31:イベントフラグ
「今日、仕事帰りに図書館に寄ろうと思うので、ちょっと遅くなるかもしれません」
翌日。
思い立ったらすぐ行動とばかりに、私はエミリアーナさん達に朝食の場でそう告げた。隣に腰掛けているアルノルトは僅かに眉をあげただけで、何も言わない。
「ご案内しましょうか?」
「あぁ、いえ、大丈夫です。地図をお借りしていくので」
エミリアーナさんのありがたい提案に首を振る。
地図を借りずとも図書館の場所は覚えているし、調べ物にどれだけ時間がかかるかも分からない。それに今回の調べ物は完全に私事であり、プラトノヴェナとはまったく関係ない。手間をかけるのは躊躇われた。
「でも……」
「調べ物ならば、エミリアーナに任せるといい。彼女はこの街の図書館の本をほとんど読んでいるから、きっと役に立つはずだ」
どこからともなく声が飛んできた。慌てて声のした方へ目線を向けると、そこには包容力を感じさせる温かな笑みを浮かべたアレクさんが立っていた。
「エミリアーナは私が一冊読み終わる前に、二冊読み終えてしまう。それも記憶力も素晴らしく、一度読んだ本の内容は大抵覚えている。エミリアーナの頭の中にはたくさんの知識と……彼女の好きなお伽話が詰まっていて、私にもよく聞かせてくれるんだ。退屈しない」
嫁――正確には婚約者――自慢に花が咲く。この2人は作中でも仲睦まじい様子が窺い知れたが、こんなにもあからさまだっただろうか。
独り身の寂しい私はそんなことを思いつつ、話の内容には素直に感心した。それと同時に昨日、アルノルトが彼女に調べ物を頼んだ理由を知る。確かに図書館が開いている時間帯は手が空いていないから、という理由も含まれているだろうが、ほとんどの本を読んでいる彼女ならば、素早く正確に情報の抜き出しを行えるだろう。
エミリアーナさんの様子を盗み見れば、嬉しそうに口元を緩ませている。
「お役に立ちますっ」
婚約者の言葉に、力強く頷くアレクさん。
この町の図書館の本をほとんど読んでいると聞いて、正直そのお力を借りたいと思ってしまった。王城の図書館であればまだどこにどのような本があるのかなんとなく分かるが、プラトノヴェナの図書館はそうもいかない。彼女が付いてきてくれれば、調べ物も捗るだろう。
誇らしげに気持ち胸を張って、頬を紅潮させるエミリアーナさんに尋ねた。
「でも、ご迷惑じゃありません?」
「そんなことないですっ、大歓迎ですっ」
彼女はにぱっと溌剌な笑みで答える。いつの間に移動していたのやら、その後ろでアレクさんもなぜか得意げに笑みを深めていた。
仲睦まじいようで何よりです。
ここは大人しくその言葉に甘えようと私は頭を下げる。その際、視界の隅にちらりと見えたアルノルトはこちらの様子なぞ気にせず、平常運転の無表情、そして無反応だった。
***
夕方。
今日も下っ端ながら一番に上がらせてもらった私は、プラトノヴェナ支部の前でエミリアーナさんと待ち合わせた。そして図書館へと向かう道すがらに「どんなご本をお探しなんですか?」と問いかけられたため、軽く苦笑して口を開く。
「この地方に伝わる伝承を調べたくて」
予想通りと言うべきか、私の答えにエミリアーナさんはぽかん、と可愛らしい口を薄く開いた。しかし昨日アルノルトに頼まれた本の内容を思い出したのか、あぁ、と何かを心得たように頷く。
「伝承の中でも、例えば、飲めばたちまち病気が治る湧き水、とか……そういう、並外れた回復効力が見込めるものがないか各地で調べてるんです」
例として適当に口にした言葉に、エミリアーナさんは束の間考え込むように眉根を寄せて――その後、なぜかぱあっと表情を明るくさせた。そして、
「あの、プラトノヴェナ地方ではなく、私の故郷に伝わる伝承なんですが……精霊の飲み水というものがあって――」
「それって、フラリアの街ですか!?」
思いもよらぬ伝承との再会に、思わず大きな声を上げてしまう。すると当然と言うべきか、目の前のエミリアーナさんは驚きにきゅっと体を縮こませた。
自分より年上――肉体年齢では――でありながら、まるで小動物のようなエミリアーナさんの反応にあ、かわいい、なんて呑気に思う。しかしすぐに我に返り、声のボリュームを落として改めて尋ねた。
「す、すみません。その伝承、聞いたことがあって……。エミリアーナさんのご出身って、フラリアの街なんですか?」
「はい、そうなんです」
「その伝承って、どれだけの信ぴょう性がありますか? 以前から気になっていて……」
「……ごめんなさい、確かな情報かは分かりません。でも、知り合いのおじいさんから、自分は幼い頃重い病を患っていたがその湧き水のおかげで完治して、かつ長生き出来てるんだっていつも聞かせられてました」
――なんてことだ。都合が良すぎる。いや、これも全て仕組まれた道、メタ的な表現をすればイベントのフラグなのかもしれない。
アルノルトがこの街を訪れ、エミリアーナさんと出会い、精霊の飲み水の情報を手に入れる。そして精霊の飲み水によって、エルヴィーラは病から救われる。そのように物語の道筋がたてられていると考えられなくもない。だって、あまりに都合が良すぎる。
ここまできたら、このご都合主義展開にもうひとつ乗っけられないだろうか、と私は恐る恐る口を開いた。
「……そのおじいさんを紹介していただくことって出来ますか?」
私のお願いに、目の前の彼女は間を置かずに大きく頷いた。
「ええ、もちろん!」
――もしかすると、フラグをたてることに成功したかもしれない。それも、とても重大なイベントの。
私は興奮からか、すっかり寒さを忘れていた。それどころか、頬なんて熱いくらいだ。
思わずエミリアーナさんの手を取る。そして驚きに目を丸くする彼女に、「ありがとうございます!」と大きく頭を下げた。
エルヴィーラの病を治せると決まったわけではない。むしろようやくスタート地点に立てたようなものだ。
しかし――僅かながら、確かな道が拓けた。
アルノルトが言っていた魔獣の件も引き続き調べなくてはならない。これからきっと忙しくなる、と私は頬を叩いて気合を入れた。
***
その夜、帰宅してきたアルノルトに、私は「お疲れ様です」の言葉もなしに報告した。
「アルノルトさん! ちょっといい情報が手に入りました!」
僅かにアルノルトの目が丸くなる。
きっと今の私は頬が紅潮しているし、興奮から目も見開き気味かもしれない。明らかにいつもと様子の違う私に、彼は驚いているようだ。
夕方、あれから予定通り図書館に行き、エミリアーナさんの案内を聞きながらいくらか文献を漁ってみた。残念なことに魔獣の角については、特に目新しい情報は得られなかった。
――しかし今の私は、とっておきの情報を持っている。
「エミリアーナさんの故郷に、難病を治すと伝えられている湧き水があるそうです。それも、その水を飲んで実際に患っていた病が完治したご老人もいるとか」
私の報告にアルノルトの表情が変わった。
早口で私は言葉を続ける。
「場所はフラリアの街。シュヴァリアからそう遠くありませんから、帰ったら早速行ってみます」
数秒の、沈黙。
じわりじわりと私の情報を飲み込んだのか、僅かに見開かれていた黒の瞳に、徐々に強い光が差しこむ。その瞳は、遠くに僅かに灯る小さな希望を睨みつけるようにして、前を見据えていた。