表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/178

30:新たな伝承




 突然、目がくらむような眩しさを感じた。

 それから逃れるようにううん、と寝返りを打って、




「ラウラ様、気持ちの良い朝ですよー!」




 まだ聞き馴染みのない可愛らしい声に、今自分は出張先にいるのだという事実を思い出した。

 だんだんと覚醒する意識。それでも未だ寝ぼけ眼の私に、エミリアーナさんはにっこりと眩しいくらいの笑顔を向けて来た。




「おはようございますっ」


「お、おはようございます……」




 エミリアーナさんの笑顔は、窓越しの陽の光にも負けない眩しさだ。




「朝食の準備が出来てますから、支度が整ったらいらしてくださいね」




 そう言葉を残すと彼女は部屋から出て行った。

 ふわぁ、とひとつ大きな欠伸をして、このままベッドに腰掛けていては二度寝しかねないと慌てて体を起こした。そして一度ぐっと背伸びをしてから部屋の中を見渡す。

 あの後、エミリアーナさんに案内されたのは“私”の記憶通り、この地方を治める貴族の豪邸だった。であるからして、エミリアーナさんはこの家の若奥様に当たるのかと思いきや、若き当主の婚約者として身を置いているらしい。

 1人では有り余る大きさの豪勢な客室に私とアルノルトは案内された。なぜこんな歓迎を、と戸惑う私にエミリアーナさんは「私たちがお願いして呼んでいただいたので」と微笑んだ。


 身支度を終え、廊下に出る。するとちょうど向かいの部屋の扉も開き、そこからアルノルトが出てきた。

 ぴったりなタイミングに驚きつつも、挨拶はしっかりと交わす。




「おはようございます、アルノルトさん」


「眠れたか?」


「はい、ぐっすり」




 その言葉に嘘はない。ベッドが大きい上にふかふかで、正直慣れ親しんでいる王城の寮部屋ベッドより心地よい眠りにつけた。




「今日からしばらく調合三昧だからな。睡眠はしっかりとっておけ」




 わざと不安を膨らませるような物言いに、私は苦笑する。

 どちらからともなく、2人並んで廊下を歩き出した。この街を治める貴族のお屋敷とあって、隅の隅まで清掃が行き届いている。足元のワインレッドのカーペットも、派手すぎずとても上品だ。

 そこに見える花瓶一つを取ってもどれだけ高価なものなのだろう、寮部屋に置いている花瓶とはまさしく桁が違う、などと考えて、それも当たり前だと苦笑した。

 この街、そしてプラトノヴェナ地方は国内でも特に広大である。ここで言う国というのは、シュヴァリアを王都とする国・オストリアのことだ。

 今更ながらこの世界を構成する国々を説明しておくと、西と東にそれぞれ大国が位置している。この2カ国で世界の半分以上を占めると言われるほどの大きさであり、東に広がる大国が私の暮らす国・オストリアだ。

 そして現在駐在しているこの街も、オストリア国に属している。それなりに長い旅をしたが、国境は越えていない。もっとも王都は比較的南に位置しており、今回は国土の最北に近い街を訪れているため、相当の距離を旅していることは確かなのだが。

 つまり何が言いたいのかというと、大国の中の、それも特に広い領地を治めている貴族となれば、どれだけの金と権力を持っているのかは想像に容易い。張り合おうという気すらおきない、正真正銘の権力者だ。


 くだらない考えを巡らせているうちに、目的地のすぐ目の前までやってきていた。アルノルトとの間に会話は一切なかったが、彼との沈黙は最早気にならない。

 目前の大きな両開きの扉を開けた。すると扉の先は縦に細長いダイニングルームが広がっており、既に先客が2人椅子に腰掛けていた。傍らには幾人か使用人が控えている。

 椅子に腰掛けている人影の1つは、エミリアーナさん。そしてその隣には、白銀の髪を持った男性。




「おはようございます、アレクさん」


「おはよう。アルノルトさん、ラウラさん、今日からよろしく頼む」




 薄く淡い水色の瞳が細められた。

 彼こそがこの屋敷の主人であり、若き領主でもあるアレク・プラトノヴェナだ。氷や冷たさを連想させるような色合いと、恐ろしいほど整っている顔立ちというその容姿から、一見すると冷たい人物のように見えてしまうが、その顔に浮かんだ笑顔は穏やかで。

 年齢は30にも満たないだろう。領主としてはとても若い。彼について作中でそう触れられる機会はなかったが、確か前領主である父が早いうちに亡くなってしまい、異例の早期就任となった、というようなことを街のNPCから聞いた覚えがある。




「アルノルト様、ラウラ様、こちらへどうぞっ」




 元気よく私たちを席まで案内してくれるエミリアーナさんを見つめるアレクさんの瞳は、優しく包容力にあふれている。彼女のことを愛しているのだろう、とその視線ひとつで分かるようだった。

 この2人の間に漂う、あからさまではないが確かな愛が印象に残っていたのだ。

 数年後、いいや、きっともうすぐ。あなた方は素敵な夫婦になりますよ。

 近い未来に想いを馳せながら、豪勢な朝食を頂くことにした。




 ***




 プラトノヴェナ支部は、あけすけに言えば漂う雰囲気がとても重かった。

 朝、アルノルトと共に雪に埋もれそうな真っ白な建物を訪れた。泊まっているお屋敷からそう離れていない場所にその建物は、“私”の記憶の中の民家を潰すような形で建っていた。

 どうやらここがプラトノヴェナ支部らしい。扉をくぐった私たちを出迎えてくれたのはヴィルマさんともう1人、男性の調合師だけ。他の調合師は奥の部屋に籠って朝から調合を行なっているのかと思いきや、




「プラトノヴェナ支部にはまだ私と彼しか調合師がいないんだ。見てくれだけは立派なんだけれどね」




 ヴィルマさんは笑顔に色濃い疲労を滲ませて、そう言った。

 私は思わずアルノルトを見上げる。しかし彼は眉ひとつ動かさず、正面を見つめていた。

 今の話を聞いて驚いていないのか。それとも元々話を聞いていたのか。

 広い地方、広い街に調合師が2人だけ。そんな環境では回復薬の調合が間に合わないのも頷ける。むしろ今の今まで2人でこなしてきたことに驚いた。


 時間が惜しいと、早速作業に取り掛かる。

 手にした薬草は王都のものより乾燥しており、更には葉先の痛みも多く見られた。一年中雪が降るこの地方では薬草も思うように育たないのだろう。どこか別の地域から運ばれてきたにしても、摘み取ってから時間が経過すればするほど薬草は傷んでいく。

 調合師2人に、薬草が満足に育たない地。

 分かっていたつもりではあったが、自分は恵まれた環境で好きなようにやれているのだと改めて実感した。才能を認めてくれる上司、先輩方に恵まれ、優しい同期に恵まれ――しかしこの状況が永遠に続くはずもない。

 どこに行っても、どんな環境下におかれたとしても、ヴィルマさん達のように気丈に逞しく職務を全うしなければ。

 作って、作って、作って。少し休んで、室内薬草園に摘みに行って、また作って。ご飯を食べて、作って。

 少ない薬草を無駄にしないように確実に、丁寧に作業を進めていった。そのせいか、そこまで高度な技術を必要とはされなかったものの、着実に疲れは溜まっていっていた。




「――お前はもう帰れ」




 アルノルトにそう声をかけられて、私はパッと顔を上げる。壁にかけられた時計を見やれば、もう王都での研修の終業時間はとうに過ぎていた。

 いつの間に。

 時間の経過を自覚した途端、どっと疲れが出たのか肩が重くなった。正直休みたい気持ちがじわじわと湧いてきたが、アルノルトはもちろん、ヴィルマさん達もまだまだ帰宅する様子はない。そんな中で1人だけ、一番下っ端が帰るというのは躊躇われた。




「え、でも……」


「帰って休んでろ」




 有無を言わさない口調と表情だった。残るとでも言えば怒られそうだ。

 私はそそくさと帰り支度を始める。とは言ってもほぼほぼ手ぶらだ。すぐに支度は終わってしまい、おずおずと調合台の前を離れた。




「お先に失礼します」




 調合室を出る前にそう声をかける。するとまだ調合を続けている先輩方はそれぞれ頷いて、笑顔で――アルノルト除く――見送ってくれた。

 見てくれだけは立派な建物を出ると、びゅう、と冷たい風が頬を叩きつけてくる。思わず肩をすくめながら進行方向を見やれば、そこには――なんとエミリアーナさんが立っていた。両手に大きなバックを下げており、随分と大荷物だ。




「ラウラ様っ」


「どっ、どうしたんですか」


「お迎えに参りました」




 えっ、とこぼれた私の声に、彼女は照れたように笑う。




「なんて、偶然通りかかっただけなんですけど……えへへ」




 その笑顔は年上の女性とは思えないほど、とても愛らしかった。

 どうやら、エミリアーナさんも用事があって外出していたらしい。両手の大荷物はその予定に関するものだろう。もしかすると、今晩の食事の準備――とまで考えて、それは使用人がやる仕事だろうと思い直した。私と彼女の生活のスケールは全く違うのだ。

 ふと、エミリアーナさんが私の背後を覗き見るように背伸びして、それから首を傾げる。




「アルノルト様はご一緒ではないんですか?」


「もう少し仕事するそうです。私は先に帰れと」




 ははは、と苦笑すれば、エミリアーナさんは「無理はなさらないでくださいね」と眉根を寄せた。

 それきり、会話が途切れる。しかしそれは私にとっては好都合で、ここぞとばかりに先程から気になっていた話題を切り出した。




「随分な荷物ですね? 持ちますよ」


「い、いえ! お客様にそんなこと……!」


「気にしないでください、ほぼ手ぶらですから」




 ほら、と両手を振ってみせる。それでも目の前の彼女は躊躇いを見せたが、やはり重かったのだろう。申し訳なさそうな表情はそのまま、私に右の腕にかけていた大きな荷物を「よろしくお願いします」と預けてきた。

 渡された際に、見るつもりはなかったのだが荷物の中身が見えてしまった。そこには沢山の本が綺麗に入っていて、なるほど重いわけだと腕にかかる重みに納得した。




「本、読まれるんですか?」


「あ、いえ、アルノルト様から頼まれたもので……」




 エミリアーナさんの答えに、私は目を丸くする。

 それと同時に、思い出す。彼がこの街を訪れた、もう一つの理由を。もしかすると彼の確かめたいこと、はこれらの本に関係しているのかもしれない。

 それにしても。




「忙しいとはいえ、女性にこんな重いものを頼むなんて」




 日中は仕事で忙しく、図書館に行けないとしても。一気にこれだけの本を頼めばどれだけの重さになるか、想像できないわけでもあるまいに。

 私がこぼした言葉に、エミリアーナさんは苦笑した。客人からもう1人の客人の悪口を言われても、反応に困るだけだろう。

 もう少し考えて発言するべきだった、と後悔しつつ、気まずさと手持ち無沙汰感を紛らわすために、半ば無意識のうちに手元の荷物を眺めてしまった。そのとき、一冊の本の背表紙に書いてあった文字が目に飛び込んできた。




「プラトノヴェナ地方に伝わる伝承……?」




 伝承。その単語に、私は足を止める。そして慌てて他の本の背表紙も確認した。

 それらはほとんどがこの地方に関する文献だった。歴史であったり、地形であったり、この地方の学者が残した研究資料であったり。その中に伝説、伝承という単語がいくつか確認できた。あと一つ、分厚い魔物に関する文献。

 ――私の脳裏に、一つの可能性が浮かんだ。

 足を止めた私を不審に思ったエミリアーナさんが様子を窺ってくる。横顔に視線を感じつつも、目線は本の背表紙から動かさずに言った。




「エミリアーナさん、これ、私からアルノルトさんに渡しておきます」




 ***




 その日の夜、すっかり日が沈みきった頃、ようやくアルノルトは屋敷に帰ってきた。




「お疲れ様です。これ、アルノルトさんがエミリアーナさんに頼まれていた本です」




 頼んでいたエミリアーナさんからではなく、私から渡されたことに驚いたのか、僅かに目を丸くしてアルノルトはそれを受けとった。

 受け取った荷物の中身をアルノルトは覗き込む。袋の中に並べて入れられている文献のラインナップに満足したのか、軽く頷いた。

 彼の黒の瞳が、私をうつす。恐らくは荷物を預かっていたことに対する礼を言われるのだろうと思い、それより先に口を開いた。




「エルヴィーラちゃんの件、ですか」




 私の問いかけに、その動きが止まる。しかし構わず言葉を続けた。




「お師匠に言われました。現時点では、伝説や伝承に頼らなければ自壊病を治す手立てはないと」




 観念したようにアルノルトはひとつ息をつくと、荷物の中から一冊の本を取り出した。そしてあるページを私に向かって開く。

 そこに描かれていたのは、獣型の魔物。巨大な角、鋭い爪に赤の目。筋肉が発達しすぎたのか不自然なほど体のラインが凸凹している。体を覆う毛はおどろおどろしい深い紫で、一目見るだけでその異様さを感じ取った。

 メタ的な表現をするならば、ダンジョンのボスのような風貌をしている。




「この地に生息するこの魔物の角を煎じて飲めば、どんな難病でも治るらしい」




 そう説明しながら、アルノルトは難しい顔をして腕を組んだ。

 なるほどそれがアルノルトがこの街に来て確かめたいことだったのかと納得するのと同時に、その魔物の挿絵を“私”は疑惑の眼差しで見つめていた。

 こんな魔物、“私”は知らない。




「この魔物は滅多に人前に姿を現さないらしいが、過去に複数の目撃証言がある。確かにこの地に生息している。……もっとも、この魔物の角にそんな効力があるかは事実か分からないがな」




 “私”の記憶は置いておくとして、ともかくこの魔物の存在はそれなりに確証があるらしい。

 しかし、仮に存在していたとして、見るからに強そうな魔物だ。この魔物の角を手に入れることは即ち討伐しなければならないだろう。いくらアルノルトが天才的な魔術の才能を持っていたとしても、1人ではとても戦えないのではないか。

 脳裏に先ほどの魔物を思い浮かべ、視線を伏せて考える。目の前のアルノルトの存在をすっかり忘れて1人思考の海に沈んだ。

 ――そのせいで、次の瞬間鼓膜を揺らした言葉にすぐ反応できなかった。




「滑稽だろ」


「……えっ?」


「こんな不確かなものに縋る俺は」




 ふっ、とアルノルトの口元に笑みが浮かぶ。その笑みは自分を嘲笑うようなものだった。

 私は弱音にも似た言葉をこぼしたアルノルトに驚きつつも、慌てて首を振った。その反応は気を使う先輩を前にして半ば反射的に出たものだったが、いや、だからこそ本心が飛び出た。

 彼は難病を患う妹のために、自分の将来、果ては人生を捧げようとしている。




「そんな! とても……とても素晴らしい、お兄さんだと思います……本当に」




 滑稽だと自分を笑ったアルノルトの顔には、影が差していて。その瞳は不安がる小さな子供のように、揺れていた。

 滑稽なんかじゃない。とんでもない。あなたはエルヴィーラにとって、きっと最良の兄だ。

 ぐるぐると渦巻く言葉をうまく紡ぐことができず、ただただ首を大きく振るばかりだった。

 そんな私に、アルノルトは再びふっと笑う。いや、笑うというより、ほっと息をついたようだった。

 普段より何倍も柔らかい――正確には、弱々しい――反応に、肩から力が抜ける。いつの間にか体が強張っていたらしい。それによっていくらか余裕を取り戻し、再び口を開いた。口調も落ち着きを取り戻していた。




「私、剣も魔術もさっぱりですけど……何か手伝えることがあったら言ってください。……私の才能を頼りにしてくれてるんでしょう?」




 沈んだ空気を少しでも浮上させるべく、僅かに冗談めかした口調で言う。するとアルノルトは目を丸くして私を見、それから組んでいた腕を解いた。

 解かれた腕が、宙を彷徨う。そしてその手のひらは何かを掴むように、空中で数度軽く握り込まれて――躊躇いがちに、私の肩に置かれた。




「ゆっくり休め」




 はい。

 小さく笑みを浮かべて、頷く。

 きっとアルノルトはあれらの文献を夜遅くまで読み込むのだろう。

 私も明日、仕事終わりに図書館に行こう。また“私”の記憶に引っかかる何か、が見つかるかもしれない。

 そう心に決めた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ