166:足止め
ある日のこと、調合していた最中にジークさんから呼び出された。慌てた様子の彼を不思議に思いながら言われるままついていくと、連れていかれた先の部屋には例の器があり、水面にはルカーシュの顔が映し出されていた。
最近はもっぱら手紙でのやり取りが主だったから、こうして顔を見るのは少し久しぶりだ。――が、しかし、そのことを喜んでいられる雰囲気ではないことは、幼馴染の険しい表情からして明らかだった。
『ラウラ、力を貸して』
私が椅子に座るなり、幼馴染は口を開く。
そして彼はこう続けた。毒の霧のせいで先に進めないんだ、と。
「毒の霧?」
『魔王のところに行くにはどうしても通らないといけない森に、毒の霧が蔓延してて……』
ルカーシュは歯がゆそうに下唇を噛み締めて目線を落とす。
森に蔓延した、毒の霧。勇者たちの歩みを止めるそれはもしかして。
「魔王のせいってこと?」
『近くの村の人たちによると、そうじゃないかって。少し前までは果物や薬草がよく採れるような、豊かな森だったらしいから……』
やはり頭の回る魔王による妨害工作のようだった。
魔王側としては最終決戦に向けて戦力を集めるため、少しでも時間を稼ぎたいのだろう。反対に少しでも準備の時間を削りたい勇者側としては、ここで足止めを食らうのは厳しい。
しかし突然現れたということは、毒の霧が発生した“原因”があるはずだ。
「それじゃあ何か原因があるってことだよね……ライカーラント様に土の浄化はお願いしてみた?」
『うん。ラウラが定期的に送ってくれる試作品も試してみたけど、効果はなかった』
つまりは植物型の魔物による毒ではないということだ。もっともあのときの攻撃対象はフォンタープネ様の大樹であって、毒霧が発生していたわけではないから、ルカーシュの回答は想定内だったけれど。
ううん、と考え込んで――はた、と思いつく。正直あまり気が進む提案ではなかったが、確かめてみようと問いかけた。
「……ねぇ、時空の狭間を通って、森の先に出ることはできないの?」
精霊の住処は全て時空の狭間に繋がっている。移動には危険が伴うが、もし森の先に入口があるのであれば、森を通らずして進むことができるはずだ。
しかしそれは毒霧に侵された森を一時的に見捨てることになる。魔王を倒せばおそらくは毒霧も晴れるだろうが、それでも心情的にはあまり気が進まない道だ。
私の問いに答えてくれたのは、ルカーシュの右隣に控えていたディオナだった。
『これから先、暗雲近くの入口は閉じてしまっているんだそうです』
「閉じてしまっている?」
『魔王の悪しき魔力の影響が大きすぎて、精霊が住み着けなくなってしまった、と……』
ディオナの答えは予想していなかったもので、私は思わず息を飲む。
魔王の力の影響は想像よりもかなり大きいようだ。そして何より、
(もうそれだけ近くまで行っているんだ……)
勇者の旅の終着点は近いのだと、改めて突きつけられたようだった。
一瞬の動揺をどうにか取り繕って、再び尋ねる。
「毒霧の原因は分かってないの?」
『ウェントルたちが見てきてくれたんだけど、魔物みたいなんだ』
「魔物?」
『大きな飛行型の魔物が毒の霧を纏ってたんだって』
毒の霧を纏った、大きな“飛行型”の魔物。
いやらしいな、と思った。フォンタープネ様のときの経験を魔王側はしっかり活かして、こちらの攻撃手段への対策を練ってきている。土に根を張る植物型の魔物、もしくは土表に足をつく歩行型の魔物であれば、ライカーラント様の力でどうとでも干渉ができたのに。
黙り込んでしまった私に、ユリウスが一枚の紙を見せるように水面に近づけた。そこに描かれていたのは、背中に翼が生えた魔物の絵だ。
『これがウェントルたちの話を聞いて俺が描いた魔物の絵だ』
「……すごく上手ですね」
『弟によくねだられてな』
素直な感想を伝えたのだが、ユリウスの笑みに影が差したのを見て、失言だったと口を噤む。しかし当の本人が影を抱えたのはほんの一瞬だけで、すぐにいつもの笑顔に戻った。
ユリウスが描いたという魔物の絵が水面いっぱいに広がって、その後ろのルカーシュたちの姿がいまいち見えなくなってしまったが、次に鼓膜を揺らしたのはヴェイクの声だった。
『その魔物を倒せば霧が晴れるんじゃないかと俺たちは思っているんだが、倒すまでに毒を無効化する術が欲しい』
だから私に助けを求めてきた、ということなのだろう。
こうして困ったときに頼ってくれるのは素直に嬉しい。だからこそ、その期待に応えられるように努力しなければ。
求められているのは長時間の毒の無効化。毒薬を調合する際に解毒効果のある薬草をつめたマスクを身に着けるが、その応用で攻められないだろうか。
「ラストブレイブ」に限らず様々なゲームに、それを飲めば一定時間熱や寒さ、毒を無効化してダメージを受けずに済む予防薬が存在していた。その予防薬を作り出すのを目標にしよう。成分的には解毒薬とそう変わらないはずだ。
予防薬だけでは不安なので、やはりマスクと合わせて使うべきか、と考えて、ふと思いつく。
(アカリやウェントル様の力を借りて、解毒薬の結界を作れるかも)
結界というより、解毒薬の膜といった方が近いだろう。ルカーシュたちの体を解毒薬で包んでしまえれば、より確実に毒を防げるかもしれない。
勝手に想像を膨らませるものの、自分は毒や魔物に関してはまだまだ知識が不足している部分がある。ルカーシュたちの命に関わる問題だ。しっかりとした知識に裏打ちされた作戦を考えなければならない。
脳裏に浮かんだ、二つの顔。――以前のように、毒と魔物について詳しい後輩たちに協力を依頼できないか、声をかけた方がいいだろう。
水面からユリウスの絵が離されて、ルカーシュたちの顔が見えるようになる。私は彼らの顔を見渡してから、大きく頷いた。
「わかりました。毒について詳しいバジリオさんにも相談して、また連絡します」
『よろしく、ラウラ』
じっとこちらを見つめてくるルカーシュにもう一度頷いて応えた。
***
その後アカリにユリウスの絵を持ってきてもらい――器を通すとどうしても水で濡れてしまうから、魔物が描かれた紙を受け取るには精霊様に運んでもらうしかなかった――光の器でバジリオとアイリスを呼び出して欲しいとジークさんに依頼した。
バジリオさんたちは業務中で少し時間がかかると言われたので、調合途中だったことを思い出し、一度調合室に戻る。その際にお師匠と鉢合わせしたので、成り行きで彼女にも相談の場に立ち会ってもらうことにした。彼女も過去、毒について研究をしていたはずだ。毒薬の調合ノートを私に授けてくれたこともあるのだから。
お師匠と再び器のある部屋に戻り、バジリオさんたちを待っている間、事情を説明する。
「毒の霧、か」
ふうむ、と顎に手を当てて考え込むお師匠。
「はい。予防薬作って、解毒薬を周りに撒いて、防毒マスクをつけてもらうのがいいかなと考えているんですが」
「それはそうじゃが……あれはなかなか邪魔じゃぞ。魔物だけじゃなく、森の木々に引っかかって気を取られかねん」
お師匠に突っ込まれてぐ、と言葉に詰まる。
そう、彼女の言う通りあのマスクはかなりかさばる。鳥の嘴のような形状をしているから――その嘴部分に薬草を詰めるのだが――武器を振り回しでもしたら当たってしまうかもしれない。それに相手側からしてみれば、これ以上ない攻撃の的になる。
多少の軽量化はできるだろうが、森の奥深く、木々が生い茂り足場の悪い場所での使用は避けた方がいい。と、なると――比較的場が開けているであろう森の入り口付近まで、目的の魔物を誘き出す方法を考えた方がいいかもしれない。
「マスクが最小限邪魔にならない、森の入り口近くまで、魔物を誘き出せたらいいんでしょうが……」
「好物で誘い出すかのぅ……」
ううん、と師弟そろって考えていたら、ルストゥの民から声がかかり、水面が光った。そして現れたのはバジリオさんとアイリスだ。
『すみません、お待たせしました』
「バジリオさん、アイリスも、わざわざすみません」
謝れば、二人揃って首を振った。感謝しつつ、そのシンクロ具合に微笑ましさを覚える。
私はまず、ユリウスの絵を水面に近づけた。
「アイリス、この絵に似た魔物は知ってる?」
『ちょっと探してみる』
そう言うなりアイリスは持参していたのか、分厚い文献を膝の上に広げて頁を捲り出した。彼女が探してくれている間、バジリオさんに毒について相談しようと切り出す。
「森に毒霧が蔓延しているようなんです。原因はおそらくこの絵の魔物で、倒せば解決できるんじゃないかと思うんですが……」
『それまで毒霧をどうにかして中和したい、ということですよね』
話が早い。バジリオさんの言葉に私は頷いた。
『解毒薬だけでなく予防薬を先に飲んでもらって――』
『見つけたー! 多分、この魔物だよ』
バジリオさんだけでなく、アイリスも早かった。彼女は声をあげて、文献を水面に近づける。その際さりげなくバジリオさんが支えてあげていることに気がついた。
水面に映し出された文献の挿絵と、手元のユリウスの絵を見比べる。細かい部分の違いはあるが、その大きな翼と長い毛によって隠れた目元、そして立派な蹄が共通していた。そして何より、翼もその体も見るからに毒性を持っています、というような毒々しい紫色をしている。
おそらくは同一の魔物だろう。
「絵とそっくり」
『目はあまり見えないけど、その分音と臭いに敏感みたい。好物はナラカの実』
アイリスが文献を掻い摘んで読み上げる。
ウェントル様曰く、この魔物が毒霧を纏っていたのを見たらしいが――
「元々毒を持っている魔物なの?」
『ううん、毒へのかなり強い耐性はあるけど、自分の体で毒を生み出せる魔物じゃない』
「ってことは……」
「魔王に“そう”体を変えられたのかのぅ」
お師匠の言葉に水面から目を離し、彼女の方を見やる。お師匠は何とも言えない表情を浮かべていた。
残酷な話だが、その通りかもしれない。魔王からしてみれば魔物なんて駒でしかない。体の作りを強引に変えてしまうことだってできてもおかしくはないだろう。
ユリウスの絵を見つめながら、今後の動きを考える。とにかく時間が惜しいのだ。一秒でも早く動き出さなければ。
「とりあえず、解毒薬と、予防薬の調合方法を考えないと。あと好物がナラカの実なら、香りで誘い出すこともできるかもしれません」
ナラカの実は香りが強い。だからこそ、目が不自由だというこの魔物にも見つけやすく、好んで食べるのだろう。それを利用すれば、森の入口近くまで誘い出せるかもしれない。
バジリオさんとアイリスは私の目を見てしっかり頷いてくれた。
『そうですね、調合方法は――』
まず解毒薬の調合についてはお師匠とバジリオさん、そしてメルツェーデスさんのお力を借りることにした。皆優秀な調合師だ、三人寄ればなんとやら、きっと道は開けるはず。
次にナラカの実で魔物を誘い出す方法について、アイリス、そしてルストゥの民に協力を依頼した。これはアイリスが名乗りを上げてくれたことなのだが、長い間魔物と戦っているルストゥの民の経験と知識をあてにしてのことだった。
マスクの軽量化については、ユリウスが手を挙げてくれた。秘境の村で一人用心棒をしていた彼は、武器や防具の扱いに慣れている。流石に一人では厳しいとのことで、ヴェイクを筆頭に勇者一行が全員で協力し、レオンさんも手伝うと人数分のマスクを用意してくれたようだった。
(ここが踏ん張りどころだ)
一秒でもはやく、勇者たちが魔王の許へたどり着けるように。そのために、私たちは昼夜問わず奔走した。