52:勇者様の夢
あの後、帰ってきたお師匠は普段と何ら変わらない、私の知るお師匠だった。しかしどこか空元気のように私には感じられて、王都へと帰る挨拶を手短に終え、私は山小屋を出た。お師匠としても、まだまだ時間が欲しいのではないかと思ってのことだ。
私の右手にはお師匠のものと思われる――ほぼほぼ確定だが、お師匠がまだ自分のものだと明確に言ったわけではない――手記が握られている。お師匠を待っている間にも少し開いてみたが、悲しみのこもった文章の数々に、思うように読み進められなかった。手記に綴られている患者に、どうしてもエルヴィーラの姿を重ねてしまう。
帰りの馬車で読み込むことにしようと心に決めて、私は一度家に帰った。そして帰りの身支度を整え、日が沈む前に挨拶回りをすることに決めた。
武器屋のおじさんに、道具屋のおじさん。ラドミラの家にユーリアの家。その他、ぐるっと一通り村の民家に顔を出し――もちろん、村長の一人娘であるペトラの家にも挨拶に回った。
「あっという間だったね。もう帰っちゃうなんて、寂しくなるなぁ」
「また近いうちに帰ってくるから。ペトラ……あの、色々頑張ってね!」
そう笑ってみせると、ペトラは私が言う「色々」に含まれた意味を察したのか、かぁっと頬を赤らめた。その表情を見て、そういえば今朝方ルカーシュと一緒にいるところを見たが、どんな会話をしていたのだろうか――などと好奇心に駆られる。
ちらりとペトラの様子を窺った。しかし彼女が口を開く様子はない。向こうから教えてくれないものを、強引に聞き出すことはできないだろう。
「ラウラ、王都でも頑張ってくださいね。あなたはこの村の誇りですから」
不意に頭上から声が降ってきた。穏やかな声に目線を上げると、そこにはこれまた穏やかな笑みを浮かべたペトラのお父さん――つまりは村長の姿が視界にはいる。
彼は私のような少女にも敬語を崩さない、とても人のいい村長だった。村人からの人望も厚く、彼を中心にこの村はまとまっている。
「村長、ありがとうございます。頑張ります」
村の誇りだという言葉に若干の気恥ずかしさを覚えつつも、嬉しくなって微笑み返した。
そのやり取りを最後に、私はペトラの家を後にする。気が付けば、もう日も沈みかけている。
さて、残るは――
「ラウラ?」
背後からかけられた声に振り返る。するとそこには、あえて挨拶回りを最後にした幼馴染――ルカーシュが立っていた。
暗い中、ルカーシュの左目に光る紋章がやけに光を発しているように感じる。
「ペトラの家にいたんだね」
「あれ、もしかして私のこと探してた?」
「うん。だって明日、もう王都に行っちゃうんだろ? だから話したいなって」
ルカーシュの飾り気のない正直な言葉に、私の胸の内はじん、と暖かくなる。
どちらからともなく隣に並んで、ゆっくりと歩き出した。時折肩と肩がぶつかるこの距離が心地よい。
「10日間もらった休暇だったけど、あっという間だったなぁ」
「次はいつ頃休みをもらえそう?」
「寒くなってきた時期には。ほら、季節の変わり目には長めのお休みをもらえるから」
そう答えれば、ルカーシュはどこか面白くなさそうに口角を下げた。大方まだまだ先の話じゃないか、とでも思っているのだろう。
まだまだ幼い感情表現をする幼馴染にふふ、と笑い声をこぼせば、彼は恥ずかしそうに今度は眉尻を下げた。それからルカーシュはんん、と小さく咳払いをして、この場の空気を変えようとしたのか口を開く。
「最近、変な夢を見るんだ」
「変な夢?」
不意に投げかけられた新たな話題に私は首を傾げた。そして、
「そう。知らない女の子が出てくる」
次の瞬間鼓膜を揺らした言葉に、足を止めた。
――ルカーシュの夢に出てくる女の子。その子は、まさか。
「……どんな子?」
「顔はぼやけて見えないんだけど……きれいな銀髪の女の子だった。目の色は確か金……ううん、琥珀色だったかな」
脳裏に浮かんだのは、一人の少女。
高い位置で一つに結ばれた銀の長い髪が揺れる。勇ましくつりあげられた琥珀色の瞳は、しかし笑うとあどけなさすら感じさせるのだと“私”は知っている。長い手足を目いっぱい活かして、少女は槍と魔術を巧みに操った。その力は普通の人間とも、エルフといった上位種とも違う、古より勇者に仕える種族――古代種によるものだった。
彼女こそ、「ラストブレイブ」のヒロインその人だ。
「一回見ただけならそんな気にしないけど、ここ最近、毎日のように見るんだ」
どこか遠くを見通すように、ルカーシュは目をすがめる。その横顔が妙に大人びて見えた。
夢を通して、未来の運命と出会う。そのようなイベントが「ラストブレイブ」の作中にあった記憶はないが、今更ゲームとの相違点が出てきたところでそうそう驚く話でもない。むしろこちらの展開の方がドラマティックではないか。出会う前から、ルカーシュと彼女は結ばれていたのだ。
「夢を通じて、何かルカーシュに訴えかけたいのかも……」
ヒロイン――古代種の少女は、繰り返しこの世界に生まれてくる勇者を助ける使命を背負っている。彼らの族長は自分たちのことを「神の遣い」だと言っていた。実際彼らは魔術とは違う聖なる力――それは勇者の力に近かった――を使い、ルカーシュの助けになっていた。
ルカーシュの夢に出てきた彼女は、この世界に危機が迫っていることを伝えたかったのではないか、なんて。
「ラウラ?」
「う、ううん。不思議な夢だね」
「だろ?」
なんなんだろう、とぼやくルカーシュの背中がやけに遠く感じられて。その瞬間、胸の内から湧き上がった感情は、紛れもない“寂しさ”だった。
――前世の記憶を思い出した9歳のときから分かっていたはずなのに。今更、幼馴染が今後どんどん遠い存在になっていくという事実に、どうしようもない寂しさを覚えている。
自分勝手な感情だ。王属調合師を目指す私を見て、ルカーシュは何度も寂しいと口にした。このような思いを今までルカーシュに強いてきたくせに、いざ彼と自分の間に開きつつある距離――別れつつある運命をほんの少し匂わされただけで、こんなに寂しく、切ない気持ちになるなんて。
「もしかしたら、そう遠くない未来でその女の子と会えるかもね」
じわりじわりとこの身を侵食する切なさを振り払うように、わざと明るい声でそう言う。するとルカーシュは「そうかな」と首をかしげるばかりで、あまり色よい表情を見せなかった。
風に揺れる金の髪。いつの間にか広くなった背中。あとどれだけ、その隣に立っていられるだろう。その隣に自分ではない、銀髪の少女が立っているのを想像して、思わず俯く。
正直言って、寂しい。子供離れできない親、もしくは弟離れできない姉の気分だった。
数度深呼吸をしてから、空いてしまった数歩分の距離を詰める。そして再び隣に並び立つと、ルカーシュが気配を感じたのかこちらを向いた。すると自然と視線が絡み、
「もし会えたとしても、声かけられないかもしれないな。……違うな、一緒に会ってくれる? ほら、僕、人見知りだから」
そう笑った。
その恥ずかしさを誤魔化すような笑顔は、私が知るルカーシュのもので。思わずほっと安心してしまった自分自身に苦笑する。
――弟ならぬ幼馴染離れをすること。
新たな目標がひとつ、情けないことにできてしまったようだ。