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36:心配するな




 ‬王都・シュヴァリアへと発つ前日の夕方、ヴィルマさん達プラトノヴェナ支部の王属調合師2名がアネアへとやってきた。彼らが避難してきたということは、恐らくは必要数の兵士と魔術師が街に集まったということなのだろう。

 ‬エミリアーナさん以外の見知った顔に、私は息を切らしつつ駆け寄った。




「ヴィルマさん、ご無事で何よりです!」




 ‬ヴィルマさんは目元に濃い隈をのぞかせつつも、にっこりと微笑んでみせる。




「あぁ、ラウラくん。顔色がいいな、よかった」




 ‬声もいくらか掠れている。ヴィルマさんはそれを誤魔化すように更にきゅっと目元を細めて、私の頭を撫でてくれた。

 ‬きっと彼女の方が疲れているだろうに、年下の少女に心配をかけまいと凛と振舞っている。それを見抜けないほど私は間抜けではなかったが、同時にそれを指摘するほど愚かでもなかった。

 ‬一瞬の沈黙。今の和やかな雰囲気を自分の問いで崩すことに躊躇いを覚えたが、それでも“それ”を尋ねずにはいられなかった。




「……あの、プラトノヴェナの状況は?」


「街に兵士と魔術師がぎっちりだ」




 ‬その場の空気を少しでも軽いものにしようとしてくれているのか、ヴィルマさんは苦笑を浮かべつつ、どこか冗談めいた口調で答えた。

 ‬しかし未だ顔を強張らせている私に彼女は苦笑を深めて、それから言い聞かせるような口調で続ける。




「魔物の動きはないよ。兵士達の精神が擦り減らないよう、アレクは苦心していた」




 ‬ヴィルマさんの報告に、とりあえずは安堵した。強張っていた体が弛緩していくのを感じる。

 ‬未だ魔物の動きはない。その一言だけでも、私にとっては大きな情報だ。もっとも、今後魔物が動きを見せる可能性は否定できないが。

 ‬それにしてもなぜ、アレクさんはああも魔物の襲撃を確信していたのだろう。あの迷いのない口調は、なにを根拠に――




「アルノルトは相変わらず。……ただ、君への手紙を預けてきた」




 ‬不意に目前に差し出された封筒。アンペールへ、と思いの外丁寧な筆跡で書かれた己の名前に、一瞬息が詰まった。

 ‬ひとつ息を大きく吐いてから、それを受け取った。きっと現状の報告が綴られているのだろうと推測できるが、それでも微かに指先が震えた。思っていた以上に、ここでの日々は私に焦燥を与え、弱くしたらしい。




「一旦王都に帰るんだろう?」




 ‬はい。そう小さく頷く。もう荷物もすっかりまとめ終わってしまった。

 ‬アルノルトは依然危険な地に身を置いているのに、自分はより安全な地へと避難する。私が残ったところで足手まといにしかならない、私には魔術の才能はない、私とアルノルトに求められていることは違う。そう理解してはいるが、自分に対する情けなさとアルノルトへの罪悪感はどうしても胸の底に滲んだ。




「――エミリアーナ! ‬君にもアレクから手紙だ!」




 ‬ヴィルマさんが不意にあげた声に、振り返る。いつの間にそこにいたのやら、目線の先のエミリアーナさんは明らかに体を縮こまらせていた。

 ‬それでもヴィルマさんが手紙を差し出すと、小動物のような俊敏な動きで私達の元に近づいてきて、その手紙を受け取る。そして躊躇いなく封筒を開けると、手紙に素早く目を通した。

 ‬血の気の引いたエミリアーナさんの横顔を見つめる。せわしなく動く青の瞳は揺れ、薄く開かれた唇は小刻みに震えていた。




「……エミリアーナさん、アレクさんからの手紙にはなんて?」


「ラウラさんと共に行くようにと」




 ‬想像していた通りの展開ではある。しかしエミリアーナさんの心中を思うと、自然と視線は床に落ちた。

 ‬しかしそこで思い直す。私よりもずっと、エミリアーナさんの方が辛く、不安なはずだ。婚約者は戦地に残り、慣れない地へと避難するのだから。

 ――彼女を、支えることができたら。

 ‬落ちた視線を上げた。手紙を畳んで胸元に抱きかかえているエミリアーナさんは、ぐったりと俯き表情が読み取れなかった。

 ‬当然こちらの表情も彼女に伝わらないと分かりつつ、それでも歪に口角を上げる。




「エミリアーナさん、大丈夫です。王都も素敵なところですよ? ‬友人や頼りになる先輩を紹介させてください」




 ‬ええ。そう頷いたエミリアーナさんはゆっくりゆっくりと、その顔を上げる。そこにはさぞや思いつめた、真っ青な顔があるのだろうと予想していたら――なんと、顔を上げた彼女はとても穏やかな笑顔を浮かべていた。

 ‬予想外の表情に私が言葉を続けられずにいると、エミリアーナさんは「明日の支度をしてきます」とその場から踵を返した。

 ‬遠くなっていく背中をぼうっと見送る。そこでハッと気がついた。アルノルトからの手紙を開封していない、と。

 ‬私は慌てて封筒から便箋を取り出す。そしてその勢いのまま、一気に目を通した。




『魔物の動きはまだない。だがアレクさんは、プラトノヴェナが魔物に再び襲われることを確信している。その理由は分からない。少なくともこちらから兵を引き上げる様子はなく、もうしばらくはこう着状態が続きそうだ』




 ‬事実だけが淡々と綴られた、アルノルトらしい手紙であった。平坦な彼の声が聞こえてくるようだ。

 そのまま読み進め――‬手紙の最後には、こう綴られていた。




『心配するな』




 ‬短い一文に、手紙を持つ手にぐっと力がこもる。

 ‬書き殴ったような文字だった。それまでの文字は丁寧かつ均等の取れたとても読みやすい文字だったため、最後に添えられた一文の異様さがより目立つ。

 ‬封筒に入れようとしたその瞬間、パッと思いついて咄嗟に書いた――そんな様子が瞼の裏に浮かぶようだ。

 ‬アルノルトなりに気を遣ってくれたのだろう。彼の目から見て、突然の魔物襲撃に怯える後輩はあまりに哀れだったのかもしれない。

 ‬正直言って、その一文で気持ちが軽くなるということはなかった。気休めの言葉でしかないと冷静に判断する、可愛げのない“私”がいた。しかし同時に――そのアルノルトの気遣いを嬉しいと感じる“私”もいた。




 ‬***




 ‬馬車に揺られること、数日。ようやく私は王都・シュヴァリアへと帰ってきた。――エミリアーナさんと一緒に。




「ラウラ!」




 ‬出迎えてくれたのはチェルシーとリナ先輩の2人だった。馴染み深いふたつの顔に、張り詰めていた気が緩んだのか思わず涙腺が緩む。




「チェルシー、リナ先輩!」




 ‬声を上げて走り出す。するとチェルシーも同様に私に向かって走り寄り、そのままぎゅっと抱きしめられた。




「大丈夫だった!? ‬怪我は!?」


「大丈夫大丈夫、どこも怪我してないよ」




 ‬ぺたぺたと体のあちこちを遠慮なく触られて、私は思わず苦笑した。しかしそれ以上に触れた温もりに安心する。

 ‬私もその温もりに縋るように抱きしめ返す。するとチェルシーの肩がかすかに震えていることに気がつき、思わず彼女を抱きしめる腕に力がこもった。

 ‬抱き合ったまま、リナ先輩と目線がかちあう。彼女はどこまでも優しく微笑んでいた。

 しかし不意にその表情に戸惑いの色が浮かんだ。その視線の先を辿れば――所在なさげに体を縮こまらせて、控えめに微笑むエミリアーナさんの姿があった。

 ‬同期と先輩との再会に思いのほか浮かれてしまっていたらしい。慌ててチェルシーとの抱擁を解くと、エミリアーナさんの隣に立った。




「紹介します。この方はエミリアーナさん。プラトノヴェナから一緒に来ました」




 ‬2人に手短に紹介する。プラトノヴェナから、という単語で2人とも全て察したのだろう、一瞬戸惑うように眉根を寄せた。しかしすぐに柔らかな笑みがふたつ、エミリアーナさんへと向けられる。




「エミリアーナです。よろしくお願いします」




 ‬大きく頭を下げるエミリアーナさん。その表情は不自然さを覚えるほどに穏やかだ。まるで、心を閉ざしてしまったような――

 ‬私の勝手な心配をよそに、エミリアーナさんとチェルシー、リナ先輩は和やかな挨拶を交わしていた。しかし長旅で疲れているだろうとリナ先輩に気を遣われ、すぐに一旦解散の運びとなる。

 ‬とりあえずはエミリアーナさんに王都を案内しようと、チェルシー達と別れる。そしてこちらです、と彼女をエスコートするように歩き出して――その場から動かないエミリアーナさんに、足を止めた。




「エミリアーナさん?」


「……覚悟しておけと、そう手紙に書いてありました」




 ‬突然鼓膜を揺らした言葉の意味が、分からなかった。

 ‬前を歩くエミリアーナさんが振り返る。




「プラトノヴェナの未来を託すと、そう書かれていました」




 ‬その言葉でようやくアレクさんからの手紙の話をしているのだと察した。

 ‬――アレクさんがエミリアーナさんに、プラトノヴェナの未来を託すと手紙を送ってきた。

 ‬そんなの、まるで。

 ‬は、と浅く息を吐いた。人間、驚きすぎると感情が壊れてしまうのか、なぜか自分の口元が緩く上がるのを感じていた。




「そんな……そんな、遺言みたいなことを……」




 ‬遺言。その言葉を口にするのは躊躇われたが、気がつけばするりとこぼれ落ちるように口を突いて出ていて。

 ‬私の言葉にエミリアーナさんはくしゃりと顔を歪めた。今にも泣き出しそうな表情だった。




「刺し違えてでも、魔物を倒すと」




 ‬エミリアーナさんの口から放たれるアレクさんの決意に、私はぎゅうと拳を握りしめる。最近爪の手入れがおざなりだったため、手のひらに爪が食い込んだ。




「人語を話す魔物がいたそうです。その魔物は鋭い爪と牙を持ち、一瞬で複数の兵士を殺したと。明らかに、他の魔物と違ったと……そう、書いてありました」




 ‬エミリアーナさんの口から淡々と紡がれた言葉に息を飲んだ。

 ‬人語を話す魔物は「ラストブレイブ」にも登場した。そういった魔物は決まって力が強く――言うなれば、魔王軍の幹部のような存在だった。

 ‬ゲームの設定にのっとるのであれば、アレクさんが言うその魔物は周りより群を抜いて強いはず。その姿も他の魔物とは違い、気合の入った一目で“ボス”と分かるようなグラフィックであった。

 ‬つまり何が言いたいのかと言うと、アレクさんがその魔物を一目見て「他の魔物と違う」と感じ取ったその感覚は、おそらく間違いないだろうということだ。そしてもしかすると、彼は魔物に言われたのかもしれない。またこの街を襲う、と。であれば、あれだけ魔物の再びの襲撃に確信を得ていたアレクさんの態度にも納得がいく。

 ‬――そう、全て納得がいってしまう。アレクさんがエミリアーナさんに残した言葉も、決意も、全て。




「ごめんなさい、1人ではとても、抱えきれなくて……ごめんなさい」




 ‬ぐにゃりと歪んだ顔。とうとうその瞳には涙が浮かび、それを恥じるようにエミリアーナさんは両手で顔を覆った。

 ‬エミリアーナさんはずっと我慢していたのだろう。もしかすると、1人で抱えるつもりだったのかもしれない。

 ‬今にも泣き崩れそうに膝を震わせる彼女に歩み寄る。そして自然と、うなだれるその頭を胸元に抱き込むようにして引き寄せた。

 ‬彼女はまだ、成人していない少女なのだ。親元を離れ、嫁ぐはずの最愛の婚約者を失う恐怖に襲われては――




「いいえ、いいえ……!」




 ‬大きく首を何度も振る。触れ合う肌から、エミリアーナさんの不安がジワリと侵食してくるようだった。

 ‬人語を話す魔物。死を覚悟しているアレクさん。

 ‬アレクさんは勝つ見込みのない戦に他人を巻き込むような人ではない。もし自分が魔物と刺し違える決意をしていたとして、しかし他の兵士を巻き込むつもりはないだろう。死ぬとしたら1人で死ぬ道を選ぶ。――“私”の知る彼は、そういう人だった。

 ‬強力な魔力を持つアルノルトがついている。屈強な兵士達も多く集まっていることだろう。そして何より、アレク・プラトノヴェナは「ラストブレイブ」――つまり3年後の世界――に登場する。

 ‬しかし、このようなイベントは「ラストブレイブ」では誰の口からも語られなかった。ゲーム内には設定されていなかったイベントの可能性が高い。だとすると、今回の魔物との戦いで、誰かが命を落とすやも――

 ‬そこまで考えて、私はもう一度大きくかぶりを振った。

 ‬大丈夫。きっと、大丈夫だ。アレクさんもアルノルトも、無事に帰ってくる。そうだ、アルノルトは心配するなと言ってくれた。

 ‬――その後しばらく、不安を共有するように、お互いに縋り付くように、私とエミリアーナさんはゆるく抱き合っていた。





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