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37:プラトノヴェナからの使い




 王都・シュヴァリアに到着し、出迎えてくれたチェルシーとリナ先輩と別れた後。アレクさんからの手紙の内容を知った私はしばらくエミリアーナさんと身を寄せ合って、それからこのままではいけない、と沈み込んだ気分をなんとか強引に引きずり上げた。

 とにかく、リフレッシュだ。思い詰めすぎるのはよくない。今は他のことを考えよう。これは逃げではなく、自分たちの心を守るために必要なことだ。

 そう思い、未だ顔色の悪いエミリアーナさんを王城の案内へ連れ出そうとしたのだが――早々にリナ先輩達と再会を果たしたかと思うと、そのまま応接室へと案内された。どうやら、上司であるカスペルさんが私達――いや、エミリアーナさんを歓迎すべく、呼び出しがかかったようだった。




「我々は貴方を歓迎します」




 目の前にはにっこりと微笑むカスペルさん。彼の細められた目は、エミリアーナさんを真っ直ぐ見つめている。




「部屋は宿屋ではなく、王城の客間をお使いください」




 王属調合師用に作られた小さな応接室で、カスペルさんと私、そしてエミリアーナさんは対面していた。私達だけではなく、扉のすぐ近くにはチェルシーとリナ先輩も控えている。




「歓迎ありがとうございます、カスペル様」


「そんな、様だなんて恐れ多い。カスペルとお呼びください」




 いつもの口調はどこへ行ってしまったのやら、カスペルさんの口からすらすら出てくる言葉はとても上品だ。身に纏っている白衣には皺ひとつないし、心なしかモジャモジャ頭もいつもより控えめのように見える。




「長旅でさぞやお疲れのことでしょう。……リナ、チェルシー、お部屋にご案内して」




 穏やかな笑みを崩さず、カスペルさんは私たちの後ろに控えていたリナ先輩とチェルシーに声をかけた。するとすかさずリナ先輩はエミリアーナさんの隣に立ち、チェルシーが扉を開ける。




「あ、私も……」




 リナ先輩に誘導されて歩き出すエミリアーナさんにそのまま続こうとすれば、「ラウラちゃん」カスペルさんから呼び止められて、足を止めた。

 振り返る。その先の笑顔は消えていた。




「聞きたいことがあります」




 いくらかトーンの落ちた声に、ぴくりと肩が不随意に揺れた。

 聞きたいこと。それは恐らくは、いいや確実に、プラトノヴェナの件だろう。

 私はぐっと拳を握りこんで、足を止めた。その反応を満足げに見つめたカスペルさんは、私の様子を窺うように足を止めているエミリアーナさんに声をかけた。




「ごゆっくりお休みください」




 この中では一番慣れ親しんだ人物である私が側を離れることに不安を覚えたのか、エミリアーナさんは眉根を寄せて私を見つめる。




「後ほどお部屋に伺います」




 するとエミリアーナさんは僅かに目元を緩めて、それから小さく頷いた。

 リナ先輩に誘導され、彼女は応接室から出ていく。パタン、と扉が閉まる控えめな音が響いた後、3人分の足音がどんどん遠ざかっていった。

 足音が遠くなる。そしてほぼほぼ聞こえなくなった頃、カスペルさんは口を開いた。




「お疲れ様っす、ラウラちゃん」


「カスペルさん、聞きたいことって? プラトノヴェナのこと、ですよね?」




 我ながら性急だとは思いつつも、本題の疑問をいきなりぶつける。いささか失礼だったか、と一瞬後悔の念が胸をよぎったが、カスペルさんは別段気にしている様子もなく、しかし真剣な表情で言った。




「プラトノヴェナの現状についてっす。……単刀直入にお聞きします、アレク・プラトノヴェナからエミリアーナさんへの伝言を知ってますよね?」




 その口調は、私が伝言を知っていると確信しているようだった。

 誤魔化す気はさらさらなかったが、上司の前で嘘はつけないだろう、と観念したように体からいくらか力を抜いた。そしてゆっくりと、なるべく正確に記憶を掘り起こしながらアレクさんの手紙に綴られていた言葉を伝える。




「……アレクさんからエミリアーナさんに宛てられた手紙に、そのようなことが。ただ、手紙を読んだわけではなく、エミリアーナさんの口伝えに聞いただけです。直接的な単語はエミリアーナさんの口から語られませんでしたが、アレクさんが自分にプラトノヴェナの未来を託してきたと」


「……アルノルトの推測はほぼほぼ当たりだった、って訳っすね」




 ぽつり、とこぼされた言葉に私は首を傾げた。

 アルノルトの推測とはなんだ。

 その疑問がまるまる表情に浮かんでいたのか、言葉で直接尋ねずともすぐにカスペルさんは答えを示してくれる。




「アルノルトが数日前、報告書を寄越してきたんす。もっともこことプラトノヴェナは距離がありますから、書いたのは恐らくラウラちゃん達がアネアに滞在していた頃っすかね」




 私たちがアネアに滞在していた頃に出した報告書。

 私が知る限り、アルノルトはプラトノヴェナが魔物に襲われてすぐ、報告書を王都へと使いをやって届けさせていた。当然だがそれとは違うものだろう。だとすると、私に手紙を寄越してくれた時に同じく報告書を再び作成、提出していたのかもしれない。私たちが避難し、プラトノヴェナに兵士や魔術師が溢れかえるようになってからの報告だろう。

 カスペルさんはちらりと私の顔色を窺ってきた。向けられた瞳に、なんだか嫌な予感がした。




「アルノルトはアレクさんから何も聞かされていないようでした。ただ、なんとなしに――アレクさんが死ぬつもりでいると感じているようっす」




 ――何も答えられなかった。息も忘れていた。

 アレクさんが死ぬつもりでいることは、エミリアーナさんから伝えられた手紙によって分かっていたはずだった。しかしそれでも、今恐らくはアレクさんの一番近くにいるアルノルトがそのように感じていたという事実に、情けなくも動揺してしまう。




「止められるように立ち回ってみるとのことでした」




 その言葉には、とようやく息を吐き出す。

 アルノルトは優秀な調合師であり、魔術師だ。そして出来そうにもないことを無責任に言い出すような人物でもない。

 そんな彼が、そのように言ってくれたのは私にとって、そしてエミリアーナさんにとって、紛れもなく“救い”であった。

 いくらか冷静さを取り戻したところで、ふと思い出す。アレクさんからの伝言の中にもう一つ、報告しなければならないことがあったと。




「あの、人語を話す魔物のことは……」


「最初の報告で聞いてるっす」


「……そうですか」




 アルノルトからの手紙を思い出す。彼は私に向けての手紙で、なぜアレクさんがプラトノヴェナに留まるのか未だ分からない、と綴っていた。しかし、カスペルさんへの報告で人語を話す魔物のことについて言及している。つまり私に手紙を書いた時点で、アルノルトは人語を話す魔物のことを知っていたはずだ。

 ならばなぜ、アルノルトは人語を話す魔物のことを私に隠し、街に留まる理由がわからないと嘯いたのか。

 忘れてはならないが、アレクさんがあそこまで魔物の襲撃に確信を持っていた理由が、何も人語を話す魔物にそう宣言されたからだとは明らかになっていない。ただ、そう考えれば納得がいくという、私の推測にしか過ぎない。

 それを踏まえた上で、ただ私――あえて悪い言い方をすれば、部外者――には伝える必要のない情報だと判断したのか、それとも。




「ラウラちゃん。こんなことを頼むのも気が引けるんすけど……エミリアーナさんのことを、頼みます。回復薬の調合に関しては、無理を言って近場の支部から5人アネアに集めたんす、人手は十分足りている」




 有無を言わせない口調だった。しかしその表情は見るからに複雑そうに歪められている。

 元々私のプラトノヴェナ行きを反対していたらしいカスペルさんのことだ、今回の件からなるべく私を遠ざけたかったのかもしれない。それに自惚れと言われようと、エミリアーナさんの世話は私が適任のように思う。けれど何も私が彼女の心を開かせたわけではない。ただ弱っているとき、偶然側にいただけ。それでもエミリアーナさんは私をそれなりに近しい存在だと思ってくれているはずだ。

 カスペルさんの言葉に頷く。すると彼は複雑そうな笑みを見せて、「頼ってください」と弱々しい声音で言った。




 ***




 その日の夜、エミリアーナさんの歓迎会と銘打って、私とチェルシーとリナ先輩、そしてエミリアーナさんの4人で王都の酒場へとやってきた。




「エミリアーナちゃんって、フラリアの出身なの?」


「はい、そうです」


「フラリアって素敵な街よね。名物の花畑はもちろん、人も暖かい街だわ」




 はじめは距離を測りかねていたが、ぽつりぽつりと会話を交わしていくうちに和やかな雰囲気になって行く。やはり同年代の女子ともなれば、それなりに話題は合うし、親近感も覚えやすい。

 過去を懐かしむように目を眇めたリナ先輩に、チェルシーが問いかける。




「リナ先輩、フラリアの街に行ったことあるんですか?」


「親が仕事であちこちを飛び回ってて。フラリアに住んでいたのは短い間だったけれど、近所のおばあちゃんにとても良くしてもらったわ」




 どうやらリナ先輩は前世でいう転勤族だったようだ。




「でも、そっか。フラリア家のお嬢様なのね。立派な屋敷だなぁって外からずっと眺めていた日もあるの。まさかそのお屋敷に住んでいたお嬢様と、こうしてお話できるなんて」




 リナ先輩の素直な言葉に、エミリアーナさんはどこか居心地が悪そうに笑った。それによって落ちかけた沈黙に、チェルシーがすかさず声を上げる。




「アタシも行ってみたいなぁ、フラリア。いつ頃がオススメとか、ありますか?」


「そうですね……今の時期は、メフィーリエの花が満開でとても綺麗ですよ。あと、メフィーリエの花から取れる蜜を使ったスイーツは絶品で……今がまさにオススメの季節かもしれません」




 美しい花に美味しいスイーツ。女の子が好きなもの。想像するだけでほぅ、と悩ましげな息が口からこぼれてしまいそうだ。

 似たような表情をしている同期と先輩を眺めてから、エミリアーナさんの目を見て私は口を開いた。




「3人で行きたいですね、お休みの日にでも」


「ぜひご案内させてください」




 私の言葉にエミリアーナさんは嬉しそうに頷く。そして、“その言葉”を付け加えた。




「よろしければアルノルトさんもご一緒に」


「えぇー! あんの堅物傲慢無愛想も!?」




 素早い反応だった。素早すぎて、リナ先輩以外の私達はびくっと大袈裟に肩を揺らして驚いてしまう。その後、訳を知る私とチェルシーは顔を見合わせて笑ったが、一方で提案したエミリアーナさんは困惑の表情を浮かべた。




「え……あ、あの、アルノルトさんにもお世話になったので……それにリナさんの同期なんですよね?」


「同期であって同期ではないわ」




 リナ先輩の言葉に、エミリアーナさんはますます困惑したようだった。私は苦笑を深めながら、隣の彼女に「実はちょっとした確執が」と手短に説明した。

 以前からリナ先輩にはアルノルト嫌いの気はあったが、最近はますます顕著になっているような気がする。その気持ちも分かるものの、以前とは違い彼はいいお兄さんなんですよ、というフォローの言葉が脳裏に浮かんだ。――もっとも、今それを口にするほど空気が読めない人間ではない。




「私もラウラやチェルシーみたいに、可愛くて切磋琢磨できる同期が欲しかった!」




 わぁっと態とらしい泣き真似をして、リナ先輩は机に突っ伏す。エミリアーナさんはそんなリナ先輩にどう声をかけていいものやらとあわあわしていたが、チェルシーは私の目を見ながら苦笑した。若干の呆れも滲んでいる。

 その表情からして、今回のようなことをチェルシーの前で言い出すのは初めてではないのかもしれない。私がアルノルトと共に王都を留守にしていた間、チェルシーはリナ先輩からマンツーマンで指導を受けていただろうし、その間に似たような会話を重ねたのだろうか。

 チェルシーは浮かべていた苦笑を深めて、それと共に呆れの色を薄れさせていく。それに変わるようにどこか気恥ずかしそうに僅かに視線を下げて言った。




「ラウラはアタシよりずっと優秀だけど、それだけ努力してるし、アタシも頑張らなきゃって思わせてくれる自慢の同期だよ」




 突然向けられた褒め言葉に一瞬私は狼狽える。しかしすぐさま口を開いた。

 私にとってもチェルシーは、自慢の同期だ。




「そんな、私の方だって! チェルシーは作業が丁寧だし、何より調合のアイディアがすごいの。すぐ新しい調合方法を思いついて……」


「成功率はまだまだだけどねー」




 ふふふ、と顔を見合わせて笑う。こそばゆい気恥ずかしさを感じつつも、心から尊敬しあえる同期に恵まれた幸福をかみしめていた。




「美しき同期愛ねー」




 ぽつり、とこぼされた言葉はリナ先輩のものだ。若干棒読みに聞こえたのは気のせいか。

 しかし次の瞬間には覇気のない声から一転、リナ先輩は声を荒げた。




「アイツなんてね、口を開けば駄目出し、不遜な物言い、興味ゼロの適当な返事、この3つよ! なーにが最年少王属調合師よ! 勝手に比べられて落とされるこっちの身になってみろっての! いくら優秀だったとしても、あんな同期いらないわよー!」




 最後はもはや悲痛な叫び声だった。かと思うと目の前のグラスをぐいっと呷り、それをバン! と勢いよく机の上に置く。その一連の行動はまるで、酔っ払いの草臥れたおじさんのようで――




「リナ先輩、飲んでません?」




 チェルシーと顔を見合わせて笑ってから、先輩のグラスを奪ってその匂いを嗅いだが、アルコールの匂いはしなかった。

 肩を竦めてエミリアーナさんに目線をやれば、彼女は困惑の表情をふっと緩めて、それから遠慮がちにではあるが確かに笑った。

 ――その後もそれなりに会話は弾んだ。やはり話の中心は歓迎会の主役でもあるエミリアーナさん。 彼女の生まれ、趣味、好きなもの等々、様々なことを聞いた。――ただひとつ、アレクさんのことを除いて。恐らくはリナ先輩達もそれとなく現状を伝えられているのだろう、私も婚約者の話題をエミリアーナさんに振るのは躊躇われた。

 しかしそれを抜きにしても、とても楽しい夕食会だった。エミリアーナさんも別れ際「今日はありがとうございました」とはにかんでくれたことだし、きっとこれからはアネアの時よりも穏やかな時間を過ごせるだろう。そう思い、ずっと張っていた気をようやく緩められたような気がした。




 ***




 手元の容器に控えめに口をつける。喉元を通り過ぎたそれは、臭みもなければすっと体に染み渡って行くような感覚を感じて。

 ――うん、これは。




「完璧です!」


「本当ですかっ?」




 私の言葉に、傍で固唾を飲んでこちらを見つめていたエミリアーナさんが、ばっと身を乗り出してきた。その勢いに気圧されつつもにっこりと微笑めば、彼女の表情にぱあっと笑みが広がる。

 私が今しがた口にしたのは、エミリアーナさんの作った回復薬だ。

 ――アレクさんからの手紙を預かってから、エミリアーナさんはより熱心に調合に取り組むようになった。王城には調合に関する文献が数多く揃っているし、私も彼女のために初心者に読みやすいものをいくつかピックアップした。ただ、それだけではなく。




「このメモがすごく分かりやすくて……ありがとうございます」




 エミリアーナさんが胸元に掲げたノートに、私は少しばかり気恥ずかしさを覚える。それは、チェルシーの手を借りて自分なりに調合のポイントをまとめた、ラウラ・アンペール作調合ノートだった。

 人に調合を教えるということを意識して初めて、自分がいかに感覚派かを思い知らされた。感覚だけに頼っていては、今後行き詰まることもあるかもしれない。しっかりとした技術と、それを裏付ける知識、根拠がなくては。

 チェルシーには私の調合を横で見てもらい、ひとつひとつの作業の時間を測ってくれるようお願いした。他にも、火の強さや薬草の特徴などは実際に絵に描き起こした。あまりにも細々とした作業だったが、調合は些細な力加減ひとつで効力の引き出し具合が変わってくる、繊細な作業だ。こういった細かな突き詰めは、思えば必須であったはずだった。

 私はいつの間にか、自分の才能とやらを過信していたらしい。今回の師匠ごっこ、は私にも大いなる学びをもたらしてくれたように思う。




「いいえ、そんな! 私も改めて勉強になりました。私、本当に感覚派で……曖昧な説明ばっかりだったでしょう」


「いえ! ……いや、あの、少し」




 ちらりとこちらを窺ってくるエミリアーナさんに、きょとんと目を丸くして――それから笑った。これは、少しどころではなく。




「……だいぶ曖昧な説明ばっかりだったみたいですね」




 私の突っ込みに、エミリアーナさんは誤魔化すように微笑んだ。あまりに分かりやすい肯定に、私はとうとう声を抑えずに笑い出す。

 あぁ、やっぱり私に指導者は向いていない。

 それと同時に、遠慮がちではあるものの本音を吐露してくれたエミリアーナさんに、勝手に距離が近づいたように思えて嬉しくなる。

 エミリアーナさんにも自分の回復薬を飲むように勧めた。すると彼女は何のためらいも見せずに容器を呷ろうとして――その瞬間、扉が乱暴に叩かれた。




「エミリアーナ様!」




 はぁ、はぁ、と息を切らして男性が調合室に転がり込んでくる。その人は王都の気候には少しばかりそぐわない厚着をしており――プラトノヴェナからの使者だと、一目見てわかった。

 ――先程までの和やかな空気が、一瞬にして張り詰める。

 彼は手元に丸められた一枚の羊皮紙を持っていた。そしてそれを言葉もなく――正確には、相応しい言葉が見つからず沈黙になってしまったように見えた――こちらに差し出してくる。その頬は、僅かに紅潮していた。

 エミリアーナさんを見やる。彼女は足がすくんでしまったのか、男性を見つめつつその場から一歩も動けないでいた。

 覚悟を決めて、一歩踏み出した。そして羊皮紙を受け取り、丸まっていたそれを開く。

 ――それは、プラトノヴェナで勃発した魔物との戦いの報告書だった。

 報告書によると、戦いによる死者は21名。戦闘の規模はまだ分からないため、その損失が思いのほか大きいのか小さいのか判断しかねるが、21名の尊い命が失われたことを惜しみつつ、届いた名簿の中に“その名”がないか血眼で探す。どうか見つからないでくれと天に祈りながら、文字を追った。

 ベンヤミン・チェピク。

 ナディア・モロリア。

 セレスタン・バンチェロー。

 バルドゥーイン・ホールリー。

 イヴェット・ヴォーレイ――……。

 ――あぁ、神様。

 天を仰ぐ。腹の底から熱い何かがせり上がってくるようで、とっさに手で口元を押さえる。しかしそれが溢れ出たのは、口からではなく瞳からだった。


 ――アレク・プラトノヴェナの名前も、アルノルト・ロコの名も、そこには、なかった。


 振り返って、微笑んだ。そして大きく頷く。

 エミリアーナさんは私の表情から全てを察したのか、私に応えるように微笑んで、しかしすぐにその眦に涙を浮かべた。その涙の勢いはぽろぽろ、なんて可愛らしいものではなく、ぼろぼろと壊れた蛇口のようで。

 私は思わず駆け寄る。そして震える肩を抱きしめた。





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