15:騎士団の魔術師(仮)
王属調合師“見習い”になり、リナ先輩の指導を受け始めてから数日。私たちは見習い用の小さな調合室で研修を受けていたのだが、そこに突然アルノルトが訪ねてきた。
「あら、アルノルト。何か用?」
「邪魔するぞ。……アンペール」
そう断るなり、アルノルトは調合室に入ってくる。遠慮も何も知らない態度で、彼は私に近づいてきた。
「アルノルトさん。お疲れ様です」
愛想笑い。それにアルノルトは応えようとする素振りすら見せず、私が調合していた回復薬の入った容器を取り上げた。かと思いきや、それをグイッとあおる。
突然の行動に驚いて、思わず容器を手にしているアルノルトの腕に手をかける。しかし彼は私の手を振り払うまでもなく、そのまま飲みきってしまった。
飲んだ後、無駄にかっこいい仕草で眼鏡をかけ直す。そして唖然としている私――唖然としていたのは私だけでなく、チェルシーもリナ先輩もだ――に“その言葉”を言い放った。
「……相変わらず腹が立つ奴だな、お前は」
――オマエ、むかつく。
脳裏に蘇った声に数年前を思い出す。なんだかんだでこの人も変わっていないな、と、知らず知らずのうちに口元が緩んでいた。
「……アルノルトさんも相変わらずですね」
「……何がだよ?」
「いいえ、ふと思っただけです」
思わずこぼれた言葉に突っ込まれたが、それを笑顔でかわす。アルノルトの乱暴な言葉遣いにいちいち過剰に怯えることもなくなってきた――というより、こういう人なのだと諦めに似た感情が湧いてきていた。
無愛想――メルツェーデスさん曰く人見知り――で、口が悪くて、プライドが高くて、でも実は、年相応な感情を持ち合わせていて。そして、感情が読めないだけに私から見て突拍子も無いことをしたりする。
そういう人なのだ、アルノルトは。
私が1人で納得していると、定刻を告げる鐘の音が鳴り響いた。もう夕方――研修終了の時間だ。
「城内の薬草園を案内してやる」
鐘の音を聞き届けてから、アルノルトはそんなことを言い出した。これまた突然すぎる言葉だ。
驚きに目を丸くする私なんて全く気にも留めず、アルノルトは私の手首を掴む。かと思うとぐいと乱暴に引っ張られて、前につんのめるようにして強引に歩かされた。
ルカーシュとは全く違うその温もりに、一瞬どきっと――するどころか、ルカーシュよりもずっと乱暴な手の引き方に、正直ときめきよりも不満を覚えた。
しかし私が不満を口にするよりも先に、アルノルトは調合室を出て行こうとする。となれば仕方なく不満の言葉は飲み込んで、唖然と私たちを見送るチェルシーとリナ先輩に、
「お疲れ様です!」
そう声を張ってなんとか挨拶した。
調合室から出て少しすると、アルノルトは歩幅を緩める。それに伴い手首も解放された。
数歩前を行くアルノルトの横顔を覗き見る。彼は最年少で王属調合師になった“天才”だが、“見習い”に薬草園を案内する暇などあるのだろうか。馬鹿にする意図は全くなく、単純に疑問に思ったのでそのまま口にしてみる。
「……お時間、結構あるんですか?」
「まぁな」
私の言葉に軽く頷く。しっかりとした頷きではなく、どこか上の空の――話題を流すような頷きだった。その反応からして、そこまで時間があるという訳でもないのかもしれない。
そもそもなぜ私に薬草園を案内してくれると言い出したのだろう。アルノルト自らが案内してくれなくても、今後の研修で嫌というほど行くことになるだろうに。
その疑問もまた、気がつけば口から飛び出ていた。
「どうしてわざわざ案内してくださるんですか?」
今度の問いかけに、アルノルトは足を止めた。
しまった、思いついたままに口にしてしまったが、自意識過剰な物言いだったか。アルノルトがわざわざ私のために時間を割いてくれているのだと、驕ったような響きを意図的でないにしろ孕んでしまったかもしれない。
訂正しようと慌ててアルノルトの隣に並ぶ。そして彼の顔色を窺ったら――とても思い詰めたような、厳しい表情をしていた。その表情からは怒りではなく、深い悲しみを感じて。
その表情に驚き立ち止まった私に、
「……近い将来、お前の才能を借りたい」
はっきりとそう言った。
アルノルトが言う、近い将来がいつを指しているのかは分からない。また、私の才能をどう借りたいかも、彼はそれきり口にしなかった。けれどアルノルトにはある明確な“目的”があって、その“目的”を達成するために、私に近づいているのだと悟った。
しかしどんな意図があるにせよ、薬草園の案内は単純にありがたい。その“目的”がなんなのかは分からないが、今はその親切を素直に受け取っておくことにする。そして“近い将来”がやってきた時には、役に立つかは分からないがもらった親切分しっかり協力すればいい。それだけだ。
――それからしばしば、研修が終わる夕方頃を見計らってアルノルトは私の元を訪れた。そしてそのまま私を薬草園へと連れ出した。それだけではない、王都に降りて実際に回復薬が売りに出されている様子を見せてくれることもあった。
近い将来、お前の才能を借りたい。
アルノルトの言葉が、声が、鼓膜に焼きついている。彼がその胸の内に抱えているものの正体は分からない。けれどこれだけは分かった。
私の才能を誰よりも認めてくれているのは、きっと――アルノルトだ。
***
王属調合師“見習い”になってから数ヶ月。
ようやく王城勤めの生活にも慣れ、研修も順調に進んでいたある日。研修終わりにリナ先輩に呼び止められた。
「ラウラ、アルノルトと親しいわよね」
道具を片付けていた手を止める。
リナ先輩はとても熱心に指導してくださった。私の技術は十分だと認めてくれた上で、お師匠が放任主義だったばかりに教えてくれなかった基礎中の基礎――それこそ調合道具の正しい洗い方など――を嫌な顔せず、丁寧に指導してくれる。
しかし初対面の時に見せたあの迫力ある笑顔を思い出すと、先輩の口から「アルノルト」の名が出てきたことにびくっと過剰に反応してしまう。先輩がアルノルトに何らかの感情を抱いているのは確かで――しかし、それが好意とは言い切れない不自然さを感じとっていた。
かけられた声はいつもと同じ、ハキハキとしつつも後輩への気遣いが透けて見える柔らかな声音だ。
「私たちの師匠同士が師弟関係だったからか、気にかけてくださって……アルノルト先輩のお師匠様はとてもお優しい方なので、私のことを気にかけるようおっしゃってくださったのかもしれません」
半ば反射的に、アルノルトとはそこまで仲が良い訳ではありません――と言外に予防線をはってしまう。情けない。
私の言葉にリナ先輩は数秒考え込むような素振りを見せた。それからあたりを忙しなく見回す。そして、
「チェルシー、手間をかけて悪いんだけど、この薬草と同じものを少量でいいから摘んできてくれる?」
私と同じく調合室の片付けをしていたチェルシーに、適当に手に取った薬草と籠を手渡した。
突然の先輩からの指示にチェルシーは薬草を受け取りつつも、首をかしげる。
「は、はい……」
「ごめんなさいね、カスペルさんから頼まれていたのを忘れていたの。チェルシーの分の片付けは私がやっておくわ」
カスペルさんに頼まれていたと言われてしまえば、承知しないわけにはいかない。チェルシーは大きく頷くと、慌てて調合室を出て行った。
パタパタと可愛らしい足音が遠ざかっていく。それを確認してから、リナ先輩は素早く私に近づいてきた。
「……こんな探るような真似、卑怯だと思ってるんだけど」
リナ先輩はそう前置きを囁いた。眉根を寄せて、その表情はとても申し訳なさそうだ。
――思っていた展開からは、ずれているような気がする。
リナ先輩がチェルシーを追っ払った瞬間は、アルノルトとのことについてキツく問い詰められる可能性があるのでは、と思ってしまった。けれどリナ先輩の声からも表情からも敵意は感じ取れないし、それどころか私にグイグイ体を寄せてくる。外に声が漏れて欲しくないが故の行動なのだとは推測できるが、嫌っている人間にはなかなかできない行為だろう。
「アルノルトの……魔力の話、聞いてる?」
アルノルトの――魔力の話?
リナ先輩が切り出してきた話題は、私が想像していた話題に一ミリもかすらなかった。
そのことに戸惑いを覚えつつも、正直に「知りません」と首を数度振る。すると先輩は口元に手をやって、再び考えこむ素振りをみせた。
「ラウラならなにか聞いてるかと思ったんだけど……変なこと聞いてごめんなさいね」
向けられたのは、いつもの優しい笑顔だった。
それに「いえ」と答えつつも、今度は私が気になってしまう。アルノルトの魔力の話とは一体何なのだろう。
聞いてもいいものかと一瞬躊躇ったが、我慢できずにその疑問を口に出した。
「あの、魔力の話って……どんな話なんですか?」
私の問いにリナ先輩は何の躊躇いもなく、けれど先ほどよりも更に声を潜めて答えてくれた。
「アルノルトはとても強い魔力を持っていて……騎士団に魔術師として入団するんじゃないかって噂があるの」
――驚きのあまり、手に持っていた容器を落としそうになった。
アルノルトが強い魔力を持っている?
なるほど、それはあり得る話かもしれない。彼はエルフだ。エルフは私たちよりも強い魔力を秘めている個体が多いとされている。未来の英雄の1人であり、彼の妹の天才魔術師エルヴィーラがその筆頭だ。
そこまでは理解できる。けれど――騎士団に魔術師として入団するとはどういうことだ。シュヴァリア騎士団には魔術師も所属していると「ラストブレイブ」内の説明で聞いた覚えがあるが、今は騎士団に魔術師が所属できるのかどうかなんて話をしているのではない。
「ラウラ達が入ってくる少し前に、アルノルトが騎士団長に呼び出されてたのよ。それもただごとじゃない様子で」
驚きのあまり言葉を失う私をよそに、リナ先輩は続ける。
騎士団長とは――ヴェイクだ。彼もまた、未来の英雄の1人。
「あいつ、最年少で見習いから正規の王属調合師になったでしょ? 入った当時からアルノルトばかり注目されて、私は比べられるし……それに本人もあの不遜な性格じゃない? もう私、いっつも悔しい思いさせられてて!」
最後の方は悔しさからか、声を張り上げていた。しかしすぐにリナ先輩は我に返り、身を縮こまらせる。
リナ先輩はどうやら、アルノルトに気があるわけではない――どころかむしろ敵視しているらしい。けれど確かに、彼女の置かれている立場を考えればその感情は理解できる。
入った当時から天才と呼ばれ、最年少で見習いから正規の王属調合師になった少年。そんな人物が同期だったら――周りから比較され、時には不出来の烙印を押されることもあったかもしれない。
それにプラスして、アルノルトのあの性格。正直彼の性格に関しては、フォローしようにも、悪い人ではない、という言葉しか思いつかない。
「それで、騎士団長に呼び出されたときにまた周りが天才だー天才だーって騒いで……それだけならまだしも、呼び出された用件はなんなのかって周りが聞いても、あいつ『別に……』としか言わないのよ! それがもーっ! またむかつく! スカしてる!」
キッと目尻眉尻を釣り上げて、リナ先輩は虚空を睨む。きっとそこに、アルノルトの不遜な顔を思い浮かべているのだろう。
優雅で大人びているリナ先輩の姿しか見てこなかったため、感情をむき出しにする彼女の姿に驚きつつも、“私”は微笑ましさを覚えてしまった。いくらしっかりしているとはいえ、彼女もまだ16歳なのだ。
また、数ヶ月越しに謎も解けた。
初対面の時、不穏な空気を漂わせつつ例の噂の真偽を確かめてきたのは、アルノルトに好意を寄せており、彼女という噂があった私に嫉妬した――からではなく、アルノルトに対抗心を持っていたためだろう。嫌いな男の彼女はどんなものかと値踏みするような感情も含まれていたのかもしれない。
それに、話を聞く限り私たちの出会いはアルノルトが騎士団に呼ばれた直後だ。ちょうど対抗心も最高潮に高まっていた時期だったのだろう。
「これ以上引き離されてたまるかって意地になって、我ながら馬鹿だと思いつつも、あいつが呼び出された理由を探ってたの」
再び声のボリュームを落とすリナ先輩。私は頷いて、次の言葉を待った。
「そうしたら、騎士団員の間で囁かれている噂を聞いたの。……天才調合師として名高いアルノルト・ロコに、騎士団長が直接、魔術師として入団してくれるよう頼んだらしいって」
――アルノルトは私の才能を借りたい、なんて言ってきたけれど、自分の方がよっぽど才能に溢れているではないか。まさか魔術の才能まであるとは。もっとも、まだ噂話の域だが。
驚きを通り過ぎて、乾いた笑い声がこぼれてしまう。「なんかもう、笑っちゃいますね」と今の正直な心情を吐露すれば、リナ先輩は「神様って不公平よね」と大きく頷いた。
よくよく考えなくても、エルフという種族であり、天才魔術師エルヴィーラの兄・アルノルトが、強い魔力を持っているというのは十分あり得る話だった。けれど、幼い頃から親元を離れメルツェーデスさんに弟子入りしているあたり、魔術関係の才能はないのでは、と“私”は無意識のうちに思っていたらしい。正直、リナ先輩から聞かされた話にとても驚いている。
アルノルトは“私”の記憶の内に存在しないキャラクターだ。今後どのような道を辿るのか全く分からない――と考えたとき、今更気づいた。
それは今目の前にいるリナ先輩も、同期のチェルシーも、上司のカスペルさんも同様だ。
“私”とリナ先輩たちは正真正銘の初対面であり、彼らが本当はどのような性格をしているのか、私・ラウラのことをどのように思っているのか、これからどのように関わっていくのか、全く知らない。
これから先には今まで以上に“未知”が広がっている。しかしその“未知”こそ、私が望んだものだ。
「あ、この噂はここだけの秘密ね。ベラベラ話しちゃって説得力ないけど」
いつもよりどこか幼い、年相応の少女のような笑みを見せたリナ先輩。彼女は私が勝手に大人びている人だと思っていただけで、今日見せてくれた年相応の面も持ちあわせているのだ。
リナ先輩の言葉に大きく頷く。そしていそいそと片付けを再開した。
それにしても、最年少の王属調合師兼才能ある騎士団の魔術師(仮)とは――アルノルトは大層な職業を与えられたものだ。




