03:手に職目指してオババに弟子入り
目の前に立つ、寂れた山小屋。ここは村を出て少し歩いたところにある、“オババ”の家である。
はてさて、私がなぜここにやってきたかと言うと、始まりは数日前に遡る。
この村を早く出るためにも、私は手に職を探していた。しかし村を出て学校に通えるほど、私の家は裕福ではない。であるから、村で学べる“何か”を探していた。
エメの村にある店は、防具屋・武器屋・道具屋の3つ。なぜこの小さな村に道具屋はともかく、武器屋・防具屋があるのだろうかと幼心に疑問に思っていたが、勇者が旅立つときのためだったのだと今では分かる。大人の都合です。
これらの店に弟子入りしたところで、物の売り方を知れるだけだ。いや、商品の見分け方も学べるか。しかしながら王都には当然ここよりも質のいい道具屋たちがいるであろうし、この村の僅かな知識だけでは太刀打ちできそうにない。
他に何か――と必死に前世の記憶を掘り起こしていたとき、“思い出した”のだ。村のはずれに、調合師のオババが住んでいたはずだ、と。
この世界には回復薬というアイテムが存在する。名前の通り、傷ついた戦士が使用し、傷を癒す薬だ。
回復薬は液体であり、その液体は薬草を煎じたものだ。薬草にも様々な種類があり、それらを混ぜ合わせることで回復薬もまた、様々な効力を発揮する。
「ラストブレイブ」では回復薬は基本的に道具屋で買うものだったが、中盤以降は収集アイテム「薬草」を自分で好きに調合できた。
そう、回復薬は薬草を調合して作られる。それすなわち――この世界には調合師という職業が存在しているのだ。
この寂れた山小屋に住む“オババ”はかつて名の知れた、王城で働く調合師であったという。隠居後は質の良い様々な薬草が群生しているこの村に引っ越し、趣味で調合を行なっているという根っからの“調合好き”である。
先程「ラストブレイブ」の中盤以降、自分で薬草を調合できるようになると説明したが、正確には“オババ”に調合してもらわなければいけなかった。
中盤にあるイベントで“オババ”の存在が紹介される。その後一度エメの村はずれの“オババ”の家を訪ねると、魔法釜というゲームのご都合主義を詰め込んだようなアイテムを渡されたのだ。
この釜に材料を詰めると、それが魔法によって“オババ”の家の魔法釜に転送される。それを“オババ”が調合し、回復薬を家の魔法釜に入れてくれれば――主人公の元に届くという設定だった。一体どういう原理かは詳しく説明されておらず――早い話が、いちいちエメの村はずれまでプレイヤーが戻ってこなくてはいけない手間を省こうと、製作者側が用意したご都合主義設定だった。
この釜をもらいにエメの村に戻ったときは、まだ辛うじてラウラがヒロインではないかと思っていた。しかし――後は以前説明した通り。
“オババ”イベント後、故郷・エメの村を訪れるイベントは皆無だったため、“私”のように隅々までやり込まず、ストーリーを追うのに一所懸命なプレイヤーの記憶からは徐々にラウラの存在は消えていく。キャラクターの話題にも全く出てこない。つくづく私は悲しい存在だ。
――話が長くなったが、話の流れからしてもうお気づきだろう。そう、私は調合師の“オババ”に弟子入りするつもりだ。そして調合師になる。
回復薬は魔物がいるこの世界において、欠かせないものだ。それに将来、魔王の復活によりその需要は膨れ上がる。まさに手に職。理想を言えば王都の王城務め調合師が好ましいが、とにかくこの村を出られれば良いのだ。
問題としては魔王亡き後、クリア後の世界に魔物がいるのかどうか、という点だ。「ラストブレイブ」はED後、最後のセーブポイントまで戻されてしまう。であるから、魔王が滅んだ後に魔物も世界から滅んだのかどうか分からないでいた。
しかし回復薬は何も傷を治すだけのものではない。現代でいう風邪薬に近い効力を持つ回復薬も存在しているし、完全にお役御免となる訳でもないだろう。
そう踏んで、私は“オババ”に弟子入りすべく、ここまでやってきた。
「ラウラ、気をつけてね」
――ルカーシュと共に。
オババの家は村を出て、森を少し歩いたところにある。そんな場所に行くと言えば、ルカーシュが付いてくると言うのは簡単に想像ができた。だから適当に誤魔化して家を出ようとしたのだが、ルカーシュは誤魔化されてくれなかったのだ。
先日ラドミラの家にお邪魔して、ラドミラはもちろんペトラ、ユーリアとお喋りを楽しむ中で、私とルカーシュは早くもセットで認識されているのだと知った。その後も何度か彼女らと遊び――もちろんルカーシュ抜きで――順調に距離を縮めているのだが、その中で先日、とうとうハッキリと言われた言葉が今も胸に突き刺さっている。
『ラウラって、いつもルカーシュといっしょにいたから、わたしたちと仲良くしたくないのかなって思ってた』
『私もそう思ってた。ルカーシュとラウラの間になんて入れないし』
『うんうん。だからこうして仲良くなれて、うれしいなぁ』
仲良くなれたからこそ打ち明けてくれた言葉だと喜んだものの、やはり心中は複雑で。この調子でどんどんみんなと仲良くなろう、と固く誓ったのだ。
一方でルカーシュも、私が女の子達と遊んでいるときは、村の男の子達と遊んでいるらしかった。左目に現れた紋様を男の子達は「かっけー!」と気に入ったらしく、声をかけられたとのことだ。そこから交友が始まったらしい。過去揶揄されたこともあったが、今ではそれなりに友好な関係を築けているのだとか。
私もルカーシュも、思ったより順調に交友関係を広げている。それでもまだ、私とルカーシュは“特別”仲が良い2人だった。
「ルカーシュ、送ってくれてありがとう。帰りは1人で帰れるから、先帰ってていいよ?」
「お昼より夕方の方があぶないよ。ラウラのじゃまはしないから、まってる」
「でも……」
「まってる」
にっこりと微笑み、迷いのない口調で告げてくるルカーシュ。
精神年齢的に、“私”は現在、ルカーシュを可愛い弟のような存在に思っている。この調子でいけば恐らく未来の勇者様に恋をすることはないのではないかと思うのだが、どんなトラップ――もとい、ルカーシュとのイベント――が待ち受けているかは分からない。だからなるべく行動を共にしたくないと思っているのだが。
(小さな男の子を邪険に扱うみたいで、罪悪感が湧いてくるんだよね……)
“私”を思い出してしまったが故の感情。こればっかりは勝手に湧き上がってくるもので、私の意思でどうこうできるものでもない。しかしルカーシュのことで頭を悩ませるのも、あと数年の話だ。
私は靄のかかった感情を振り払うように数度頭を振り、目の前の寂れた木製の扉を叩いた。
「ごっ、ごめんください!」
扉の向こうで、人が動く気配がした。ガサリガサリと布が擦れ合う音がやけに響く。不在の心配をしていたが、それは杞憂で終わりそうだ。
ギィ、と音を立てて扉が開く。自然と背筋が伸び、手はスカートを握りしめていた。
開いた扉の隙間から、ぬっとローブを被った頭が出てきた。上げかけた悲鳴を飲み込んで、“オババ”の顔を見ようと背伸びをする。ゲーム内のグラフィックでも常にローブを被っていたため、目元が認識できなかったのだ。
「おお、エメの村のお嬢さんが何の用じゃ?」
思いのほか柔らかい声が落ちてきた。そのことにほっと強張っていた体が緩む。この安堵感が薄れないうちに、と勢いづけて口を開いた。
「私を弟子にしてください!」
大きく見開かれた赤の瞳が、ローブからのぞいた。とても綺麗な、宝石のような赤だった。
***
「適当に座ってくれて構わんよ」
突然の押しかけにも関わらず、オババは家に私をあげてくれた。外から見ると寂れた山小屋だったが、中は存外しっかりした作りだ。しかし部屋は草花――様々な薬草――で溢れかえり、台所やベッドなど生活においての必需品は、隅へと追いやられていた。隠居後にいい薬草がとれるからと不便なこの村を住居に選んだことからも分かるように、やはりオババは調合バカだ。
もっとも、そんなこと「ラストブレイブ」をプレイする中で分かっていたことだが。
「わしの弟子になりたいということは、調合師になりたいんじゃな?」
「はい! おばあさんは、昔有名な調合師だったんですよね? 教えてください!」
調合師に憧れを抱く無邪気な子供を、表情と声音で演出する。中々に恥ずかしいものがあるが、照れたら負けだ。そもそも私は前世の記憶を持っているだけで、実年齢は8歳の少女なのだから、なんら恥ずかしがることはない。
「お金は……あんまりありませんけど、薬草摘みを手伝ったり、お家をお掃除したり、そういうことなら出来ます!」
しっかりと対価も提示する。もっとも対価と呼ぶにはあまりにお粗末なものだが。
断られること前提で今日は訪ねてきた。しかし諦めるつもりは毛頭ない。最後は泣き落としという汚い手を使ってでも、弟子入りする心算でいた。
調合師になる。現在思いつく限りでは、それが最良の道だ。
「お嬢さん、ひとつだけ聞かせておくれ」
オババは被っていたローブを脱いだ。すると白髪の、想像以上に人の良さそうなおばあさんの顔が現れる。重々しいローブの下に、こんな顔があったなんて。
赤の瞳で私の姿を捉え、にっこりと笑うオババ。しかしその瞳からは強い意思が感じられた。
「お嬢さんはなぜ、調合師になりたいんじゃ?」
予想外の質問だった。そんなことを聞いてどうするというのか。しかし聞かれた以上は、答えなければならない。
あけすけに言えば、この村を出ても衣食住に困らない職が欲しい。その点において調合師は適していると思えた。だから調合師になりたい。
しかしこんなことを、馬鹿正直に言ってしまっていいものだろうか。だからといって私は、世界中の人の役に立ちたいんです、という壮大な台詞を吐けるほどの人物でもない。
答えあぐね、逡巡したのちに、
「私、将来この村を出て、世界を見たいんです。その時にはやっぱり、職が必要だと思って。働くからには人の役にたつ仕事がいいな、と……」
多少の綺麗な嘘に包みながらも、できるだけ正直に話した。するとにんまりとオババの口角が上がる。
「正直なお嬢さんじゃのう。じゃが……そうじゃな、調合師であれば世界のどこにいっても、食いっぱぐれることはないじゃろう」
食いっぱぐれることはない。その言葉に、自分の考えを肯定されたように思い、嬉しくなる。
やはり調合師を選んだのは正しかった。そしてそれ以上に、村の近くにこのオババが住んでいたことが幸運であった。さらに遡るならば、エメの村付近で良質な薬草がとれるという環境が幸いした。そうでなければ、オババはこの村に引っ越してきていないのだから。
はやる気持ちを抑え、オババの次の言葉を待つ。先ほどの言葉と表情から察するに、好印象を勝ち得たのではないかと思っているのだが――
「この老いぼれオババでよければ、師匠と呼んでくれて構わんよ。可愛い弟子ができて、ワシも嬉しいわい」
そう言ってオババは僅かに目を見開くようにして、悪戯っ子のように笑ってみせた。
師匠と呼んでくれて構わない。
可愛い弟子ができて、嬉しい。
オババの口から確かに紡がれた言葉たちを反芻する。そしてようやく、自覚に至った。
弟子入りが認められたのだ、と。
「よ、よろしくお願いします!」
立ち上がり、深々と頭を下げる。するとオババは「礼儀正しいお嬢さんじゃのう」と楽しげな笑い声をあげた。
思い描いていたよりもはるかに順調なスタートを切ることができたように思う。まさかこんな幼い娘を、何のためらいもなく弟子に迎え入れてくれるとは。
スタート地点には立てた。あとは私の努力次第。オババ――ではなく、お師匠の元で勉学に励み、私は立派な調合師になってみせる!