19:魔物の襲撃
『次は私がエメの村に帰省するから』
あっという間の2日間。別れ際そう言えば、幼馴染はとても嬉しそうに、目を三日月の形に細めて笑った。
『心待ちにしてる』
その言葉と、優しい笑顔を私の記憶に残して、ルカーシュはエメの村へと帰っていった。
魔物に襲われたという村のことは気がかりだ。出来るだけ早く時間を作って、帰省しようと心に決めている。けれどその心配とは別に、ルカーシュと歩く王都はいつも以上に楽しくて、心身ともにリラックスできた2日間だった。
明日からまた改めて頑張ろうと寮に帰り――一晩明けた、本日。
「本当に申し訳ありませんでした!」
上司――カスペルさんに土下座をされています。
どうやら彼は、先日の酒場でのことを私に謝りたいらしい。確かに悪酔いしたカスペルさんに絡まれて困惑はしたが、ヴェイクに早々に助けてもらったこともあり、土下座をして欲しいと思うほどではない。
「カスペルさん、いいですから……相当酔ってたみたいですし……」
「いーやっ! よくないっす! 上司としてあるまじき行為でした! 許してください……とは言えないっすけど、何か罪滅ぼしをさせてください!」
ゴリゴリと頭を床に擦り付けて、カスペルさんはそう声を張り上げた。そのただならぬ声を聞きつけてか、周りには先輩達がぞろぞろと集まってくる。
「ラウラ、どうしたの?」
「酔っ払ったカスペルさんに絡まれたらしくて……」
恐らくはリナ先輩の問いに、背後でチェルシーが答える声がした。迷惑をかけてごめん、と優しい同期に心の中で謝る。しかしそれよりも――今目の前で土下座している上司をどうにかしなくては。
罪滅ぼしをしたいとカスペルさんは言った。何もせずに許してもらうのは本人がよしとしていないようだし、王都の美味しいお菓子でも買ってもらって丸く納めようか――そう考えを巡らせて、ふと脳裏にヴェイクの顔が浮かんだ。
休日に酒を飲み交わすほど、2人は仲が良いのだろうか。
「あ、そうだ。カスペルさんって、騎士団長のヴェイクさんと仲良いんですか?」
突然の問いに、カスペルさんは顔を上げた。額には押し付けた跡と、床がきちんと清掃されていなかったのか埃がついている。
そこまでしなくても、と苦笑を深めつつ、よく分かっていない様子でぽかんと口を開けているカスペルさんに、問いを重ねる。
「一緒に飲んでらしたじゃないですか」
「あ、あぁ……そうっす。俺がここに入ってすぐ知り合って……それからはああやって時々2人で飲みに……本当申し訳ありませんでした!」
会話の流れで再び先日の出来事を思い出したらしいカスペルさんは、先ほどよりも勢いをつけて頭を下げた。ゴン、と響いた音にびっくりしつつも「もういいですって!」強めに否定する。
仲がいいのは分かったが、なかなか不思議な組み合わせだ。回復薬を届けることから、騎士団とは関係が濃いのかもしれないが、屈強な体に重い鎧を身につけたヴェイクと、薄い体にボサボサ頭の丸眼鏡という風貌のカスペルさんは、正直結びつかなかった。
「そうなんですね。昨日はまさかヴェイクさんもいらっしゃるとは思わなかったから、ちょっと驚いて」
私のつぶやきにカスペルさんはおずおずと頭をあげる。その額は赤くなっていて――それより目に付いたのは、なぜか輝いている眼鏡越しのカスペルさんの瞳だった。
「ラウラちゃん、ヴェイクさんに憧れてるんすか?」
「え? いや、あの……ほら、有名な方ですし……?」
昔から一方的に知っているんです、とは当然言えないので、適当に言葉を濁す。とはいえヴェイクに抱いているこの感情は、憧れにとてもよく似ていた。
カスペルさんの言葉は間違ってはいなかったので、ゆっくりとだが確かに頷く。するとパァ、と彼の目が更に輝いた。
その目の輝きに、カスペルさんの考えが手に取るように分かってしまう。
「分かったっす! 罪滅ぼしに、ヴェイクさんを紹介するっす!」
予想通りの言葉に、正直喜んだ。
ヴェイクとは一度きちんと話してみたいと思っていたのだ。けれど私が過剰に接触してよいのかという躊躇いと、そもそも迷惑なのではという遠慮が、カスペルさんの言葉に素直に頷くことを良しとしなかった。
しかし、そんな私の葛藤に全く気づかないカスペルさんは素早く立ち上がる。そして「行くっすよ!」と元気よく背中を押された。
「行くって……今ですか!? 研修は!?」
「上司権限で半日お休みっす! チェルシーちゃんも自由課題で! お2人とも優秀っすから!」
戸惑う私にとんでもないことを言い出すカスペルさん。思わずリナ先輩に助けを求めようと目線を向けると――先輩は困ったように笑って「頑張って」と口の形だけで伝えて来た。次に目線をやった、先輩の隣のチェルシーも同様の反応で。
結局そのまま、私はカスペルさんに背中を押されて調合室を後にした。
***
飛び交う怒号。舞い上がる砂埃。鈍く響く鉄の音。
突然騎士団の訓練場までやってきた私たちを出迎えてくれたのは、
「カスペル殿、どうされたんですか?」
「あ!」
2年ほど前、アルノルトの試験に同行した私を案内してくれた、淡い緑色の髪を持った騎士様だった。
私は思わず声を上げてしまう。まさかこんな形で再会するとは。シュヴァリア騎士団に所属していると話してくれた時から、調合師見習いになればどこかでまた会えると思っていたが――
私が上げた声に、騎士様とカスペルさんが振り返った。
「ラウラちゃん、オリヴェルさんのこと知ってるっすか?」
「……す、すみません……いやあの」
私は覚えているが、向こうが覚えているとは限らない。私のことを覚えていますか? とふてぶてしく聞けるような性格でもないので、もごもごと口を動かしていると、
「あなたは……試験に受かられたんですね! おめでとうございます」
騎士様――カスペルさんが言うには、オリヴェルさん――の方から私にそう微笑みかけてくれた。
まさか、あの一瞬の会話を2年間も覚えてくれていたというのか。私は驚いて、思わず数歩前に出た。
「お、覚えていてくださったんですか?」
「ええ、もちろん。とても聡明なお嬢さんだと感じて……この方は受かるだろうと思ったんです」
にっこり王子様スマイル。オリヴェルさんの周りにキラキラとした光が舞っているように見える。少女漫画の世界に出てきてもおかしくなさそうな人だ。相手に好印象しか与えない。
「おいおい、また天然で口説いてんのか、副団長殿」
オリヴェルさんのような人になれたら素敵だろうな、などと羨望の眼差しを送っていたところ、すっかり耳に馴染んできた男性の声が飛んできた。副団長殿、とはオリヴェルさんのことだろうか。
声のする方を振り返ると、そこには予想通りヴェイクが立っていた。訓練の最中、もしくは休憩中だったのか、タオルで顔を拭きながら歩み寄ってくる。木刀を手に持ち、重い鎧は身につけていなかった。
「カスペルじゃねぇか。どうしたんだ?」
「この子……うちの期待のホープのラウラちゃんって言うんすけど、ヴェイクさんに憧れてるんす! それで――」
「先日の罪滅ぼしのために俺を紹介すると約束したのか?」
どうやら全てお見通しのようだ。
豪快に笑うヴェイクに、身を縮こませるカスペルさん。すっかり黙り込んでしまったカスペルさんを通り越して、ヴェイクは私に声をかけた。その際しゃがみこみ、目線を合わせるどころか私を見上げるようにして見つめてくる。
「ったく、災難だったな、ラウラちゃん」
「い、いえ! あの……お仕事中にすみません、すぐ帰ります。でも、お会いできて光栄です」
こうして話せるのは嬉しいが、やはり様子を見るに訓練中だったのだろう。当たり前だ、休みの日でもなく昼休憩の時間でもないのだから。
カスペルさんに押し切られるようにして来てしまったが、またの機会にしましょうときちんと断るべきだった。今更反省しつつ、私は頭を下げた。すると、
「カスペルよりずっと大人だな!」
大口をあけてヴェイクは笑う。ガッハッハ、という豪快すぎる笑い声に数瞬呆気にとられて、それからつられるようにして私も笑った。
“私”は知っていたことだが、本当に気持ちのいい人だ。一緒にいると、晴れ晴れとした気持ちになる。
ひとしきり笑った後、ヴェイクは私の肩を数度叩いてこう告げてきた。
「今若いモンに稽古をつけてるんですぐ相手ができず申し訳ないが――未来の調合師殿、ぜひ俺たちの訓練を見ていってくれ」
***
剣を素振りしている団員。手合わせをしている団員。ヴェイクさんに稽古をつけてもらっている団員――オリヴェルさんに案内してもらい、騎士団の訓練風景を見て回った。
今は訓練場の近くにある休憩小屋で、オリヴェルさんと共に飲み物を頂いている。もうすぐ稽古をつけ終わるからここで待っていてほしい、とヴェイクに言われたのだ。
「毎日あんなにお稽古されてるんですか?」
オリヴェルさんに尋ねる。すると彼は力強く答えた。
「シュヴァリア騎士団は王都の安全はもちろん、この国の安全を守るため、訓練は毎日欠かしていません。調合師の方々と違って、志願すれば試験もほとんどなく、するっと入れちゃうんですけど」
「その志が素晴らしいです」
国民を守るために、自ら騎士に志願する。その志を抱くこと自体が素晴らしいと素直に思う。私が男に生まれていたとして、果たしてそんな崇高な目標を掲げられたかどうか――
私の言葉にオリヴェルさんは嬉しそうに笑うと、
「ラウラちゃんのことも、僕たちがきちんとお守りしますから」
何度目かの王子様スマイルを見せてくれた。
このようなことをさらりと言えてしまうあたり、天然ジゴロというか、なんというか。気遣いの人なのだと思う。相手のことをきちんと見ている方なのだと思う。けれどその言動から多くの女性を勘違いさせたのではないかと、勝手に心配してしまった。
しばしオリヴェルさんと和やかな談笑を交わす。彼は話題も豊富で、会話も笑顔も途切れることはなかった。
和やかな、心地よい空気。それを存分に堪能しつつ、オリヴェルさんと交友を深めていたところに、“それ”は訪れた。
――カンカンカン!
突如として耳障りな音が、鼓膜を劈く。どうやら窓が僅かに開いていたらしい、室内にいるにも関わらず、鼓膜を破らんばかりの大きさだ。それだけに、何か“異変”が起きたのだとその音だけでわかった。
私はキョロキョロとあたりを見渡す。その瞬間、ドアが乱暴に開かれた。
「副団長、北の森に魔物の大群が! 今までにない規模です! それも見張りの目をどう掻い潜ったのか、街のすぐ近くに!」
――それは突然の報告だった。
魔物の大群。それも、街のすぐ近く。
突然すぎる出来事に、私は状況を把握できなかった。ただぽかん、と口を開いて、入り口付近に立っている若い騎士団員を見つめていた。
一方オリヴェルさんは素早く立ち上がる。そして、
「街の人々を王城へ避難させろ! すぐにだ! 第4隊から第6隊で警備! その他の隊は――」
「団長がすでに第1隊を率いて出られました!」
「私もすぐに出る! 第2隊と第3隊、第7隊以降全ての隊は北の城門前で待機!」
冷静かつ迅速な指示を飛ばした。
指示を受けた騎士団員は慌てて休憩小屋から出ていく。バタン、と大きな音を立ててしまった扉に、私はやっと反応できた。
魔物がすぐ近くまで来ているのだ。私たちは避難しなければならない。そして、オリヴェルさんは隊を率いて魔物討伐に向かう。
今までにない規模。どうやって見張りの目を掻い潜ったのか。
先ほどの騎士団員の言葉が、ぐわんぐわんと頭の中で響いていた。エメの村と同じように、王都にも今までなかった魔物の襲撃が――
「ラウラちゃん、カスペルさん達のところまで1人で戻れますか?」
「は、はい」
先ほどまでの王子様スマイルはすっかり消え去り、凛々しい表情で私の顔を覗き込んでくるオリヴェルさん。それでも安心させようとしてくれているのか、声音は努めて優しい。
私が頷くと、オリヴェルさんは休憩小屋から出て行く。私もそれに続いた。
「慌ただしくなってしまってすみません、また改めて案内させてください」
そうしっかりと頭をさげてから、オリヴェルさんは駆け出した。
最後まで気遣いの人だ。遠ざかっていくその背中に、思わず声をかけた。
「お、お気をつけて……!」
心臓がばくばくとうるさい。それを落ち着けるように数度大きく深呼吸をして、調合室へ走って向かった。早く帰らなければ、カスペルさん達にも心配をかけてしまう。
廊下を走り抜ける。脳裏に浮かんだのは、オリヴェルさんと――ヴェイクの笑顔。
――まさか。
私は思わず足を止めた。脳裏に浮かんだ可能性に一瞬足がすくんで――しかしすぐに、再び走り出した。先ほどよりも全速力で。
急いで調合室に帰って、回復薬を調合しなくてはならない。そうだ、避難なんてしている場合ではない。きっと今頃、全調合師総動員で調合にあたっているはず。私はその手伝いをしなければ。
脳裏に浮かんだ可能性を振り払うように、私は走った。
もしかすると、今回の魔物襲撃によって――ヴェイクは右目に大怪我を負うのかもしれない。