29:雪の降る街・プラトノヴェナ
「寒い! 寒いです!」
王属調合師“見習い”から“助手”へと昇格したあの日から、数日。
気がつけば、一面銀世界の中をアルノルトと2人、馬に揺られていた。
「もう着くから静かにしろ」
そう頭上で煩わしそうに言う。私の背中にアルノルトの胸板が当たっているが、厚いコートで遮られているため温もりは全く伝わってこない。
カスペルさんに北にある支部への出張を命じられてから、理由も何も知らされず私たちはプラトノヴェナ地方へとやって来た。命令があってからすぐに王都を発ち、馬車を乗り継ぎ、船に乗り、気がつけば目前に広がっていたのは一面の銀世界。
プラトノヴェナ地方は一年中雪が降る、RPG終盤にありがちな地方だ。かつては“私”もゲーム終盤に訪れた。景色もフィールドBGMも幻想的で、当時は特に気に入っていた地方だったのだが、今こうして訪れてみると景色なんて堪能している暇はない。寒い。とにかく寒い。肌が露出している部分は寒さのあまりちくちくと針で突かれるような痛みを感じる程だ。
「ほら、あそこだ」
アルノルトがそう言って指差した先には、確かに街が見えた。その街並みも遠くからではあるが、どこか懐かしさを覚える。
どんどん近づく街の灯を見つめながら、そういえばこの地方は若い貴族が治めていたなと思い出す。銀髪に澄んだ水色の瞳を持っていた男は、その容姿からそれなりに人気があった。一見氷のような容姿をしていた彼だったが、たしか更に若い妻がいたはず――などと思い出しているうちに、街は目前に迫っていた。
そこで、気がつく。
街の入り口にそびえ立つアーチの下に、1人の女性が立っていた。それも、こちらをじっと見つめているように見える。
女性は激しく燃える炎のような真っ赤な髪を持っていた。毛先はいくらか色が褪せたオレンジ色で、綺麗なグラデーションになっている。
腰に届くか届かないかぐらいの長い髪を揺らして、女性はこちらに向かって手を振ってきた。プラトノヴェナ支部の方が迎えに来てくださったのだろうか、と失礼ながら馬上から軽く会釈したが、
「アルノルト、相変わらず無愛想だなぁ!」
「ヴィルマさん、お久しぶりです」
どうやらアルノルトと顔見知りらしい。ヴィルマさんと呼ばれたその人は、女性でありながらとても凛々しい声をしていた。
先にアルノルトが馬を降りる。そのまま流れるようにこちらに手を差し伸べてくれたので、その手を借りて私もたどたどしく馬から降りた。するとすかさず赤い髪の女性は私に声をかけてくる。
「それで、キミが噂の特例第2号くん」
「ラ、ラウラ・アンペールです」
私の挨拶に、目を細めてヴィルマさんは笑う。その笑顔は女性的な可愛らしい笑みではなく、中性的でかっこいい、と形容できるような笑みだった。
「私の名前はヴィルマ・エイマ。ここ、プラトノヴェナ支部のメンバーさ」
少し飾ったような、気障な物言いがよく似合う。
よろしくお願いします、と挨拶を交わしたところで歩き出す。どうやら支部まで案内してくれるらしかった。
――出張を命じられた時から密かに疑問に思っていたのだが、プラトノヴェナ支部とやらはどこにあるのだろう。そもそも、「ラストブレイブ」には調合師という職業と、王城勤めの調合師という表現は何度か登場したが、王属調合師という単語は出てこなかった。
つまり、“私”の記憶の中のプラトノヴェナには、王属調合師が派遣されているプラトノヴェナ支部という建物は存在していない。
「急にすまないね、呼び出したりして」
「いえ。ここ最近、魔物とよくやり合ってるんでしょう」
「そうなんだ。それで情けない話なんだが、回復薬の調合が間に合っていなくてね……」
どうやら過去に交友があったらしい2人の会話を側で聞いて、ようやく自分がここに来た目的を悟った。
なんとなしに察してはいた。突然の出張と、それに合わせるかのような突然の昇格。何か深刻な訳があるに違いないとほぼ確信していた。それに、調合師が必要になる深刻な訳と言えばかなり絞られる。
「王都も先日魔物の襲撃を受けたんだろう? 応援を要求したものの、あまり期待はしていなかったんだが……まさか希望通り2人寄越してくれるとは、嬉しい誤算だよ」
「特例を使って無理やり人手を増やしたような状態ですが」
「特例2人組じゃないか。心強い」
特例2人組。その単語に苦笑する。
アルノルトの言葉からして、今回の応援依頼に間に合わせるために、私の昇格は突然決まったのだろう。
先日のような襲撃を受ける可能性がありえない話ではなくなった今、王都にできるだけ正規の王属調合師を置いておきたい。しかし魔物に襲撃される可能性が高い街を放っておくこともできない。それらの妥協案として、光栄にも私が選ばれた。そんなところか。
ヴィルマさんは立ち止まり、私を振り返った。そして軽く膝を曲げ、目線を合わせてくれる。
「ラウラくん、キミたちには暫くここに滞在して、回復薬の調合を手伝って欲しい。お願いできるかい?」
改めてヴィルマさんの口から依頼された。それに私は大きく頷く。
まだまだ助手がどのような立場かも詳しく把握していないが、私にできることがあれば、またこの能力を活かせるのなら、出来る限りの事をしたい。
私は背筋を伸ばし、ヴィルマさんに向かって微笑んだ。緊張からか、頬がほんの少しだけ引き攣った。
「助手になったばかりですけど……精一杯努めさせていただきます」
***
挨拶を終えた後、ヴィルマさんが宿を用意してくれていると言うので、アルノルトと2人地図を頼りに向かう。そうはいっても、この街の地図は“私”の頭の中にしっかり入っているのだが――地図が示している建物は、“私”の記憶違いがなければ、もしくはいつぞやの消えた噴水広場のようにゲームとの相違がなければ、この地方を治める貴族のお屋敷だ。宿屋は別の場所にある。
地図を片手に数歩前を行くアルノルトの顔を盗み見る。凍えるような寒さにも顔色ひとつ変えていない彼に、先程から気になっていたことを問いにしてぶつけた。
「魔物の襲撃、最近増えてるんですか?」
「……まぁ、な。襲撃といっても、街に魔物が攻め込んできたことはないそうだ。街のすぐ近くに度々魔物の群れが現れては、兵士達が退けているらしくてな」
はぁ、と白い息を吐きながらアルノルトは答えた。答えた横顔はわずかに歪んでいた。
先程から街並みに違和感を感じていたのだが、その正体がはっきりと分かった。街のあちこちに配置されている兵士の多さだ。右を見ても左を見ても、途切れることなく武装した兵士が立っている。
――これから各地で魔物による襲撃が増えていくのだろう。その未来を思うと、思わず私の口からもため息が溢れる。
そのため息に被せるようにして、アルノルトは言葉を続けた。
「魔物の群れがだんだんと規模が大きくなっているらしく、今後魔物の大群に街が襲われるのではないかという懸念があってな。それに備えるためにも、俺とお前は駆り出されたというわけだ」
「このために、私を助手に? 人手が欲しかったから、ですか?」
先ほどのアルノルトの言葉を思い出す。彼は特例を使って無理やり人手を増やした、と言っていた。
私のあけすけな問いにアルノルトは一瞬苦虫を噛み潰したような表情を見せる。しかしいくらかその険しい表情を和らげると、しっかりと頷いた。
「そうだ。王都もまたいつ魔物に襲撃されるとも分からない。そんな状況で、王属調合師2人をやすやすと応援に送り出せる訳もないが、襲撃される可能性のある街も放っておくことはできない。しかし応援が1人だけというのは心許ない……等々考えたとき、お前に白羽の矢が立った」
どうやら私の読み通りだったようだ。
最終的に決めたのは誰か分からないが、考えに考えた末の結論だったのではないかと思う。そうでなければ出発当日になってようやく本人に知らせる、なんてことにはならないだろう。
やはり魔物襲撃の恐れがある地に、14の娘を送るのは躊躇ったか。
そこまで考えて――冷静すぎる自分に驚いた。
そうだ、先程から自分の身が置かれている状況を冷静に判断しているが、この街は魔物の大規模な襲撃を受けるかもしれない地なのだ。そんな場所に何の説明もなしにいきなり飛ばされて、普通であれば不安に思ったり怒りを覚えたりするのでないか。
なぜそれらの感情が一切湧いてこないのだろう、と自分で自分を不気味に思い――答えにたどり着いた。
私は少なくとも16や17あたりまでは、絶対に自分が死ぬことはないと無意識のうちに思っていたようだ。なぜなら、ラウラ・アンペールは端役ながらも「ラストブレイブ」に登場する、勇者様の幼馴染なのだから。
――自分で「ラストブレイブ」の未来から抜け出したいと好き勝手もがいた癖に、自分に都合のいい部分は無意識のうちに「ラストブレイブ」に縋っている。
口元に浮かぶ嘲笑を誤魔化すようにゆるく目元を細めて、不自然な笑みでアルノルトに尋ねた。
「カスペルさんが決められたんですか?」
「違う。むしろあの人は上の判断に反対していた。助手になって早々に、戦場になるかもしれない街に送り出すなんて危険すぎる、と」
その言葉に、昇格を告げて来た際の、やけに疲れた顔をしていたカスペルさんが脳裏に蘇った。あの時のカスペルさんは、散々“上”に私の身を心配して反対してくれた後だったのかもしれない。
アルノルトが口にした“上”という単語が指す人物をいまいち思い描けないが、カスペルさんの心労は察するに余りある。
「それで同行者に俺が名乗り出た。上は俺を王都から出すことに渋ったが……押し切った。この街に来て確かめたいこともあったしな」
確かめたいこと。
耳に止まったその言葉に、私は首をかしげる。
アルノルトが同行を申し出て、かつそれが受け入れられた理由の1つに、彼が強い魔力を持っている、という点があるだろう。もし万が一魔物の襲撃を受けたとしても、魔法で対抗できる。私は守ってもらえる。カスペルさんはアルノルトの同行を喜んで受け入れたかもしれない。
けれどアルノルトが王都から離れれば、その分優秀な調合師と魔術師が不在になる。大層な職業を背負ってしまったがために、彼は柵に囚われた、中々に煩わしい立場におかれているようだ。
けれど最終的には「確かめたいことがある」と上の声を撥ね除けたのだろう。押し切った、という表現からして、それなりに揉めたのかもしれない。それでも最終的にアルノルトを押し切らせた理由は一体何なのかと、どうしても気になってしまった。
しかし、聞いたところで簡単に答えてはくれないだろう。下手をすれば機嫌を損ねかねない。はてさて疑問は飲み込んで大人しくしているべきか、思い切って尋ねてしまおうか――等々考えを巡らせていたら、
「アルノルト様と、ラウラ様ですかっ?」
背後から呼び止められた。
とても可愛らしい、鈴を転がすような、という形容がぴったりなその声に振り返る。
「お待ちしておりましたっ。お2人のご案内係を申しつけられました、エミリアーナと申しますっ」
エミリアーナ。そう名乗った少女は、私とアルノルトが振り返るなり一度深く頭を下げた。そして、ゆっくりと顔を上げる。
目の前の少女はまだあどけなく、けれど私よりは年上のように見える。16かそこらだろうか。ふっくらとした頬は寒さからか真っ赤に染まっており、震わせる睫毛は瞬きする度に音がしそうなほど長い。
ゆるいウェーブを描く金髪を高い位置でお団子にしていた。こちらを遠慮がちに見つめてくる青の瞳は爛々と輝いており、陳腐な言い回しだが宝石のようだ。
一言で言えば、美少女。見惚れてしまうほどの、美少女。けれどそれだけでなく、私は別の理由で彼女の顔を不躾に眺めていた。
――“私”は彼女のことを、知っている。見覚えがある。
「アルノルト・ロコだ。こっちはラウラ・アンペール。よろしく頼む」
アルノルトが挨拶する横で、頭を下げつつも目線はついつい少女の顔に向いてしまう。流石に気づいたのか、彼女は私の目線に戸惑うように、どこか居心地の悪そうな照れ笑いを浮かべて――その表情が、重なった。
――あ、嫁。
こぼれそうになった呟きを、すんでのところで飲み込む。口元を両手で押さえ、もう一度その顔をじっと見つめた。
間違いない。“私”は彼女と会ったことがある。
彼女、エミリアーナは数年後、この地方を治める貴族の妻になっているキャラクターだ。