22:突然の帰省
『王都のすぐ近くに魔物の群れが現れた情報が国中に広まってるようなんすよ。親御さんも心配されてるでしょうから、帰省して元気な顔を見せて差し上げてください』
カスペルさんのその言葉をきっかけに私は数日のお休みを貰い、急いでエメの村へと帰省した。
王都からエメの村までは、いくつか馬車を乗り継いで1日以上かかる。村に近づくにつれて道の整備はずさんになり、正直快適な馬車の旅とは言えなかった。
しかし村の入り口で私を待つ両親の姿を見つけた瞬間、今までの疲れは何処へ行ってしまったのやら、私は2人の元へ走り出した。
「お父さん、お母さん!」
「ラウラ!」
駆け寄れば、ぎゅっと強く抱きしめられる。
「心配したのよ、王都が魔物に襲われたって聞いて……!」
耳元で囁かれた声が震えていて、どれだけ両親に心配をかけてしまっていたのかを痛感した。帰省することを知らせるためにも手紙は事前に送っておいたのだが、両親は実際に私の顔を見るまで不安だったようだ。
「ごめんね、でも騎士団の皆さんが守ってくれたから大丈夫だよ」
ぎゅっと安心してもらえるように抱きしめ返す。
口から出てきた言葉は両親への気休めでもなんでもなく、王都には名高きシュヴァリア騎士団がいる。今回の魔物襲撃の際には過去最大の被害が出たそうだが、それでも王都に魔物が攻め込んでくる前に殲滅してくれた。
過去最大の被害、に含まれている重傷を負った騎士団長――ヴェイクとは未だ会えておらず、右目の視力を失ったという事実しか分かっていない。近いうちにお見舞いに行きたいとは思っているのだが――
「ラウラ!」
可愛らしい声にパッと顔を上げる。すると、
「ペトラ、それにみんなも!」
ペトラ、ユーリア、ラドミラのエメの村三人娘がこちらに駆け寄ってくるところだった。
両親と視線をかわし、彼らの元を離れる。両親との親子水入らずの時間は今夜改めてゆっくり取ろう。
彼女達の元へ駆け寄ると、きゃあきゃあと女の子らしく手に手を取り合って再会を喜んだ。
「手紙ありがとう、いつも楽しみにしてるわ」
「私、最近近くの町に働きに出てるの。ラウラに憧れて」
「ラウラ、なんだか大人っぽくなったぁ?」
また一段と大人っぽくなったユーリア。口調も容姿もすっかり垢抜けたペトラ。相変わらずほわほわと可愛らしく微笑んでいるラドミラ。手紙では各々と定期的にやり取りをしていたが、こうして実際に顔を合わせて話すのは数ヶ月ぶりだ。
すっかり大人びてきた少女達の顔を見つめつつ、久々の会話に花が咲く。
――と、ここでルカーシュの姿が見えないことに気がついた。自惚れてると言われるかもしれないが、私が帰ってくるとなると彼は当然出迎えてくれるものだと思っていたのだ。
「あれ、ルカーシュは?」
「オババのところにいるって」
ペトラが答える。
なぜルカーシュがお師匠のところに?
疑問に思ったが、元からお師匠の家に顔を出すつもりだった。特に手間が増えたというわけでもなし、後で予定通りお師匠の家を訪ねよう。
そう決めて、ただもうしばらくは友人たちとの会話を楽しんだ。
***
今ではすっかり懐かしさを覚える、お師匠が住む山小屋。実際にはまだ数ヶ月しか経っていないのに、ここで修行をしていた日々がなんだかとても遠い。
「ラウラです、ただいま帰りました」
「おお、帰ったか」
ギィ、と古びた音をたてる扉を開けながら挨拶すれば、お師匠は笑顔で出迎えてくれた。この笑顔は出会ったときから全く変わらない。お師匠の笑顔もまた、私に安心と安らぎを与えてくれた。
胸奥に暖かな何かがじんわりと広がるのを感じつつ、それにしても、と辺りを見渡す。
ルカーシュもここにいると聞いたのだが、その姿はどこにも見えなかった。
「ルカーシュはいないんですか? こっちに来ているって聞いたんですけど……」
「あぁ、ルカーシュなら薬草を摘みにいってもらってるわい」
さらりと放たれた言葉はもちろん、お師匠のなんてことないことを言うような口調と表情に私は目を丸くした。
ルカーシュが王都に遊びにきてくれたときの会話を思い出すに、お師匠と幼馴染の間には奇妙な友好があるのではないかと思う。ルカーシュはお師匠から、私の調合師としての実力のことを聞いていたようだった。
2人が距離を縮めつつあることに薄々勘付いてはいたが、薬草を摘みにいかせているとさも当然のことのような顔で言える程とは――と多少の驚きを受けつつも、“あのこと”をお師匠に尋ねるにはうってつけのタイミングではないかと思わず背筋を伸ばした。
あのこと。それは、エルヴィーラが患っている病についてだ。
かつて王城に勤めていた名高い調合師であるお師匠なら、何かしら治療法やその手がかりを知らないか、仄かな期待を寄せていた。
「お師匠、ひとつお聞きしたいことがあるんですけど」
意図的に声のトーンを落とした。するとそれを鋭く察したお師匠は、すっと目元から笑みを消す。
自分を落ち着けるためにも、息を大きくゆっくり吸った。そして声を潜めて、尋ねる。
「自壊病って病気、ありますよね」
私が切り出した話題に、お師匠はわずかに目を見張った。なかなか耳にしない単語が飛び出てきたことに驚いているのだろうか。
「どこでその病の名を?」
「先輩の妹さんが」
「それは……災難じゃのう」
そう呟いて視線を床に落とすお師匠。
聞きたいのは、本題はこの先だ。
「治す方法をご存知ですか?」
単刀直入に聞いた。しかし直ぐにその問いに返事は得られず、重い沈黙が私たちの間に落ちた。
その沈黙は、私には永遠に感じられて。はやく答えが欲しい。けれど考え込むように俯くお師匠に、急かすような言葉は投げかけられなかった。
お師匠が顔を上げる。私は思わず前屈みになって、その口が開く時を待った。
「ラウラ、お主は伝説や伝承といった類は信じるか?」
「えっ?」
質問に対する答えどころか逆に問いを投げかけられて、今度は私が目を丸くする番だった。しかし問いかけてきたにもかかわらず、お師匠は私の返事も待たずに言葉を続ける。
「煎じて飲めばどんな病も治す魔獣の角、美しく輝く幻の薬草、人がたどり着けない秘境に湧く万能の水……そういった伝説や伝承は、各国、各地域に残っておる」
「あ、あの、何を……?」
突拍子も無い話に、私は戸惑いの声をあげる。お師匠が何を言いたいのか分からない。
戸惑う私をしっかりと見つめて、お師匠は再び口を開いた。
「そういったものに頼らなくては、今の時点で自壊病を治す術はないということじゃ」
――衝撃で、絶望で、足元がふらついた。
伝説や伝承の中の存在に頼らなければ、自壊病を治す術はない。そうはっきりと告げられた。
お師匠のことを尊敬している。とても素晴らしい調合師だと、弟子である私は身を以て知っている。だからこそその言葉はずっしり重く深い絶望を私に与えた。
過去に頼ることなく、一から全く新しい回復薬を作り出す。それも、現時点では伝説といった不確かなものに一縷の望みをかけるしかない、難病中の難病を治す回復薬だ。
これから、私とアルノルトでそれを成し遂げられるのか。他の人たちも頼れば知恵を貸してくれるだろう。しかし、何十人と集まったとしても、3年弱で今まで治療法のなかった難病に効力のある回復薬を作るなんて、果たして本当に可能なのか――いや、弱音を吐いている場合ではない。
ふらついた足元を、なんとか自分の力で支えた。
やるしかないのだ。出来る限りの努力をするしかない。
ぎゅっと拳を握りしめて、決意する。
エメの村での休暇を堪能したら、王都に戻りまず文献を読み漁ろう。とにかく少しでも自壊病に関する情報を集めなくては。
そんなこと、とっくの昔にアルノルトはやっているだろう。だから私も彼と同等の知識を身につけて、一刻も早く回復薬の開発に着手しなければならない。
――これからまた、忙しない日々が始まりそうだ。