18:未来の英雄との再会
私のお気に入りの場所――小高い丘に置かれているベンチ――に、ルカーシュを案内する。ちょうど今の時間帯的に、山脈の向こうへと沈む夕日がとても綺麗に見えた。
「ここからの景色がお気に入りなの。特にこの時間は夕日が綺麗でしょ?」
ルカーシュを振り返る。彼はふら、と数歩前に見て、唖然と呟いた。
「本当だ……」
オレンジ色の光がルカーシュの金髪に反射して、とても綺麗だ。
幼馴染の様子にくすりと笑って、彼をベンチへと誘導した。
エメの村で見る夕日も綺麗だったと思い出す。故郷の夕日は雄大な自然の中に優しくかがやく夕日が素晴らしかったが、ここからみる夕日は王都・シュヴァリアを優しいオレンジ色にライトアップするようで、また違った良さがある。
隣に座るルカーシュの横顔を盗み見る。随分と鼻が高くなった――大人っぽくなったなぁと思う。
未来の勇者様の面影がどんどん強くなっていく幼馴染の姿に、これからの彼の運命を思った。そのまだまだ細い背に、世界の全てがかかってしまう。それは未来の話だが、彼は今既にエメの村の住人達の安全と命を背負っている。
たかだか数十人。けれど、14の少年にはあまりに重すぎる。
「今度は私が村に帰るね。やっぱりお母さんやお父さん……それにペトラ達にも会いたいし」
意識せずとも、柔らかな声が出ていた。私のその言葉に、ルカーシュはパッとこちらを見る。
――王属調合師への道が開けて、私は半ばゴールしたつもりでいた。しかしそれは間違いだ。これからは“私”が知らない道が続いている。もしかすると、ルカーシュが辿ろうとしているその道も、「ラストブレイブ」とは違う道かもしれない。
数年後、魔王が復活すると知っているのは私だけ。――いや、そのイベントすら、変わってくる可能性はゼロではない。
だから、できる限りのことをしよう。そうは言っても、私にできることは少ない。
とにかく第一に、優秀な調合師になること。そうすれば調合師として、未来の勇者様を助けることができるはず。そう、例えば――「ラストブレイブ」に登場する、調合オババのように。
目指せ、王属調合師! の次は、目指せ、調合オババ! になるかもしれない。
「うん、そうしてくれたらみんな喜ぶよ」
ルカーシュが笑う。私も笑う。こんな日が続けばいい、と思う。この世界に厄災が訪れたとしても、それを乗り越えて、あのときは大変だったねと笑えればいい。
――しばらく言葉もなく2人で夕日を眺めていた。
沈黙が全く気まずくならない、この距離が心地よい。ルカーシュの隣はとても落ち着けると前から思っていたが、こうして数ヶ月離れてみて、その感覚はいっそう強くなったように思う。
心地よい沈黙と夕日を楽しんで――ひゅう、と冷たい風が頬を撫でた。思わず肩を竦め、風邪を引く前に帰るべきだと立ち上がる。
夕日はもう直ぐ沈みそうだった。
「日が落ちると結構すぐ寒くなっちゃうの。宿に帰ろっか」
私の言葉にルカーシュは言葉なく頷いた。
***
ルカーシュは宿屋で部屋を取り荷物を解くというので、私は先に宿屋向かいの酒場で席を確保していた。休日ということもあって、この時間帯はとても混雑する。なんとか滑り込みで席に座ることができた。
ここは酒場と名乗ってはいるが、ほとんどレストランに近いお店であり、肉料理、魚料理、パスタ、ピッツァ――等々、一通りの料理が取り揃えられている。更にお値段もそこまで張らないため休日の夜には親子連れが多く見られ、チェルシーと女2人で来ても見知らぬ人に絡まれたことは一度もなかった。
場所も宿屋の直ぐ向かいだ。別れる前にここだと店の前で教えたし、顔見知りの店員にルカーシュの特徴を伝えてある。きっとルカーシュが入ってくるなり案内してくれるだろう。
注文をするつもりはまだないが、とりあえずメニューを開く。
今日は何にしよう。さっぱりとした魚料理を頼もうか――などと考えていたら、
「やっぱりそうだ! ラウラちゃんっすよね!?」
聞き覚えのある口調の、テンションの高い声がかけられた。その特徴的な口調は間違えようもない。
私がメニューからばっと目線をあげると、
「カスペルさん!?」
顔を真っ赤にし、見るからにべろんべろんに酔っ払っているカスペルさんが、席に座った私を見下ろすようにして立っていた。片手には、お酒のビン。
休日の過ごし方をとやかく言うつもりはないが――これは流石に酔いすぎではないか。
私が心配に思っていると、カスペルさんは私の前の机にドン! と手をついた。酒場での初絡まれが、仕事場の上司とは。
「ラウラちゃん、俺、お昼頃見ちゃったんすよ……」
声を潜めてそう言うカスペルさん。
お昼頃に一体何を見たんだろう。
ほんの少しだけ、酔っ払いに絡まれたと面倒臭さを感じつつも、邪険に扱えるわけもないので「何をですか?」そう尋ねる――よりも早く、カスペルさんが今度は声を張り上げた。
「お昼頃、一緒にいた金髪美少年くんは誰っすか!? 人違いとは言わせないっすよ!」
げっ。――そうこぼさなかっただけ、褒めて欲しい。
どうやら昼間、ルカーシュと一緒にいるところを見られていたらしい。
王都で会う以上、誰かに見られるかもしれないという可能性は考えていたが、見られたからといって何か不利益を被ることもないだろうと特に対策もしなかった。実際、ただカスペルさんに見られていただけならばよかったのだが。――お酒が入ったカスペルさんと偶然会い、こうして問い詰められるのは若干不利益を被っている、ような気がする。
こぼれかけたため息を飲み込んだことによって反応が遅れた私を待たずに、カスペルさんは更にこんなことを言い出した。
「まさか……ラウラちゃん二股!?」
「はっ!?」
思わず椅子から腰を浮かせる。その瞬間鼻孔に響いた酒臭さ。これは相当飲んでいるに違いない。
ぐっ、と思わず顔をしかめて再び反論が遅れた私に、カスペルさんは畳み掛けてきた。
「だってこの前アルノルトとぉ、2人で薬草園いたじゃないっすかぁ!」
アルノルト。カスペルさんの口から出てきた名前に脱力してしまう。それと同時にルカーシュがこの場にいなくてよかった、と今更ながら思った。
「いや、ただ案内してもらっただけですから……」
私は否定するものの、カスペルさんはぐいっと顔を近づけて睨みつけてくる。
正直、息もかなり酒臭い。どれだけ飲んだんだこの人は。
酔っ払った勢いでこのようなことを聞いてくるということは、普段からカスペルさんは私とアルノルトの仲を邪推しているということだろうか。そういえば、初めて出会った時も私をアルノルトの彼女だと誤解していた。その誤解は2年越しにようやく解けた訳だが――日本の女子高校生じゃあるまいに、色恋沙汰に興味津々のタイプなのか。
「いーや、絶対嘘っす! 上司の誘いにも一度も乗ってこなかったあのアルノルトが! 俺と2人きりになると露骨にめんどくさそうな顔するアルノルトが! 自分から! ラウラちゃんの世話見るって! もう答えはひとつしかないっす!」
拳を握り力説するカスペルさん。
話を聞く限り、私が特別好かれているというより、カスペルさんが特別嫌われているのでは――などと失礼な考えが脳裏を過ぎりつつも、どうこの場を切りぬけようかと頭をフル回転させる。そもそもアルノルトの上司に対する失礼な態度もどうかと思うが、それは一旦置いておいて、とにかくルカーシュが来るまでに場を収めなければ。こんな興奮状態のカスペルさんに出会わせてしまっては、更に面倒なことになるに違いない。
いっそ店を出て、宿屋の前でルカーシュを待っていようか――脳裏に浮かんだ選択肢は悪くはなかったが、それにしてもこのカスペルさんから逃げる方法を考えなくてはいけない。
「それなのに昼間! ラウラちゃんは見知らぬ美少年くんを連れていたっす!」
「いや、彼はあの……幼馴染です」
「幼馴染ぃ!? ……ラウラちゃん、実はなかなかやり手っすね!?」
見知らぬ美少年くん、の正体をできるだけ無難に明かしてみたが、カスペルさんはその答えに納得して引くどころか更に食いついてきた。これは駄目だ、酒場を出るしかない。
そう判断し、私は立ち上がろうとした――
「おいおい、何面倒な絡み方してんだ、テメェは」
瞬間、カスペルさんの頭を男らしいゴツゴツとした手が叩いた。
その声に、口調に、逞しい手のひらに、覚えがある。私は彼の姿を認識するなり、勢いよく椅子から立ち上がった。
「ヴェ……ッ!」
私を酔っ払いのカスペルさんから救ってくれたのは、ヴェイク・バッケルその人だった。
2年前出会った、未来の英雄。「ラストブレイブ」のパーティーメンバーの1人。
今の一撃ですっかりのびてしまったカスペルさんの首根っこをむんずと掴むと、申し訳なさそうに眉根を寄せて笑った。――その右目には未だ、大きな傷はなかった。
「悪りぃな、こいつ悪酔する奴だから飲ませないようにしてたんだが、俺がちーっと席を外してる隙に勝手に飲みやがって……」
「い、いえ! お気になさらず!」
ぶんぶんと大きく首を振る。まさかこんなところで、そしてこんなシチュエーションで再会するとは。
私はちらりと店の入口に目線をやった。ルカーシュの姿はまだない。幼馴染とヴェイクをここで会わせるのは少々気が引けた。
ルカーシュとヴェイクは序盤、王城で初対面を果たすのだ。その場で手合わせをし、ヴェイクはルカーシュの力を認める。そして自ら王に同行したいと申し出るのだが――ここで初対面を迎えてしまっては、その未来が思わぬ方向に変わってしまうかもしれない。
自分の行動で未来にどのような影響が出てくるのか――そんなことはもう気にしないといつぞやに思った覚えがあるが、やはりルカーシュ周りの環境の変化には未だ抵抗がある。「ラストブレイブ」と変わらないことが、幼馴染の、そして仲間たちの安全に繋がるからだ。
ゲームと同じ道を辿れば、ルカーシュたちは誰1人欠けることなくこの世界を救うことができる。
「嬢ちゃん、今年入った調合師見習いだろ? 見習い制度が始まって以来の天才少女が今年入ってきたって、騎士団の方でも話題になってなぁ」
「そ、そうだったんですか……ははは……光栄です」
ヴェイクにそう言ってもらえるのは「ラストブレイブ」のファンとしてとても嬉しい。できることならせっかく再会できたのだから、もっと話をしたいというのが正直なところだ。それに、アルノルトの騎士団入団の噂も――それは直接聞ける話題ではないのだが、気になるものは気になる。
後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、私は慌てて荷物をまとめた。しかし、
「嬢ちゃん、迷惑かけてすまなかったな。ほら、帰るぞ駄目上司!」
私が撤退するよりも先に、ヴェイクはカスペルさんを引きずってその場から踵を返す。そして大の大人1人を引きずってるとはとても思えない素早さで酒場の入り口まで辿り着くと、店を出る直前にこちらに手を振ってくれた。
私はそれに会釈で応える。そしてほっと息を吐きながら、どかっと行儀悪く椅子に腰掛けた。
ヴェイクの笑顔を思い返す。彼はあと2年のうちに、恐らくその右目に大きな傷を負う。作中片目の戦闘に慣れていたし、それこそ今年中にそのイベントは起こるのかもしれない。起こらない可能性もゼロとは言い切れないが――
私は再びメニューを開いた。
カスペルさんは、ヴェイクと2人で酒を飲み交わすような仲なんだろうか。2年前も親しげに会話をしていた。どうであれ、もしかするとまた会える機会に恵まれるかもしれない。
そのときは、今度こそしっかりと話したい。そして数々の武勇伝をその口から聞きたい。
ルカーシュを待ちながら、私は「ラストブレイブ」で見たヴェイクの勇姿を思い出していた。




