45:ユーリアの結婚
魔物の襲撃に遭い、大人達に一通りの状況説明をし終わった後。私はラドミラを連れて自宅へと帰ってきていた。自宅には先日ルカーシュに作ってあげた回復薬の残りがあるからだ。
ラドミラを家に招いたのは、私の傷をしきりに心配する彼女を思ってのことだった。回復薬を飲んであっという間に傷がふさがる様を目の前で見せれば、友人が自分を庇って怪我をした、という彼女の心の傷も多少は癒えるのではないかと考えた。
それにしても、と容器を手にとって思う。傷を癒す回復薬を飲むのは初めてだ。
透き通った色のそれをじっと見つめ、それから一気に飲み下した。途端、血がぐわっと患部に集まっていくのを感じ――なぜだろう、この感覚には覚えがある。そこではっと思い至った。先日、エルヴィーラにと試行錯誤した回復薬の、失敗作を飲んだ時の感覚に、少しだけ似ているのだ。
あの時のような、血管が灼けたのかと錯覚するほどの痛みはない。ただ熱が全身を巡るような感覚は、よく似ていた。
(もしかしてあれは、失敗じゃなかった……?)
まだ判断するには材料が少なすぎる。しかし、前回の“アレ”を失敗だと決めつけるのも早い、かもしれない。
帰ったらもう一度、どうにかこうにか試せないだろうか――などと考えていたら、患部に集まっていた熱が引いていくのを感じた。目で確認すれば、魔物の爪によって残された傷跡はすっかり塞がっている。
未だ涙を眦に溜めているラドミラに、ぐい、と見せつけるように右腕を差し出した。
「ほら、もう治ったよ」
「……ほんとぉ?」
「本当。ほら、見て?」
「ラウラァ、ほんとにごめんねぇ」
私の右腕をぎゅっと抱きしめて、ラドミラは再びその瞳から涙をこぼした。
跡も残っておらず、一体どこが傷つけられたのかももう分からないほどだ。それでも謝りながら涙を流すラドミラはいじらしかった。
「そんなに気にしないで、ラドミラ。傷跡も全然分からないし……」
「でもぉ……」
「それより、私が投げた液体かからなかった? 大丈夫?」
なおも言い募るラドミラに、私は話題を変える。突然問いを投げられた彼女はきょとん、と目を丸くして、ゆっくりと首を傾げた。どうやら私の質問の意図を理解していないようだ。
私はラドミラが着ているワンピースを注視しつつ、言葉を重ねる。
「ちょっとした毒薬だから、服にかかっちゃったらそのまま捨ててほしいの」
魔物の皮膚を溶かすほどの毒性を持つ薬だ。もし人の皮膚にかかってしまったら、と想像するだけで背筋が凍る。
万が一ラドミラに毒薬がかかってしまっていたのなら、その瞬間に悲鳴をあげていたはずだ。だからその心配はないだろうと思ってはいたが、万が一服の裾に付いていて――なんてことも、あり得ないとは言えない。
しかし一向にラドミラからの返答はなかった。目を丸くした表情のまま、私の顔を覗き込んでくる。どうしたのだろうと思いつつも、とうとう私はしゃがみこんでラドミラのワンピースの裾を確かめた。
「……それって、ラウラが作ったの?」
「お師匠に手伝ってもらったけどね」
「すごぉい!」
先程までの暗い表情を一変させて、ラドミラはしゃがんだ私の顔を、同じく勢いよくしゃがみ、覗き込んできた。その切り替えの早さに驚きつつも、真っ正直に自分の感情を声と表情に乗せるラドミラを好ましく思う。
ざっと見た感じではあるが、特に毒薬が服に飛んでいる様子は見られない。そう判断し立ち上がると、私を追うようにラドミラもまた立ち上がった。
「ね、ね、色々お話聞かせてぇ? どうやって作るのぉ?」
目を輝かせてずい、と顔を近づけてくるラドミラは、まるで年の近い妹のようだ。
そんなに面白い話でもないよ、としっかり前置きしてから、彼女が投げかけてくる質問にひとつひとつ答えた。
***
ラドミラからの怒涛の質問攻撃に圧倒されつつも答えていると、母が「お客様よ」と遠慮がちに声をかけてきた。ラドミラの質問攻撃から逃げるチャンスだ、と立ち上がり、来客が誰かも確かめずに玄関へと向かう。
すると、玄関に立っていたのは。
「ラウラ、突然ごめんなさい」
ユーリアその人だった。
予想外の来客に、わずかに首をかしげる。
「怪我は平気?」
「う、うん。心配かけてごめんね」
「あれ、ユーリア、どうしたのぉ?」
「あらラドミラ。あなた、ラウラの家にいたのね。……そうだわ、少しいい?」
どうやら私の後ろをついてきたらしいラドミラと、ユーリアが何やら小声で数言交わした。ここからでは会話の内容は聞き取れない。
ラドミラは複数回頷いたかと思うと、「わたし、そろそろお暇するねぇ。お邪魔しましたぁ」とのんびり告げた。そして私が突然のことに驚いている間に、あっという間に駆け出して行った。マイペースに見えて、案外動きは俊敏なところがあるのだ。
一人置いて行かれた私と、ユーリアの目が合う。薄く微笑まれる。よくわからないが、とりあえず答えるように私も微笑んだ。
家に上がるかとユーリアをそれとなく促したが、彼女は黙って首を振るだけで。一体なんの用件だと私が尋ねるよりも数瞬先に、ユーリアが口を開いた。
「私、今度結婚するの」
――突然すぎる告白に、私は十数秒、たっぷり固まった。
ユーリアが、結婚?
すっかり思考停止してしまった脳で、それでもなんとか友人として絞り出せたのは、拙い祝福の言葉だけ。
「……お、おめでとう!」
「びっくりしたって顔してるわね」
ふふふ、とユーリアは笑う。その微笑みはとても落ち着いていて、大人びている。
ユーリアは私より2歳上と考えると、小さな村に住む娘としては適齢期と言えるかもしれない。しかし本編開始時点で、主人公と同世代の少年少女は誰一人として結婚していなかったはずだ。尤も最序盤にしか登場しないNPC達だから、絶対の自信があるかと言われてしまうと言葉に詰まるが。
なるほど、結婚か。
じわりじわりと咀嚼できた事実に、私は改めて目を丸くした。
「そりゃ……驚くよ。だってそんな話、今までだって一度も……」
「話してないもの」
あっけらかんと言う。確かに話された覚えはないのだが、こうもはっきり言われるとなんだか笑えてきてしまった。
ペトラやラドミラ、それにルカーシュはこのことを知っていたのだろうか。話題も流行もない小さな村だ、結婚話となればあっという間に広まりそうだが――
そこではた、と思い至る。相手はいったい誰だろう。話を聞く限り、ユーリアはペトラのように出稼ぎに出ている訳ではない。だとしたら。
「誰と結婚するのか、聞いていい?」
「セルヒオよ」
告げられた名前に、咄嗟に反応できなかった。
セルヒオ、セルヒオ――何度か口の中でつぶやいて、名前の主を脳裏に思い浮かべようとする。その作業に数秒を要して、ようやくひとつの顔が浮かんだ。
赤茶の癖の強い髪に、そばかす。そうだ、セルヒオとはエメの村に住む少年だ。
しかしユーリアとそれらしい交友があったかというと、全く記憶にない。尤も私が王都に出るようになってから仲を深めた可能性もあるが。
「……2人、仲良かったっけ?」
「それなりにね。ラウラはルカーシュ以外の男の子とあまり話さないから知らなかったでしょう?」
ぐさり。痛いところを突かれた。
勇者様の幼馴染という職業から抜け出そうともがいた数年前、その足掛かりとしてユーリア達とより一層仲を深めようと奮闘した。しかし一方で、村の少年達とはほとんど交友を持とうとはしなかった。
なぜ、と問われても特に理由があった訳ではない。ただ単にあちらから私に話しかけてくることはほとんど無かったし、そもそも私は初めからこの村を出ようと考えていたのだ。特に必要性を感じなかった――という本音は、いささか性根が悪いだろうか。
それにしても、ユーリアは聡明な美人だ。セルヒオは幼い頃こそルカーシュをからかっていた悪ガキだったが、ゲーム開始時はそれなりにたくましく成長していた覚えがある。他人の色恋沙汰に口を挟む気はさらさらないが、良い家庭を築いて欲しい、と素直に思った。
「とにかく、おめでとう。前以て言ってくれれば、何かお祝い買ってきたのに」
「こればっかりは自分の口から言いたかったのよ」
ユーリアはここにきて、頬を赤らめた。その表情は先ほどよりも幼く、年頃の少女のようだ。
恋をしているのだと、なんだか微笑ましくなってしまう。
「よ、ラウラ」
「あ……おめでとう、セルヒオ」
恐らくは扉の側で控えていたのだろう、脇からセルヒオがひょっこりと顔をのぞかせる。その頬はユーリア以上に赤らんでいた。
それとない世間話を交わしたことはある。お互いにお互いをきちんと認識している。この狭い村だ、それは当たり前だろう。しかしエメの村で暮らしていた最後の数年はほぼほぼ自宅とお師匠の家の往復のみだったから、それなりのブランクが生じている。つまりは――彼は初対面の人間よりも、正直距離感を計りかねる存在だった。
「あの……お祝いは何がいい?」
「王都のうまい菓子でも送ってくれ、ユーリアが甘いもん好きなんだ」
ははは、と笑う。ルカーシュをからかっていた悪ガキ、というイメージが抜けきっていない私からしてみると、その爽やかな笑顔には少々戸惑いを覚えた。
丸くなった、というには早すぎるだろうか。しかしそう表現したくなってしまうほどセルヒオの表情はさっぱりとし、その瞳はこれからの伴侶との人生を見つめるような強い光を湛えていた。
それに、ルカーシュとも既に数年前和解済みだ。幼いルカーシュをからかっていたことまで水に流すつもりはないが、当人同士の関係に頭を突っ込んで掻き乱してはいけないだろう。
予想通り会話は弾まず、私たちの間に沈黙が落ちる。するとそれを気まずいと感じたのか、赤くなった頬を指先でかきながらセルヒオは言った。
「お前たちの先を越すことになるなんてなぁ」
「……お前たち?」
「ラウラと、ルカーシュ」
――それなりに、努力をしてきたつもりではあるけれど。やはり、私とルカーシュはそういった言及を受ける関係に見えてしまうのか。
しかしよくよく考えずとも、実際私と1番仲のいい男子はルカーシュだし、その逆もしかりだ。お互いに大切な幼馴染という関係まで壊すつもりはない以上、ある程度こう言ったことを言われるのは予想の範囲内だった。
――そう、範囲内ではあるのだが、仲のいい男女を見るなりすぐさま恋愛関係に結びつけるこの村の人々には、多少なりとも苦笑する。小さな、同じ村の出身者同士が結婚することも少なくない村であるから、彼らにしてみれば至極当然の思考なのやもしれないが。
「あはは……たしかにルカーシュは大切な幼馴染だけど、セルヒオとユーリアみたいにはならないんじゃないかな」
「そうなのか?」
そうだよ。頷けば、セルヒオは心底意外だ、というような表情を浮かべていた。彼だけじゃない、隣のユーリアもだ。もしかするとエメの村では、ルカーシュとラウラが結婚するのは――彼らにとっての――既成事実なのかもしれない。
それと共に、ペトラの私に許しを乞うような言動に納得した。なるほど村人達にこのように思われている2人の間に割り込む――正確には割り込む、という表現は適していないのだが、ペトラからしてみればそういった心情だろう――のは勇気がいるかもしれない。
「幼馴染だからって、簡単に結婚しないよ。……2人とも、結婚式には呼んでね」
ムキになって否定してもそれはそれであらぬ誤解を招くかもしれない。私は出来る限り軽い口調で付け足した。
何やらユーリアもセルヒオも納得していないような表情を浮かべていたけれど、「結婚式に呼んでほしい」との言葉には笑顔で頷いてくれた。
――さて。これは1度、ペトラに“その意思”が私にはないことを伝えておいたほうがいいだろうか。しかし私の存在を抜きにしても、数年後彼女が失恋する事実はほぼほぼ変わらない。
ペトラの恋に関しては、やはり静観が最もいい道なのか。私はまだ、答えを出せずにいた。
「もちろん呼ぶわ。いつになるかはまだ決めてないけれど」
微笑むユーリアは美しい。疑っているわけではないが、セルヒオとの結婚は彼女が心から望んだものなのだろうと確信できた。
末永くお幸せにね。2人を揶揄う響きも込めたその言葉を送ろうと口を開いた、その瞬間。
「そうだわ、ラウラ。私たちの子供に調合を教えてくれる?」
思いもよらぬ頼みごとをされた。
私たちの子供、とは。まさか。
私は不躾にも、ユーリアのお腹に目線をやった。見る限り、そこが膨らんでいる様子はない。
あからさま過ぎる私の行動に、ユーリアは眉をひそめるどころか声を上げて笑う。そして「将来の話よ」と付け加えた。
「まだ予定はないわ」
「そ、そうだよね、びっくりした……」
「……でも、いずれは、ね。エメの村は……ほら、村人も少ないでしょう。働き手を増やすのも、私たちの仕事のひとつかと思って」
――前世であれば、時代錯誤な考えだと声が上がりかねない言葉だった。しかし、この世界、この時代では、当たり前というべき言葉でもあった。
閉鎖的な村で暮らす、若い女の仕事。それは子供を産むことに他ならない。その分男達は女子供を身を呈して守り、小さな村は細々と続いてきたのだ。
その事実を今更ながら突きつけられる。「ラストブレイブ」のラウラとルカーシュが村人達に執拗に結婚を迫られていたのも、その先の新しい命を思ってのことだったのだろう。それを糾弾するつもりはない。“私”からしてみれば非常識でも、この村の住民からしてみれば常識なのだから。
あぁ、と深く息をつく。ユーリアはこの村で、自分の設定を見つけ、受け入れ、それを果たそうとしているのだ。そしてそれと同じものを、恐らくは私やペトラ、ラドミラにも村人達は期待している。
ペトラは自覚しているのかもしれない。だからこそ、好きな人――ルカーシュを私に告白してきたのかも、しれない。
ラドミラはどうだろう。彼女は私たちの中でも1番幼く無邪気だから、まだ自覚はしていないように見える。けれど、彼女もいつか。
設定を果たそうと背筋を伸ばすユーリアは、ひどく美しく、大人に見えた。




