44:人語を話す魔物
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――お師匠に教わり作った毒薬は、思っていたよりずっと早く披露の場を得た。
それは、ペトラ・ラドミラ・ユーリアの3人娘と、ペトラの家の裏にある大きな木の下で、涼みつつも談笑していた時のことだった。
がさり、と背後の茂みが揺れた音に気がついたのは、運が良かったとしか言いようがない。振り返った、その瞬間。暗闇にギラリと赤の瞳が光った。
――魔物だ。
はっと3人娘に目をやる。魔物の直線上、1番近くにいるのは、ラドミラだった。
無意識のうちに、足が動く。恐怖心を抱く暇もなかった。何かに操られているような、迷いのない足取りだと他人事のようにどこか遠くで思った。
「ラドミラ、逃げて!」
私が立ち上がりラドミラの背を押したのと、茂みから魔物がこちらに飛び出してきたのはほぼほぼ同時で。
瞬間、右肩に突き刺すような痛み。魔物の爪が食い込んだのだと脳が痛みの原因を弾き出すよりも早く、左ポケットに護身用にいれていた毒薬を、半ば地面に落とすようにして魔物の方へ放り投げていた。動物としての防衛本能が働いたのか、はたまた神様からそうするようラウラに指示されたのか、自分でも信じられないくらい素早くスムーズな動きだった。
パリン、と容器が割れた音がする。途端、鼻腔を突いた刺激臭。続いて聞こえたのは、シュウゥ、という、魔物の皮膚が溶ける禍々しい音だった。
「ラウラ!」
「火を! あと武器屋のおじさん呼んできて!」
私の言葉を素早く理解し、誰よりも早く駆け出したのはユーリアだ。さすがは最年長と言うべきか、3人の中で彼女は誰よりも落ち着いていた。
駆け出したユーリアにはっと我に返ったペトラは、私の背後ですっかり腰の抜けてしまったラドミラを引きずるようにして下がらせてくれたようだった。ペトラとて、森に囲まれた村で生まれ、1人出稼ぎに出るような逞しい女の子だ。動揺こそすれ、しっかりとこの場に相応しい行動を瞬時にとれていた。
ペトラとラドミラがいくらか魔物から距離をとったのを横目で確認して、すぐに目の前の魔物へと目線を戻す。私の投げた毒薬によって、魔物の顔の皮膚は醜くただれていた。
「ウ、ウゥ……」
(鳴き声じゃない……人の唸り声、みたいな……)
――人語を話す魔物。
その存在が脳裏に浮かんだ。
「ラウラ!」
その声は聞き間違えるわけもない、幼馴染のもので。
私は咄嗟に振り返りそうになり、ぐっと足に力を入れることでなんとか留まった。魔物を前にして――それも魔物に傷を負わせたのは私だ――背中を見せるのは危険すぎる。
ふわり、と背後から暖かな光に包まれたような気がした。瞬間、目の前の魔物の足元に見覚えのある紋章が浮かぶ。――ああ、そうだ、この紋章はルカーシュの左目に浮かんでいるそれと全く同じだ。
地面に現れた紋章から光の柱が空に向かって立ち上がった。あまりの眩しさに思わず目を瞑る。そんな私の鼓膜を劈いたのは、魔物の悲痛な断末魔だった。
唖然とその場に立ち尽くす。魔物を襲った光の柱が途切れたそこには、丸焦げになった魔物が臥せっていた。
絶命したかのように見えた魔物だったが、黒焦げになった頭が動く。まだ生きているのか、と咄嗟に数歩後退すると、ルカーシュが私の前に庇うようにして出た。幼馴染の背中越しにではあるが、恨みがましい面をあげた魔物と目が合い、そして。
「オマエ、マブシイ……」
――間違いなく、魔物はそう“言った”。幻聴でも、魔物の唸りが偶然そう聞こえた訳でもない、明らかに人間の言葉だ。
ルカーシュの背中が動揺に揺れる。しかし彼はすぐさま剣を手に持ち、魔物に向けた。
「キエロ!」
そう叫び、魔物はルカーシュに向かって襲いかかる。恐らくは最後の力を振り絞っての攻撃だったのだろうが、ルカーシュはそれを難なく剣で振り払い、魔物の胸に剣を突き刺した。
魔物の体から、ズ…と剣が抜けて行く。今度こそ絶命した魔物の体は地面に叩きつけられるようにして倒れた。
「ラウラ、大丈夫!?」
ルカーシュは振り返るなり私の右腕をとる。浅いものの血が流れ出る傷口を見て、彼は痛ましそうに表情をゆがめた。
正直見た目ほど痛みはない。いや、正確にはそれより気がかりなことがあるおかげか、痛みがだいぶ和らいでいる。
「大丈夫。ルカ、その力……」
「ちょっとは使いこなせるようになったんだ」
眉間にしわを寄せ、私の右肩の傷を止血しながら言う。こんな怪我、回復薬を飲めば一発なのにと思いつつも、幼馴染の心配が嬉しかった。
勇者の力を使いこなせるようになりつつあるらしいルカーシュ。よくよく考えれば、彼がその力を使ったのをこの目で見たのはあの日――“私”が目覚めた日以来だ。
「ねぇ、ルカーシュ、さっきの魔物……」
「人の言葉を話してた」
ルカーシュは一瞬ぐっと喉を詰まらせたが、はっきりと言った。てっきりそこで言葉を切るかと思いきや、幼馴染はそのまま言葉を続ける。
「結界魔法も簡単に越えて来たし……あの力を使って、一撃で倒れなかったのも初めてだ。きっと今までの魔物より、強い」
言語を話す魔物は、他の魔物より強い個体ではないか。
“私”の記憶からほぼほぼ確信していたことだが、ルカーシュは身をもってその違いに気づいたようだ。
しかし、このようなイベントが過去あったと「ラストブレイブ」の劇中で語られていただろうか。エメの村が襲われたところをルカーシュが勇者の力で退けた、といったNPCの台詞は覚えているが――
それにしても、プラトノヴェナとは遠く離れた地であるエメの村で、言語を話す魔物第2号が目撃されるとは。メタ的な視線から見れば、未来の勇者様であるルカーシュの周りでイベント――トラブルや異変――が起きるようにフラグ管理されている世界だ。ありえない話ではない――むしろ、なぜ第一号がプラトノヴェナに現れ、誰よりも先にその魔物と対峙した人物がアルノルト達であったのか不思議なくらいだ。
「エメの村にかけられてる魔法はそんなに強くないから……」
村を囲うようにして魔物を遠ざける結界のような魔法が張られている。とはいえ、その魔法は名も知らぬ魔術師によってかけられたお粗末なものだ。こんな辺鄙な村までわざわざ足を運んでくれる魔術師などそうそういなかったし、だからといって金を払って偉大な魔術師を呼べるほどの財力はエメの村にない。しかし魔法というよりまじないに近い存在であった結界は、それでも最近まで――そもそも魔物は火を恐れ人の生活地域に立ち入りにくい習性も作用して――なんとか機能していたのだ。
しかし魔王復活が近づくことにより、魔物の強さはもちろんおそらくは魔物の凶暴性も増した。このような結界では、いくらルカーシュがいたとしても近いうちに犠牲が出てしまうかもしれない。
私はぐっと拳を握りしめて、しかしすぐに強張った体から力を抜いた。そして辛うじて微笑を浮かべ、依然険しい表情の幼馴染に声をかける。
「今度、王城の魔術師に頼んでみるね。もっと強い魔法をかけてもらえないか」
「その人って、アルノルトさん?」
間髪入れず飛んできたルカーシュの問いに、私はぱちりぱちりと数度瞬いた。
私が口にした王城の魔術師、という単語は個人を指すものではなかった。ただ王城には強い魔術師が集まっているから、またそれなりに人脈を辿れば頼れそうな関係であるから、という単純な理由から思い浮かんだ選択肢だ。ルカーシュがアルノルト1人を名指ししたことに驚いてしまったぐらいには、良くも悪くも何も考えていなかった。
じっと青の瞳に見つめられて、私は苦笑する。しかしアルノルトも頼れる魔術師の1人には違いないので、緩慢な動きではあるが首肯した。
「まぁ、候補の1人ではあるかな」
そう答えれば、ルカーシュは露骨に表情を曇らせた。
アルノルトは現在、王城にいる魔術師の中でも上位の存在だろう。正直彼に頼めるのであれば頼みたい。今よりもずっと強固な魔術でエメの村を守ってくれるはずだ。エメの村まで一度来てもらわなければならないから、忙しい日々を送っているであろうアルノルトには頼みづらい部分もあるが。
ルカーシュも薄々それをわかっているだろうに、このように苦い表情を隠さずに浮かべるとは。やはり、
「ねぇ、ルカ。ルカって、アルノルトさんのこと苦手なの?」
「苦手になる程、あの人のこと知らないよ。でもなんか……合わないだろうなっていうのは、感じてる」
浮かべた表情は苦笑だった。
ルカーシュは初めて会った時から、アルノルトをあまりよく思っていないようだった。アルノルトもアルノルトで、先日のようにルカーシュが礼を言ったのにも関わらず、やけに冷たい言動で返すことが多い。
ルカーシュとアルノルトが対面したのは3回ほどだったか。それだけであるのに、お互いがお互いをよく思っていないのは端からみて明らかだった。
なにか決定的なきっかけがあったわけではない、はずだ。私が知る限りでは、の話だが。どうにも合わない、という人は誰にでもいるだろう。ルカーシュにとってはアルノルトがそうなのかもしれない。そして恐らくは、アルノルトにとってのルカーシュもそうだ。
しかしこの先、おそらく2人の道はそれなりに交わるのではないかと思う。ルカーシュにとってアルノルトは、大切な仲間の兄だ。だからといって良い関係性を築いた方が良いというわけではないし、それを本人に伝える気もさらさらないが、こうもルカーシュが他人に対して“苦手”という感情を示すのは珍しくて、ついつい苦笑してしまう。
「でもアルノルトさんも忙しい人だから、他の人にも声かけてみるよ」
そう付け加えれば、幼馴染は露骨にホッとした表情を見せた。
――それにしても、今回で魔物との遭遇は3回目だ。それも、毒薬の作り方を教わったすぐ後という、ある意味良いタイミングで。
毒薬を調合したすぐ後を狙われた辺り、神様の意図を勝手に感じてしまう。もしかすると、私が毒薬の作り方を教わるというイベント自体が、今回のイベントのフラグになっていたのか――などとゲーム的な考えが脳裏をめぐる。
ルカーシュという未来の勇者様の近くにいる以上、本編への布石としてある程度イベントに巻き込まれるのは想定の範囲内だったが、それにしても3度の遭遇は多すぎやしないか。それにプラトノヴェナの件はアルノルトを中心としたイベントだったように思う。実際、あの件をきっかけにアルノルトの名前は広まった。
そのハイスペックさからして薄々思っていたことではあるが、アルノルトはこの世界の重要キャラクターになり得る存在なのだろうか。
考えても分からないことだ。とにかく今はこの休日を堪能しよう――多少のイベントは起こりえるかもしれないが。