170:作戦会議
集まってもらった精霊様たち――今は光の玉の姿をされているが――をぐるりと見渡した。
アルノルトの封印魔法を破ろうとしている魔王の力。その力をあと少し、ルカーシュたちが魔王を倒すその日まで、どうにか抑え込むための作戦を考えなくてはならない。
現状を手短に説明してから、私は切り出した。
「封印魔法を破ろうとしている魔王の力が、外に出たくないと思うような環境を作りたいんです」
まさに言うに易しだ。その環境を作ることが一番の難所だろう。
精霊様たちは皆、黙り込んでしまう。――私は自分の計画とも言えない“思いつき”を彼らに伝えるか、悩んでいた。
思いついたことは、ある。しかしそれはあまりに精霊様たちに負担をかけてしまうもので、正直お願いをするには勇気がいった。
悩み、自然と俯いてしまった私の鼓膜を、ウェントル様の笑い交じりの声が揺らした。
『……精霊の飲み水にアルノルトを沈めるとか?』
――渡りに船、なんて言葉が脳裏に浮かぶ。私の思いつきとウェントル様の言葉は、ほぼ一致していた。
試作品、そして精霊の飲み水を魔王が嫌うことは実証済みだ。そしてダメージを与えられることも分かっている。であるなら、試作品もしくは精霊の飲み水でアルノルトを包んでしまえばどうだろうか、なんてことを思いついたのだ。
己が嫌う力で満ちた空間に、魔王の力は出てこようとするだろうか。万が一それでも出てきた場合も、四方を聖なる力に囲まれては無傷ではいられないだろう。
「それに近いことをできたらと。それで皆様の、知恵とお力をお借りしたくて……」
ただ、流石にアルノルトの体を水に沈めることはできない。それならばどうすれば――と考え、私が思い出したのは、ルカーシュたちを毒霧から守った解毒薬の結界だった。
全く同じことを精霊の飲み水で行えば、あるいは。
『水の結界かぁ……まぁ水はアカリに頼むとして、形整えるくらいならオイラも手伝えると思うぞ。この前似たようなことやったし』
ウェントル様は期待通りの言葉をかけてくれた。しかし前回と違うのは、その結界を一日中、そして更には何日も保たせなければならないという点だ。大きな負担になるに違いない、と考えていたのだが、ウェントル様は『疲れそうだなぁ』等といった弱音を吐くことはなかった。いや、きっと吐かないでくれたのだろう、と思う。
私は水色の光と向かい合う。その光はアカリのものだ。
「アカリには、大きな負担をかけちゃうと思うけど……」
大丈夫? なんて無責任な問いかけはできず、私は言葉尻を濁した。
甘えすぎている。頼りすぎている。けれど、他に術が思いつかない。
罪悪感から水色の光を見つめ続けることができず、私は視線を床に落とした。視界いっぱいに広がる木の床。それがきし、と小さく軋んだかと思うと、視界の隅にふわふわの前足が現れた。
あ、と思ったときにはアカリは子犬の姿で、私の足元に頭をこすりつけていて。慰めてくれているのだろうか、とその頭に思わず手を伸ばす。
「精霊は、こういうときのために、うまれた、から」
アカリは真っすぐ私を見上げて、淀みなく言う。
精霊はこういうときのために、うまれた。
それは生まれたばかりにもかかわらず、自分に与えられた使命をしっかり自覚している、気高き精霊様のお言葉だった。
『そうそう! オイラたちは悪しき力に対抗するために生まれた、この世界の良心みたいなもんだからな!』
すかさずウェントル様が私の周りをくるくると楽し気に回る。
精霊はこの世界の良心。独特な言い回しだったが、実際そのような存在なのだろうな、と納得する。
ふと、この世界の創造神の話を思い出した。大いなる闇に支配されたこの地を救い、この地に生命を生み出した、最初の勇者。その伝説が真実なのであれば、精霊もまた、彼によって生み出された存在なのだろう。遠い未来、うまれてしまった悪しき力に対抗するために勇者が創った、この世界の良心。
『悪しき力を滅ぼす。それが我々精霊の何よりも優先するべき使命だ』
アヴール様は迷いのない力強い声音で言う。その言葉を『だかラ』と引き継いだのはライカーラント様だった。
『人々は好きなだケ、私たちを頼っていイ』
気にするな、気を病むなと言ってくれているのだろう。その優しさが身に染みるようだった。
世界の良心としてうまれた精霊たちは、こうして人間に寄り添ってくれる。たとえその名を人間が忘れ、地図から自分の名を冠した地名が消えようとも、傷ついた人々を無償の愛で癒してくれるのだ。
「ありがとうございます」
椅子から立ちあがり、大きく頭を下げた。するとウェントル様がケラケラ笑う。
『魔王を倒すためなんだから、ラウラ一人が礼を言うことじゃないだろー』
その通りかもしれない。私のためではなく、世界のためだ。しかしそれでも、私はお礼を言いたかった。
和やかな空気になったところで、今まで黙って事の成り行きを見守っていたシエーロ様が提案してきた。
『あの、空中に足場を作りましょうか? そうすれば全面囲めると思うので……』
それは願ってもない話だった。アルノルトの体を地面から浮かせることができれば、四方を精霊の飲み水で囲うことができる。
ぜひお願いします、と頭を下げたときだった。
『あれー? アヴールとライカーラントはー?』
ウェントル様がニヤニヤしながら――光の玉の姿になっているため当然表情は分からないが、声がニヤけていた――アヴール様とライカーラント様の周りをぐるぐる回り始めた。二人は何かできないのか、と言いたいのだろう。
アヴール様は火、ライカーラント様は土の精霊だ。今回の作戦では、そのお力は活かしにくい。
私はそのことになんとも思わなかったが――適材適所というやつだ――本人たちはそうではなかったらしい。
『……洞窟でも作るカ? 結界は多い方がいいだろウ』
ライカーラント様がそんなことを言い出した。
結界は多い方がいい。それはつまり、精霊の飲み水で囲ったアルノルトを、更にライカーラント様の力で作った洞窟で囲うということだろうか。
『それならば、私は魔除けの火を焚くが』
すかさずアヴール様も続いた。
水の結界に、洞窟に、魔除けの火。盛り沢山すぎる。
(でも、できることは全部やった方がいい……)
ここは出し惜しみをする場面ではない。持てる力全てで挑んだ方がいいだろう。
私は「心強いです」と相槌を打ってから問いかけた。
「洞窟を作ると仮定して、それはどこがいいんでしょうか? どこでもあまり変わりませんか?」
精霊様たちが互いに顔を見合わせるような数秒の間があった。きっと脳裏にいくつか候補が浮かんでいるのだろう。
口を挟まずにただ待っていると、代表してアヴール様が答えてくれる。
『少しでも我々の力が増強されることを期待するのであれば、聖域であろうな』
『荒らされちゃってるけどね』
ウェントル様の声には苦笑が滲んでいる。
――魔王に乗っ取られたアルノルトと対峙した、その場所。精霊様からの許しを得られなければ足を踏み入れることのできない聖域は、なるほど確かに聖なる力に満ちた場所と言えるかもしれない。
あの日あの場所で魔王が起こした爆発も、ルカーシュたちの命を奪うことはできなかった。傷こそ負ったものの、ルカーシュもヴェイクもすぐに立ち上がり、魔王に対抗した。あんなにも至近距離での爆発だったにもかかわらず、だ。アルノルトが抵抗していたということも大きいだろうが――あの聖地の中で、魔王も弱体化していた可能性はある。
『あの日から、少しずつ荒らされた地を直しています。急がせましょう』
シエーロ様はそう言葉を残し、空気に溶けるようにして姿を消した。急がせる、ということは、聖地の修繕にあたっている別の精霊たちがいるのだろうか。
全て、何もかも手探りの状態だ。頓珍漢なことを真面目にやっているだけかもしれない。しかし、私たちは足を止めることはできないのだ。
魔王の思い通りにはさせない。大切な人々に襲い掛かろうとしている不安を、少しでも軽くしたい。それは心の底からの本心だ。しかし、今自分を突き動かしている感情は、もっとシンプルなものだと薄々分かっていた。
『アンペール』
鼓膜に蘇る、低い声。
その声をもう一度聞きたい。ただ、それだけだった。