34:弟子ができました
馬車の準備が出来るなり、私とエミリアーナさんはプラトノヴェナから避難することになった。別れを惜しむ時間すら満足に与えられず――そもそも今生の別れという訳でもない、と思いたい――私達は荷物をまとめ、追われるようにして馬車にそれらを詰め込んだ。
プラトノヴェナを出る直前、なんとか時間を捻出してくれたらしいアレクさん達が見送りに来てくれたのだが――エミリアーナさんの姿を見るなり、恋人達はすっかり2人の世界に入り込んでしまい、私は蚊帳の外だ。それを不満に思うことはなかったが、それでも居心地が悪かったので少し離れた場所で待機している。
「アレク様……」
「そんな顔をしないでくれ」
ぽろぽろと涙を流すエミリアーナさんを、アレクさんは強く強く抱きしめる。別れを惜しむ美しい恋人たちの姿は、不謹慎ながらも映画のワンシーンのようで見惚れてしまった。
あまり不躾に見てはいけないだろう、と目線を逸らす。それでも耳は2人に向いていた。
「どうか、ご無事で」
そう告げたエミリアーナさんの声は震えていた。きっとアレクさんを見上げる瞳は揺れ、止め処なく眦から美しい涙が溢れているのだろう。見ずとも分かる。
そんな婚約者を見つめるアレクさんは一体どんな表情をしているのだろうか。安心させるように微笑んでいるのか、痛ましいエミリアーナさんの姿に眉根を寄せているのか、それとも。
「エミリアーナはずっとずっと、待っています」
健気で、気丈な言葉だった。
聞いているこちらの胸がぐっと詰まるほどで、私は思わずその場から離れる。これ以上聞き耳を立てていれば、私も泣いてしまいそうだった。
街にこもって、魔物たちを迎え撃つ。
一体勝率はどれほどのものなのか。アレクさんもアルノルトも、私達に魔物の詳しい話は頑なにしなかった。それと同時に、「勝利」といった言葉、それに似た意味を持つ言葉も口にすることはなかった。
不安が過ぎる。
ここでアルノルトが死亡する可能性は、極めて低いのではないかと見ている。未だエルヴィーラの問題は何一つとして解決していない。しかしようやく少しずつ、希望が見出せてきた時期だ。そんな時期に彼が死んでしまうなんて――メタ的に、ありえないように思う。「ラストブレイブ」は王道RPGなのだ。そのような捻った、言ってしまえば後味の悪い展開は製作スタッフは好まなかったはず――
しかしこの考えも、今はもう100%信用することはできない。
アレクさんもゲーム内に登場するため、この作戦で戦死する可能性は低いのではないかと考えている。しかしこの世界は“私”の知る「ラストブレイブ」とは徐々に相違を見せ始めていて――
もう私には、彼らの無事を祈ることしかできなかった。前世の記憶なんてなんの役にも立たない。何が強くてニューゲームだ。
「ラウラくん!」
俯いていたところに、凛とした声がかけられた。その声に誘われるように顔を上げて、そちらを見る。すると鮮やかな赤が視界に飛び込んできた。
ヴィルマさんが、プラトノヴェナ支部のもう1人の調合師をつれてこちらに歩いてくる所だったので、私の方からも駆け寄る。
「ヴィルマさん達はこちらに残られるんですか?」
「応援が来るまでの間だけさ。魔術師が派遣されれば、回復手段も増える。そうなったらアネアまで避難するよ。これからずっと調合漬けだ。ラウラくんも無理はせず、体には気をつけるんだよ」
ヴィルマさんは軽く腰を曲げて、私と目線を合わせると優しく微笑んだ。
彼女らはプラトノヴェナ支部で調合を続け、応援がある程度揃ったらアネアの街に避難するという。だとしたら恐らくは数日後、アネアで再会できるだろう。――何もトラブルがなければ。
私はヴィルマさんの表情を窺うように、上目遣いで彼女を見た。すると私の視線に気づいたヴィルマさんは、「ん?」と小首を傾げて微笑んでくれる。その際にさらりと揺れた赤髪を、一度見失ってしまったことを思い出してぶるりと体が震えた。
「やっぱり私も――」
「駄目だ。アンペールは一旦アネアに避難しろ。アネア支部にはもう連絡をやっている」
私の言葉を遮るように、アルノルトが背後から話に入ってきた。驚きつつも慌てて振り返れば――いつもの白衣ではなく、動きやすい兵士の服装に身を包んだアルノルトが、こちらに歩み寄ってくるところだった。
命令にも似た言葉に私は返事をせず、むしろ恨めしげに黒の瞳を見上げる。すると私の瞳に浮かんだ不満や反感を感じ取ったのか、僅かにアルノルトの眉がつり上がった。
何も、逆らうつもりはない。私がここに残ればいらぬ苦労をかけてしまうとわかっている。しかしそれでも、出来ることなら自分も戦地のすぐ側に身を置き力になりたいと思うのは、至極当然なことではないか。
「……そこで調合を続けていれば良いんでしょうか」
「あぁ。少ししたら王都――カスペルさんから指示が来るはずだ。それまで頼む」
カスペルさんからの指示。その言葉に、はっと我に返る。
指示の内容によっては、私はアネアから更に王都に避難する可能性がある。アルノルトの過去の言葉を思い起こすに、カスペルさんは元々私をプラトノヴェナ支部に送ること自体反対していたようだった。
「……分かりました」
大人しく頷く。するとアルノルトは組んでいた腕を解いて、頷くように軽く顎を引いた。
最後に一度、私を一瞥してアルノルトはその場から踵を返す。
「……気をつけてください。体を、大事にしてください」
離れていく背中に別れを惜しむ言葉をかけようと思ったのに、なんとか絞り出せた言葉たちはとても幼稚で、発した声も小さく微かに震えていた。
きっと私の言葉はアルノルトに届かなかったはずだ――そう思った刹那、雪を踏みしめる足音が止まった。
「死ねないからな、俺は」
そして振り返ることなく、続けた。
「エルヴィーラのために」
***
乗り込んだ馬車の中。すっかり塞ぎ込んでしまったエミリアーナさんに、街を出る前に調合していた回復薬を差し出す。回復薬といっても体を温める効力のある薬草を煎じたもので、温かなお茶とそう変わらない。多少苦味があるが、健康にいいと小さな子供もよく飲んでいる。
「エミリアーナさん、これどうぞ。体が温まりますよ」
「あ、すみません……」
受け取ると、気を紛らわせたかったのか彼女は容器をぐいっとあおった。
私も自分用に用意していた回復薬を、数口に分けて飲み干した。即効性のあるものなので、体に入るなりじんわりと温もりが指先まで広がっていく。
「あの、ラウラ様」
決意が秘められたような硬い声に、思わず背筋が伸びた。
一体何を告げられるのか。まさか戻るなどと言いださないか――などと考えながら、身を固くしてエミリアーナさんの次の言葉を待っていると、
「わたしを弟子にしてくださいませんか!?」
「……えっ?」
鼓膜を揺らした言葉は、予想もしていなかったもので。
私が即座に反応を返せずにいると、エミリアーナさんはその態度を無言の否定だと勘違いしたのか、縋り付くように身を寄せてきた。そして言葉を続ける。
「わたしも何か、力になりたいんです。でも、わたしには魔力も力もなく……」
言葉尻を濁し、俯くエミリアーナさん。
ふわりと顔にかかった金髪の隙間から、揺れる青の瞳と噛み締められた可愛らしい下唇が覗ける。
「調合には多くの知識と、確かな技術が必要だと知っています。わたしが数日勉強したところでまともな回復薬は作れそうにないことも……でも、指示された薬草を摘んでくるとか、お掃除とか、そういった雑用ならきっとお役に立てます!」
そう必死で言い募る彼女に、かつての自分を見た。
負けヒロインという未来から逃げ出すべく、村はずれのオババ――お師匠に弟子入りしたあの日を思い出す。気づけばあれから6年以上経った。まだ、と言うべきか、もう、と言うべきかは分からない。昨日のことのようであり、遠い昔のことのようでもあった。
――などと感傷に浸っている場合ではない。今目の前で、私に向かって頭を下げているエミリアーナさんをどうにかしなくては。
弟子にしてください、なんて。正直考えられない、考えたこともない話だった。
「い、いや、あの、エミリアーナさん」
「好きなだけこき使ってください! お願いします! ……わたしは待っていることしか、できないから」
ぽろりと一粒、その眦から涙がこぼれ落ちた。一度こぼれてしまうとそれに続くようにして、ぽろりぽろりとエミリアーナさんの頬を涙が伝った。
可愛らしい少女の涙に、私はなんと声をかければいいかと動揺してしまう。しかし当の本人は己の涙のことなど気にも留めず、今までにない強い光をたたえた瞳で私を真正面から見つめてきた。
お願いします。
そう唇が動く。声は震えてしまうのを必死に堪えようとしているのか、引きつったような、苦しそうな声だった。
数瞬見つめ合う。根負けしたのは――私だった。
「分かりました。でも弟子としてではなくて……未熟な私の、お手伝いをお願いできますか? よろしくお願いします」
ゆるく微笑んで、右手を差し出す。するとエミリアーナさんの顔にぱぁ、と笑顔が広がった。
右手を握られる。そして「よろしくお願いします、師匠!」と満面の笑みでエミリアーナさんは頷いた。だから弟子じゃなくて、と口を挟んだものの、その言葉はエミリアーナさんの耳には届かなかったようだ。
――王属調合師助手、14歳。なにやら弟子が出来ました。