43:毒薬
ルカーシュに自作の回復薬を振る舞った後、起きてきたお師匠に聞きたい話があると言って、彼には先に帰ってもらった。エルヴィーラの自壊病の話をルカーシュに聞かせるのは、あくまで自分個人の感じ方であり深い根拠はないのだが、躊躇われた。
お師匠は私の言動で大方悟ったのか、ルカーシュが小屋から出て行くなり口を開いたのは私――ではなく、彼女だった。
「自壊病の件はどうなった?」
「……珍しい魔物の角が手に入ったので、それを元に現在新薬の調合に励んでます。もっとも、順調とは言えませんが」
私の答えにお師匠は頷くだけで、特にこれといった反応は見せない。予想通り、ということか。
お師匠はその応答で会話を終えたつもりらしかったが、私は食い下がるように鞄からそれを取り出した。
「一応、すり潰したものを持ってきたんです」
粉末を包んだ薬包紙を差し出す。お師匠はそれを受け取ると、すぐさま透明の容器へと移し、上下左右様々な角度から粉末を興味深く見つめた。心なしかその赤の瞳はキラキラと輝いているように思えて、お師匠の新しい調合材料に対する探究心が垣間見えるようで。
お師匠は高名な調合師だが、その讃えられる技術は彼女の生まれ持った好奇心の強さに支えられていた。お師匠は興味を持ったものに関しては、答えが出るまで突き詰める、まさしく“研究者”タイプだ。
そんなお師匠が、調合の材料としての魔物の角に興味を持った。その事実に自然と頬が緩む。
――私は元より、お師匠の手を借りるつもりだった。お師匠の方から興味を持ってくれたのなら、話が早い。
畳み掛けるように、私は鞄からノートを取り出し渡した。まだ数ページしかインクが染み込んでいないそれは、アルノルトに言われて調合法を記録しているものだ。
「効力としては他の効力の増長が主ではないかと。一応これは、今までの調合方法を記したものです」
お師匠は興味深そうにノートの頁をめくる。赤の瞳はせわしなくノートの上の文字を追っているようだった。
「ただどの回復薬も、まだエルヴィーラ……患者には処方できていません」
「強い効力を持てば持つほど、幼い体に対する影響も不安視されるからのぉ」
お師匠は考え込むように自分の顎に手をあて、頬を親指でしきりにさすっていた。
容器の中の粉末と、私の書いたノートを何度も見比べてはぶつぶつと何やら呟いている。そんなお師匠の思考を遮るのは憚られたが、それでももう一点、伝えるべきことを伝えようと口を開いた。
「あと、ひとつあてができました。フラリアの街に、難病を治すと伝わる湧き水があるそうです」
数秒の間の後、その存在に思い至ったのか「精霊の飲み水か」と尋ねてくる。投げかけられた問いに対しゆっくりと頷いた。
「お師匠からお借りした、伝承の本に書かれていたものです」
そうか、と相槌を打ったお師匠の声はどこか沈んでいて。おそらくは見込みがないと考えているのだろう。確かに“私”も前世の記憶がなければ、「精霊の飲み水」などと銘打たれた湧き水が難病を癒す力を持っていると語られていたとして、その伝承を信じることは難しかっただろう。しかし、私は知っている。「ラストブレイブ」には「精霊の飲み水」というアイテムが確かに存在し、それは万能薬というに相応しい効果を持っていたことを。
――とは言っても、この理由をそのまま告げれば私はただの頭のおかしな少女として見られてしまう。あまり長引かせるべき話題ではないと判断し、
「あと、お師匠。もう一つ相談したいことが……毒薬について、教えていただけませんか?」
強引に話題を変えた。
毒薬――それは、回復薬とは真逆の存在だ。相手を害するためのもの。調合師を志す者として、毒草にはそれなりの知識を求められたが、それらを調合した毒薬となると些か専門から外れてしまっていた。
専門外である毒薬に興味を持ち始めたのは、つい最近のこと。――魔力も単純な力も持っていない私は、それが唯一魔物に対する対抗手段になるのではないかと考えていた。
「なんじゃ、物騒な弟子じゃのう」
「魔物の襲撃に2度も遭遇しているので、せめてもの抵抗が出来ないかなと……ただ毒草はあまり勉強していなくて」
王都・シュヴァリアでの襲撃と、雪の降る町・プラトノヴェナでの襲撃。
魔物に対する直接的な対抗手段を意識しだしたのはプラトノヴェナでの魔物と対峙した後だ。あの時、私は丸腰だった。魔法も剣も使えない、回復薬なんてなんにも役に立たない、ただの少女だった。
そもそも魔物と戦うことは調合師の専門外だと思い込んでいたのだ。それは間違いではないのだが、やはりいざという時、せめて魔物の意識を一瞬でも逸らせるような護身術を身につけておきたい、とあの日から強く思うようになった。
剣も魔法も残念なことに才能は皆無。だとすると何が私にはあるだろう――と考えたとき、ようやっとその存在を“思い出した”。
敵に投げつけて全体攻撃を行える、毒薬というアイテムが「ラストブレイブ」には存在していたはずだ!
私は毒薬の入手方法を必死に思い出した。
ダンジョンで宝箱から入手できた覚えがある。あと、怪しげな薬屋で購入できたはずだ。それと――“オババ”からもらった魔法の釜に材料をぶち込めば、オババが調合してくれた!
“私”の記憶が間違っていなければ。あるいは、この世界の毒薬と「ラストブレイブ」の毒薬になんらかの差異が生じていなければ。毒薬は自分で調合できる。
――しかしながら、専門外のことをいきなり1人で行うにはどうしても心細かったため、ここは一度初心に帰ってお師匠にご教授願おうと考えていたのだ。
「そうじゃのう……ほれ」
お師匠は私に向かって手袋を投げてきた。ごわごわとした生地で作られているそれは、ひどく黒ずんでいる。
「毒草は下手に触ると皮膚を溶かされることもあるからの、一緒に行ってやるわい。ここらは毒草も質が高いんじゃ」
想像していなかった言葉だった。
皮膚を溶かすほどの毒性を持つ毒草が、この辺りには群生しているのか。そんな危険なものが住居の近くにあっただなんて、もし万が一子供が触ってしまったらどうするのだろう。
エメの村の大人たちに一瞬抱いてしまった不信感は、しかしすぐに払拭された。
――お師匠に連れられてたどり着いた毒草の群生地は切り立った崖のすぐ近くで、いったい誰がそれを設置したのか、気軽に近づけないよう柵で囲まれていた。その柵の前には「毒草群生地」との大きな立て看板。柵の中の毒草は規則正しく並んで生えており、人の手が加えられているのは明らかだった。
お師匠は柵をあけて私を手招いた。その際、柵に触れたお師匠の手がパチリと雷を帯びたのを見逃さない。もしかすると柵にも魔法がかかっていて、むやみやたらに触れてしまうと電撃が流れるのかもしれない。
お師匠の後を追って、柵の中へと足を踏み入れる。そしてある毒草の前で座り込んだお師匠の手元を覗いた。
「ほれ、こいつが一際強力な奴じゃ」
ぴろ、と手袋をしたお師匠の手が葉をめくる。そこには毒々しいまだら模様が見受けられた。見るからに「毒草」だ。
お師匠の隣に座り込んで、ぶちぶちと無造作に毒草を摘んでいく手元を観察する。
特に摘む段階ではこれといって意識することはなさそうだ。お師匠の摘み方は些か乱暴で、葉が途中で裂けてしまっているものもある。ただ摘んだ毒草を入れる布袋はいつものものより燻んだ色をしており、厚みもありそうだ。
一通り毒草を摘み終わると、すぐさまお師匠の家へと戻り調合に取り掛かった。
「毒草は匂いにやられることもあるからの、しっかり準備した上で調合しなくては危ないぞ」
窓を開けて扉も全開にして、鳥の嘴のような形をした防護マスクを身につける。嘴部分には毒を中和する薬草が詰め込まれているのだそうだ。
「ほれ、すり潰してみろ。周りにとばないよう、気をつけるんじゃぞ」
些か防護マスクに視界をとられるが、横から飛んでくるお師匠の的確な指示に従って手を動かす。基本的には調合法は毒薬も薬草も変わりなかった。ただ必要とする集中力はこちらの方が圧倒的に上だ。手が滑れば、たちまち指先の指紋を溶かされかねない。
しっとりと額に汗が浮かぶ。それを一瞬いつもの癖で白衣の袖で拭おうとしたが、その瞬間強い力で腕を掴まれた。ぎょっと隣のお師匠を見やれば、彼女はいつもよりいくらか険しい顔をして、首を2度横に振った。
あ、と。そこでようやく思い至る。もしこの袖口に、毒薬が一雫でも飛んで染み込んでいたら?
つ、と背筋を冷や汗が滑り落ちた。
幾ばくかうるさくなった心臓を落ち着かせるためにも数度深呼吸して、それから作業を再開する。
緊張はいつもの何倍も襲ってきたが、作業にかかった時間自体は回復薬の調合とそう変わらず。思っていたよりスムーズに毒薬が完成した。
「相変わらず教えがいのない弟子じゃのぉ……」
お師匠は私の手元を一瞥して、独りごちる。
確かに、基本的な作業は回復薬の調合と変わらないのだから、いわばこれは私の得意分野だ。しかし今なら分かる。お師匠の指導力も飛び抜けている、と。
正直言って、エミリアーナさんに師匠もどきとして指導するまで、私は自分の師匠のことをとんだ放任主義だと思っていた。実際調合方法を横で教えてもらったのは一度きりで、教えを請えば言葉より先に本を差し出された。お師匠の「才能がある、教え甲斐のない弟子」という言葉も、馬鹿正直にそのまま受け取っていた。
お師匠が放任主義ということも、自分に才能があったということも、間違いではないだろう。しかしそこにプラス、お師匠の端的で的確な指導があった。
一回聞けば要点を掴める説明と、私の問いに最適な文献を差し出す判断と。私はとても幸運な弟子だったのだと、今頃になって気づいた。
ちらりと横を見る。教え甲斐のない弟子だと笑うお師匠の瞳は言葉とは裏腹にどこか嬉しそうに細められていて、じんわりと暖かい何かが胸奥に広がった。




