157:再会と初対面
幸運なことに魔物に襲われることもなく、無事王都に辿り着いた私たちを出迎えてくれたのは、琥珀色の瞳を持った三人の男性だった。
「ラウラセンセ」
「リーンハルトさん!」
馬車から降りる私をさりげなくエスコートしてくれた赤髪のその人――リーンハルトさん。相変わらず目つきは悪いが、纏っている空気が柔らかくなったように思うのは気のせいだろうか。
「お久しぶりです」
言いながら軽く会釈をすれば、リーンハルトさんとその両サイドに控えていたジークさん、レオンさん三人が会釈を返してくれる。
私たちを王都で待っていてくれたルストゥの民は他にもいるようで、ジークさんたち含めた数人の男性が素早い手つきでアルノルトの体を別の馬車へと移動させた。その様子を見届けてから、私はきょろきょろとあたりを見渡す。
もしかすると、と思っていたのだが、予想通り、少し遠くにぼさぼさ頭の人影を見つけた。
「カスペルさん!」
ディオナが既に話を通してあると言っていたから、カスペルさんも出迎えてくれるかもしれないと思っていたのだ。
予想通り来てくれた上司に嬉しく思いつつ、私は話をするために慌てて駆け寄った。そうすれば、彼は笑顔で右手を上げる。
「ご無事でよかったっす!」
「すみません、なんかもう、次から次へと……」
大きく腰を折って頭を下げようとした私の肩を、若干強引にカスペルさんは掴む。そして前に倒そうとした上半身を手のひらで押し返して、私に頭を下げさせるのを力ずくで阻止した。
「いいえ、今は調合師も多くが避難生活で通常業務を行えてないっすから、気にしないでください」
そして労わるような笑みで言い、
「全部が終わったら、そのときはかなーり忙しくなるっすよ。だから今は、十分休んでおいて欲しいっす」
そう締めくくった。
何度こうして彼に迷惑をかけ、そしてその笑顔で許してもらったことだろう。もう一生カスペルさんに頭が上がらない。
私は喉元まで出かかった「すみません」を飲み込んで、「ありがとうございます」と返す。そうすれば彼は眼鏡の奥の瞳を細めて頷いた。
かと思うと、この話題は終わりだとでも言うように、カスペルさんは忙しなくあたりを見渡す。そして視線はあちらこちらに巡らせたまま、問いかけてきた。
「アルノルトは……」
「あちらの馬車の中で眠っています」
振り返り、先ほどルストゥの民によってアルノルトが運び込まれた馬車を指さす。そうすればカスペルさんは素早い動きで馬車に近づき、そっと中を覗き込んだ。
馬車の中には今回のために改造したのか、小型なベッドがどうにかこうにか収まっていた。その上にアルノルトは寝かせられている。
カスペルさんは身を乗り出し、部下の寝顔を覗き込んだようだった。
「アルノルトの寝顔、初めて見たっす。まったく、相当無茶したみたいっすね」
やれやれ、と肩を竦めるカスペルさん。呆れるような口調だったが、口元は笑っておらず、目線はずっとアルノルトに注がれていて。
心の底から心配しているのだろう、とその横顔を見れば分かった。
「ラウラちゃんはこんな先輩になっちゃダメっすよ。いい仕事をするなら適度に休息を取らないと!」
こちらを振り返ったカスペルさんは、すっかり普段通りだ。優しくて、どこか抜けているように見える、愉快な上司。
「起きたら今度こそ一発ガツンと言ってやるっす!」
ルカーシュに一発殴られ、カスペルさんに一発ガツンと言われ――と、起きた後のアルノルトは大忙しだ。
そう思うと、自然と笑みが浮かんでいた。それを見てか、カスペルさんはほっと息をついたように思えて。
――不意に、こちらを見つめていたカスペルさんが顎を上げて私の背後を見た。私は思わず振り返る。そこには、こちらの様子を外から窺っているリーンハルトさんが立っていた。
一瞬、息を飲む。カスペルさんとリーンハルトさんの二人に面識があることは聞いていたが、カスペルさんがルストゥの民に対して複雑な思いを抱いていることを私は知っている。
数秒の沈黙。背後で、ふ、とカスペルさんが笑う気配がした。
「うちの調合師たちをよろしくお願いします、リーンハルトさん」
「はい」
いつもより硬いカスペルさんの声。しかし敵意や嫌悪といった感情は読み取れなくて。
カスペルさんは馬車から降りると、リーンハルトさんにもう一度頭を下げてから私に手を振る。そしておそらくは仕事に戻るためだろう、足早に去っていった。
忙しい中、時間を縫って出迎えてくれたに違いない。その優しさに甘えないように、避難先となる街でも自分にできることを探そう。
「魔物たちが活発に動き出してるみてェですから、急いで向かいましょう」
リーンハルトさんに声をかけられて、はっと我に返った。
勧められるまま、私は別の馬車に乗り込む。チェルシーやリナ先輩にも挨拶したかったのだが、もしかすると彼女たちも避難をしているのかもしれない。どちらにせよ、もうルストゥの民は王都を出たいようだった。
私が乗り込んだ馬車の扉が閉まる――と、男性の手が締まりかけていた扉を掴んだ。驚いて立ち上がると、扉の隙間から、ひょっこりと見慣れた笑顔が覗き込んでくる。
「気をつけろよ、ラウラちゃん」
それはユリウスだった。
私は思わず扉に近づく。するとユリウスの背後から、別の声がかかった。
「嬢ちゃん、ルカーシュのことは任せてくれ」
ヴェイクだ。彼の力強い言葉に、私は大きく頷く。
次にぐい、とユリウスを押しのけて現れたのはマルタだった。
「帰ってきたらルストゥの民の街のこと教えてね〜」
そういえば彼女はルストゥの民の街を知らないのだな、と思い出す。旅の後に土産話として話してあげられるように、しっかり街を観察しておこう。
次に、マルタに身を寄せるようにして馬車の中を覗き込んできたのはディオナだ。
「ラウラ、何か不便があればリーンハルトたちに言ってください。気をつけて」
「ありがとう」
ディオナはどこか不安そうに眉尻を下げて言う。あれだけ綺麗な街だ、不便に思うことなんてないだろうが――あったとしても匿ってもらっている以上、きっと言い出せない――その心遣いが何よりも嬉しい。
エルヴィーラがマルタとディオナの合間を割って現れる。
「ラウラ! お兄ちゃんのことよろしくね!」
「うん」
深く頷いて応えれば、エルヴィーラはほっとしたように笑った。
――不意に、女性陣三人が背後を振り返る。かと思うとゆっくりとその場から退いた。
視界が開けたその先、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる幼馴染。その背には、魔王の手から死守した聖剣がある。
今度こそルカーシュは、魔王を倒すための最後の旅に出るのだ。
「気を付けて、ラウラ」
頷く。そしてこちらからも声をかけた。
「行ってらっしゃい、ルカーシュ」
行ってきます、と答えた幼馴染の笑顔はどこか幼くて――エメの村で彼と過ごした日々を思い出した。
気が付いたら一緒にいた。長い時間を一緒に過ごした。幼い頃は臆病だと同じ村の男の子にからかわれたりしていたけれど、誰よりも優しく、強い男の子。
出立を告げる声がする。もう一度ルカーシュと微笑みあってから馬車の扉を閉めた。
(彼らなら大丈夫。私は――エルヴィーラから託されたアルノルトのために、できることをしよう)
馬車が走り出す。扉についた小さな窓から、ルカーシュたちの姿を見つめる。彼らはずっとこちらに向かって手を振り続けてくれていた。ずっと、ずっと。
***
馬車に揺られるうち、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。ガチャ、と扉が開く音で私は目を覚ました。
ジークさんの手を借りて馬車から降りた先に広がっていたのは、少しだけ懐かしい光景だった。白を基調とした美しい街並み。エルヴィーラの実験を行った際、訪れたルストゥの民の街。
最初に訪れたときと同じように私はぐるりと街を見渡し――
「ラウラちゃーん!」
こちらに手を振りながら歩み寄ってくる人影を三つ、見つけた。
そのうちの一つは私の名を呼んだこともあり、すぐに誰か分かった。長い髪を揺らすその女性、メルツェーデスさんと――その隣に立つ、ローブを着た小柄な女性は、まさか。
「メルツェーデスさんと……お師匠!?」
私は驚きに声をあげる。そうすればローブの女性――私のお師匠はまるで悪戯が成功した子供のようににんまりと笑い、頷いた。
お師匠は確か、まだ王都の宿屋に部屋をとっていたはずだ。つい先日エメの村を訪れた時も姿は見られなかったし、てっきりまだ王都にいるのかと思っていたのだが、この街に来ているということは、つまり。
「魔物の襲撃を受ける数日前から、村におったんじゃ」
「ど、どうしてですか?」
「かつての弟子の墓参りじゃよ」
「かつての弟子?」
「メルツェーデスの父じゃ」
我がお師匠の弟子は生涯で四人。私、カスペルさん、メルツェーデスさん、そしてメルツェーデスさんの父親だ。
メルツェーデスさんの父親であることから、その墓がエルフの村にあることは納得するが、それにしてもすごいタイミングで村を訪れたものだな、と思う。こうして無事にルストゥの民に保護してもらえてよかった。
「あ……そうだったんですね……。でも、ご無事なようでよかった」
「それはこちらの台詞じゃ!」
珍しくお師匠が声を荒げる。確かに彼女には自分の動向――それこそ勇者の旅に同行します、といった動向――を全く報告できていなかったから、後から知ったとなるとかなり心配をかけてしまっただろう。
項垂れつつお師匠に謝っていたら、
「君がラウラ・アンペールだな」
「へっ?」
突然知らない声が鼓膜を揺らした。
落としていた視線を上げる。すると先ほどこちらに向かってきていた三人の人影の最後の一人が、私を見降ろしていた。
長身でとてもスタイルの良い女性だ。釣りあがった瞳の色は深いグリーン、女性にしては短く切りそろえられた髪はワインレッド。それぞれのパーツの完璧さもさることながら、凛とした佇まいは同性でありながら頬を赤らめてしまうほど、カリスマ性に溢れていて――
見惚れる私に、女性はふ、と目元を緩めた。瞬間、その表情が脳裏で“重なる”。
「アルノルトとエルヴィーラの母だ。名はイングリットという。君には愚息たちが世話になった。心から礼を言う、ありがとう」
短い文章を若干早口で重ねるその人に、呆けた私の脳は追いつかなかった。
何も言葉を返せない私を見て、女性は眉間に皺を寄せて頭を下げる。
「もっと早く挨拶をするべきだった。遅くなってすまない」
女性が頭を下げたことで、私は彼女の綺麗な髪をぼうっと見下ろし――ようやく状況を理解した。
今目の前にいるのは、アルノルトたちのお母様だ!
私は慌てて首と手を横に振りながら声をかける。
「い、いえ! 私はラウラ・アンペールです。アルノルトさんやエルヴィーラちゃんには、こちらこそお世話になって……」
もごもごと口の中で言葉を転がしていたら、女性――イングリットさんが頭を上げた。そして緑の瞳でじっとこちらを見つめてくるので、思わず目を逸らしそうになってしまったが、どうにか堪える。
こうして改めてその容姿を観察すると、確かにエルヴィーラの大人バージョン、といった感じだ。そして口調や纏っている空気はアルノルト寄り――アルノルトよりだいぶ柔らかいが――といっていいかもしれない。
気づけばまた見惚れてしまっていた私に、イングリットさんは右手を差し出してきた。
「これからよろしく頼む。何かあれば言ってくれ、助けになる」
握手を交わす。握った右の手はあたたかくて、ほっとした。




