148:不可解な罠
翌朝、シエーロの塔へ向かうためにプラトノヴェナを発った。
私は後方に待機して、常に気を張り巡らせる。しかし私がクロスボウの引き金に手をかけたのは片手で数えられる程度だった。
ユリウスの死角から彼を襲おうとした魔物の背に、ウェントル様の力を借りて強力な一発を打ち込む。
「おっ、わ! ラウラちゃん、助かった!」
矢を受けて力を無くした魔物をユリウスが躊躇いなく斬って払う。そうすれば魔物は倒れ、動かなくなった。
ふぅ、と額に浮かんだ汗を拭う。と、私の許にユリウスが笑顔で駆け寄ってきた。
「ラウラちゃん、ありがとな。大丈夫か?」
「はい、なんとか」
そのままユリウスと並んで歩き出す。隣の彼はだいぶ大きくなったシエーロの塔を見上げ、呟いた。
「だいぶ近づいてきたなぁ」
「魔物の数も増えてきたように思えるし、待ち構えてるのかもしれないね」
ルカーシュが駆けてきて隣に並ぶ。幼馴染の言葉にユリウスが「かもしれねぇなぁ」と大きく肩を落とした。
その後も何度か魔物の襲撃を受けたが誰一人かけることなく、塔の前に広がる森の入口に辿り着いた。そこで地図を持って道案内をするように先頭を行っていたディオナがこちらを振り返る。
「この森を抜ければ塔につくようです。森自体はそこまで深くなく、道も一本道だとか――」
――このディオナの案内で、仲間たちは油断してしまったのだ。
へぇ、と誰からともなく頷いて、私たちは森へと足を踏み入れる。その瞬間だった。私たちの足元に、大きな魔法陣が広がった。
「なっ!?」
ルカーシュが声をあげる。そちらを見れば、彼の足元が“消えていた”。
――魔法だ。それだけは私でも分かった。
「近くの奴の腕を掴め!」
アルノルトが叫ぶ。瞬間、ぐにゃりと視界が歪み浮遊感が訪れた。
眩暈に襲われたような感覚に気が遠くなって、それでもアルノルトが言っていた通り誰かの腕を掴もうと手を伸ばす。そんな私の手を、誰かが力強く握った。
***
「――ちゃん、嬢ちゃん」
肩に触れた温もりと、鼓膜を揺らす声に意識が浮上する。どうやら力強い腕に抱かれているようだった。
瞼を開ける。そうすれば心配そうにこちらを覗き込む緑の瞳と目が合った。――ヴェイクだ。
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
「ヴェイクさん……? ここは?」
私の言葉にヴェイクはあたりを見渡す。それから分からない、というように肩を竦め、首を振った。
「どうやら魔法で散り散りにされたらしい。おそらく森のどこかだ」
――RPGで、よくある展開だ。
なんてふざけたことをこっそり思いつつ、いつまでもヴェイクに体を支えてもらっているわけにはいかない、と私は体を起こす。どこも痛みはない。もしかすると、ヴェイクが着地時に庇ってくれたのかもしれなかった。
こちらの様子を窺う彼に「大丈夫です」と微笑めば、彼はほっと息をついてから空を見上げた。私も同じように見上げると、目的地であったシエーロの塔が空に向かって高くそびえたっているのが見えた。
「とりあえず塔を目指すか。ルカーシュたちもきっとそうするだろ」
頷き、はっと慌てて鞄の中を確認する。そこには水の精霊が丸まっていた。
はぐれなくてよかった、と安堵した私の顔を精霊は見上げる。かと思うと、
「ラウラ」
「ん? どうしたの?」
そのまま鞄から飛び出てきた。どうしたのだろうとその様子を窺っていると、犬がそうするように鼻を地面に近づけて匂いを嗅ぎ始める。
「におい、する」
「なんの匂い?」
「シエーロ」
「……空の精霊様のこと?」
もしかしなくても、水の精霊は鼻がよくきくらしい。空の精霊・シエーロ様の匂いを嗅ぎ分けることができるようだ。
ゆっくりと匂いを嗅ぎながら歩き出す水の精霊の後を追おうとして、ヴェイクを振り返る。彼は不思議そうに緑の瞳を丸くしていた。
「ヴェイクさん、どうやら水の精霊が塔へ道案内してくれるみたいです」
「……本当か。助かる」
一瞬の間をおいて、しかしすぐに私の言葉と水の精霊を信じてくれたらしいヴェイクは、精霊の小さな後姿を追い出した。私もまたクロスボウと矢を手に持って歩き始める。
「嬢ちゃん、右頼めるか」
「はい」
右はヴェイクの死角だ。いくら手練れの彼と言えど、やはり反応速度は多少落ちる。
私は頼まれた通りヴェイクの右隣に並んで、じっと草木の動きを観察しながら歩みを進めた。神経を張り巡らせて、小さな音も聞き逃すまいと集中する。
二人と精霊一匹。今魔物の大群に襲われれば、最悪命を落とす。そう思いできるだけ急いで森を抜けようと歩き続けるが――不思議なことに、どれだけ歩いても魔物が襲ってくることはなかった。
「……妙だな。魔物が全くいない」
ヴェイクがぽつりと呟く。どうやら同じことを考えていたらしい。
私は視線はそのまま、言葉だけで頷いた。
「そうですね……戦力を分散させて、そこを襲うための罠かと思ったんですけど……」
そう、これも魔王の作戦だと思っていたのだ。魔法で戦力を分散させたところを狙えば、より確実に仕留められる。そういう“罠”だと予想していた。
しかし一向に魔物は襲ってこない。気配すらしない。これも作戦の一部なのだろうか。油断させて、そこを狙う――
「森に迷い込ませて疲労させるにしちゃあ、そこまで深い森でもねぇしな」
「他の目的があったりします?」
私の言葉に、ヴェイクが足を止めた。かと思うと小さな声で呟く。
「……もしかすると、別の仲間が集中的に狙われているのか?」
別の仲間。魔王が一番排除したい、私たちの仲間。それは間違いなく――勇者だ。
私は思わず彼を見た。そうすればヴェイクも同じ答えに思い至ったのか、焦ったような表情を浮かべていて。
私たちは頷き合い、大急ぎで塔へと向かおうとし――
「ラウラ! ヴェイクさん!」
背後から呼び止められた。
その声は、今まさに私たち二人が心配していた仲間の声のもので。
私は慌てて振り返る。そこにはこちらに向かって手を振るルカーシュと、その数歩後ろに控えるディオナの姿があった。
「ルカ! ディオナ!」
「……一番やばそうなルカーシュたちが無事か」
応えるように二人の名前を呼んだ私の横で、ヴェイクが安堵のため息をついたのが分かった。
魔王に対抗する勇者の力を持つルカーシュと、魔物に効力を示す光の力を持つディオナ。魔王からしてみれば目障りな存在の一位と二位のはずだが、彼らは無事だった。一番に狙われるとすれば、この二人だと私もヴェイクも考えていたのだ。
思いの外呆気ない――それが一番だが――合流に拍子抜けしつつ、四人でシエーロの塔を目指して歩き出す。軽く確認した限りでは、ルカーシュたちも特に体に異常はないらしい。
水の精霊の案内で森を抜けていく。どんどん塔が近づくその道中で、再び私は呼び止められた。
「ルカーシュ~! ラウラ~!」
元気な女性の声。振り返らずとも分かる、マルタだ。
「マルタ、それにユリウスも! 無事でよかった」
ルカーシュは喜びの声をあげて、マルタとユリウスとの再会を喜んだ。彼ら二人にも目立った外傷はない。
私とヴェイク、その後に合流したルカーシュとディオナ、マルタとユリウス。残る仲間はあと一人。
「あと残るは……アルノルトか」
まぁ、アイツなら大丈夫だろ。そのヴェイクの呟きに仲間たちは皆頷き、すっかり緊張は解けていた。
警戒は怠らず、時折会話を交わしながら森を抜けていく。徐々に木々の数が少なくなり、やがて“出口”が見えてきた。
水の精霊は案内は終了だと言わんばかりに私に駆け寄ってきて、抱っこを催促してくる。きっと疲れたのだろう。お礼を言って精霊を再び鞄にいれようとしたら、ふわりとその姿が空気に溶けるように消えた。ウェントル様たちと同じように、精霊しか行けない別の時空に姿を隠したようだった。
「お、もうすぐ森を抜けるぞ――」
ヴェイクの声に顔を上げる。――と、森の出口に一人たたずむ、見慣れた人影があった。
あ、と思ったときにはルカーシュがその人影に駆け寄っていた。
「アルノルト!」
ルカーシュの呼びかけにその人影――アルノルトは右手を小さく上げて応える。これで仲間は全員合流だ。
「思ったより簡単に合流できてよかった」
ルカーシュの言葉に皆一様に頷く。
話を聞くに、誰一人として魔物に襲われることはなく、となれば当然怪我もない。ただ無意味にばらけさせられただけだ。――しかし、本当に?
森の入口にあんなにも周到に罠を仕掛けておいて、恰好のチャンスをみすみす逃すような失態をあの魔王が犯すだろうか。私が知るこの世界の魔王はもっと、したたかに立ち回って――
「飛ばされた先で魔物に囲まれるかと思ったけどね~。人手不足ならぬ魔物不足だったりする?」
「マルタ、ふざけてんじゃねぇぞ」
「雰囲気明るくしてんじゃーん。かったいなー、ユリウスは」
軽快なマルタとユリウスのやり取りにはっと我に返る。
とにかく今は全員が無事に合流できたことを喜ぶべきだ。疑心暗鬼になっていらぬ不安まで抱えられるほどの余裕は、今の私にはない。
未だぎゃいぎゃいと言い合いを続けるマルタとユリウスの間に割って入ろうと一歩踏み出して、
「行くぞ」
それより数瞬早く、アルノルトが声をあげた。
「え? 行くぞって……」
「入口はこっちだ」
短く言うとアルノルトは踵を返す。仲間たちは数秒遅れてその背中を追いかけた。
ディオナが一人アルノルトの隣に並び、問いかける。
「先に調べておいてくださったんですか?」
「あぁ」
さすが、ぬかりない。
心の中で密かに感心していたときだった。突然ずっしりと鞄の中に“重み”が現れる。一瞬ふらつきかけたがなんとか踏ん張って、鞄の中を覗いた。
そこには予想通り、水の精霊が現れていて。しかし予想と違ったのは、精霊がじっと前を見つめて不思議そうに首を傾げている、という点だ。てっきり鞄の中で眠っていると思ったのに。
「どうかしたの?」
私の問いかけに何も答えない。ただ前を見て、しきりに首を傾げている。
なんだろう、と水の精霊の視線を辿ってみたが、その先には仲間たちの背中が複数あるだけだった。




