152:エメの村
回復薬で応急処置を終えた後、魔王に体を乗っ取られたことを逆手にとり、その一部を自身の体に封印したアルノルトを抱えて、私たちはエメの村を訪れた。
シエーロ様がおっしゃっていた通り、聖域からエメの村は近かった。結界によって隠されているとはいえ、故郷の近くに聖域があるとは――なんて、驚いている暇はない。
勇者一行が血相を変えてやってきたことに、顔なじみの村人たちは皆驚いていた。
挨拶もそこそこに、とりあえず私の家へと向かう。
「お母さん! ベッドあけて!」
「ラ、ラウラ!?」
「怪我人なの!」
ただいまの挨拶もなしに雪崩れ込んできた娘に、母はその目を丸くする。しかし私の後ろに気を失った青年・アルノルトを背負ったヴェイクの姿を見るなり、何も聞かずに今は空室となっている私の部屋の扉を開けてくれた。
かつて私が使っていたベッドにアルノルトを寝かせる。小さな村の子ども用のベッドだ、今のアルノルトには些か小さいようだったが、ひとまず一息ついた。
ベッドサイドに立ち、ディオナがアルノルトの容態を観察する。しばらく経った後、ふぅ、と彼女が額の汗をぬぐったところで、ルカーシュがタイミングよく声をかけた。
「アルノルトの容態はどう?」
「眠っているようです。どれだけ呼びかけても起きる気配はありません。きっと……」
「魔王の一部を自分の体に封印している?」
「はい。そうだと思います」
ディオナは頷き、問いかけたルカーシュは考え込むように腕を組んだ。
勇者が聖剣を手にすることを妨害するために、魔王は罠をしかけてアルノルトの体を乗っ取った。しかしアルノルトの意識は魔王に打ち勝ち、それどころか自分の体に魔王の力の“一部”を封印した。
イメージが付きにくいが、今回のあらましとしてはこのようなところか。
結果としては、魔王に一矢報いた。弱体化したであろう魔王にこのまま一気に攻め込むべきだ。しかし、アルノルトという優秀な魔術師が戦線離脱する以上、こちら側の戦力ダウンも免れない。
「あー、とにかく、聖剣は手に入れた。聖域も無事だ。だがこの村に長く世話になる訳にはいかねぇな。魔王も俺たちがこの村に身を寄せることは想像がつくはずだ」
ヴェイクが冷静に提案する。
彼の言う通りだ。あれだけの騒動があったのだ、聖域の近くにある村で一息つく、という行動は魔王側も想定しているだろう。
「回復したら一度王都に戻るべきだ。態勢を立てなおそう」
「そうですね……」
ディオナがゆっくりと頷く。そしてそのまま扉に歩みより、ドアノブに手をかけた。
彼女はこちらを振り返り、凛とした声で告げる。
「私はリーンハルトに連絡を。アルノルトさんはルストゥの民の街で匿えるよう調整します」
そう言葉を残し、部屋から退出した。
ディオナの判断通り、魔王の力の一部をその身に宿している以上、アルノルトを匿う場所としてはルストゥの民の街が最適だろう。魔王への対抗手段となる光の力を持つ方々が傍にいてくれた方が安心だ。
続いてヴェイクが「おい、ウェントル」と宙に向かって呼びかける。
「王都に……なんだ? 精霊の住処とやらはあるのか?」
『王都近くの森にならあるぞ』
緑の光の玉がどこからともなく現れて答えた。
精霊の住処には、時空の狭間を通って一瞬で移動することができる。それを考えての問いかけだったのだろう。
しかしヴェイクは「ただなぁ」と悩まし気に眉間に皺を寄せ、顎をさすった。
「気絶したアルノルトを連れて時空の狭間を通るってのは、キツイか……?」
「手を離したら時空の狭間から出られなくなっちゃうからね〜」
マルタが苦笑して首を振る。彼女としては時空の狭間を通っての移動は反対らしい。
「っていうかよ、曲りなりにもアルノルトの中には魔王の力が眠ってるんだろ? 時空の狭間……精霊の住処を通っても大丈夫なのか?」
今まで黙って話を聞いていたユリウスも口を挟む。ウェントル様は『うーん、そうだなぁ』と肯定とも否定とも取れない反応を返した。
時空の狭間を通らないとすれば、移動手段は一つだけ。馬車だ。
私は選択肢を増やすという意味も込めて、ヴェイクに言った。
「馬車は一日一回、村の入り口まで来ます。けれど大きな馬車ではないので、この人数を、となると……」
「それなら今日話を通しておいて、明日改めて別の便に乗るか。俺が出てくる」
ヴェイクはそう言うなり剣を携えて部屋から出ていった。どうやら移動手段は馬車で決まりのようだ。
だんだんと次に取るべき行動が決まってきたところで、疲れた顔をしてしゃがみ込んでいたマルタが「それじゃあ」と立ち上がる。
「アタシは村を見回ってくる。魔物が来たらやばいし」
「あ、俺も」
ユリウスがマルタの後に続いて部屋を出る――と、先ほど退出したと思われたヴェイクがひょっこりと顔をのぞかせた。忘れ物だろうか。
彼は私たちには目もくれず、宙をふよふよと漂うウェントル様に声をかける。
「ウェントル、王都から助っ人呼んでもらえるか?」
『助っ人?』
「俺たちの中に魔法を専門とする者がいない。だから、メルツェーデス殿に声掛けを……」
アルノルトが抜けた穴を一時的に埋めるための“助っ人”。確かにその存在は早めに確保しておくべきだった。
土の精霊ライカーラント様を助ける際にも、メルツェーデスさんは勇者一行のパーティに加わっている。助っ人としては申し分ないだろう。――と同時に、脳裏に一人の少女の顔が思い浮かぶ。
エルヴィーラ・ロコ。「ラストブレイブ」で勇者一行のメンバーに選ばれていた、天才少女。もしかしたら、という予感がした。
ヴェイクの頼みにウェントル様はメルツェーデスさんの許へ向かい、ヴェイクは馬車の手配に、マルタとユリウスは村を見回ってくれることになった。――となると、部屋に残されたのは私とルカーシュと、ベッドに横たわるアルノルト。
ベッドサイドの椅子に座って、アルノルトの顔を覗き込む。とても安らかな寝顔で、魔王の力をその身に封印してるとはとても思えない。
(自己犠牲にもほどがある)
いつだってアルノルトは、自分のことを顧みない。幼い頃から病を患った妹のために全てを捧げ、王都でもその才能故に様々な場に駆り出され、しかし嫌な顔一つせず、むしろそれが当然だというように走り回っていた。見上げた奉仕精神だ。笑ってしまうぐらい。
今回だって、試作品を使えばもしかしたらその体から魔王の力を全て追い出すことができたかもしれなかった。アルノルトだって、その可能性に気づかなかった訳ではないだろう。実際私が試作品を手にしているのを見た上で、拒絶するように首を振ったのだから。
対抗策があることを分かっていてなお、彼は自分ごと封印する選択肢を取った。それはきっと、魔王の力を少しでも削ぐため。勇者側に勝利を手繰り寄せるため。
自分が抜けたことでできた穴は、メルツェーデスさんか、もしくはエルヴィーラで埋められると判断したのか。その判断はきっと正しい。勇者が勝利を収めれば、今回のアルノルトの行動は、後世には素晴らしい判断だったと語られることだろう。しかし――
「アルノルトは大丈夫だよ」
「……うん」
ルカーシュが横に立って言う。彼の声は微かに震えていた。
「魔王倒せば目を覚ますって、本人言ってたし」
「うん」
「アルノルトのおかげで、魔王は弱体化してるだろうし」
「……うん」
そう、考えれば考えるほど、アルノルトの今回の行動は最善の選択だったと突きつけられるようだった。魔王にその身を乗っ取られたからこそできた、“攻撃”だ。けれど、けれど、私は――なぜだろう、悔しかった。
どうして気づけなかったのだろう。もっと早くアルノルトの異変に気付ければ、自分ごと魔王の力を封印する、なんて手段を取らずに済んだかもしれないのに。でもきっとアルノルトは助けられることを望まない。私たちがもっと早く気づくことができたとしても、同じ選択をしただろう。それが悔しい。今この状況が最善だと判断したアルノルトが、恨めしい。
この感情は何なのだろう。頼って欲しかった。力になりたかった。近いが少し違う気がする。
目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、一人で背負って一人で先に行くアルノルトの背中。何度か隣に並んだと思った。けれど今は、その背が遠くに行ってしまったように感じる。
手を伸ばす。次にその背に手が触れたときには、がむしゃらに手繰り寄せよう。そして今度こそ――その隣に立ちたい。立ってやる。
目を開けて、後ろに立つルカーシュを振り仰いだ。そうすれば幼馴染はくしゃりと笑う。寂しそうな笑顔だった。
「目を覚ましたら叱ってやろう。勝手なことするなって」
「うん、そうだね」
私とルカーシュに叱られたら黒の瞳を真ん丸にして驚きそうだ、なんて思って、少しだけ笑った。




