156:馬車の中
エメの村を出発し、馬車の中で一息ついた頃だった。
タイミングを見計らっていたのであろうディオナが、控えめに声をかけてくる。
「リーンハルトが王都まで迎えにくるそうです。カスペル様とはもう話もついていると。メルツェーデス様たちも既に避難済みとのことですから、ご安心ください」
簡潔ながら情報量の多いディオナの報告を聞いて、私はすぐに反応できなかった。
ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返す私より先に、横に座っていたエルヴィーラが問いかける。
「ディオナ、マ……お母さんたちは無事?」
「はい。怪我を負われた方もいらっしゃるようですが、皆さまご無事とのことでした」
「よかった……」と顔を綻ばせるエルヴィーラに、ようやく私の思考は追いついてきた。
襲撃を受けたというエルヴィーラたちの故郷の村。村の人々はルストゥの民と無事合流でき、更には街に避難できたようだ。後は私自身が王都ではなくルストゥの民の街に滞在できるか、カスペルさんにお伺いを――と思い、ディオナが開口一番に「話が付いている」と報告してくれたな、と数テンポ遅れて理解する。
エルヴィーラの故郷の人々は無事、私がルストゥの民の街に向かうことに関してもカスペルさんとリーンハルトさんたちの間で話が付いている。つまりは――現段階では、かなりスムーズに話が進んでいるらしい。
「ラウラ、お兄ちゃんのこと……よろしくね」
改まってエルヴィーラは私に頭を下げる。
健気な彼女の姿に、私は慌てて首を振って応えた。
「私は様子を見てることしかできないけど」
「ううん、それが何より心強いから」
エルヴィーラは随分と穏やかに笑う。その笑みを私に見せてくれることが、彼女からの信頼を得ているようで素直に嬉しい。
この笑顔が曇るようなことがなければいい、と心から思う。それこそ、戦場で怪我をするようなことがなければいいが――
魔王と戦う以上、怪我をしないというのは無理な話だろうが、それでも願わずにはいられない。
「エルヴィーラ、気をつけてね。あなたがとても優秀な魔術師なのは知ってるけど、でもやっぱり、心配だから」
真正面から見つめて言い聞かせるような口調で言えば、エルヴィーラは微かに頬を赤らめて笑う。面映ゆいとでも言いたげな、見るからに照れた表情だった。
「ありがと。お兄ちゃんが起きたら叱られるだろうから、それまでに言い訳考えなきゃ」
少しふざけるような口調でエルヴィーラは言う。
確かに彼女の言う通り、妹が自分の代わりに勇者の旅に同行したと聞けば、きっと大いに驚き、もしかすると怒りを露わにするかもしれない。しかしアルノルトは妹の実力を認めていたように思うし、魔王退治に一役買ったと聞けば心配こそするものの、怒ることはないと思うが――そんなこと、エルヴィーラの方がずっと分かっているだろう。
分かった上で、笑い話をしようとして冗談を言っているのだ。
「ラウラからも、うまく言っておいてね」
エルヴィーラはアルノルトによく似た瞳で私を見上げてくる。
私は笑って頷いた。
「うん、何言うか考えておく」
これから魔王退治に向かうとは思えない程、和やかな雰囲気だ。言い換えれば緊張感があまりにも足りない会話だが、私たちを咎める仲間は誰一人としていなかった。
エルヴィーラは視線を自分の手元に戻して、ゆっくりと口を開く。
「ママ、お兄ちゃんにそっくりだからきっとラウラのこと気に入るよ」
「アルノルトにそっくり……?」
「そ。喋り方も纏ってる雰囲気もそっくり。多分会ったらすぐ分かると思う」
話し方も雰囲気もアルノルトにそっくりなお母様。一体どんな人なのだろう。
「エルヴィーラとも似てる?」
「うーん、顔立ちは似てるって言われるかも。あ、でも、ママは黒髪でも黒目でもないよ。これはパパ譲り」
顔立ちはエルヴィーラ似で、話し方や雰囲気はアルノルト似。彼女の言う通りのお母様であれば、顔を合わせれば分かるかもしれない。
アルノルトと話し方が似ている、と聞いて、私の脳が勝手に描き出したお母様は長身で、迫力のある美人な女性だ。そういったタイプの人にはどちらかというと気後れしてしまうので、不快にさせないように気を付けなければ。
――なんて、くだらない妄想を脳内で繰り広げていたところに、エルヴィーラの穏やかな声が鼓膜を揺らした。
「エルフと人間の混血は、人間側の容姿的特徴が出るんだって。でもあたしもお兄ちゃんも性格はパパに全く似てないって、ママが言ってた。パパは明るくて穏やかな人だったんだって」
エルフと人間の混血――それは以前、アルノルトから聞いていたことだから、そこまで驚きはしなかった。お母様がエルフで、お父様が人間ということは初めて知ったが。
それよりも、エルヴィーラが過去形で、なおかつ伝聞の形でお父様のことを語ったのが気になった。彼女の語り口からするに、彼女は父についてあまり詳しくないように思えるが、それでは、まるで――
脳裏に浮かんだ疑問がそのまま表情に表れていたのか、私が口を開かずとも、エルヴィーラは「そうだよ」と頷いた。
「パパはあたしが生まれてすぐ死んじゃった。だから、肖像画でしか知らないんだけどね」
「そうなの……」
アルノルトは以前、エルヴィーラの件で「両親が礼を言いたい」と伝えてきた。その口ぶりからして、お父様もお母様もご健在なのかと思っていたが、そうではなかったようだ。
流石のアルノルトも、片親を亡くしているという話題をいきなり告げるのはためらったのかもしれない。実際、当時言われていたとして、私はなんと答えていいか困っただろう。
エルヴィーラは私の顔色をちらちらと上目遣いで窺いながら続けた。
「あたしたちの村はちょっと変わったエルフが集まる村だから、戸惑うかもしれないけど、みんないい人だよ」
アルノルトの言葉を思い出す。彼も故郷のことを、訳ありのエルフが集まる小さな村だと言っていた。――それこそ、エルフと人間の混血の子どものような。
「ラウラのことも知ってる。あたしの命の恩人だって」
一方的に知られているというのは、少し落ち着かない。面映ゆい気持ちで私は曖昧に微笑んだ。
その後、一旦エルヴィーラは口を閉じた。かと思うと何か言葉を探すように視線を泳がせ、数秒の後、先ほどよりも小さな声で呟くように言う。
「……だから、その、安心して。何かあれば、みんなラウラを守ろうとするはずだから」
おずおずと、言葉を探しながら伝えてくれるエルヴィーラに、彼女は私を安心させたくてこの話題を切り出したのだろう、と分かった。その優しさが、心遣いがありがたい。
知らず知らず緩む口角を自覚しながら、私はエルヴィーラの顔を覗き込んだ。
「うん、ありがとう」
アルノルトとエルヴィーラのお母様。彼らが幼い頃から接してきたであろう村人たち。
誰一人として知らないが、心配することはなかった。むしろ彼女たちに会えることを楽しみに思っている自分がいた。
【コミカライズ3巻 8/17日発売!】
いつも拙作を読んでくださりありがとうございます、日峰です。
「勇者様の幼馴染〜」コミカライズ3巻が【8月17日】に発売となります!
「勇者様の幼馴染という職業の負けヒロインに転生したので、調合師にジョブチェンジします。」3巻
漫画:加々見 絵里様
原作 :日峰
キャラクターデザイン原案:花かんざらし様
発売日:8月17日
活動報告にアルノルトとラウラの素敵な表紙をのせておりますので、よろしければぜひご覧ください。
お手に取っていただけたら嬉しいです!




