02:脱・勇者様の幼馴染
自分が将来の負けヒロインだと“思い出して”、まずはじめに実行しようと考えたのは、未来の勇者様――ルカーシュと距離を置くことだった。
振り返ればこの8年間、小さい村ながら同世代の子供は私たち以外にも複数人いたというのに――正確には私たちを抜いて男児、女児共に3人ずつだ――ラウラである私はルカーシュとばかり一緒にいた。それはルカーシュも同様であり、つまり私とルカーシュは他の子供たちの輪に入っていなかったのだ。
「ラストブレイブ」の冒頭の会話から察するに、“私”の記憶が戻らなければ、この状態のままルカーシュが旅立つその日まで過ごしていたに違いない。村人からは「今日もラウラと一緒にいるのね」「相変わらず仲睦まじいな」などというお言葉を頂戴していた。これはある意味囲い込みだ。こんな村人ばかりの村に、勇者ルカーシュは果たしてクリア後帰って来られるのだろうか。
将来の話はとにかく、だ。私はまずこの2人きりの関係性を変えようと思い至った。ともすればゲーム冒頭、村人達の間に漂っていた「ルカーシュとラウラは将来結婚するだろう」という共通認識を変えることも可能である――はずだ。
魔物に襲われた身ではあるが、ルカーシュの勇者の力のおかげで怪我ひとつなかった私は、翌日から活動を再開した。両親含む村人達は誰もが「まだ安静にしていた方が……」とあまりいい顔をしなかったが、私としてはとにかく時間が惜しい。
――できるだけ早く勇者様の幼馴染という職業からジョブチェンジする。
それが私が掲げた目標である。しかし、その目標の達成を阻む問題がひとつ発生した。それは。
「ルカーシュ、もう大丈夫だから……」
未来の勇者様が私の側を離れようとしない、という問題だ。しかし僕が守る宣言をされて1日、この態度も当然かもしれない。
あのときの表情からして、決してその場の勢いで言った訳ではないと分かっていた。分かっていたのだが、このままでは私の計画が狂ってしまう。
「ラウラのことは僕が守るって、ラウラのおかあさんにも約束したんだ」
「それはありがたいけど、村で魔物に襲われるなんてこと、今までなかったでしょ?」
「そうだけど……でも、今日はくるかもしれないから」
さすが未来の勇者様。8歳児なれど、しっかりとした考えを持っていらっしゃる。そしてルカーシュの言う通り、実際そう遠くない未来、村にも魔物が現れるようになってしまう。
現在は村を囲むようにして、微弱ながらも魔法がかけられている。魔物を遠ざける聖なる魔法だ。しかし、魔王の復活が近づくにつれ魔物は今まで以上に強い力を持つようになり、微弱な魔法では効果がなくなってしまうのだ。そのような現象が世界各地で起こったことで、この世界の王様は勇者を探し始める。この村にも城からの使者がやってくるのだが、その際タイミングよく魔物が現れる。それをルカーシュが勇者の力で撃退。それを見た使者に勇者だと認められ、ルカーシュは王都へと旅立つ――というのが冒頭1時間ほどのあらすじだ。
少々話がズレてしまったが、とにもかくにもルカーシュがカルガモの子供のように私の後をついてくるのは、正直どうにかしたい。私がルカーシュのことを好きにならなければいい話なのだが、周りにあの2人は“特別”仲が良いと思われるのも、今後のことを考えると避けたいところだ。
「本当にもう大丈夫だから!」
「だめ。ラウラがなんて言っても、僕は付いてく」
強い言葉で突き放そうとしても、ルカーシュは頑なに頷こうとしない。8年間共に過ごしてきた幼馴染は、私がこう言えば不服そうな表情をしながらも、頷くような少年だった。泣き虫だと、弱虫だと村の男の子達に揶揄されていたルカーシュはどこへ行ってしまったのか。
私が戸惑いを覚える一方で、“私”はその頑なな態度に、未来の勇者様の面影を感じていた。
“私”が知る未来の勇者様は、確かに今のルカーシュを感じさせる、穏やかな性格だった。しかしながら魔物を前にしても怯えることなどなかったし、普段優しく穏やかであったからこそ、時折見せる意志の強さや頑固な面が印象的だった。
どうやらルカーシュの人格形成においても、幼馴染のラウラの存在は大きかったようだ。将来を思うと、その事実がまたなんとも物悲しいのだが。
「……ラウラ、だいじょうぶ? 今日のラウラ、なんか変だ」
ポツリと零された幼馴染の言葉に、肩が大きく跳ねた。そうだ、勇者ルカーシュは抜けているように見えて、他人の感情の動きに敏感だった。つまり人をよく見ているということだ。
今までのラウラも私であることには変わりないのだが、一夜にして中身が20歳近く歳をとってしまった。それどころか、感覚的には新たな人格が生まれたようなものだ。私と“私”が完全に融合することはないだろうし、言動にその変化――違和感が現れてしまってもおかしくはないだろう。
「そ、そんなことないよ」
そう笑って見せたが、ルカーシュは疑いの色をその瞳に色濃く覗かせている。ここまで鋭敏に私の異変に気がつくのも、共に過ごしてきた8年という年月の長さゆえか。幼馴染とはつくづく厄介な属性である。
中身は20歳過ぎといえど、私はまだまだこの状況に戸惑っている状態だ。2人分の記憶を、そして人格を持て余している。つまり何が言いたいのかというと、8歳男児に問い詰められて返事に窮しているこの状況を見て、情けないと思わないでいただきたいということだ。
「あれ、ラウラ?」
鼓膜を揺らした幾分舌足らずな声に、私は反射的に振り返った。するとそこにいたのは、赤毛の少女。この女の子は――そう、ペトラ! ペトラ・エメだ。この村、エメの村の村長の一人娘。
「ラストブレイブ」では、はっきり言って名前も覚えていないようなモブ村人の1人だった。しかし今の私にとって彼女は天の助け、天使に思える。なんていいところに通りかかってくれたんだ!
「ラウラ、けがは? だいじょぶ?」
「ペトラ! う、うん、もう大丈夫。心配かけてごめんね」
思わず駆け寄り手を握ると、ペトラは目を丸くした。私の行動に驚いているのだろう。
ペトラとは挨拶や挨拶ついでの会話はしていたが、特別親しいわけでもなかった。このような触れ合うコミュニケーションもとった覚えはない。
今思えばなぜ村に同世代の女の子がいながら、薄い表面上の付き合いしかしてこなかったのだろう。ルカーシュの母と私の母が親しく、家族ぐるみの付き合いをしていることが原因だろうか。それはそれで構わないが、ラウラはもっと友好関係を広げるべきだったのだ。
これからは是非とも仲良くしたい。女の子同士、友好を深めたい。
その願いを遂げるのも、ルカーシュと距離を置くのも、きっと今がチャンスだ。
「どこか行くの?」
「え? あ、うん。ラドミラのお家にいくの」
「私も一緒に行っていい?」
ペトラは先程よりも露骨に驚きを示した。恐らく背後で、ルカーシュも目を丸くしていることだろう。
未来の勇者様、君も友好関係を広めるべきなんだ。何度話しかけても「よぉ、相変わらずだな」としか言わない同い年の男子は、友人ではない。
口を半開きにして動きをとめてしまったペトラを、それでもにっこり微笑んで見つめていると、彼女は一瞬視線を私の背後にやってから、
「いいよ」
確かに頷いた。
私はその答えに「ありがとう」と早口で応えると、すかさず振り返る。すると既に数歩こちらに踏み出していたルカーシュと目があった。付いてくるつもりに違いない。
私は浮かべていた笑みを濃くする。そしてはっきりと、青の瞳を真正面から見つめて言った。
「ルカーシュは、先に帰っててね」
***
ペトラについて、ラドミラの家にお邪魔することに成功した。これは勇者様の幼馴染という職業からジョブチェンジするための、大きな一歩になると信じている。
ラドミラの家に入るなり、猛烈な既視感に襲われた。今まで来たことがないという訳ではないのに、今回初めて感じたこの既視感はなんだ。つかの間逡巡して、すぐにその正体に気がついた。
――前世の記憶では、あそこのクローゼットの中から回復薬が出てきたはず。いや、マドカ――この世界の通貨――だったかもしれない。
「ラウラ!?」
くだらない記憶を掘り起こしていたら、奥から名前を呼ばれた。
この声はラドミラではない。ラドミラはもっと甘えるような話し方をする。この、幼い響きはありながらも落ち着いた話し方をする人物は――
「ユーリア! ユーリアも来てたの?」
長く美しい黒髪を持つ彼女の名前はユーリア。私たちよりいくらか年上の少女だ。もっとも精神年齢で言えば、今は“私”が誰よりも年上だが。
「もう起きて大丈夫?」
「うん。心配かけてごめんね。もう大丈夫」
そう笑顔で答えたが、ペトラだけでなくユーリアもラドミラの家にいた事実に、私は多少、いいや、かなり打ちひしがれていた。
この村に住む同世代の女の子は、私を除いて3人。その3人とは、御察しの通りペトラ、ユーリア、そしてラドミラを指す。つまり、私を除く同世代の女の子3人が、一緒に遊ぶ約束をしていたということだ!
仲間はずれ。脳裏に浮かんだ単語を必死に振り払う。彼女たちが私を誘わなかったのは、昨日魔物に襲われたことを気遣ってのことだ。そうに違いない。――いや、強がるのはよそう。
私が昨日魔物に襲われていなかったとして、果たして彼女たちが誘ってくれたかと考えてみても、悲しいかな、曖昧な答えしか出せない。誘ってくれたかもしれない。誘ってくれなかったかもしれない。私と他の女の子達の関係は、同じ村で暮らしているにも関わらず、それぐらい希薄だったのだ。
しかし、落ち込んでいる暇はない。むしろこの事実に気がつくことができた“私”は運がいい。これから関係を作っていけば良いのだから。そのことに気づけなかった「ラストブレイブ」のラウラは、あのような悲しい結果を迎えてしまったけれど、私はそうはならない。
「ユーリア、ペトラきたぁ? ――あれ、ラウラもいる」
私が固く決意していたところに、ふわふわ柔らかそうなオレンジ色の髪を揺らしながらラドミラがやってくる。
大きく脈打つ己の心臓を情けないと叱咤し、出来る限り親しみやすい、年相応の無邪気な笑顔を浮かべた。そして、言う。
「ラドミラ、それに2人も。私もお邪魔していい?」
「いいよー」
予想よりもあっさりと受け入れてくれた。そのことに喜びを覚えたが、
「でも、ルカーシュはぁ?」
続いて鼓膜を揺らした言葉に、がっくりと肩を落とした。
既に私は、ルカーシュとセットで認識されているのか。
危機感が一気に高まる。このままではいけない。まだ私は8歳。ルカーシュが勇者として旅立つのは、確か16歳。もうすぐ17になるという台詞をゲーム冒頭で聞いた覚えがある。あと8年だ。8年で、勇者様の幼馴染という職業から脱しなければいけない。
正確には8年もないだろう。ルカーシュが旅立つまでちんたらとこの村に残っていては、私にいくらその気がなくとも周りが囃し立ててくる可能性も否めない。
やはり一刻も早くこの村を出るべきだ。狭く、閉鎖的なこの村を。そうしなければ、恐らく私は勇者様の幼馴染でい続けることになる。
改めて今後の大きな目標は2つ。
ひとつ、ルカーシュと不審がられない程度に距離を取ること。
ふたつ、手に職を見つけ、一刻も早くこの村を出ること。
これらを達成し、私は未来を変える。負けヒロインだなんて呼ばせない。勇者様には忘れていただいて結構。自分の幸せは自分で掴んでみせる。
目指せ、脱・勇者様の幼馴染!