147:修行の成果
ディオナとマルタにサポートしてもらいつつ、動きののろい獣型の魔物と対峙する。既に仲間二人の手によって魔物は負傷しており、あと一撃でとどめをさせそうだ。
この状態で、私たちは試したいことがあった。それは――
『よっし水の精霊! 修行の成果を見せてやれ!』
ウェントル様の言葉に頷いて、水の精霊は私が手に持つ矢をじっと見つめる。そして小さく唸り始めた。
矢じりにじわりと水分が滲む。それから徐々に分厚い膜を張るように水の塊が矢じりを包んで――固まった。
「か、固まってる! ラウラ、今の内に早く!」
マルタが慌てたように声をあげるので、急いで矢をセットする。そして構えようとする私の腕を、ディオナが軽く引っ張って制止した。
「その前に、光の力を――」
ディオナが指先でそっと矢じりに触れて目を伏せる。試作品をつくったときのように、精霊の飲み水に光の力をこめてくれるつもりなのだろう。
瞬間、カッ、と矢じりが一瞬光り輝いた。この反応には見覚えがある。試作品のときと同じ――つまりは光の力を無事にこめることができたのだろう。
「光った! 光った!」
試作品を作っていたときにはまだ出会っていなかったマルタは、初めて見る光景に興奮気味に声をあげる。いつもより更にテンションの高い彼女に幾分緊張が和らぎつつ、私は目の前の魔物に狙いを定めた。
きゅ、と目を細めて、引き金を引く。そうすれば矢は真っすぐと魔物に向かっていき――魔物の体に刺さった瞬間、そこから光の“筋”が何本かに枝分かれして魔物の体に走った。かと思うと、唸り声をあげて大きな体がどさりと倒れる。そして数秒後、砂のようにさらさらと亡骸が消えてしまった。
――倒した。成功だ!
「塔行く前に形になってよかったー!」
マルタが背後から私とディオナをまとめて抱きしめる。
首に回された腕にほんの少し息苦しさを覚えつつ、そっと手を添えて微笑んだ。
「ありがとう、ディオナ、マルタ」
微笑みながら小さく首を振るディオナ、大きく頷くマルタ。彼女たち二人が根気よく付き合ってくれたおかげだ。そして――
私はマルタの腕をそっと解いて振り返る。そこには疲れたように舌を出して大きく息をする水の精霊がいた。
「それに、あなたもありがとう」
近寄って頭を撫でる。そうすれば「ラウラ」と私の名を呼んだ後、嬉しそうに鼻を鳴らした。
私は視線を上げて、あたりを彷徨うウェントル様にも頭を下げる。
「ウェントル様もありがとうございました」
『感謝しろよ~!』
ふふん、とふんぞり返るような声音で言うウェントル様。こうして形にできたのも、ウェントル様の指導のおかげだろう。心の底から感謝している。
何かお礼をしたいけれど何がいいかなぁ、とぼんやり悩む私の横でディオナが声をあげた。
「日が傾き始めていますし、そろそろ帰りましょうか」
「そだね~。男性陣も買い出し終わったかな」
水の精霊を抱き上げて、三人で宿屋へと戻る。そうすれば買い出しを終えたらしい男性陣が出迎えてくれたのだが――見当たらない顔が、一つ。
プラトノヴェナ支部で回復薬を調合すると言って単独行動をとっていたアルノルトがまだ帰ってきていないようだった。
「あれ? アルノルトは~?」
「まだ帰ってきてないみてぇだな」
あたたかいお茶を啜りながらヴェイクが答える。
放っておけばそのうち帰ってくるだろう、という話になったものの、プラトノヴェナ支部――もとい、以前お世話になったヴィルマさんに挨拶をしたかった私は、おずおずと切り出した。
「それじゃあ私、迎えにいってきます。プラトノヴェナ支部の方にもご挨拶したいですし」
「僕も行こうか?」
「大丈夫。休んでて」
ルカーシュの申し出を断って――それより体を休めて欲しい――プラトノヴェナ支部へ一人で向かう。やがて見えてきた真っ白な建物に懐かしさを覚えつつ、支部へ足を踏み入れた。
「こんばんはー……」
プラトノヴェナ支部には受付がないので、無人の玄関で恐る恐る声をあげる。そうすれば私の声を聞きつけたらしい支部の人間が、ひょっこりと顔をのぞかせた。
燃えるような赤い髪を持つその人は、間違いない、私が会いたかった王属調合師ヴィルマさんだった。
彼女は私の顔を見るなりぱっと表情を明るくする。そして駆け足でこちらに近づいてきた。
「ラウラくんじゃないか! 久しぶりだね」
「お久しぶりです、ヴィルマさん」
ヴィルマさんは私の手をとってニコニコと笑う。再会を喜んでくれているようで、私も嬉しい。
「元気そうでよかった。アルノルトのお迎えかい?」
「は、はい」
頷けば、ヴィルマさんは私の腕を引いて歩き出した。
「アルノルトは調合中だ。案内するよ」
「すみません、お忙しい中……」
「気にしないでくれ。役に立てて嬉しいよ」
ヴィルマさんに調合室へと案内してもらう。いくつかの扉を抜けて辿り着いたその部屋には、残念ながらアルノルトの姿はなかった。
「おや、いないな。となると……薬草園の方か」
ヴィルマさんは顎に手を当てて呟く。
私も調合室をぐるりと見渡して――人が増えていることに気が付いた。以前私が訪れたときにこの支部にいたのはヴィルマさんと男性一人だけ。しかし今調合室で、初めて見る顔の女性が二人、黙々と作業をされている。街の調合師の方だろうか。
薬草園へと案内してくれるヴィルマさんの横顔に声をかけた。
「調合師の方、増えたんですね」
「あぁ、そうなんだ! あの襲撃事件をきっかけに、調合を学びたいという街の人が増えてね。二人とも優秀で助かっている」
ヴィルマさんは嬉しそうに笑う。あのアルノルトの教育係だった彼女は、さぞや優秀な指導者なのだろう。
私もヴィルマさんに指導をお願いしたいなぁ、と羨みつつ、はたと思い至る。王属調合師が街の調合師に調合方法を指導する際、何か資格が必要だったりするのだろうか。前世で言う、教員免許のような――
もし必要だった場合、私は将来のことも考えてその資格を取っておいた方がいいだろう。街の調合師たちの支援をするためには必要不可欠なはずだ。
経験者であるヴィルマさんに尋ねてみる。
「あの、街の調合師の方に王属調合師が指導するのって、何か特別な資格が必要だったりしますか? 指導免許みたいな……」
「うん? そういった資格は特に必要ないよ。私が持っているのは王属調合師の資格だけだ」
その答えにほっとした。しかし人に指導する立場になろうとするからには、今まで以上に勉学に励まなければならないだろう。間違った調合法を教えてしまっては大問題だ。
旅を終えたら改めて勉強し直そう、と密かに決意していたところ、
「誰か指導したい相手がいるのかい?」
ヴィルマさんが立ち止まって問いかけてきた。
私は慌てて首を振りかけて、一度ピタリと動きを止めてから、ゆっくりと頷く。
「特定の誰かってわけではないんですが……小さな町や村で頑張っている調合師たちの支援をできないかなって最近考えていて」
幼馴染のルカーシュには気楽に打ち明けられたが、尊敬するヴィルマさんに話すにはまだあまりにも漠然としすぎている話で、少し恥ずかしい。ヴィルマさんは決してこんなことを思うような人ではないと知っているけれど、「世間知らずの小娘」と笑われかねない夢であることは重々承知だった。
あはは、と笑い声をあげて誤魔化そうとし、
「……ほう」
背後から聞こえてきた声に、びくりと飛び上がった。
私は慌てて振り返る。そこには予想通り、アルノルトが立っていた。
――今の会話、聞かれた?
「ア、アルノルトさん!?」
「アルノルト、ここにいたのか。君の帰りが遅いから迎えにきてくれたそうだ」
驚き慌てる私をよそに、ヴィルマさんはアルノルトに歩みよる。そして自然と会話を始めた。
「ヴィルマさん、世話になった」
「こちらこそ、二人への指導助かった」
「ついでだ」
「素直じゃないなぁ、キミは」
簡潔な会話を終えたアルノルトとヴィルマさんが二人揃ってこちらを振り返る。目線で呼ばれているように思って、私とアルノルトたちの間にできた距離を縮めるように慌てて駆け寄った。
「すまないな、アンペール」
「い、いえ」
その後、三人で少しだけ雑談を交わして、もう遅いからと早々に解散した。
宿屋へと戻る道すがら、特にこれといった会話もなく、無言で隣を歩く。ちらりと横顔を盗み見たが、至って普段通りのアルノルトだ。
ヴィルマさんに話した“将来”の話は聞かれていないのだろうか――
「将来、村や町の調合師を訪ねて巡るのか」
――なんて一瞬期待したけれど、ばっちり聞かれていたようだ。
まぁそうですよね、と心の中で肩を落としつつ、普段通りを装って応える。
「さっき、ヴィルマさんに話していた件ですか?」
「そうだ」
アルノルトは頷いてこちらを見た。明らかに言葉の続きを促している。
まだ何も決まっていないし、現実主義のアルノルトにあまり今の段階で話したくはないんだけどなぁ、と思いつつ、観念して口を開く。彼も他人の夢を笑うような人ではないから、私が少し気恥ずかしい思いをするだけだ。
「まだ漠然とした夢ですけど……そもそもそんなことできるのかどうか、分かりませんし」
「できるだろ、アンタなら」
思わぬ即答に目を丸くする。
――私なら、できる? アルノルトはそう思っている?
「……いやでも、ほら、王属調合師の仕事とかありますしね?」
「国の調合師のレベルを底上げするならカスペルさんは大喜びだと思うぞ。むしろアンペール以外にも依頼しそうだ」
「そうですかね……」
自分に自信がないせいか、あまり想像がつかない。いくらアルノルトの言葉といえど、そうもうまく話が進むとは思えなかった。けれど――そうだったらいいなぁ、と心の片隅で思う。
それきり一度沈黙が落ちる。私としてはこの沈黙を以て話題を終えたつもりだったのだが、驚くべきことにアルノルトの方から口を開いて会話を再開させた。
「でも、いいな」
「え?」
なにが“いい”のか分からなくて、私はアルノルトを見上げる。そうすれば彼は足を止めて、いつもより幾分柔らかな表情でこちらを見下ろした。
「王城の窮屈な調合室で調合しているより、外に出て多くの調合師に指導する方が、よっぽどラウラ・アンペールらしい。想像がつく」
――ラウラ・アンペール“らしい”、とは?
私としては王属調合師として、言われるがままに王城の調合室で回復薬を調合している方がよっぽど“らしい”と思う。自分で言うのは憚れるが、真面目な方だ。それに元気に外を走り回るような子どもでもなかった。だから外に出て、好き勝手する夢を「ラウラ・アンペールらしい」と称されると、喜ぶべきことなのかもしれないが戸惑ってしまう。
アルノルトの中のラウラ・アンペールは、どんなイメージなのだろう。
「アルノルトさんの中の私って、そんなイメージなんですか? 結構真面目にやってるつもりなんですけど……」
アルノルトは歩き出す。私も半歩後ろをついて歩く。
今度はこちらを見ずに、前を見たままアルノルトは口を開いた。
「他人のために走り回る奴だろう、アンタは」
――あぁ、そういう意味で、アルノルトは“らしい”と言ったのか。屋内でじっとしていられないとか、新しいことをするとか、そういう意味ではなく。
確かにアルノルトからしてみれば、私は先輩の妹を助けるためにあちこち駆け回るお人好しの後輩、といったイメージがあるのかもしれない。確かにエルヴィーラを救いたいという思いはあったが、それは前世の記憶があったからこそ、この世界のためにとあそこまで頑張れた訳で――
アルノルトからの評価は正直、過大評価だ。けれどあのアルノルトがそう思ってくれているという事実は、素直に嬉しい。
「買いかぶりすぎですよ。でも……ありがとうございます」
アルノルトを見上げて笑う。そうすれば彼も、目線だけこちらに寄こして僅かに口元を緩めた。




