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40:体を灼く熱




 ‬エルヴィーラとの対面を終えた後、結局は再び王城へと戻り、アルノルトの調合室にやってきていた。ここで調合を行いながら、出来ることなら処方したいのだろう。

 ‬それにしても、と改めてアルノルトに割り振られた調合室を見渡す。

 ‬私に与えられた部屋と比べて、その広さは2倍、いや、3倍はある。下っ端である私の調合室は他と比べずとも狭いが、それにしたってアルノルトに与えられたこの部屋は広い。それに部屋の持ち主の性格もあってか、きちんと整理整頓されており、ずいぶんと物の少ない印象を受けた。

 ‬エルヴィーラはメルツェーデスさんに手を引かれながら、兄の仕事場を興味深く眺めている。




「角には回復効力が多少あるようだな」


「ええ。この前ちょっと適当に、5パターンほど調合してみたんですけど――」




 ‬以前言われた通り調合方法と主な効力を記録していたノートを手渡した。アルノルトはそれを開くと、紙面に目線を落とす。

 ‬何か考え込むように口元に手をやったアルノルトの横で、口を開いた。




「回復効力がメインではなく、むしろ増長効力の方がメインではないかと」




 ‬彼は私の言葉に頷いた。

 ‬あれから数度、魔物の角の調合を試みた。そうは言ってもごくごく基本的な調合をし、角自体の効力を確かめただけに過ぎない。

 ‬結論からして、アルノルトが持ち帰ってきた魔物の角は、凄まじい回復効力を誇る――ということはなく、むしろ他の薬草の効力を高める、補佐的な効力を持っているようだった。あくまで今現在で私が引き出せた効力は、という注意書きは付くが。

 ‬数こそ少ないものの、調合方法によってその効力に変化が見られる薬草は存在している。この魔物の角も、その可能性がないとは言い切れない。




「磨り潰した粉末を舐めてみたが、角自体に毒性はなかったな」




 ‬思いもよらない言葉がアルノルトの口から飛び出てきて、私は思わず彼の横顔をまじまじと見つめる。




「……舐めたんですか?」




 ‬当然だろう、というように彼は頷いた。




「万が一の可能性を考えてだ。熱を通す前に毒を持っていては、細心の注意を払って調合を行わなければならないだろう。エルにはもちろん、お前にも危険なものは渡せない」




 ‬それにしたって、何も舐めることはないだろうに。解毒剤を前もって準備していたのだろうが、もし予想以上に強い毒性を持っていたらどうするつもりだったのか。

 ‬唖然とその横顔を見つめたが、彼はこちらに目を向けることはなかった。

 ‬尊敬を通り越して呆れにも似た感情を持て余しながら、時間が惜しいと調合に取り掛かる。エルヴィーラの世話はメルツェーデスさんに任せ、私とアルノルトは調合してはその回復薬を自分で試す、という作業を繰り返した。

 ‬飲んでも特に体に異常をきたさない――つまりは安全な――回復薬だと確認できたものは容器に移し、口に入れた途端強い苦味を感じるなど少しでも不安要素があるものは脇によけた。エルヴィーラ――10歳そこらの女の子が飲むのだ。14である私の体に悪影響を及ぼさずとも、エルヴィーラもそうとは限らない。

 ‬ひとつ調合を終え、その調合方法をノートに記す。さて次はどのような調合を試そうか、と机の上に広げられた薬草を眺め、ふと目に止まったのは――血の巡りを良くし、効力のまわりを早くする薬草だった。

 ‬そういえばこの薬草はまだ使っていなかったな、と目に止まったそれを手に取る。他にも適当に回復効力を持つ薬草を見繕うと、それを煎じた。

 ‬魔物の角をすりつぶした粉末を最後に混ぜて、軽く容器を振る。無事に混ざり切ったのを確認してから、くいっと一口、口に含んだ――その刹那。




「うっ」




 ‬口内に強烈な苦味が広かった。それだけでなく、液体が喉を通った瞬間、カッと喉が焼けるような熱を持つ。

 ‬吐き出そうとしたが遅かった。ぐぅ、と体を丸めて喉を押さえる。明らかに異様な私の姿に、メルツェーデスさんが慌てて顔を覗き込んできた。その表情は焦りの色に満ちている。




「ラウラちゃん、大丈夫!?」


「だ、大丈夫です。ただ苦味がすごくて……あっ、ダメですこれ、水ください」




 ‬すぐに治るかと思った熱は、体全身に広がっていった。血液のように全身にくまなく巡っていってしまったかのようだ。

 ‬熱い、熱い、熱い。

 ‬ひりひりと粘膜が焼けるような痛みを感じた。




「喉が焼けるみたいに熱い」




 ‬喉元を掻き毟りたくなるのを必死にこらえた。

 ‬メルツェーデスさんから差し出されたコップを奪うようにして受け取ると、うがいを繰り返す。それでも到底治ってはくれなくて、それどころか指先まで燃えるような熱さを内から訴え始めた。

 ‬私は慌てて大量の水を喉元に流し込んだ。体中を巡るそれ、を水で薄められないかと考えたのだ。しかし期待した効果は得られずに、それどころかかえって飲み干しきれなかった水で私は盛大に噎せてしまう。

 ‬まったく、踏んだり蹴ったりだ――なんてどころではない。だいぶ、いいや、相当体に異常をきたし始めている。額に脂汗が浮かんだ。




「げほっ、ぐっ」


「おい、大丈夫か」




 ‬体を丸める私の背に触れた、大きな手。鼓膜を揺らした声は、いつもよりも早口に思えて――焦りを孕んでいるように聞こえた。

 ‬声のした方を振りあおぐ。いつも以上にぎゅっと眉根を寄せてこちらを覗き込む黒い瞳と、目があった。




「あ、相性が悪かったのか良すぎたのか分かりませんけど、効力のめぐりを早くする薬草を混ぜてみたら、全身から汗が」




 ‬自分の失態に呆れるように笑ってみせた。いや、笑おうとしたところで頬の筋肉は言うことを聞いてくれなかった。

 ‬今回の調合で混ぜたものは基本的な回復効力を持つ薬草複数と、磨り潰した魔物の角と、もう一つ。体を温め、血の巡りを良くし、回復薬が全身に行き渡る速度を速めるものだ。

 ‬指先がどくどくと脈打っている。まるでそこに心臓が埋め込まれたみたいに。――恐らくは、血の巡りが良くなり過ぎた。もしくはこの薬草と相性が悪く、よくない異質な反応を生み出してしまったのか。

 ‬とにもかくにも、今回の調合方法は危険だときちんと記しておかなければ。




「ちょっと待ってろ」




 ‬そう告げるなりアルノルトは調合台に向かい、なにやら調合を始めた。

 ‬私はとうとう立っていられずに、壁に体重をかけながらずるずるとその場に座り込んだ。カッと腹の底から燃えるような熱を感じ、思わず自分の体を抱きしめるようにして背を丸める。

 ‬不意に、エルヴィーラが揺れる瞳で覗き込んできた。その瞳は不安に揺れていた。あぁ、泣き出してしまいそうだ。

 ‬――黒の瞳と目があった瞬間、思う。今私の体を襲っている異変は、自壊病の症状といくらか似通っていないか、と。自壊病の症状の1つに、体の一部が突然発火するというものがある。それに、自壊病を患った患者は全員が体の内から燃える炎にその命を奪われているのだ。

 ――‬皮膚が内から灼け爛れそうだ。これ以上の熱がエルヴィーラの幼い体を襲い、壊そうとしているのか。

 ‬ぐっと指先の熱を抑え込もうと拳を握りこむ。そして心配をかけまいと、その幼い顔に微笑んだ。




「大丈夫」




 ‬ちょっとあちこちが燃えるみたいに熱いだけだから。

 ‬思わずこぼれ落ちそうになった本音は飲み込んで、エルヴィーラに手を伸ばす。その手は彼女の頭を撫でようとして伸ばしたものだったが、今の距離感では拒絶されるだろうと思い直し、そのまま下げた。

 ‬は、と小さく息を吐く。その瞬間、背後から脇に手を差し入れられて、強い力で引き上げられた。

 ‬足元がふわふわして、ぐら、と体が傾く。そんな私の体を受け止めてくれたのは、アルノルトの男らしい胸板だった。




「これを飲んで少し横になれ。あとは俺がやる」




 ‬ぐっと背を押されて調合室の隅に置かれていたベッドに誘導される。私の調合室に置かれていないそれは、アルノルトが持ち込んだものだろうか。

 ‬ベッドに腰掛けるなり、ガラスの容器を差し出された。おそらくつい先ほどアルノルトが調合したものだろう。香りや色からして、解毒剤の類いに似ている。

 ‬私は迷うことなくそれを飲み干した。途端、喉元から熱が引いていく。

 ‬はぁ、とようやく大きな息をつけた。先ほどまで体を巡る熱に耐えるあまり、知らず知らずのうちに息を詰めていてしまったようだ。

 ‬ベッドに横たわる。するとすかさず顔に影が落ちた。




「ラウラちゃん、氷も」




 ‬メルツェーデスさんの声とともに額に氷嚢が置かれる。ひんやりとしたそれは火照った顔に気持ちよくて、その気持ち良さに身を委ねながら、自然と意識は落ちていった。




 ‬***




 ‬――ふ、と意識が浮上した。




「ラウラちゃん、起きたのね。大丈夫?」


「あ、はい……落ち着いてきました、すみません」




 ‬辺りを見渡す。窓の外をみれば、すでに日は落ちていた。

 ‬思っていた以上に長い時間眠ってしまったらしい。疲れも溜まっていたのだろうか。

 ‬心配そうにこちらを見つめてくるメルツェーデスさんに、安心させるように微笑みかける。その笑顔に彼女はほっと息をついたかと思うと、ベッドの傍を離れ、入れ違いにアルノルトがこちらを覗き込んできた。そして、




「すまない、もっと俺がしっかり監督すべきだった」




 ‬腰を折られて、私はぎょっとしてしまう。 咄嗟に起き上がろうとしたが、それはメルツェーデスさんによって制された。

 ‬仕方なく、僅かに顔を上げてアルノルトの言葉に首を振る。




「い、いえ! ‬私の方こそ何も考えずに調合しちゃって……すみません」




 ‬お互いの効力への影響を深く考えず、思いつきでぽいぽいと薬草を放り投げるように調合してしまった私に全面的に落ち度がある。調合に関しては大きな失敗経験がなく、失敗した数少ない例も苦味が強すぎたとかそういったレベルのもので、命の危険を感じたことはない。ここらで少々痛い目を見せなければ、と神様せいさくしゃからお灸が据えられたのかもしれない。――もしくは、エルヴィーラの抱えている苦しみを擬似的に私にも与え、神様せいさくしゃが危機感を煽っているのか。

 ‬そうはいっても今は多少頭が重いだけで、眠りに落ちる前の症状はすっかりなりを潜めている。アルノルトが用意してくれた回復薬のおかげだろう。

 ‬尚も頭を下げるアルノルトにどう言葉をかけるべきかとオロオロしていると、ひょい、と小さな顔が下から現れた。エルヴィーラだ。こちらを見つめてくる不安げで、どこか濡れた瞳に、私はアルノルトの存在を一瞬忘れて何よりも先に声をかける。




「驚かせちゃって、ごめんね」


「べつに、おどろいてなんか……」




 ‬せっかく合わせてくれていた目線は数秒でそらされてしまった。しかし、多少であれども彼女は私を心配してくれたのだろう、と分かる表情だ。

 ‬恥ずかしくなったのか、エルヴィーラは駆け足で側から離れていってしまった。その背を少し寂しく思いつつも見送った後、ようやく顔を上げたアルノルトと目線がかち合う。すると彼はどこか居心地が悪そうに、しかししっかりとした口調で言った。




「魔物の角を一通り調合してみた。どうやら薬草によって相性があるようだが、相性の良い薬草と掛け合わせれば、効力の増長がそこらの薬草より何倍も強い。怪我の類なら、丸々使えばほとんど直せるかもしれないな」




 ‬彼はそこで一度言葉を区切り、息を吐いた。




「そういう意味では、万能の薬だ」




 ‬声のトーンは低く、語尾はため息混じりに後を引いて。その表情も険しい。

 ‬この様子からして、これは。




「……外れですか」




 ‬誤魔化さず、まっすぐ聞いた。アルノルトは首を振ることも、頷くこともしなかった。




「エルヴィーラに症状が出たら、少量飲ませてみようと思う。……俺がもう少し幼ければよかったんだけどな」




 ‬俺がもう少し幼ければよかった。

 ‬恐らくその言葉が意味するのは、エルヴィーラに飲ませる前に自分の身で試すことができたのに、という悔しさだ。やはり、未知の効力を持つ回復薬を易々と大切な、それも難病を患った妹に投薬することは躊躇われる。けれど、アルノルトが自分の身で回復薬の安全性を確かめるには、彼はエルヴィーラとはあまりに条件が違っていた。

 ‬――ならば。




「実験なら私にしてください」


「……物騒な表現をするな」




 ‬アルノルトは一瞬不意をつかれたように目を丸くして、それからすぐに眉をひそめた。その言葉はてっきり喜ばれる――とまではいかずとも、まさかここまであからさまに拒絶の反応を示されるとは思ってもみなかった。

 ‬しかしこれが最善の策のはずだ、と私は食い下がる。




「エルヴィーラちゃんよりは年を重ねてますけど、同じ性別で、アルノルトさんの周りだと一番年が近いはずです」


「……焦りすぎた」


「え?」




 ‬ぽつり、と呟かれた言葉を正しく認識できなかった。

 ‬私が首を傾げると、アルノルトは痛ましげにくっと下唇を噛む。




「今回のことは俺が焦った結果招いてしまったことだ。エルヴィーラは師匠の家にしばらく滞在してもらう。なんなら悪いが帰ってもらってもいい。一度落ち着いて、2人で調合法を模索するべきだった」




 ‬す、とアルノルトはベッドの傍にしゃがみ込んだ。そして私をまっすぐ見つめる。




「色々あって、お前も疲れてるだろう。気が回らず、すまなかった」




 ‬眼鏡越しの瞳が申し訳なさそうに伏せられた。

 ‬2度目の謝罪に、私は面食らってしまう。そんな私を知ってか知らずか、顔を上げた彼はすっかり普段通りの空気を身に纏っていた。




「動き出すのは、お前の休暇が終わってからで――」


「で、でも! ‬角が腐りでもしたら……!」




 ‬そう思ったからこそ、アルノルトもこうしてエルヴィーラを急いで王都に呼び寄せたのではないか。

 ‬なおも言い募ろうとした私を、アルノルトは右手を上げて制した。これ以上は聞かない。明らかな意思表示だった。




「だいたいの効力は分かった。お前が帰省している間は俺が1人で試す。お前はとにかく休め」


「……アルノルトさんの方が、お疲れでしょう」


「十分休んだ」




 ‬――嘘をつけ。

 ‬プラトノヴェナから帰ってきてしばらく、アルノルトは上への報告に忙しそうにしていた。それだけでなく、予定を遥かに超えてプラトノヴェナに滞在していたせいで普段の仕事が溜まっていたらしく、1人この調合室に遅くまで留まっていたようだと聞いた。それを教えてくれたのはリナ先輩で、流石の彼女も「最近働きすぎよ」とこぼす程だった。

 ‬そして眼鏡の下の隈と以前よりこけた頬。そして今まさに私が寝ている、調合室に持ち込まれたベッド。それが何よりの証拠ではないか。

 ‬しかし面と向かってそれを言えるほど、私とアルノルトは打ち解けていない。それでも自然と不満を訴えるように眉根を寄せた私に、アルノルトは一つ息をついた。おそらく、私が思っていることなんて彼にはお見通しなのだろう。

 ‬じっと端正な顔を見上げていると、アルノルトはいつもよりのんびりとした口調で、私に言い聞かせるように言った。




「……お前の幼馴染に手紙を出しておいた。すぐに駆けつけるだろう。一緒に帰省しろ」




 ‬脳裏に浮かんだ幼馴染の笑顔。最近は帰省どころか手紙もろくに出せておらず、もしかすると心配をかけてしまっているかもしれない。

 ‬どうやらアルノルトは強引に休みを取らせようとしているようで、それは些か不満ではある。エルヴィーラが王都にいる間は彼女との友好を深めたかったし、特効薬の調合も時間を惜しんで行うべきだという考えは変わっていない。なにせ、あと2年だ。あと2年で魔王は復活してしまう。

 ‬そうだ。アレクさんと感動の再会をしているであろうエミリアーナさんを呼び戻すのは良心が咎めるが、彼女には約束――精霊の飲み水の存在を知っているおじいさんの紹介――を果たしてもらわなければならない。だとすると、出来るだけ早くお願いの手紙を出すべきだろうし――

 ‬そう、やること、やりたいこと、やらなければならないことは沢山ある。しかし脳裏に浮かんだ幼馴染の笑顔に、そして両親や友人たちの姿に、会いたいな、と思ったのも事実で。

 ‬――疲れていては思考も鈍る。今回のような失敗を二度と繰り返さないためにも、アルノルトの言葉に甘えることにしよう。

 ‬そう思い、私は再び瞼を閉じた。




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