146:二度目のプラトノヴェナ
――船が北の大地に到着した。
「ラウラ、ラウラ」
「はい」
「ラウラ、ラウラ」
「はいはい、ここにいますよ」
水の精霊は、覚えたての言葉をしきりに口にした。名前を呼ばれた以上は返事をしないのも失礼なので、多少投げやりではあるが呼ばれる都度返事をする。
私たちが会話する姿を見つけたのか、船から降りてすっかり元気を取り戻したらしいマルタが――あれだけ騒いでいたが、船酔いはしていないようだ――軽い足取りで近づいてきた。
「すごーい、喋るようになったんだ」
「でもまだうまく話せないみたいで」
マルタは膝を曲げて水の精霊の顔を覗き込む。そして自分を指さした。
「アタシ、マルタ。マ、ル、タ」
どうやら自分の名前も呼んでもらいたいらしい。
水の精霊はゆっくりと動くマルタの唇を凝視して、それから口をもぞもぞさせた。
「ラ……ル、マ……タ」
「おぉ、頑張れ頑張れ」
あはは、とマルタが笑えば、水の精霊もまた嬉しそうに目を細めた。
しっかりと発音することはできなかったが、この調子だと他の人たちの名前も近いうちに呼べるようになるかもしれない。
「なんだかかわいいですね」
私たちの話し声を聴きつけたのかディオナも近づいてくる。マルタよりディオナの方が言いにくそうだなぁ、なんてことをぼんやりと思いつつ、三人で水の精霊に新しい言葉を覚えさせようとしばらく話しかけていた。
その後、港から馬でプラトノヴェナへと向かうことになった。馬を操ることのできない私はヴェイクに一緒に乗らせてもらい、短時間ながらも馬上の旅を楽しんだ。
(あれ、あの人たちは……)
目を凝らす。街の入口で出迎えてくれたのは、見知った顔。かわいらしい金髪の少女――エミリアーナさんだった。
「皆様、ようこそいらっしゃいました。エミリアーナ・プラトノヴェナと申します」
優雅な動きで頭を下げる彼女は随分と大人っぽくなったように見えて、思わず見惚れてしまう。
王属調合師助手になってすぐ訪れた雪国・プラトノヴェナ。魔物の襲撃にあい大変な遠征となったが、エミリアーナさんと知り合えたことは大きな収穫だった。彼女の知識と人脈のおかげで精霊の飲み水の発見へと繋がったのだ。それに避難中は二人で励まし合ったり、私の初めての弟子になってくれたりと、とても大切な縁をもたらしてくれた女性だ。
こういった形で再会するのは正直予想外だったが、素直に嬉しい。
ヴェイクに馬上から降ろしてもらい、エミリアーナさんに駆け寄った。
「エミリアーナさん!」
「ラウラさん、お久しぶりです! アルノルト様も!」
エミリアーナさんの挨拶に、アルノルトは軽く会釈をして応える。一見すると無礼な対応だったが、彼女はくすりと笑うばかりで、アルノルトを咎めることはしなかった。
「領主の屋敷までご案内します」
領主――その単語にどきりとする。
アレク・プラトノヴェナ。この地方を治める若き領主。彼は「ラストブレイブ」にも登場するキャラクターで――先の魔物襲撃の際に、命こそ取り留めたものの両足を失っている。
彼と会うのも久しぶりだ。元気にしているだろうか。
エミリアーナさんの後に続いて、過去滞在したことのある屋敷へと足を踏み入れる。長い廊下を行き、立派な執務室に案内された。
扉を開けた先で、銀の髪を持った男性が振り返る。彼は二本の足で“立って”いた。
「皆様ようこそいらっしゃいました。アレク・プラトノヴェナです」
プラトノヴェナ領主・アレクさんは穏やかな笑顔で勇者一行を出迎えてくれた。
しっかりと二本の足で絨毯を踏みしめて、アレクさんはこちらへ歩みよってくる。両足を失ったはずでは、とその姿に思わず驚き、こっそりとアルノルトを見た。すると彼もまた、じっとアレクさんの両足を凝視しているようだった。
戦いで両足をなくした彼が、こうして立っている。であるからして、おそらく義足をつけているのだろうが、それを全く感じさせない自然な足取りに、この二年弱でどれだけ努力したのだろうかと想いを馳せてしまう。
――エミリアーナさんもアレクさんも、元気そうでよかった。本当によかった。
「アルノルト殿からの手紙で粗方は把握しています。皆様がお探しの精霊様ですが……街の更に北にある塔にいらっしゃるのではないかと」
挨拶もそこそこに、時間が惜しいとばかりにアレクさんが本題に踏み込む。
アルノルトが一歩前に出て尋ねた。
「塔とは?」
「詳しくは妻が」
アレクさんの言葉を合図に、入口近くで控えていたエミリアーナさんが彼の許に駆け寄る。そして彼女は緊張した面持ちで口を開いた。
「この土地には母親が子どもに聞かせる話があるんです。北の森にある塔には守り神様が住んでいて、その守り神様は静寂がお好きだから、決して森に足を踏み入れてはいけないよ、と」
一呼吸おいて、エミリアーナさんは再び口を開く。
「街の北には深い森があります。霧も濃く、街から森の向こうは全く見えません。魔物が好む環境ですから、決して子どもたちが森に近寄らないようにするための、作り話だと思っていたのですが……」
なるほどよくありそうな話だ、と思う。ただ近寄ってはいけないと警告するより、近寄ってはいけない理由を作った方が分かりやすい。
「魔王が復活し、十日と二日経った朝のことでした。突如として霧が晴れ、森の向こうに塔が現れました。……いいえ、元々そこに在ったものが見えるようになったのでしょう」
エミリアーナさんの言葉に私たちは顔を見合わせる。誰もがほぼ確信したような顔をしていた。
きっと霧は結界だったのだ。それが魔物に制圧されたことで結界が破られ、街から塔の姿が見えるようになってしまったのではないか。
エミリアーナさんが一通り説明を終えると、今度はアレクさんが口を開いた。
「調査のために兵を差し向けようと思いましたが、街はまだ復興途中で人手を割けず……申し訳ありません」
「いや、その情報だけで十分だ。あとは俺たちが調査する。ありがとな、アレク」
何やら親し気にアレクさんの謝罪に答えたのはヴェイクだった。名前を呼び捨てにしているのを聞くに、過去交友があったのだろうか。騎士団に所属しているヴェイクは任務でプラトノヴェナを訪れていてもおかしくはない。
重い空気を振り払うように、アレクさんは柔い声音で言う。
「皆様の部屋は宿屋に用意してあります。お好きに使ってください。それと、プラトノヴェナ支部にも話を通してありますから何かあればヴィルマに」
ヴィルマさん。その名前を聞いて、脳裏に蘇った赤く美しい髪。王属調合師として強い責任感を持つ先輩にまたお会いしたいな、と思う。
アレクさんは私たちの顔を見渡して、それからゆっくりと頭を下げた。
「ご武運を」
ルカーシュが応えるように力強く頷く。
二年前の魔物襲撃からようやく立ち直りつつあるプラトノヴェナに魔物の手が及ぶ前に、やり遂げなければ。
「私、宿屋までご案内しますね!」
エミリアーナさんが元気な声で言う。彼女の背を追って執務室を、そして屋敷を後にした。
街の大通りを行く。魔物によって壊された建物はほとんど修繕されており、観光客の姿こそ見られなかったが、街の人々は皆元気そうだった。
早足でエミリアーナさんの横に並び立ち、声をかける。
「復興が進んでいるようで安心しました」
「皆、頑張ってくれていますから」
エミリアーナさんは嬉しそうに言う。
そういえば彼女は自分の姓をプラトノヴェナと名乗っていたが、つまりは正式に結婚したのだろうか。アレクさんも彼女のことを妻と呼んでいたし――だとしたら、落ち着いたときにしっかりとお祝いしたい。
「ラウラさんも、旅をされていると手紙で知ったときには驚きましたが、お元気そうでよかった」
「なんとか元気にやってます」
苦笑して答えれば、エミリアーナさんは少し心配そうな色を瞳に滲ませつつも、再び「よかった」と笑った。
それから宿屋までの道すがら、他愛ない会話を楽しんだ。私の仕事のこと、エミリアーナさんとアレクさんの日常生活のこと、それから――
宿屋の前に辿り着いたときだった。建物と建物の間、遠くにぼんやりと大きな塔が見えた。
「あ……あれがエミリアーナさんがおっしゃっていた塔ですか?」
「はい、そうです」
目を凝らしてその塔を見つめる。塔の先は一応確認できるが、それにしても思った以上に高い。
(登れるのかな、あれ……)
まさかエレベーター完備、なんてことはないだろうし、階段で登るとなるとかなりしんどそうだ。どうしても気が重くなる。
エミリアーナさんとは宿屋の入口で別れて、用意してくれていた部屋へと向かう。大部屋と中部屋の二部屋を取ってくれていたようで、自然と男性陣と女性陣に分かれることになった。
荷ほどきを終えてから、大部屋である男性陣の部屋にお邪魔する。そして窓から塔を確認しつつ、作戦会議を開始した。
まず最初に口を開いたのはアルノルトだ。
「あの塔が空の精霊の住処だったのか?」
『シエーロの塔だ。霧は奴の結界だったのだろう』
答えてくれたのは火の精霊アヴール様だった。
アヴール様の答えに、今度はヴェイクが口を開く。
「魔物に制圧されて、結界が消えたってことか」
『そうだろうな』
「だとしたら、魔物が待ち構えてるって想定で準備した方がいいな」
ヴェイクの言葉に部屋の中の空気が一気に張り詰める。想定内のことではあったが、それでも魔物との戦闘が確定したとなると、やはり空気は重くなる。
沈黙を破ったのは、またもやアルノルトだった。
「俺は回復薬の調合を行う。プラトノヴェナ支部に協力を依頼するが、一日もらえるか」
「それなら男性陣は武器や防具を買いそろえるか。あとは塔への移動手段として馬も借りねぇと」
続いたのはヴェイクだ。
腹を決めると決断も行動も早いアルノルトと、誰よりも経験を重ね冷静に判断できるヴェイクはいつだって頼りになる。
緩んだ空気に、女性陣で一番に声をあげたのはマルタだった。
「んじゃ、アタシたちはラウラと水の精霊のしゅぎょーに付き合いましょう!」
マルタ、ディオナと顔を見合わせ頷く。付き合わせてしまうのは申し訳ないが、彼女たちの力を借りて、出発までに少しでも形にしなくては。
「聖剣は目の前――だから魔王側も焦ってると思う。気を抜かずに頑張ろう」
ルカーシュの言葉に全員頷く。勇者の呼びかけで、仲間の心は一つになったようだった。
それぞれのやるべきことのために皆宿屋を後にする。私はディオナとマルタ、そして水の精霊と一緒に街の入口へと向かった。流石に街中の公園でクロスボウの練習はできない。
入口すぐ近くの人通りのない開けた場所にやってくると、先ほどよりも塔が良く見えた。
(……聖剣まであと少し)
ぎゅ、とクロスボウを持つ手に力を込めた。
魔王の妨害は今後激しくなるはずだ。だからこそ、少しでも足手まといにならないよう、力をつけなくては。




