05:没キャラと消えた噴水広場
「ラウラ、はぐれるでないぞ!」
お師匠の言葉に視線をあちらこちらに奪われながらも、しっかりと頷いた。
――お師匠に弟子入りして、数か月。今日はお師匠について、国内でも王都に次いで規模の大きな街にやってきた。弟子に会いに行くとのことで留守番を頼まれそうになったのだが、私が無理を言って連れてきてもらったのだ。
この街――シッテンヘルムには覚えがある。「ラストブレイブ」で主人公が旅立ち、序盤で訪れる街だ。先に王都を訪れているため若干スケールは落ちたように感じてしまったが、軽快なBGMがとても印象に残っている。仲間の1人がこの街出身で、終盤にもう一度訪れることとなった。
――前世の印象は置いておいて、現在私は街のあちこちに目を奪われている。
なんて活気のある街なんだ! エメの村とは大違い! 「ラストブレイブ」で見たままの景色が目の前に広がっている!
「ここじゃここじゃ」
そう言ったお師匠の隣で、私は目の前の建物を見上げた。
白を基調とした清涼感あふれるこの建物には見覚えがある。「ラストブレイブ」をプレイ中、この建物に入った。周りの建物より一回り大きく壁の塗装も周りから浮いているように見えて、ただの民家とは思えずお邪魔したのだ。
――結論からいうと、ただの民家だった。室内の装飾にも心なしか力が入っているように見えたのだが、その後この民家がイベントに絡んでくるなどといったこともなかった。
まさかこの民家に住む方がお師匠――村はずれのオババ――のお弟子さんだったとは。
呼び出しベルを鳴らし、中からの返事を待つこともなく我が物顔で家へ入って行くお師匠。私もその後に続きながら、「ラストブレイブ」でこの民家に住んでいたNPCの容姿を思い出そうとしていた。
私の記憶が正しければ、金髪の女性だった。複数の村や街で見かけた、使い回しのNPCだったように記憶している。
「久しぶりじゃな、メルツェーデス」
お師匠の横から答え合わせをしようとひょっこり顔をのぞかせる。住民クイズは――不正解だった。
「お久しぶりですお師匠様。相変わらずお元気そうで……何よりです」
「まだまだくたばりはせんぞ」
お師匠とにこやかに会話をするお弟子さん――メルツェーデスさんは、淡い緑の髪を持った、それはそれは美しい女性だった。
まず視界に飛び込んできたのはその髪の長さ。床に毛先が届きそうな長さだ。現実的にはあり得ないが、さすがファンタジーの世界と言うべきか。
次に目が行ったのは、耳の形だ。先が尖っている。「ラストブレイブ」では、その耳の形はエルフという種族の証だった。他の種族より長い寿命と強い魔力を持つとされ、パーティーメンバーにも1人エルフが加入していた。
最後に目を引かれたのは、お師匠と同じ赤の瞳。濃い赤ながらもどこか透き通っているように思えるその瞳には、惹きつけられる不思議な魅力があった。
その赤が、こちらを向く。
「そちらが新しいお弟子さんですか?」
「ラッ、ラウラ・アンペールです、よろしくお願いします!」
頭を下げた際に視界の隅をちらつくアッシュゴールドの髪。毛先が緩くウェーブを描いているそれは、私のものだ。髪色こそ多少の個性を与えられているものの、この世界では当たり前の青の瞳を持つ私は、なんだか肩身がせまい。
私、ラウラの顔立ち自体は、主人公の幼馴染という職業を与えられているためか、NPCキャラクターよりも力を入れて作られていた――つまりはかわいく作られていた――ように思う。しかし、メルツェーデスさんの神々しさすら感じる美しさの前では、全く太刀打ちできない。
それにしても、こんなに美しく印象的なキャラ造形をしているメルツェーデスさんを忘れてしまっていたとは。本筋のストーリーどころかサブイベントにも絡んでこない人物であったから無理もない話かもしれないが、忘れるどころか、この民家にいたのは使い回しのNPCだったはず、なんて間違った記憶を掘りおこしていた。
「しっかりしたお嬢さんね。メルツェーデス・ブルームです、よろしくね。相当優秀なお弟子さんだって聞いているわ」
まるで聖母様のような慈悲に溢れる微笑みを向けられて、自然と強張っていた体から力が抜けた。なんて素敵な人なんだろう。
「そうだわ、私の弟子も紹介させて。アルノルト!」
メルツェーデスさんの呼びかけに奥から出てきたのは、黒髪の男の子。その男の子は――恐ろしいほど顔立ちが整っていた。
身長からして、私よりいくらか年上のように思えるが、それでも12歳ほどだろう。だというのに、その顔立ちからはすでに幼さがそぎ落とされ始めていた。髪色と同じ色の瞳も、すっと通った鼻も、引き結ばれた唇も、顔のパーツ全てが完璧な形をしており、なおかつ完璧な場所へと収まっている。神様の最高傑作といっても差し支えがないほど、欠点が見当たらない。
将来の勇者様――メタ的な発言をするならば、将来のこの世界の主人公――ルカーシュも、とても綺麗な顔をしている。しかしまだまだ幼さは残っており――早い話が、こんなにも綺麗な顔をした子は初めて見た。
驚きのあまり不躾な視線を向けてしまっていた私に、その男の子はちらりと一瞬目線を寄越したが、すぐに顔を逸らしてしまう。そして、
「…………」
無言。何も言おうとしない。明らかにコミュニケーションを拒絶されてしまっている。
私がどうしたものかと反応に困っていると、傍のメルツェーデスさんが助け舟を出してくださった。
「ごめんなさいね、ラウラちゃんよりお兄さんなのに……彼の名前はアルノルト・ロコ。フォローするようだけれど、知識は確かなの」
メルツェーデスさんのフォローに曖昧に微笑む。「よろしくお願いします」とこちらから声をかけてみたものの、見向きもされなかった。
それにしても、アルノルトという名前はかっこよく決まっているが、ロコとはなかなか可愛らしい姓だ。小動物の名前につけても違和感のない――など自分のくだらない考えを心の中で笑ったその瞬間、“思い出した”。似たようなことを以前にも考えたことがあるぞ、と。
ロコ。その姓に、“私”は覚えがある。聞いたことがある。鼓膜の奥に、蘇る声がある。
――あたしの名前はエルヴィーラ・ロコ。天才魔術師よ!
記憶の中で、幼い顔が歯を見せて笑う。大きな黒の瞳が瞬く。黒髪が揺れる。その際に黒髪の合間から覗ける、尖った耳。そう、彼女はエルフだ。小さい体に莫大な魔力を秘めた、天才魔術師。
ロコ。その姓を名乗っていた人物。それは――「ラストブレイブ」のパーティーメンバーの1人、エルヴィーラ・ロコだ!
よく覚えている。“私”にとってエルヴィーラはお気に入りキャラの1人だった。戦闘では圧倒的な火力で敵を蹴散らし、ストーリーでは幼いながらも誰よりも誇りを持っていたエルヴィーラ。
彼女が自己紹介でロコ、と名乗った際、小動物のように小さく可愛いエルヴィーラにぴったりだと思ったのだ。この記憶は間違っていない。自信を持って言える。
同じ姓を名乗っているという点に加え、髪色と瞳の色もまた、エルヴィーラと目の前の男の子――アルノルトは共通している。あとは、耳の形だ。先程はあまりに綺麗な顔立ちに気を取られ、耳まできちんと見ていなかった。
一度目線を床に落とす。そして、一気に顔ごと目線をあげた。
彼の耳は――尖っていた。
(……エルヴィーラにお兄さんや従兄弟がいるって設定、あったっけ)
“私”は必死に思い出す。両親に関する言及はあった。それどころか、エルヴィーラのキャラクターを掘り下げるイベントで、父親母親、そして祖父母までもが実際に登場していた。けれどエルヴィーラに兄はいなかったはずだ。兄に関しては一言も言及されていない。
だとしたら、従兄弟など少し遠い親族の線か――とまで考えたところで、突然ある一文が頭の中に蘇ってきた。
――容量の関係で、エルヴィーラの兄は削っちゃったんですよ。
それはおそらく、「ラストブレイブ」制作スタッフのインタビューの一文だった。ゲーム雑誌だったか、攻略本だったか、公式資料集だったか、ネットでの情報だったか、どの媒体で読んだものかは覚えていない。そもそも本当にスタッフが言ったのか、ネット上での単なる噂話だったのか、それすらも曖昧だ。けれど、その文章はしっかりと私の記憶に刻まれていた。
姓と身体的特徴がここまで共通していて、全くの他人とは考えづらい。そうは言っても、他人の可能性がゼロというわけではないだろう。
それを踏まえた上で、考える。
もしかすると、彼、アルノルトは、「ラストブレイブ」の“没キャラクター”なのでは――
「ラウラ、着いてすぐですまんが、薬草園がすぐ近くにあるんじゃ。ちぃーっとばかしこの薬草を摘んできてくれんかのう」
私の思考をお師匠の呼びかけが遮った。反射的に顔を上げると、一枚の紙が目前に差し出された。
「あ、はい!」
パッと目を通す。そこに書かれていたのは、どれも見知った薬草ばかりだ。
近くにあるという薬草園の場所を思い出そうと、“私”は脳裏にシッテンヘルムの街の地図を浮かべるが――記憶の中の地図に、薬草園は存在しなかった。そもそも薬草園なんて、この街に存在していただろうか? 新しい街に着いたら一通り探索していたはずだが、全く記憶にない。
おかしいな、と首を傾げたが、お師匠が言うからにはこの近くに薬草園とやらは存在するんだろう。だとしたら私が見落としたとしか考えられない。
そこではたと思いつく。薬草園は、考え事にぴったりな場所ではないか? と。あくまでイメージだが静かな場所のように思えるし、そもそも1人になれるというのは大きい。
「あの……ついでに薬草園を見てきてもいいですか?」
その言葉は一見すると、勉強熱心な弟子の言葉に聞こえたことだろう。実際お師匠は満足げな笑みで「好きなだけ見てくるといい」と頷いてくださった。その笑顔に多少良心が傷んだが、薬草園を見たいという気持ちも嘘ではない。――考えをまとめたいという気持ちの方が、ずっと強かったが。
ほっと息をついて、すぐにメルツェーデスさん宅を後にしようとする。しかし次の瞬間鼓膜を揺らした言葉に、私は足を止めた。
「だったらアルノルト、ラウラちゃんを案内してあげなさい」
喉元まで出かかった驚きの声を飲み込んだことを、どうか褒めて欲しい。
私は今までにない俊敏さで振り返ると、引き攣った笑みを浮かべてぶんぶんと顔の前で両手を振った。
「そんな、いいですいいです!」
アルノルトさんも面倒でしょうし。
そう紡ぎかけた私の言葉を遮ったのは、他でもない、アルノルト本人だった。
「ついて来い」
まだいくらか高い声に、当たり前だが彼も子供なのだと実感する。その顔立ちも、目つきも、あまりに幼さを削ぎ落としていて――なんてことを考えている時ではない。
本人が横にいては考えに集中できないと断ろうとしたが、そんな暇は与えてくれず、アルノルトは颯爽と私の前を横切り、メルツェーデスさん宅から出て行く。
予定が狂ってしまったが、そもそも私は薬草園の場所を把握していないのだからと自分を納得させて、その後を追った。
***
案内された薬草園を前に、私は呆然としていた。
想像より遥かに大きい。これはとても、見落とせるような広さではない。そしてなにより、
(ここ、噴水広場じゃなかった?)
“私”の記憶によれば、ここにはとても大きな噴水と、その噴水を囲むように広場が広がっていた――はずだった。イベントでも数度舞台として使われていた噴水広場がそのまま、薬草園とやらにすげ変わっている。
これからこの薬草園が噴水広場に工事されるのだろうか? ルカーシュがこの街に来るまで、まだ8年弱ある。ありえない話ではない、ように思えるが。
いや、待て。噴水広場はとあるキャラクターの過去の回想シーンにも出ていたはずだ。印象的なシーンだったから、よく覚えている。あれは“今”よりも昔――パーティーメンバーの年長者である男性の、幼少期の回想シーンだったはずだ。
彼はこの街の出身で、幼い頃に両親を魔物に襲われ亡くしている。自分も子供の身でありながら、妹と弟を育てあげた苦労人だ。ここでの回想シーンは、彼が両親を亡くしてから騎士となって王都へ赴くまでの10年余が飛ばし飛ばしに描かれていた。
つまり、“今”噴水広場がないという事実は、「ラストブレイブ」に反している。不覚にも泣いてしまったムービーだ、忘れはしない。
――ここで初めて、私は“私”の記憶を疑った。
この記憶は、本物なのか。確かにエメの村は全てが“私”の記憶と一致していた。けれどシッテンヘルムに来てからはどうだ。薬草園のことも、アルノルトのことも、メルツェーデスさんのことも、“私”の記憶と一致していない。
唖然とする中で、今更すぎる事実に思い至った。
そもそも私――ラウラが「ラストブレイブ」と違う道を積極的に歩こうとしているではないか。このままこの道を歩んだとして、それがこの世界に影響を及ぼす可能性はあるのだろうか。
とにもかくにも、今後は“私”の記憶に頼りすぎない方がいいかもしれない。
「……おい」
「えっ、あ、はいっ?」
薬草のことなどすっかり忘れていた私に、アルノルトから声がかかる。どこか不満そうに歪められた整った顔を見て、そもそもアルノルトのことを考えたかったのだと思い出した。
アルノルトはエルヴィーラと関係があるのだろうか。あるとしたら、“削られたキャラクター”との情報があったエルヴィーラの兄なのか。それとも、従兄弟など親等の下がった親族なのか。仮にアルノルトが“没キャラクター”であるエルヴィーラの兄だとして、“没キャラクター”が「ラストブレイブ」の世界に存在出来るものなのだろうか。
本人にエルヴィーラという妹がいるか聞くことができれば早いのだが、聞けるような距離感ではない。本編当時のエルヴィーラの年齢から、彼女はもう生まれているはずだが――
「よくベルタさんに弟子入りできたな、オマエ」
突然かけられた言葉の意味が、正直よく分からなかった。ただそこはかとなく、悪意――いや、嫉妬を向けられているように感じた。
ベルタとはお師匠の名前だが、よくお師匠に弟子入り出来たな、とはどういう意味だろう。
「ベルタさんは弟子を取らないことで有名なんだ。今までおれの師匠含め、3人しかとってない。オマエで4人目」
「は、はぁ……」
「おれもわざわざ辺鄙な村まで行ったのに、断られた」
アルノルトの言葉を聞いて、彼が先程から不機嫌だった理由を察した。
なるほど、アルノルトは私の存在がおもしろくないらしい。
理由がわかったところで私にはどうしようもないが、理不尽で感情的な怒りをぶつけられて、幼さを感じさせないこの男の子も中身はまだまだ子供なのだな、と先ほどまでの戸惑いは消え、微笑ましさすら覚えた。
それにしても、お師匠がそんなに弟子を取らないとは驚きだ。自分が4人目の弟子ということも初めて知った。
私の弟子入りはあっさり受け入れてくれたが、隠居生活で暇を持て余していたのだろうか。暇つぶしのような感覚で弟子入りを許してくれたのかもしれない。全て、私の妄想だが。
不意に隣のアルノルトがその場にしゃがみ込んだ。どうしたのだろうと視線をそちらにやると、足元の薬草を指差し、尋ねて来た。
「この薬草、知ってるか?」
「え? えぇ、最近新しく発見された新種の薬草ですよね。回復効力を増長させるって文献で読みました」
「……だったら、これは?」
今度はここから少し遠くの薬草を指差した。葉の表面が他と比べてツルツルしている。それには見覚えがあった。
「苦味の強い薬草と調合すると苦味が緩和されるものですよね。この薬草自体に効力はありませんけど」
「……じゃあ、これ」
次に指差したのは、私の足元のものだった。葉の先がくるんと内側に巻いてある。一瞬考え込んだが、すぐに答えが脳裏に浮かんで来た。
そうそう、これは――
「あ、それ、料理に使える薬草ですよね。消化の働きを助ける効力が一番有名で……ただ、よく似た形の薬草で、毒性を持つものがあるから間違えないようにって書いてありました」
私が自信を持って答えると、アルノルトはふいとそっぽを向き、私には一瞥もくれずにその場から踵を返した。
突然の行動にどうしたんだと戸惑いながら、その背中を追う。一瞬ためらったが、それでも声をかけた。
「……あ、あの?」
「むかつく」
――どうやら私は、アルノルトのプライドを傷つけてしまったようだ。
これでは彼がエルヴィーラの兄か本人に確かめられない、分からないふりをするべきだったかと反省する一方で、中々面倒な性格をしている坊ちゃんだと呆れが顔を出した。しかし同時に、プライドが高く扱いを間違えると面倒だという性格に、エルヴィーラの影を感じていた。彼女は終盤こそ誇り高き天才魔術師だったが、序盤は手のつけられない傲慢魔術師だったのだ。序盤から終盤への態度・心境の変化は、エルヴィーラを語る上で外せない。
とにもかくにも、シッテンヘルム滞在中にこの謎を解決したい。本人に確認することは難しいにしても、メルツェーデスさんに聞くことはできないだろうか。
――しかしそれよりもまず、今私が考えなければいけないことは、彼の機嫌を直す方法だ。