50:フラリアへの同行
帰省6日目の朝。ルカーシュの家を前に、私は二の足を踏んでいた。
――昨晩届けられたエミリアーナさんからの手紙。精霊の飲み水について調べるためにフラリアの実家に口をきいてくれるとのことだったが、ひとつ問題が浮上した。一体誰に同行を頼むか、という問題だ。
まず最低限の条件として、魔物と戦える人物であってほしい。なぜなら――「ラストブレイブ」の設定に則るなら、という前置きがつくが――精霊の飲み水は魔物が出る森を抜けた先にあるからだ。
その条件を満たし、かつ同行をお願いできそうな人物に一人心当たりがあった。それは、幼馴染のルカーシュだ。
実を言うともう一人、脳裏に思い浮かんだ人物がいるのだが、彼は生憎多忙の身だ。休暇にわざわざフラリアについてきてほしいと言うには、些か躊躇われた。
(いや、でも、ルカーシュがエメの村から離れるのはよくないし……それに、エルヴィーラのためなんだからあの人――アルノルトに多少の無理を言っても、ついてきてくれるかもしれないし)
ルカーシュと、アルノルト。一度はルカーシュに傾きかけた思考が、再び中心近くに戻ってしまう。
スケジュール的な視点から見れば、ルカーシュの方が良いのではないかと思う。ルカーシュがどうこう、というよりも、アルノルトがあまりに忙しい身であるからだ。しかしながら、今まで数度の魔物襲撃を受けているエメの村をルカーシュが留守にするというのは、村人からしても不安でしかないだろう。
そもそもの目的という視点から見れば、アルノルトの方が適切だ。何せ今回の件はルカーシュには――未来の仲間を救うためなのだから、全く関係ないとまではいわないが、現段階でルカーシュとエルヴィーラは何一つ接点のない他人だ――関係ない。けれど前述したとおりアルノルトは忙しい身であり、いつ彼の予定が空くか分からない。
こちらを立てればあちらが立たず。私は頭を抱えるしかなかった。
王都のシュヴァリア騎士団にダメ元で声をかけてみようか。護衛を貯金で雇うという手もあるかもしれない。しかし護衛を雇う際の相場を知らないし、そこまで貯金があるわけでもない。ならば、エメの村の男性陣に力を借りるか――
(一人で行けたらいいんだけど……毒薬だけじゃ心もとないし……)
一人で向かうのが最善だとは思うが、それはさすがに無謀すぎる。
はてさてどうしようか、とルカーシュの家の前を右往左往していたら。
「あら、ラウラちゃん?」
こちらに声をかけてきたのは、ルカーシュの母親その人だった。家の前を行ったり来たりする私を不審に思ってのことか、扉に手をかけたまま、こちらの様子を窺うように首をかしげている。
私は苦笑を隠すように無理やり口角を上げつつ、朝の挨拶をした。
「お、おばさま、おはようございます」
「おはよう。ルカならもう起きてるわよ。入る?」
「いえ! ……ううん、やっぱりお邪魔してもいいでしょうか」
「ええ、もちろんよ」
どうぞ、とルカーシュによく似ている青の瞳が細められる。おばさまに誘われるままルカーシュの家に足を踏み入れると、渋いひげをこさえた男性――ルカーシュの父親と玄関先で対面した。おじさまは玄関先にたてかけられている斧に手をやっていたところで、これから仕事――おじさまは木こりだ――に行くのだろう。
「おお、ラウラちゃん、おはよう。ルカーシュに何か用かい?」
「おじさま、おはようございます。少し、ルカーシュに相談したいことがあって」
「ラウラちゃんにはいつも世話になってるからな。うちの息子でよければいくらでも使ってくれ」
ハハハ、と豪快に歯を見せて笑うおじさま。瞳の色や髪の色はおばさま譲りのルカーシュだけれど、顔立ち自体はおじさまによく似ているように思う。おじさまも昔はさぞかし美少年だったことだろう。年を重ねた今も、渋い大人の男性といった風貌だ。
「あれ、ラウラ?」
「ルカーシュ、おはよう」
玄関先での会話が耳に届いていたのか、ルカーシュがひょっこり奥の部屋から顔をのぞかせた。目が合い、朝の挨拶を交わせば、彼の表情はぱっと輝く。
「おはよう」と笑顔で返してくれたかと思うと、そのまま彼の部屋へと通された。
ルカーシュは綺麗に整えられたベッドの上に腰かけた。そして視線で、部屋に一脚だけ置いてある椅子を私にすすめてくる。それに従い、私は椅子に腰かけた。
「無理を承知で、とりあえず話だけ聞いてほしいんだけど」
今回は話だけ聞いてもらおうという腹積もりだった。同行をお願いするのかしないのか、今日中に結論は出さないにしろ、こういったことをお願いするかもしれないといった話は早めにしておくに越したことはないだろう。
前置きをしてから、本題を切り出す。
「今度ある病気の治療法を探しに、フラリアという街に行くの。それで、目的の治療法には目星がついてるんだけど……その、治療に必要な材料が、もしかすると魔物がいる森の奥にあるかもしれなくて――」
「僕も行くよ」
迷いのない口調だった。
私が驚きに数度目を瞬かせると、ルカーシュは下から私を覗き込むようにして、こちらの様子を窺ってくる。
「僕についてきてほしくて、この話をしたんじゃないの?」
「そ、それはそうなんだけど……。でも、ルカが村から出たら……」
私がぽつりとこぼした言葉に、ルカーシュは瞼を伏せた。私についていきたいが、私の不安に対する明確な答えを持っていないのだろう。
そう、ルカーシュについてきてほしい。けれど勇者の力を持つルカーシュが村を離れては、いざという時に不安が残る。エメの村を囲う結界魔法は相変わらず弱いままで、たとえそれを強くしたところで、簡単にルカーシュが村を離れていいという訳ではない。
一切の迷いを見せず、「ついていく」と即答したルカーシュに、私は動揺していた。こちらとしては今はただ話だけ聞いてくれれば、という心持だったのだが――
とにもかくにも、ルカーシュについてきてもらうにしろそうでないにしろ、エメの村の結界魔法問題を先に解決してから話すべきだったかもしれない、と軽はずみな自身の言動を後悔した。まさかこうも即答されるとは思ってもみなかった――などと言い訳している場合ではない。
精霊の飲み水への明確な道が開けて、些か焦りすぎていたようだ。優先順位をしっかりつけて行動しなくては。
まずはエメの村の結界をどうにかしてから。精霊の飲み水に関しては、その次だ。
私は一度大きく深呼吸してから、口を開いた。
「私から話しておいて悪いけど、ちょっとだけ時間を頂戴。シュヴァリア騎士団の魔術師の人に、もっと強い結界魔法を張ってもらえるよう、頼んでみるから」
すぐに手紙を出そう。一日でも時間が惜しい。宛先は――シュヴァリア騎士団か、はたまたアルノルトか。その際に同行の件についても、それとなく切り出してみよう。いくら強い結界魔法を張れたとしても、やはりルカーシュが村から数日でもいなくなるのは不安だ。
一番いいのは、エメの村の結界魔法を強くした上で、ルカーシュが村にいる、という状態だろう。
幼馴染の様子を窺えば、彼はなぜか複雑そうな表情を浮かべて、けれどしっかり頷いた。
「結界魔法をどうにかできたら、その後で改めてもう一回頼むかもしれない」
「うん、分かった」
「ごめんね。わがまま言って巻き込んじゃって」
私の言葉に、ルカーシュは静かに首を左右に振る。そして、
「何も知らされずにラウラが危険な目にあうより、どんどん巻き込んでくれた方がずっといい」
真っすぐな瞳で私を見つめて、言った。
青の瞳の中、金の紋章がきらりと光を反射する。身近な人間が傷つくことに胸を痛めるのは、「ラストブレイブ」の勇者様も同様だった。人を守れる力を持っているだけに、勇者様は守れなかったときに人一倍傷つき、自分を責めてしまうのだ。
私が無茶をして怪我を負ってもそれは同様だろう。一人で焦った結果何も得られず、ルカーシュの心を傷つけてしまうことは避けなければ。
「ありがとう。何か進展があったら教えるね」
そう告げれば、ルカーシュは安心したように微笑んだ。物騒な話題はそれきりで、次第に穏やかな話題へとうつっていき、その後は幼馴染と雑談を楽しんだ。
ルカーシュの家から帰宅後、迷いに迷って、アルノルト宛に手紙をしたためた。シュヴァリア騎士団副団長であるオリヴェルさん宛に出そうかと一瞬迷ったが、アルノルトに出した方が確実だろうという結論に達したのだ。何せ今回はエルヴィーラの治療のため、という理由がある。少しばかり汚い手だが、その理由を一番に掲げれば、アルノルトとて邪険にはできないだろう。
一日に一度だけ村を訪れる連絡便の馬車に、手紙を預けた。エミリアーナさんへの感謝の手紙も一緒に。どうかいい方向に話が進んでくれと願うばかりだ。




