46:ペトラの恋バナ
――朝、寝ぼけ眼の私を家に誘ったのはペトラだった。2人でたまには遊ばないかという言葉に、私は後ろめたいものは何もないはずなのにギクリとした。
そうは言っても友人の誘いは素直に嬉しかったし、一対一でペトラと改めて話す必要性は私も感じていた。あの手紙をもらってから、どうもペトラとの距離を測りかねていたのだ。
なんとなく、で気まずくなって、友人との距離が開いてしまうのは寂しい。ここはひとつ、腹を割って話したい――ところだったが、話したところで、私はどうするべきか分からない。
ペトラは十中八九、ルカーシュの話を振ってくるはずだ。私はペトラの恋を応援したいと思う。それは紛れも無い本心で、けれど、ルカーシュの未来を知っている“私”には、応援という行為自体が酷なのではないかと思えてしまって――
ぐるぐるとまとまらない考えと共に、私はペトラの家を訪れた。村長の娘だけあって、彼女の家は他と比べると幾分立派だ。招かれたペトラの部屋も、私の部屋よりずっと広い。
部屋に入るなり、用意されたお菓子と飲み物が目に入る。準備万端だ。
勧められるまま椅子に座った。そして開口一番に、
「ねぇ、ラウラ。ルカーシュって私のこと、どう思ってるのかな?」
なんとも答えにくい問いが投げかけられた。
ジュースを口に含んでいなくてよかった。飲んでいたらおそらく吹き出していた。
「そ……っれは、私には、どうにも……」
「そうだよね……」
正直な話、ルカーシュとの間でペトラの話題が出たことはないし、出たところで私からそれを口にするのは憚られただろう。ペトラからしてみれば私はルカーシュと1番近い女の子だ。何気ない言葉が彼女の心を踏み荒らしてしまいかねない。
「ラウラは王都に好きな人いないの?」
「えっ」
「ほら、ラドミラはまだ幼いし、ユーリアはもう結婚しちゃうしで、恋の話をする相手がいなくて」
えへへ、と笑うペトラの表情に他意は見受けられなかった。
ユーリアは結婚するから恋バナをしようともペトラとは立場が変わってくるし、ラドミラに関しては申し訳ないと思いつつも納得できなくもない。ラドミラは私たちとそう歳が離れているわけではないけれど、甘えたな口調といい、態度といい、友人と言うよりは妹を思わせる存在だ。
となると、ペトラが対等な立場で恋バナができる存在は今、私ぐらい――もしかすると出稼ぎ先に同年代の女の子がいるかもしれないが――なのだろう。しかし。
「私はいないなぁ……正直それどころじゃないっていうか」
生憎と、私に提供できるような話題は何一つとしてなかった。するとペトラの方から、おずおずと、しかし誤魔化しのない真っ直ぐな疑問が投げかけられる。
「あの、魔術師の人は?」
「……アルノルトさん? お世話にはなってるけど……」
このやり取りにデジャヴを覚える。果たしてなぜかと考えて――あぁそうだ、王属調合師見習いになってすぐ、アルノルトとの仲を何度か誤解されたことがあったと思い出す。
ペトラが知っている、私と関わりのある男性といえばルカーシュと一瞬だけ会ったアルノルトぐらいだろう。だから彼の名前が出てきたのも理解できた。そもそも考えれば、それなりに濃い付き合いのある同年代の男子なんて、ルカーシュとアルノルトさんぐらいしか――
年頃の女子として少々物悲しい現実に気づきつつも、私は改めて微笑みペトラに「ただの先輩だよ」と差し障りのない答えを差し出した。
「ふぅん、そうなの……」
その声に少なからずつまらなそうな響きを感じ取ってしまい、私は思わず誤魔化すような言葉を続ける。
「恋バナをしたい、好きな人はいないのか」に対する返事が「今は好きな人はいない」なんて流石に面白くないだろう。少しは話を広げる努力を見せなくては。
「あー……正直、今は恋とかする気なくてさ。調合一筋だから、なーんて」
あはは、と笑ってみせたものの、ペトラの口元は引き結ばれたままだ。
ここは変に自分の話題を引き延ばすよりも、ペトラへと話題を振り返したほうがいいだろう。とにかく気まずい沈黙をどうにかしたくて、勢いのまま“その質問”を口にしてしまった。
「そういえば、ペトラはどうしてルカーシュのこと好きになったの?」
「えっ、ええっ!?」
ペトラは瞬時に顔を真っ赤に染め上げる。その反応に、失言だったかと数秒前の言葉を悔いた。
目の前の彼女はわたわたと忙しなく首や手を振って、何やら私には言いたくないように見えたため、すぐさま「ごめんね」と質問を取り下げようとしたのだが。それよりも早く、ペトラはぽつりと呟いた。
「……決定的なきっかけがあったとかじゃ、ないの」
反射的に「うん」と相槌をいれれば、ペトラが上目遣いでこちらの様子を窺ってきた。それにゆるく微笑んで応えると、ペトラも安心したように口角をあげる。
もしかしなくても、これは失敗ではなく成功だったかもしれない。ペトラも年頃の女の子。恋バナ――自分の恋の話を誰かに聞いてほしかったのだ、きっと。
「ただ、昔から他の村の男の子とはちょっと違うなって思ってて……ほら、他の男の子達はみんな……元気だから」
私はユーリアの婚約者を思い出す。それと共に、ルカーシュをからかっていた村の男の子たちの姿を脳裏に浮かべた。
確かに彼らは、ルカーシュと比べると随分活発だった。いや、山奥の村に生まれた男の子としては、彼らの方が“普通”でルカーシュが“変わっていた”のかもしれない。野を駆け回り、元気に暮らす男の子たち。少しばかり過ぎたこともしていたが、こんな辺鄙な村だ、遊び相手は大自然かお互いしかいない。
けれどその元気さがペトラからしてみればあまり好ましくなかったらしい。ペトラは小さい頃は特におとなしい性格をしていたから、乱暴な男の子は怖かったのかもしれない。
「私、男の子苦手で……でもルカーシュとは自然と話せたの。ルカーシュの、穏やかな性格のおかげだと思う」
確かにルカーシュとペトラが会話しているところは何度か見かけた。ルカーシュとしても、穏やかな性格のペトラは接しやすかったのかもしれない。思えば、2人の感情の起伏が穏やかな面は少しばかり似ているのではないか。
脳裏に幼馴染の顔を思い浮かべながら、ペトラの話に耳を傾ける。
「ここ数年でぐっと大人っぽくなったというか、逞しくなったし……。魔物が村を襲った時も、おじさんたちより前に立って村を守ってくれた」
ふ、と虚空を見つめるペトラ。その赤らんだ頬から、その先に好きな人を思い浮かべているのだろうと分かる。
「それで……前から思ってたけど、かっこいいなぁって、気づいたら目で追うようになって……」
好きになってた。
その言葉でペトラの恋バナは締めくくられた。
なるほど可愛らしい初恋話だと思うのと同時に、その想いは数年後どのような終わりを迎えるのかと考えると、胸が苦しくなる。
ラストブレイブで“私”が体験した通り、ルカーシュは古代種の少女と恋に落ちることが決まっているのだ。私はその未来を望んでいる――それは世界が救われるため、という理由の方が大きいが――し、その未来のためにエルヴィーラの自壊病を治そうと奮起している。だから言うなれば私も、ペトラの失恋を望んでしまっているようなもので――などと考えて、はた、と思い至る。
ラストブレイブのヒロインである古代種の少女とルカーシュの恋は、この世界でも決められたものだとばかり思い込んでいた。しかし。
消えた噴水広場。
アルノルトという未登場キャラクター。
エルヴィーラの自壊病。
両足を失ったアレクさん。
そして、調合師という道を選んだ、ラウラ・アンペール。
そう、この世界は、ラストブレイブと全く同じではない。異なる点・要素が見受けられる。だとしたら、ルカーシュが古代種の少女と結ばれる未来もまた、この世界では変わるかもしれない。
そう、もう一つの世界線――村の幼馴染と結ばれる未来が、勇者様には待っているかもしれない!
その考えに及ばなかったのは、ルカーシュと古代種の少女の恋が、ストーリー――彼らが世界を救うまでの過程――に欠かせないほど大きな要素だったからだ。魔王が人間に味わわせた絶望の中、2人の強い想いは紛れも無い光だった。だからいくらこの世界でラストブレイブとの相違点を見つけようと、“私”は無意識のうちにそこが揺らぐことはないと思い込んでいた。
実際、そうなのかもしれない。しかし、古代種の少女との恋がなんらかの形に変わって――例えば性別を超えた友情だとか、家族のような友愛だとか、はたまた思い切って、古代種の少女はこの世界には現れず、別のキャラクターがその存在に取って代わるだとか――この世界を救う光になる可能性はゼロではない。ゼロではないのだ。
そうだ、ペトラの恋心はこの先どうなるか分からない。それは普通の恋も同じはず。だとしたらいたって普通に友人として、彼女の恋を応援しても良いのではないか。
何も無理にくっつけようだとか、逆に無理に遠ざけようだとか、そう考えているわけではない。ただ――そう、ただ、見守るだけ。それは静観とそう変わらないが、私自身の気の持ちようとしては随分楽になる気がした。
「そうだったんだ。……ペトラ、恋する女の子の表情してる」
屁理屈をこねて幾分気分が軽くなったところで、私は本心を口にした。するとボッとペトラの顔が耳まで真っ赤に染めあがる。その分かりやすい変化はまるで、漫画のようだった。
「もっ、もう、ラウラ! からかわないで!」
「からかってなんかないって! ペトラはルカーシュのこと、本当に好きなんだなーって」
あはは、と笑う。久しぶりにペトラに気後れせず、友人らしい軽口が叩けたように思った。
自覚する。ことルカーシュに関しては、私はまだまだ前世の記憶――ラスト・ブレイブをかなり引きずっているらしい。
それが悪いことだとは思っていない。実際“私”の記憶通りにことが進めば、この世界の平和は約束されたようなものなのだ。誰に弁明する訳でも無いが、それを望んでしまう気持ちはどうか許してほしい。
「こういう話、また聞いてくれる?」
「私でよければ」
「ありがとう! ……王都と違って、この村は話題も楽しいこともないでしょ?」
ペトラは憂うように瞼を伏せた。その表情に、彼女はこの村での生活に満足していないのだと察してしまって。
「私はラウラみたいに、才能もないから……きっとエメの村で一生を終えるんだろうなって思ってるの。でも好きな人と一緒なら、それも幸せかなって」
ペトラの言葉に、私はなにも答えられなかった。
年頃の女の子が暮らすには、あまりに不便で娯楽がない村だ。だからといって、簡単に村を出られるような財や地位を持つ人物も、この村にはいない。その退屈さを甘受しつつ、このような閉じた村で暮らすことを強いられるのは、残酷ではあるがよくある話だろう。
しかし、その人生も捨てたものではないはずだ。普通がいちばんの幸せだと言ったのは誰だったか。同じ村の人と結ばれて、子を成し、命を繋げていく。立派な人生だ。そうは分かっていても――思わずにはいられない。自分に調合師という道があって良かったと。
記憶が蘇ったあの日から、この村を出る手立ても何も得られず、変わらずエメの村にいたら――一体私はどうしていただろう。案外元気に暮らしていたかもしれない。けれどもしかすると、鬱々とした日々をただ過ごす、生きた屍のようになっていたかもしれない。
「この先なにが起こるかなんて、誰にも分からないよ。ペトラも一年後、もしかしたら全然違う場所にいるかも」
ペトラの顔を下から覗き込むようにして、わざとすっとぼけたように笑う。するとペトラは一瞬ぐっと顎を引いたが、こたえるように微笑んでくれた。
真っ先にこの村から出て行った私が何を、なんて思われているかもしれない。実際村に帰って来る度、自分とペトラ達との間に流れている時間の違いを感じる。ユーリアの結婚がその最たるものだが、ペトラが出稼ぎに出はじめたことも――自分で選んだ道なのに、その道が村の友人達と遠く離れたところにあることに、寂しさを覚えていた。
仕方のないことだろうとは思う。実際考え方も、この村で暮らすのと王都で暮らすのとでは変わってくるだろう。けれど私は、エメの村を捨てた訳ではなかった。たとえ自分の意思で離れた村だとしても愛しい故郷には変わりない。そしてペトラ達も、その故郷の大切な友人達だ。
「ペトラの恋バナ、また聞かせて。なんだったら手紙でも」
目を丸くして、首を傾げたペトラにはっとする。
あぁそうだ。恋バナって単語、この世界にはないんだった。“私”はすっかり忘れてしまっていた。
 




