20:作る、作る、作る
人が忙しなく行き交う、日常とはかけ離れた光景。あちこちで囁かれる不安の声。
私はその中を無心で走り抜けた。
「ラウラ!」
リナ先輩は廊下に出て、私を待ってくれていた。私は息を切らせながらも、あと少しだと自分を奮起して先輩の元へ駆け寄る。
「先輩! あの……っ!」
「大丈夫だった?」
「は、はい……っ、あの、それで……回復薬……っ!」
息も絶え絶えで、伝えたいことをろくに言葉にできない。
調合師の勉強だけではなく、運動もしっかりしておくんだった。せっかく山々に囲まれた田舎で育ったのだから――などという反省は今は置いておいて、何度か深呼吸をする。
リナ先輩は息を切らす私を労わるように、背をさすってくれた。そして早口でまくしたてる。
「ええ、それは私たちに任せて。貯蔵もそれなりにあるから、ラウラはチェルシーと一緒に避難場所に――」
私も手伝います!
そう力強く提言しようと思ったのだが、
「アンペールは俺を手伝え。ガウリーはリナの補佐」
それよりも早く、男性の声が私たちにそう指示した。
バッと勢いよく振り返る。そこにはいつもより更に険しい表情のアルノルトが、こちらを睨みつけるような表情――恐らくは焦りの表情なのだろう――をして立っていた。
「ア、アルノルト!? 何言ってるの、2人は少しでも安全なところに――」
「1人でも人手が欲しい! 万が一、回復薬が足りないなんてことになったらどうするつもりだ!」
声を荒げるアルノルト。私はその言葉に心の中で同意しながら――もちろんリナ先輩の気持ちも嬉しい――ようやく荒かった息を整え終えた。
城には普段であれば十分な量の回復薬が貯蔵されているはずだ。しかし今回は、今までにない魔物の大群に、戦っている場所も王都のすぐ近く。もし万が一、騎士団が突破されたら――街が魔物に蹂躙されかねない。そんなことにならないためにも、回復薬はひとつでも多い方がいい。
アルノルトの言葉にリナ先輩は一瞬不服そうな表情を見せたが、頭の中で考えをまとめるうちに納得したのだろう、ひとつ頷いてその場から踵を返した。そしてチェルシーの名を呼びながら、調合室へと入っていく。
私もアルノルトの背中を追って、別の調合室の扉をくぐる。そしてとにかく室内のあちこちに置かれている薬草を掻き集め、調合の準備を始めた。
「とにかく作れ! 材料が足りないようだったら手当たり次第に摘んでこい!」
「は、はい!」
アルノルトの指示がスタートの合図となり、私たちは全く同じタイミングで調合に取り掛かった。
――効力の小さい回復薬であれば、わずかな時間でいくらでも量産できる。しかし、そんな回復薬を今は必要としていない。重傷の兵士をたちまち癒してしまえるような、効力の大きい回復薬。それを出来るだけ作っておかなければならない。
効力の大きい回復薬は、1つ作るのにも中々手間がかかる。基本の基本、回復効力を持つ薬草、他の薬草の効力を増幅させる効力を持つ薬草、どちらも数種類あるそれらを大量に煎じ、慌てず丁寧に混ぜていかなければならない。場合によっては麻痺直しなどの効力も追加する。
それからはもう、自分との戦いだった。
瞬時に手につかんだ薬草の効力を判断し、どのような回復薬を作るのかこれまた瞬時に調合法を頭に思い浮かべる。複数の薬草をそれぞれすり潰し、真水と混ぜ、火にかけて、その最中も逐一様子を見ながら場合によってはかき混ぜる。そしてそろそろだと感じたら火を止めるのだが――どの工程も薬草によって力加減や時間などが変わってくるのだ。ひとつふたつに集中して作る分には全く問題がなかったが、今までにない量の薬草を同時進行で煎じ、私の頭は混乱を極めていた。
それでも手は止めない。こういう時のために、私は今日まで勉強してきたのだ。
作る。作る。作る。仕分ける。摘みに行く。再び作る。作る。作る――
無心に回復薬を作り続けて、どれだけ時間が経ったのだろう。回復薬が詰められた木の箱は3箱目に突入していた。
アルノルトと私は会話もなしに必死に調合に取り掛かっていたのだが、それでもまだ3箱目。2人にしては順調とはいえ、回復薬は未だ、短い時間で大量生産出来るようなものではない。
――ゲームだったら、薬草を選んで調合ボタンを押せばいくらでも、一瞬で量産できるのに!
心の中で思わず叫ぶ。しかしそう叫んだところで、目の前の薬草がたちまち回復薬に姿を変えてくれるはずもない。私とアルノルトの手で変えていかなくては。
ぐいっと額に浮かんだ汗を拭った。そして次の調合に取り掛かろうとした――瞬間。
「回復薬はありますか!?」
扉が乱暴に開かれて、雪崩れ込むようにして部屋に人が入ってきた。
顔を上げてそちらを見る。そこには額と右腕に包帯を巻いた騎士団員が立っていた。
――前線から戻ってきたのか。
私はアルノルトを見やる。すると調合の真っ最中だったようで、私に任せるとちらり視線を送ってきた。私は頷いて、回復薬のつめられた箱を2箱、床を滑らせるようにしてそのまま入り口まで持って行く。
「これ持って行ってください!」
騎士団員は頷き、とりあえず片方の箱を持ち上げた。その際痛みに顔が歪んだのが見て取れた。――右腕に巻かれた包帯に、血が滲んでいる。
「あっ、あなたも飲んだ方が……!」
「自分は大丈夫です! いただいていきます!」
苦しそうに笑って、彼は廊下をかけて行った。
ここに来たという時点で、既に回復薬は足りていない。貯蔵分はもう使い切ってしまったのだろうか。
気になってしまうが、今はそんな心配をしている暇もない。一つでも多く、回復薬を調合しなくては!
私は急いで立ち上がる。そして作業を再開しようとしたのだが。
――バン!
再び扉が大きな音を立てて乱暴に開かれた。今度は一体誰だと振り返り――ぎょっとした。
そこにいたのは、オリヴェルさんだった。脇腹をかばうような体勢で、部下に肩を借りている。
「アルノルトさん!」
オリヴェルさんが叫ぶ。回復薬をもらいに来たのかと思ったが――それだけとは思えない気迫を感じた。その切羽詰まった表情を見て、オリヴェルさんがアルノルトを訪ねてきた訳がなんとなしに分かってしまった。
――アルノルトは強力な魔力を持っている。
リナ先輩の声が鼓膜の奥に蘇る。
先輩が嗅ぎつけた噂はきっと、真実だったのだ。
「だ、団長が右目に怪我を……! それなのに今、巨大な獣型の魔物と応戦していて……!」
右目に、怪我。
その言葉を聞いた瞬間、喉がひゅ、と嫌な音を立てた。
――この戦いで、ヴェイクは右目を失うのか。
ぎゅっと白衣の裾を握りしめた。予感していたことではあるが、だからといってショックを受けないはずもない。
私があらかじめ進言していれば、あるいはこの未来を変えられたのか。いや、ただの小娘の戯言だと一蹴され、聞いてもらえるはずもなかっただろう。私としても、ヴェイクが必ず怪我をすると確信していたわけではなかった。それに――
私が唖然と見つめるオリヴェルさんは、更に言葉を続ける。
「魔物の皮膚が硬く、剣が全く通りません! だから、優秀な魔術師が必要で――!」
その言葉に、アルノルトもオリヴェルさんが自分を訪ねて来た理由を察したらしい。
机の上に置いてある回復薬を掻き集め、白衣のポケットに突っ込むアルノルト。そしてオリヴェルさんの側近と思われる騎士団員に近づき、その肩をがっと掴んだかと思うとオリヴェルさんから引き剥がし、そのまま引きずるようにして走り出した。
大きな足音が遠ざかって行く。
アルノルトも、魔術師として戦場に出るのか――遠ざかっていく音を聞きながらぼんやりと考える。しかし次の瞬間、そんな場合ではないと我に返った。
オリヴェルさんの治療をしなくては!
手元の回復薬を複数持って、オリヴェルさんに駆け寄る。彼は体のあちこちに傷を負い、中でもわき腹の傷は結構な重傷に見える。
「オ、オリヴェルさん、大丈夫ですか!? あの、とりあえずこれ飲んでください」
「ありがとうございます」
回復薬を口にするオリヴェルさん。すると一瞬その顔がぐっと歪み、体も強張る。何か回復薬に不備があったかと私が驚いていると、すぐに彼の体から力が抜けていった。
今の反応は一体、と考えて、思い至る。――そうだ、傷ついた人が回復薬を飲む場面を見たのは初めてだ。
脇腹の傷を見やる。傷は、塞がっていた。
「はは……やっぱりラウラちゃんは、優秀な調合師なんですね」
「いえ、そんな……あの、まだありますからよかったら……」
「いえ、もう大丈夫です。どうか他の兵士に使ってやってください」
オリヴェルさんは私に一度微笑みかけてから立ち上がる。そしてしっかりとした足取りで歩き出した。
一体どこへ向かうのだろう。まさか再び戦線に戻るつもりなのか。
少しの間彼の背を不安げに見つめていたが、この時間も惜しいと私は思い直す。アルノルトが出てしまった今、私がいっそう頑張らなくてはいけない。作って、作って、作らなくては。
調合台に向き直る。頬を叩いて、再び気合いを入れた。