17:未来の勇者様
「……村が、襲われた?」
唖然と呟いた。
――「ラストブレイブ」の時間軸が確実に近づいている。今こうして、ルカーシュの言葉に唖然としているときも。1秒ずつ、その時――魔王復活の刻が、近づいている。
すっかり放心してしまった私を呼び戻すように、ルカーシュは私の手を握った。
この手が、みんなを守ってくれたのだろうか。
「そうは言っても、誰も怪我はしてない。安心して」
「……ルカーシュが、追い払ってくれたの?」
ルカーシュはこくりと頷く。
誰も怪我をしていない、との言葉に安心しつつも、魔物を倒した本人は怪我をしていないのかが気になった。ルカーシュは自分だけが怪我をしてしまったら、そのことを隠すような子だ。
目の前の身体に縋り付くように距離を詰めて、早口で尋ねた。
「ルカーシュは? ルカーシュは怪我しなかった?」
なぜかルカーシュは嬉しそうに目を眇める。そして、
「大丈夫。またこの目が光って、なんとかしてくれた。それに村の大人たちも助けてくれたし」
笑って自分の左目を指差した。
ルカーシュが勇者として村を旅立つ前にも、村を襲ってきた魔物を彼が退けていたと、「ラストブレイブ」冒頭で村人の口から語られていた。だから今回のことも、本編への布石にすぎない。予定調和だ。起こるように決められた――イベント、だ。
分かっている。“私”は知っている。それなのになぜ、こんなにも動揺しているんだろう。自分が魔物に食い殺されそうになったとき、「イベントだから死ぬことはない」とあんなに落ち着き払っていたではないか。なのに、なぜ――
“私”もこの世界の人間になりつつあるのか。
「そう……よかった。それと、ありがとう」
「なんでラウラがお礼言うの」
沈んだ空気を明るくするように、ルカーシュは態とらしく声をあげて笑う。しかし私はその笑みに応えられなかった。
ルカーシュの顔からも笑顔が消える。そしてひとつ、気持ちを整えるように息を吐いてからルカーシュは口を開いた。
「……後で分かったんだけど、村を守る魔法が弱ってたとか、そんなことはなかったみたいなんだ。ただ……魔物が強くなった」
言葉の最後はとても小さな、内緒話をするようなボリュームで。
「ラウラが言った通りだった」
怯えや悔しさ、恐怖や高揚――様々な感情が複雑に入り乱れた声だった。
きっと今日私に会うまで、ルカーシュは1人で抱えていたのだ。
幼馴染は私が数年前に言った「将来魔物が強くなる」という突拍子も無い言葉をはじめから信じてくれていた。けれど、ルカーシュもどこか“それ”は遠い未来の出来事のように思っていたのではないか。
「……うん。ルカーシュがいてくれて、本当によかった」
ほっと息をついて、ようやく笑えた。
ルカーシュは私の笑顔に応えるように、僅かに口元を緩める。けれどすぐにその笑みは消えてしまった。
「父さんも母さんも、魔物が村に入ってくるなんてこと、今まで一度もなかったって言ってた」
ぽつり、ぽつりとこぼされる言葉たち。
今回の出来事はルカーシュだけでなく、エメの村の人々にも大きな動揺を与えたことだろう。両親や友人たちの顔を思い浮かべ――はたと思い至る。
ルカーシュが村にいない今、住民たちはとても不安なのではないか。今このとき、村が魔物に襲われたら。
その可能性を考えなかった訳ではないだろう。きっと村の男性たちを中心に、武装するなどして対策を練っているに違いない。彼らはルカーシュを、久しぶりに幼馴染に会ってこい、と気持ちよく見送ってくれたはずだ。けれど――
私は何も知らなかった。何も知らされていなかった、が正しいが、あまりにも呑気だった。私に今回の出来事を皆が知らせなかったのも、きっと調合師の勉学に集中できるようにとの心遣いだ。
私は拳をぎゅっと握り締める。
次からは、私がエメの村まで会いに行こう。長い休暇のときだけではなく、もっと小まめに。王都とエメの村は距離があるとはいえ、急げば2日の休みでも――いや、それは流石に厳しいか。せめて3日あればとんぼ返りになってしまうものの帰省できる。
そうだ。休日出勤して、その分代休を翌週に回すことはできないだろうか。カスペルさんに相談してみよう。
「……嫌な予感がするんだ。最近、突然左目に熱がこもる」
その言葉に、思わずルカーシュの左目を見やる。空のようにすんだ青の瞳の中、存在を主張する金の紋章。その色が濃く、深くなっているように見えるのは私の気のせいなのだろうか。
もしかすると、勇者の力が強くなっているのかもしれない。もしくは不完全な目覚めだったものが、完全になりつつあるのか。
どういった理由にせよ、ルカーシュは自身の左目の変化――そして自身の力に、戸惑いに似た感情を抱いているらしい。
その感情を少しでも拭いとれないかと、左のまぶたに触れる。あの日――私が勇者様の幼馴染として生きていくと決めたあの日――と変らぬ温もりが、指先から広がった。
「なんの証なんだろう、これは」
それはこの世界を救ってくれる、勇者の証。
今真実を告げても、余計に混乱させるだけだ。私はぐっと下唇を噛みしめる。
「僕は、一体――」
それ以上、口にさせてはいけない。
直感がそう告げた。
「ルカーシュはルカーシュよ。その紋章がなんなのかなんて、どうでもいいじゃない」
早口でまくし立てる。
その紋章はこの世界を守ってくれる、勇者の証だ。決して畏怖すべきものではない。ルカーシュの優しさや強さが具現化した、ルカーシュの証だ。
突然口調が強くなった私に、ルカーシュは目を丸くした。その表情に、些か必死すぎたかと気恥ずかしさを覚える。しかしきちんと伝えなければいけないことだ、と再び口を開いた。
「あ……どうでもいいは言い過ぎた。気になることは気になるけど……でもルカーシュの力のおかげで私は今生きてるし、エメの村のみんなも怪我してないんでしょ?」
そう、私はルカーシュが勇者の力に目覚めていなければ、とっくの昔に死んでいる。為すすべもなく魔物に食い殺されていた。
「ラストブレイブ」で見たイベントだから、死ぬことはないと分かっていたから――そう思い、ついついあの日の出来事を軽く見てしまうが、ルカーシュは私の命の恩人なのだ。
「私なんて、ほら、ルカーシュがいなかったら今頃魔物の胃の中だし」
あはは、と笑えば、ルカーシュの顔に笑みが浮かんだ。そして彼は「そうだね」と思いの外力強い声で頷く。
「この力がなかったら、今こうしてラウラと一緒にいられなかった。この力があったから、ラウラやみんなを守れた」
表情にも声にも、元気が戻ってきた。かと思うと、
「僕、この力でみんなを守りたい」
ルカーシュは力強くそう言い切った。その顔は私が知る、可愛い幼馴染の顔ではなくて――この世界の命運を背負う、未来の勇者様の顔だった。




