21:新たな目標
覚えているのは、歓喜に沸き立つ声。
ヴェイク騎士団長が帰還されたぞ! 誰かがそう叫んだ。
その声に私はほっと息をついて――そこで記憶は途切れている。
次に目覚めたときには、私はベッドに寝かされていた。
目覚めてまず、ぼうっとしつつもあたりを出来る限り見渡す。すると見慣れた後ろ姿が視界に飛び込んできた。
「アルノルトさん……?」
「起きたか」
私の声にくるりと振り返るその人――アルノルト。彼は私の枕元にゆっくりと近づいてきた。
確認した限り、ここは自分の部屋ではないようだ。城の医務室だろうか。
「俺が帰ったら、調合室で倒れていた。もっとも、体に異常はなく寝ていただけだったが」
その説明に、私の意識は少しずつはっきりして来た。
おそらく、ヴェイクが無事に帰って来た、魔物討伐が終わったと沸き立つ人々の声を調合室で聞いて、緊張の糸がプツンと切れてしまったのだろう。襲い来る疲れと眠気に我慢できず、気を失うように眠ってしまった、といったところか。
どれだけ眠っていたのかは分からない。しかし恐らくは、アルノルトが戦場から帰ってきて、調合室で眠る私を見つけてここまで運んできてくれたのだろう。
そうだ、アルノルトはオリヴェルさんに頼まれて前線に――
私はハッとした。そして思わず起き上がる。いきなりだったため軽い目眩を覚えたが、そんなものに構っている暇はない。
ヴェイクは帰還したと聞いた――帰還ということは自分の足で帰ってきたのだろう――が、怪我をした彼の右目は無事なのか。
「あのっ、ヴェイクさんは!?」
「右目の視力は失ったが生きてはいる。しばらくは絶対安静だがな」
右目の視力は、失った。
再びベッドに体を埋めて「そうですか……」と呟いた。
――私が予め進言していたら、ヴェイクが右目の視力を失うことはなかったのだろうか。
もしかしたらこの戦いで、という予感はあった。けれどそれは不確かなものでしかなかったし、小娘が突拍子も無いことを言ったところで聞いてもらえないだろう。そして何より――自分の手で「ラストブレイブ」との相違点を作ってしまうことに、躊躇った。
何を今更。私・ラウラが相違点そのものじゃないか、と。今ならばそう思える。しかし端役の私とは違って、ヴェイクは主要登場人物だ。彼の運命が変われば、それが未来へ及ぼす影響もずっと大きくなるのではと恐れた。
「ご苦労だったな」
「いえ、そんな……」
かぶりを振る。
この道が正解だったのか、それとも不正解だったのか、分からない。少なくともまた一歩、「ラストブレイブ」に近づいたのは確かだ。
ちらりとアルノルトの方へ視線をやった。彼は床に視線を落としつつも、纏っている空気はいつもより穏やかだ。いや、アルノルトも疲労しているのかもしれない。――彼は、前線で直接魔物と戦ったのだろうから。
騎士団に頼られるほどの強い魔力を持ちながら、なぜ調合師の道を選んだのか。
その疑問はむくむくと私の中で膨らんで、とうとう抑えきれなくなった。
「アルノルトさん、ひとつ聞いてもいいですか」
私の言葉に、アルノルトは枕元の椅子に座り込んだ。その行動からして、恐らく私は質問することを許された。
「どうして調合師になろうと思ったんですか? ……とても強い魔力を持っているんですよね?」
一瞬、アルノルトの動きが止まった。
なぜそれを、と疑問に思い――自分がオリヴェルさんに呼ばれたときのことを思い出したのだろう。確かにあの言葉を聞けば察せる、と納得したのかどうか分からないが――全て私の想像に過ぎないが――アルノルトは1人頷き、それから口を開いた。
「魔力を持っていても、回復魔法の才能は全く無かったんでな。攻撃魔法は得意だったが」
私は思わず彼を見た。そして再び体を起こす。
「……でも、だったら攻撃魔法を極めればそれだけでも……いえ、ごめんなさい。立ち入った事を聞きました」
一瞬食い下がろうとしたが、思い直して口を閉じる。もう一歩踏みこめるほど、私とアルノルトは親しくない。
しばらくの沈黙。気まずいそれを破ったのは、驚くことにアルノルト本人だった。
「……妹がいると言っただろう」
「え? えぇ……エルヴィーラちゃん、ですよね」
アルノルトの口から出てきた妹という言葉に、どきりとする。
エルヴィーラ・ロコ。アルノルトの妹であり、「ラストブレイブ」の主要登場キャラクター。数年後、彼女もまた世界を救う旅に出る。
私はアルノルトの顔をじっと見つめて、次の言葉を待った。見つめた横顔は、沈痛な面持ちだった。
「エルヴィーラは自壊病を患っているんだ」
その言葉に、私は息を飲む。
――自壊病。
それは本人が持つ魔力がなんらかの原因で自分自身の体を傷つけてしまうという、ファンタジーな世界特有の病気のことだ。魔力が傷つけるのは体の内の組織はもちろん、突然体の一部が発火するという症状も確認されたことがある。そして最期はどの患者も、自分の内から燃える炎に焼き殺されるという、とても恐ろしい病だ。
そしてなにより、この病を患うのは何百万人に1人と言われる程とても珍しい病気――所謂、難病だ。
私も文献で数度目にしただけで、詳しくは知らない。それなのになぜ基本的な情報を覚えているかというと――不自然なチート記憶力も関係しているのかもしれないが――病気の特異な症状に大きなショックを受けたからだ。そして何より、自壊病は「ラストブレイブ」には登場しなかった病気で、この世界にはこんな恐ろしい病があったのかと、恐ろしさとともに私の記憶に深く刻み込まれた。
――自壊病を、エルヴィーラが患っている?
そのような設定はなかったはずだ。病気どころか、体が弱いと言う設定すらなかった。
彼女は幼少期から、その小さい体には膨大すぎる魔力を持て余し、活発に行動してはトラブルを起こしていたと語られていた覚えがある。
「それを治してやりたいと思った。けれど俺に回復魔法の才能はなかった。だから調合師の道を選んだ。それだけだ」
「そ、そうだったんですか……」
しかし、アルノルトの真剣な表情からして、嘘をついているとも思えない。
思わぬ「ラストブレイブ」との相違点に、どんどん頭が覚醒する。一体なぜだと考えて――1つの仮説にたどり着いた。
エルヴィーラが自壊病を患っていたという設定は、アルノルトというキャラクターと共に没になったのではないか、と。
彼女の過去のエピソードのひとつとして、自壊病を患っていたという設定がつけられた。そしてその問題を解決する手段として、兄・アルノルトが生まれた。兄は妹の抱えている問題を解決するために、優れた魔術師であり調合師でなくてはならなかった。
しかしなんらかの理由で、エルヴィーラのその設定は没になった。結果として、その没設定と深い関わりのあったアルノルトも、容量の関係等で最終的に没キャラクターになった――
咄嗟に頭の中で組み立てた仮説だが、ありえない話ではない、と思う。けれど万が一この仮説が当たっていたとして、ならばなぜ没になった設定やキャラクターがこの世界では生きているのか、それが何よりの謎だ。
――そう、そうだ。今私が生きる世界で一番「ラストブレイブ」に反しているのは私・ラウラではなく、アルノルトかもしれない。“元”があるだけにその違いに目が行ってしまうが、アルノルトにはそもそもの“元”がないのだ。
「お前にも期待してるからな」
「へっ?」
「自壊病に効く特効薬の開発」
考え込んでいたところに、ぽん、ぽん、とアルノルトにしてはリズミカルに飛んできた言葉たち。
――自壊病に効く特効薬の開発?
未だ、自壊病の治療方法は見つかっていない。しかしすぐに死に至る病気ではなく、幼少期に発症しても過去の症例からすると10年、20年は生きられるとされている。一番長く生きた患者は40近くだったか。
難病でありながら、自壊病はゆっくりゆっくりと進行して行く。はじめは小さな火傷や風邪の症状に似た臓器の炎症を引き起こしていた病は、長い時間をかけ着実に進行し、最終的に体を内から焼き尽くすのだ。自壊病によって命を落とした患者は、骨すら残らないという。
――そう、本来であれば、まだ時間は十分にあるはずだった。しかし、患者がエルヴィーラとなれば話は別だ。
タイムリミットは、3年弱。
“私”の記憶は通用しない。
エルヴィーラはルカーシュと共に旅立つ。その日までに、間に合わせなくてはいけない。勇者様の仲間である天才魔術師エルヴィーラ・ロコは、自壊病を患ってなどいなかった。
「言っただろう、お前の才能を借りたいと」
あの日の思い詰めたようなアルノルトの表情が脳裏に蘇った。
なるほど、アルノルトが言っていたのはこのことだったのかと納得する。しかしその一方で、私の心臓は次第に大きな鼓動を刻み始めた。
――残された時間はあと3年もない。それまでに、エルヴィーラの自壊病に効く回復薬を、どうにかこうにか作り出さなければいけない。
アルノルトというキャラクターにそれを作り出す使命が与えられているのでは、と囁く“私”がいた。しかしそれはあくまで、“私”の考えた仮説に過ぎない。
3年後、もしエルヴィーラが患ったままであったら――世界の命運は、大きく変わってしまう可能性がある。
もしかすると、自壊病はこの世界のエルヴィーラに与えられた運命かもしれない。これは、この世界の未来のために必要な運命なのかもしれない。けれど――
病を患っているからと、世界救済の旅にエルヴィーラが同行しなくなってしまえば、“私”の知る勇者様達の旅とは大きく異なってしまう。病を患ったまま無理に同行したとしても、それは同様だ。
ルカーシュが旅立つとき、できる限り「ラストブレイブ」との相違を少なくしたい。それは即ち、ルカーシュやその仲間達の安全と、この世界の未来が保障されることに等しい。“私”が知る道を辿れば、仲間は誰1人として命を落とすことはなく、世界も魔王の脅威から救われるのだから。
――誇張した表現でもなんでもなく、アルノルトと私の肩に世界の命運の一端がかかっているのではないか。
「が、頑張ります」
突如として肩にのしかかってきた重圧に眩暈を覚えつつも、辛うじて絞り出した声は掠れていた。
不安が波のように押し寄せる。
何百万人に1人の、治療法が確立されていない難病。とても珍しく、そもそも患者数がとても少ないため、残されている資料も不明瞭なものが多い。「ラストブレイブ」に登場してくれていれば、治療法もゲーム内で判明していたやもしれないが、自壊病は作中に登場しない。
しかしそれでも、やらなくては。
不安からか、ぐっと胸が詰まるような息苦しさを感じた。それをなんとかやり過ごそうと、胸元を手で押さえて――
「ところでお前、下のきょうだいはどうしてるんだ」
突然がらっと纏う空気を変えてアルノルトが投げかけてきた問いに、私は首を傾げる。
あまりに突然で強引な話題転換に、私は戸惑った。しかし重く沈んでしまった空気を少しでも和やかなものにしよう、というアルノルトの気遣いのような気がして、よく分からないながらもその話題に乗ることに決める。
下のきょうだい? 私は一人っ子ですよ。
そう答えようとした瞬間、
「言っていただろう……5年近く前の話か?」
――早まらなくて、よかった。
私は喉元まで出かかった言葉たちをなんとか飲み込んだ。
そうだった。アルノルトと初めて会ったとき、エルヴィーラの話をどうにかこうにか聞き出そうとついた嘘があった。私、もうすぐきょうだいができるかもしれないんです、と。
「あ、あぁ! あれは……恥ずかしい話なんですが、私の勘違いで――」
隣の家に子供が生まれるという両親の話を隠れ聞いて、幼い私は勘違いしてしまったのだという旨の言い訳を吃りつつも話す。するとアルノルトは呆れたようにため息をついた。しかしその表情は柔らかいものだったので――あくまでアルノルト比では、だが――そこまで信頼を損なってはいないだろう。
アルノルトは話を終えると、部屋から出て行く。その際「まだ寝てろ」とのお言葉を頂いたので、改めてベッドに体を倒した。
見慣れない天井を見つめながら思い出すのは、やはりエルヴィーラのこと。
――自壊病。治療法が確立されていない難病。
タイムリミットは、あと3年。
ぐっと布団の中で拳を握りしめる。
負けヒロインにならないために、私は村を出るべく王属調合師を目指した。あの日立てた目標は、もう達成されつつある。しかし今日、新たな目標が出来た。
――エルヴィーラの自壊病を治す手立てを見つけること。
今度は自分のためではなく、エルヴィーラのために。そして、この世界の未来のために。
その目標を達成するためにもまず、十分な休養を取らなくては。
そう思い、瞼を閉じた。すると睡魔はすぐに襲いかかってきて――意識が遠のく瞬間脳裏に浮かんだのは、「ラストブレイブ」で繰り返し見たエルヴィーラの活発な笑顔と、その笑顔に応える勇者様の穏やかな微笑みだった。




