の高笑い。
「精一杯務めさせていただきます」
――脳裏に浮かんできたその男は魔法で宙に浮き、下種な笑みを浮かべていた。右手には背丈ほどある大きく立派な杖が握られている。
彼が杖をこちらに向かってかざすと、凄まじいプレッシャーと共に上級魔法が襲い掛かってきた。思わず顔を伏せた“私”を同じく魔法で庇ってくれたのは黒髪の少女――エルヴィーラ。
彼女は汗を浮かべながらも全ての魔法をはじき返すと、男に向かってこう叫んだ。
――彼の体を返しなさい、と。
「あ、自己紹介がまだでしたね。オレ、フロル・ヴィルノルフといいます」
フロル・ヴィルノルフ。その名を聞いても正直言ってピンとこなかった。けれどこの記憶は間違いない。
差し出された右手を握り返すこともせず、私はただ、目の前の青年の顔をじっと見上げていた。
――この人、「ラストブレイブ」で魔王に体を乗っ取られた人だ。




