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38:魔物の遺言




 あの知らせから、数日。アルノルトはいつもと変わらぬすました顔で王都へと帰ってきた。

 エミリアーナさんは知らせを受けたその日のうちにプラトノヴェナへと発った。アレクさんは無事なようだが、どうやら身動きが取れないほどの重症を負っているらしい。その報告を聞いた時は一瞬ドキリとしたが、生きていることは確かだ。それだけで十分であり、命は何にも代えられない。

 昼過ぎにアルノルトは王都に到着した。到着したその足でお偉い方々への報告を行ったらしく、私が彼と再会を果たしたのは日が沈み始めた夕方頃だった。

 ――なんと驚くべきことに、彼の方から私に与えられた調合室へやってきたのだ。

 余計なことを考えないようにと、どこか緊張を抱えながらも一心不乱に調合を行なっていた私の耳に、扉が開かれる音が聞こえた。その音に誘われるように振り返れば、いつもと何一つ変わらないアルノルトがそこに立っていて。

 いや、正確に言えば、彼はいつもの白衣ではなく多少の鎧を身にまとっていた。白衣と比べれば、当たり前だが物々しい雰囲気を感じさせるそれは、しかし強力な魔物を前にすると考えれば些か頼りなさを覚えてしまう。それと、もうひとつ。眼鏡をかけていなかった。




「アルノルトさん……!」




 するり、と口から溢れ出たのは彼の名前だ。

 それには何の反応も示さず、しかしアルノルトはこちらに数歩歩み寄ってきた。

 無事、だったのだ。回復薬のおかげか、目立った傷も見られない。足も引きずっていない。――無事、だ。

 わかってはいたことだが、自分の目でこうして確かめると、改めてほっとする。

 アルノルトの無事を実感したその後、脳裏に浮かんできたのは。




「ア、アレクさんは……」




 私の問いは予想通りだったのか、すかさず端的な言葉で返事がもたらされた。




「両足を失ったが生きている」




 両足を失った。

 無事を喜ぶべきなのに、その言葉がぐわんぐわんと脳みそを揺さぶった。

 「ラストブレイブ」に登場したアレク・プラトノヴェナは五体満足の、勇敢な男だった。そう覚えていたからこそ、無事の知らせをうけ、それと共に彼が身動きもとれない怪我を負っていると知らされた際、ドキリとしたのだ。

 回復薬はそれなりの怪我であれば一瞬で、跡も残さず治すことができる。ヴェイクの右目のように、体の組織自体が死んでしまってはどうしようもないが、深くとも切り傷であればある程度まで治癒できるはずだった。

 それが叶わず、アレクは身動きがとれない状況にある。

 ――少し考えを巡らせれば、推測できることであった。しかし私の脳は、それを拒否した。




「……エミリアーナさんから話を聞いていたのか」




 その言葉に小さく頷く。アルノルトはそうか、と吐息混じりの相槌をうつだけだった。

 ――両足を失ったアレク・プラトノヴェナ。それは「ラストブレイブ」との相違に他ならなかった。

 思わぬ展開だ。思ってもみなかった。まさかこういった形で、ゲームとこの世界との相違点が再び現れるとは。

 けれど、と思う。アレクさんは生きていた。それだけで十分ではないか、と。

 おそらくは今頃、エミリアーナさんは婚約者との再会を喜んでいるだろう。その美しい光景が脳裏に浮かんで、私はそっと息をついた。大丈夫、この世界でも、彼らは幸せになる。

 目の前のアルノルトを見上げた。ぱちりと目があった瞬間、私は「それ」を思い出した。




「人語を話す魔物がいた、と……」




 アレクさんからの手紙に書いてあった事実。それは私の胸の内に、依然黒い靄のように漂っていた。

 私の言葉に僅かに目を見張ったアルノルトだったが、すぐに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。しかし――その表情のままではあるが――アルノルトは特にもったいぶることもなく、答えてくれた。




「あぁ。どうやらその魔物が撤退を指示したようだ。その時、プラトノヴェナを落とすと宣言されたらしい。……だからああも魔物襲撃を確信していた」




 どうやら私の推測は間違っていなかったようだ。アレクさんは人語を話す魔物に、あの日宣戦布告されたのだ。

 「ラストブレイブ」の設定通り、その魔物は周りより頭一つ抜けて強く、凶暴だったのだろうか。その魔物によって、幾人の兵士たちの命は奪われたのだろうか。

 答えは分かっているのに、自然とその問いは私の口から飛び出ていた。




「た、倒せたんですか?」


「だから今、生きてここに立っている」




 凛とした声でアルノルトは言う。当たり前だろ、というような意味合いが含まれているような言葉が、何よりも私を安心させてくれた。

 ほっと、ようやく肩から力が抜ける。アレクさんの怪我をはじめとして、気にかかることはまだ残されているが、ひとまず今回の件はこれで一段落だろうか――そう思った、瞬間だった。




「……ただ、死ぬ間際に、その魔物が言った言葉がどうも引っかかる」




 思わぬ言葉が鼓膜を揺らした。

 死ぬ間際に魔物が放った言葉。それを聞いて、嫌な予感が背筋を駆け抜けた。魔物が放った最後の言葉――遺言を、私には想像できてしまった。

 ぎゅうと拳を握りしめる。続きを催促するように見上げると、アルノルトは声を潜めてこう続けた。




「あの方の復活はすぐ目の前に、と」




 ――あの方の復活は、すぐ目の前に。

 私は自分でも気がつかないうちに、唇に歪な笑みを浮かべていた。それに気づき、目の前の彼に見咎められる前にと慌てて俯く。

 ああ、笑ってしまう。だってこんなの、あまりにもお約束すぎる。王道なんてものじゃない。陳腐だ。そういえば、「ラストブレイブ」は一部の人からそう批判されていた。――展開が、あまりに陳腐すぎる、と。




「……そう、ですか。一体どういう意味なんでしょうね……」




 そう言うのが精一杯だった。

 私の様子がおかしいことに敏感に気づいたのか、アルノルトがわずかに首を傾げて顔を覗き込んでくる。それに誤魔化すように、微笑んだ。




「ご無事で、よかった」




 ――紛れもない、本心だった。本心だったはずなのに、私はその言葉を、誤魔化しに使ってしまった。




 ***




 カスペルさんに改めて報告することがある、とアルノルトが調合室を後にしてから、どれだけの時間が経っただろう。いや、おそらくは大した時間は経っていない。窓の外はすっかり日が落ちてはいたが、そこまで深い闇が広がってはいなかった。

 ――あの方の復活は、すぐ目の前に。

 魔物が最後に言ったという言葉が脳裏にこびりついてしまって離れない。

 おそらく、いいや、間違いなく、あの方とは数年後にこの世界を脅かす元凶・魔王だ。現在、水面下で復活のために力を蓄えているのだろうか。最近の魔物襲撃は、魔王復活の前兆によるものか。

 なんとなしに察してはいた事実だったが、こうもはっきりと突きつけられると動揺してしまう。

  ――あの方の復活は、すぐ目の前に。

 「ラストブレイブ」の魔王の復活は、物語の中盤だ。魔王復活を目論む魔物の中にも序列があり、いわゆる幹部と呼ばれるような立場にいる魔物は比較的人型に近い姿で、人語を巧みに操っていた。

 序盤から中盤までは彼ら、魔族軍幹部との闘いが主となる。しかし次第に彼らの真の目的が魔王復活であると分かり、中盤、まさに復活の刻を迎えようとしている魔王を再び封印するべく、勇者たちは魔王の座へと赴く。そこで数多の魔物と戦い――しかし一歩及ばず、目の前で魔王が復活してしまうのだ。

 復活後の魔王はしばらく、勇者たちの目から逃れるために、また、復活したばかりで不安定な体をできるだけ休ませるために、人間の体を乗っ取って各地に現れる。魔王を人の体から追い出すためには、ヒロインである古代種の少女が持つ、聖なる力が必要で――


 はた、と目の前にいまだ調合道具が散らかっていることに気がついた。もう研修の終了時間はとうに過ぎている。一体どれだけぼうっと物思いにふけっていたのだろう。もしかするとチェルシーを心配させてしまっているかもしれない。

 私は慌てて後片付けに取り掛かりはじめた――その瞬間。扉がノックされた。

 こんな時間に、一体誰が。

 いくらか警戒しつつ、扉に向かって「どなたですか」と問いかける。すると向こうから返ってきた声は、全く予想していなかった人物のものだった。




「俺だ、アルノルトだ」




 扉越しの声に、私は慌ててかけよった。そして扉をゆっくりと開く。するとそこには、両の手で木箱を抱きかかえるようにして持つアルノルトが立っていた。先ほどとは違い、見慣れた白衣を身にまとっている。




「アルノルトさん、どうしたんですか? 何か忘れ物でも?」


「少しいいか」




 そう言うなり、アルノルトは扉の隙間から体を滑り込ませた。そして我が物顔で調合室に立ち入ると、抱えていた木箱を調合台の上に置く。

 突然の、それも若干不躾な行動に私は呆気にとられてその場に立ち尽くす。そんな私を見たアルノルトは、木箱を机に置くことで空いた右手で、ちょいちょい、と私を手招いた。

 まるでペットか何かでも呼び寄せるような行動に、さすがの私もむっと眉根にシワを寄せる。しかし目の前の男は私の機嫌を気にも留めないことは見ずともわかる。アルノルトの行動が読めない今、ここは自分が折れるしかないと小さくため息をつき、彼の元へ駆け寄った。

 傍に立つと、アルノルトは木箱の蓋をあけた。すると木箱の中には更にひと回り小さな木箱が入っており、その蓋を開ければひんやりとした冷気がわずかに漂ってくる。

 中を覗き込む。そこには、氷漬けにされた「何か」が入っていた。




「これは……?」


「言葉を話していた魔物の角だ」




 目をこらす。すると、氷漬けにされていたのは太く長い魔物の角だということが分かった。

 禍々しい色をした、角。それには見覚えがあった。たしか、これは――




「これって……アルノルトさんが仰っていた、プラトノヴェナ地方の伝承に登場する魔物の角に似てませんか?」




 問いかけに、アルノルトは僅かに眉をあげて頷いてみせた。私の言葉に満足したような素ぶりだった。




「あぁ、よく似ていた。毛の色や角の色は異なっていたがな」




 似たようなデザインをしているが、配色が違う。なるほど時折RPGで見られるデザインだ。実際「ラストブレイブ」でも、序盤の雑魚敵の色違いが終盤、それなりに強い魔物として登場した。配色が違うだけだが名前も異なり、全く別の個体とされていたはずだ。

 それと似たようなパターンで、今回伝承で語られていた魔物と人語を話す魔物は酷似していたのだろう。煎じて飲めばどんな難病でも治すという角を持つ魔物。まさか今回その存在に近づくとは思わなかった。若干のご都合主義展開を感じさせるのは、これが神様せいさくしゃによって仕組まれたイベントだからなのか。

 何はともあれ、エルヴィーラの治療に近づく貴重なものかもしれない。くだらない考えは捨て、まじまじと角を見つめた。




「調合を頼んでもいいか」




 突如として落とされた言葉に、私は固まった。

 ――この角を、調合する?

 当然だが、このままエルヴィーラに与えることはできない。どうにかこうにか調合して、回復効力が本当にあるのならば、その効力を引き出さなければならない。もちろん、この角には回復効力がないことも十分あり得るだろう。それを確認するためにも、調合してエルヴィーラにその回復薬を飲んでもらうのが一番だ。

 分かってはいる。理解してはいる。しかし、突然「調合してくれ」などと言われ、動揺しないでいられるほど、私は決意が固まっていないようだった。




「……え、でも、無駄にしちゃったら……」


「無駄になることはない。効力が思うように出なければ、この魔物の角は使えないということが分かる。立派な前進だ」




 迷いのない口調でアルノルトは言い切る。




「もちろん俺も調合する。調合方法を被らせたくはないから、調合の記録はしっかりととって報告してくれ。あとはお前の思うままに調合してほしい」




 じっと黒い瞳に真正面から見つめられた。その表情も、いつもよりいくらか硬い声音も、私が断ることをよしとしていないように感じて。

 そもそもここで断ってしまっては、私の決意は偽物だったのかという話になる。エルヴィーラを救い、ひいては世界を救う手助けをするのだと、決めたではないか。

 生唾を吞み込む。そして、




「わ、分かり……ました」




 かろうじて頷いた。

 私の答えに、アルノルトはわずかに目元を緩めた。いや、緩めたと言うより、こわばっていた表情筋からいくらか力を抜いた、という表現が正確だろう。

 調合したいときは声をかけてくれ。そう落ち着いた声で言って、アルノルトは木箱の蓋を閉じた。そして再び抱えると、調合室の出口へと歩いていく。

 とにかく、まずは何パターンか調合方法を考えてみよう。無難な回復効力を発揮するものから、状態異常を回復するもの、ひとつぐらいは異質な方法を編み出してみてもいいかもしれない。

 アルノルトの揺れる白衣の裾を視界に捉えながら、ぐるぐるとまとまらない考えを巡らせていたときだった。不意に白衣の裾がなびいたかと思いきや、彼はこちらを振り返った。そして、




「近いうちにエルヴィーラが王都に来る。そのときには、よろしく頼む」




 扉を背にして、言った。

 ――え。

 私が驚きに顔を上げた先にもうアルノルトはおらず、パタンと控えめな音を立てて扉が閉まる。ひとり残された私は、ぽかん、と口を半開きにしてその場に立ち尽くした。

 エルヴィーラが、王都に来る? エルヴィーラとは、あのエルヴィーラか。未来の英雄であり、アルノルトの妹であり、自壊病を患っている、エルヴィーラか。

 ――やっと、多少は落ち着けると思ったのに。

 明日からまた忙しない日々が始まる予感――いや、確信に、私は大きくため息をついた。一度、エメの村に帰省しようと思っていたのに、どうやらそれは叶わなそうだ。




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