48:誰かの手記
エメの村帰省5日目。気が付けば急遽取らせてもらった休暇も、半分が過ぎようとしていた。
今日は朝からお師匠の元へと来ている。帰省した翌日、お師匠に魔物の角をすり潰した粉末を渡したが、何か進展はあっただろうかと気になったためだ。
「お師匠、おはようございます」
「おお、ラウラ。おはよう。早起きじゃのう」
私を出迎えてくれたお師匠の顔には、薄くではあるが隈が刻まれていた。調合にのめりこむあまり、夜更かししたのだろうか。
これは期待できるかもしれない、とはやる気持ちを抑えながら、お師匠に声をかける。
「あの……先日お渡しした魔物の角ですけど、お師匠から見てどうでしょう」
うまい問いかけの言葉が思いつかず、随分と抽象的な質問になってしまった。しかしお師匠は私の意図をしっかりと汲み取ってくれたらしい、ゆるく首を左右に振った。
「なんとも言えんのう。わしも軽く調合してみたんじゃが……」
言葉尻を濁しながら私に向かってノートを差し出してきた。それは私が調合法をメモしていたものだ。開けば、そこには数種類の新しい調合方法が記載されていた。
「効力増長の効力が主じゃが、相性のいい薬草を選ぶ癖のある素材じゃの。単純な回復効力のみを持つ薬草とはすごぶる相性がいいが、麻痺治しや毒消しといった、状態異常を治す効力とは相性が悪そうじゃ」
ノートの文字を目で追いながら、お師匠の言葉に頷く。なるほど確かに彼女の言う通り、単純な回復効力のみをもつ薬草と混ぜ合わせたときが、一番効力増長の働きを見せている。
私はノートから目線を上げて、お師匠をちらりと見上げた。すると言葉もなしに私の聞きたいことが分かったのか、お師匠はその顔に苦笑を濃く滲ませる。
「この角が自壊病の特効薬になるかどうかは、まだまだ分からん」
いつの間にか強張っていた体からふっと力が抜けた。
一度期待したものがそうでないと知れた時の疲労感はすさまじい。まだそうと決まったわけではないが、やはりそれなりに期待した分、当てが外れた時のがっかり感、はそれなりにある。
あと期待できるのは、精霊の飲み水ぐらいか。心身の余裕のためにも、もう少し持ち駒を増やしたいところだが――
不意に、目線が奥の扉へといく。その先には、あまり足を踏み入れたことのない、お師匠の書斎がある。壁を覆ういくつもの書棚が所狭しと並べられ、更にその書棚の中には、これまたぎゅうぎゅうにたくさんの文献が詰め込まれている。
どんなに小さなことでもいい。ヒントになるものがあれば。そう思い、お師匠に声をかけた。
「お師匠、書斎見せてもらってもいいですか」
「おお、好きにせい」
返事をしっかりと聞き届けてから、書斎へ続く扉を開く。実を言うと、お師匠の書斎に入った回数は片手で足りるぐらいだ。
私が読む文献はいつもお師匠が適切なものを選び寄こしてくれたし、この文献を探せ、といった雑用は振られたことがない。せいぜい作業中で手が離せないから机の上に置いてある文献を持ってきてくれ、と頼まれたときに入ったぐらいだ。
並べられた本たちの背表紙をひとつひとつ辿る。当たり前というべきか、薬草に関する本ばかりだ。時折魔物に関する文献も並んでいたが――
背表紙だけでなく、中もひとつひとつ目を通していくべきか、と気の遠くなる考えが浮かんだその瞬間。
「うわっ!」
ドサドサドサッ。
すぐ横に、本が雪崩を起こして落ちてきた。ぶわっとあたりに埃が舞う。鼻をつまんで顔の前で大きく手を振りながら、どこからそれらは落ちてきたのだとあたりを見渡す。すると近くの書棚の上、ポッカリと空いたスペースが目についた。
「あー……やっちゃった」
見つけたスペースを眺めながらつぶやく。特に書棚に衝撃を与えたつもりはないのだが、積み重ね方が雑だったのだろうか。
「ラウラー? どうしたんじゃー?」
「上から本が倒れてきちゃったんです、すみません! 直しておきます!」
本が落ちた音を聞きつけたのであろう、いくらか張り上げたお師匠の声が飛んできた。それに対して私もいつもより大きめの声で返事をすれば、納得したのかそれきり静かになる。
はあ、と一度大きくため息をついて、それから片付けに取り掛かった。
書棚の上に積み上げられていただけあって、ほかの文献と比べても随分と埃をかぶっている。一度手に取った以上埃をそのまま放っておくのも憚られ、軽く手ではたいてから積み重ねていった。
表紙を見るに、これらの本はお師匠が趣味で集めていた本ではないかと推測する。なぜならそれらは薬草に関する文献ではなく、前世で言う小説のようであったからだ。
プライベートを覗き見するようで後ろめたさを感じたため本を開くことはしなかったが、タイトルから察するに冒険譚から恋物語まで、幅広い内容の小説が揃えられているようだった。――と、倒れた本の中に、木箱が紛れ込んでいるのを見つけた。
蓋が開いた状態で裏返しに床に落ちている。しゃがみ込んだ体勢のまま近づくと、その木箱に付いた鍵が壊れていることに気が付いた。おそらくは落ちた衝撃で壊れてしまったのだろう。
裏返しになった状態の木箱をもとに戻す。その際、木箱の中から一冊の本が床に落ちた。
(ん、手帳……?)
サイズ的に手帳か手記か。表紙には何も書かれていない。
鍵のある木箱の中に入っていたのだ。あまり他人に見られたくないお師匠の私物だろうと見当をつけて、それを木箱に戻そうとした――その瞬間。
「あっ……」
するり、とページの間から紙が一枚、床に滑り落ちた。咄嗟にそれを拾う。白紙だ。
なぜ白紙が、と紙を観察するように裏返し――それは白紙ではなく一枚の絵だったのだと、気が付いた。
おそらくは、家族の肖像画。真ん中に描かれていたのは赤ん坊を抱いた女性。年齢は40過ぎぐらいだろうか。細められた赤の瞳に、目じりに寄った皺。髪色こそ違うが、彼女は、まさか。
(お師匠……?)
わがお師匠・ベルタに見えた。
木箱と手記、そして肖像画をもって立ち上がる。それらを近くの机の上に置き、私は椅子に座りこんだ。
お師匠によく似た女性の隣には、妙齢の女性。彼女は大きな金の瞳で微笑んでいる。彼女は四・五歳の小さな子どもを抱いていた。
並んで座る二人の女性を見比べると、瞳の色こそ違うが顔の作りはよく似ている。もしかすると親子かもしれない。だとすれば、二人の女性が抱いている赤ん坊と子どもはお師匠によく似た女性の子供か。
視線を横にずらして、違和感を覚える。もしかするとこれは、家族の肖像画ではないかもしれない。なぜなら横に立っていた男は耳が尖っていた――エルフだったからだ。
もしかすると妙齢の女性とエルフの男性とで、異種間結婚をしたのかもしれない。けれどエルフと人間の異種間結婚は滅多にない珍しいことで、何より女性が抱いている赤ん坊は耳が尖っていなかった。更に付け加えるならば、男性の前に、一人の少女がはにかんだ表情で立っている。彼女もまた耳が尖っており、この二人が肉親なのではないかと思う。
エルフの親子(仮)は、顔立ちこそ違うものの、瞳の色と髪の色は見事に遺伝していた。赤の瞳に、淡いグリーンの髪――
不意に、知り合いの顔が肖像画の中の少女の顔と重なる。
(メルツェーデスさん……?)
そう、はにかむ少女は、メルツェーデスさんによく似ていた。
仮に、この真ん中の女性をお師匠だとして。外見から察するに、この肖像画は2・30年前だろうか。メルツェーデスさんは今も美しく若々しいが、長寿のエルフである以上、もう40を過ぎているということも十分あり得る。メルツェーデスさんはお師匠のお弟子さんなのだ。それなりに若いお師匠と少女のメルツェーデスさんが共に肖像画に描かれていたとして、何もおかしくはない。
なぜ古ぼけた手記に挟まれていたかは謎だが、この肖像画は私が知らない、私が生まれる前の彼女たちの姿ではないかと思った。
(真ん中の女性がお師匠で、その右隣がお師匠の娘さん。お二人が抱いてる赤ん坊と子どもが、お師匠のお孫さん。お師匠の左隣に立つ男の人がメルツェーデスさんのお父さんで、その前の少女が、小さな頃のメルツェーデスさん)
もはやそうとしか思えなかった。
もしかすると、大切な絵かもしれない。お師匠にも見せてあげようと一歩踏み出したその時。そもそもこの絵が挟まっていた手記はなんだったのだろう、という疑問が首を擡げた。
一瞬指先が手記を開きかけて、他人の私物を勝手に盗み見ていいのか、と良心が咎める。やはり駄目だろうと思いとどまり、木箱に戻そうとした――のだが。指先が震えていたのか、つるりと掌から手記が零れ落ちてしまった。
それは空中でくるりと回転し、あるページが開かれた状態で地面へと落ちた。
咄嗟に拾おうとしゃがみ込む。そして――開かれたページに書かれた文字が、目に入った。
1009日目。とうとう、――の指先が焼けただれ――
喉元の掻き――の傷もひどくな――いる。
先日――した特効薬の効果は見られな――
明日、バ――スが見つけてくれた、魔物――しに行こうと思う。
自壊――は愛しい孫――の日常も壊していく。
随分古い手記のようで、文字もところどころかすれ、思うように読めなかった。しかし、途切れ途切れの言葉から、私の脳はひとつの可能性にたどり着いた。
もしかするとこの手記に書かれているのは――自壊病の患者の、経過記録ではないか、と。
反射的にページを閉じる。心臓はバクバクと音を立てていた。
ふと、右手に握ったままだった肖像画に目をやった。真ん中で微笑む女性は、やはりお師匠によく似ている。そして彼女が胸に抱く子どもに、視線が吸い込まれた。
(孫、って書いてあったよね。まさか……いや、でも、この肖像画も手記も、お師匠のものだとは限らないし、でももしお師匠の私物だったら、お師匠は自壊病でお孫さんを……?)
考えがまとまらない。むしろ、混乱のあまりなにも考えられない。
お師匠によく似た女性が描かれた、肖像画。おそらくは自壊病の患者の経過記録が書かれた手記。なぜ肖像画が手記に挟まれていたのか。なぜこの二つが、この書斎に、隅に追いやられるようにして置かれていたのか――
「ラウラ?」
入口の方から、突然名前を呼ばれる。
私は両手に持っていた肖像画と手記を後ろ手に隠して、振り返った。
「お、お師匠、どうしたんですか?」
「さっき本を倒したと言ったじゃろう。手伝ってやろうかと思っての」
一歩こちらに踏み出したお師匠に、びくっと体を強張らせる。なぜだろう、なんの確証もないのに、先ほど見つけた肖像画も手記も、お師匠には見せない方がいいと本能が告げていた。
私は笑顔を顔に貼り付ける。そして声を張り上げて、お師匠の足を止めた。
「あーっ、いいですって! 重い本ばっかりだから、お師匠は腰やっちゃいますよ! 私が全部やっておきますから!」
ねっ、と笑えば、明らかにいつもと違う様子の私を怪訝な表情で見つめつつ、お師匠は「そうか」とその場から踵を返した。彼女としても、力仕事はご免被りたいのだろう。
書斎のドアがしっかりと閉まってから、大きく息をつく。後ろ手に隠していた肖像画と手記を改めて見つめて――はてさてどうするべきか、考えた。
見なかったことにして、元の場所へと戻すか。お師匠に言って、持ち出しを許可してもらうか。――何も告げずに、こっそりと持ち出すか。
一番いいのは、お師匠にしっかりと聞いて、持ち出しを許可してもらうことだろう。しかしなぜだろう、肖像画も手記も、お師匠は私には知られたくないのではないかという確信にも似た予感があった。
これらは鍵のついた木箱に入っていたのだ。それが不慮の事故で壊れてしまったというのは仕方ないと目をつむってもらえるかもしれないが、その後の私の行動は、好奇心に駆られてお師匠の過去――もしくは、お師匠ではない誰かの過去――を覗き見るような真似をしたも同然。知られてしまえば責められてもおかしくなかった。
「お師匠、これお借りしても、いいですか……」
練習するように、ぼそぼそとお伺いの言葉を発してみる。好きにせい、と発するお師匠の顔を思い浮かべられなかった。それどころか、血相を変えてこれらを私から奪い取るお師匠の姿が浮かんでしまって。
とりあえず、それを自身の服のポケットに入れた。お伺いを立てるタイミングを見計らおうとしたのだ。
書斎の片付けが終わったとき。お師匠とのんびりお茶を飲んだとき。この山小屋を後にするとき。タイミングはいくらでもあったはずなのに――結局私はお師匠に何も言い出せず、そのまま肖像画と手記を家まで持ち帰ってしまった。




