138:旅の始まり
翌日、今回の件で力を貸してくれたバジリオさんとアイリスの許を、お礼と一時の別れの挨拶のために訪れた。
無事、地中の毒素は解毒しきれたこと、元凶となっていた魔物も退治できたこと、そして――
「勇者様たちの旅に同行されるんですか?」
「はい、そういう話になって……」
勇者の旅に同行することになったために、またしばらく調合室を空けてしまうこと。
つくづく後輩二人には迷惑をかけてしまいっぱなしだ。しかし彼らは気にするどころか私のことを心配してくれるものだから、良い後輩に恵まれたなぁとしみじみ思う。
「どうか気を付けてくださいね。こちらのことは心配しないでください」
「ありがとうございます。本当にすみません……」
頭を垂れる。その瞬間、肩にかけていた大きな鞄から“子犬”が顔をのぞかせた。
「ワフ!」
「うわっ」
鞄から零れ落ちそうになった子犬――水の精霊を慌てて両手で支える。そうすれば私の手に頭をこすりつけてくるので、仕方なしに胸元に抱き上げた。
ずっと抱いているのも疲れてしまうだろうから、とこの鞄はディオナが調達してくれた。ルストゥの民の持ち物らしく、鞄の持ち手に赤い宝石がつけられている。
この宝石を見て思い出したのは、魔物捕獲の際にディオナたちが使っていた檻だ。もしかすると光の力を使うとこの鞄にも何らかの力が作用するのかもしれなかった。――私が使う分には、全く関係のない話だが。
私が抱き上げた水の精霊を、バジリオさんとアイリスは興味深そうに見つめる。
「その子が精霊様、ですか?」
「はい。ただ、何を言っているのか分からなくて……」
「あははっ、かわいー!」
アイリスは無邪気に水の精霊の顔を覗き込む。ニコニコ笑顔の少女に絆されたのか、はたまたルストゥの民という出生が関係しているのか、水の精霊はアイリスにワフワフと何やら話しかけるように鳴く。
「アイリス、何言ってるか分かる?」
「ううん、分かんない。でもラウラのことが好きみたいだねー」
アイリスが水の精霊の目の前に指を立てる。そうすれば子犬はアイリスの指にじゃれつき始めた。
微笑ましい光景を見下ろしつつも、ついつい口からはため息が零れた。
「なつかれちゃいましたね」
「はい……」
バジリオさんは私の苦労や不安を見透かしたように苦笑する。
どこかどんよりとした空気を払拭するように、アイリスが明るい声音で尋ねてきた。
「この子、何か食べるの?」
「木の実が好きみたい。あとはパンくずとか」
それはここ数日水の精霊を観察して分かったことだった。ウェントル様曰く精霊たちは固形物の食事を必要としないようだが――空気中の魔力を吸収して栄養としているとかなんとか――赤ちゃん故にまだそういった機能が発達しきっていないのか、水の精霊は人間と同じく“お腹が減る”らしかった。
キュンキュンと鼻を鳴らす子犬に、果たして与えても大丈夫かと不安に思いながらも、木の実やパンくずを与えれば嬉しそうに口にした。
他の精霊様に大丈夫か尋ねたところ「人間の食べ物如きで精霊に何か影響がある訳ない」と説得力のあるお答えを頂いたが、心配なものは心配だ。
「本当に小動物みたいですね」
「そうなんです。でも精霊が食べていいのか分からなくて……」
「本人が口にするんだったらいいんじゃないでしょうか。毒になるものは食べないでしょうし」
バジリオさんの言葉に頷く。口に入れて、何か不都合があれば吐き出すはずだ。だからきっと大丈夫。
その後少しの間雑談をして、仕事の邪魔にならないように、と足早に退室する。その際もう一度頼れる後輩二人に頭を下げた。
「今回は本当にありがとうございました。お二人のおかげで助かりました」
「お役に立てて良かった。僕も自信が湧いてきました」
「また何かあったら頼ってねー!」
優しく微笑むバジリオさんと、笑顔で手を振るアイリス。勇者の旅が終わり平和になったら、改めてお礼をしないといけないな、と思った。
その後支部長にも一応の報告を終え、支部の調合師にも改めて礼を言い、フラリア支部を後にする。――と、入口前で見慣れた少女と鉢合わせした。
「あ……」
「ラウラ!」
黒髪の少女――エルヴィーラは私に駆け寄ってきたかと思うと、そのまま抱き着いてきた。その体を受け止めつつふと前を見れば、メルツェーデスさん、オリヴェルさん双子が笑顔で立っている。
「エルヴィーラちゃん、メルツェーデスさんにオリヴェルさんも」
「こんにちは、ラウラちゃん」
オリヴェルさんが優しく微笑む。メルツェーデスさんは何も言わずに笑顔で頷く。こちらも笑顔で応えて――ぎゅう、と強く抱きしめられてエルヴィーラを見た。
彼女は抱き着いたまま、私を見上げていた。思いの外近い顔の距離に、エルヴィーラも身長が伸びたんだな、と実感する。
「ラウラ、気を付けてね」
「うん、ありがとう」
ふとエルヴィーラが離れたかと思うと、彼女は俯いて唇を尖らせた。
「あたしも行きたかった」
「アルノルトさんはエルヴィーラちゃんを心配して……」
「それは分かってる! 分かってるもん……」
ぷぅ、と頬を膨らませるエルヴィーラ。その幼い感情表現は微笑ましかったが、彼女の心中を察すると笑う訳にはいかない。
私は少しだけ膝を曲げてエルヴィーラの顔を覗き込む。黒の瞳は強く、爛々と輝いていた。
「それとこれとは別、だよね」
私の言葉にエルヴィーラは頷く。
これはあくまで私の予感だが、エルヴィーラの力を借りなければならないときがくる。そのとき彼女は今日の悔しさもバネにして、目を見張るような活躍をしてくれるはずだ。エルヴィーラを危険に晒したい訳ではないが、勇敢に魔物と戦うエルヴィーラの姿を見られるとしたら、「ラストブレイブ」のファンとして興奮してしまいそうだ。
ふと、肩にかけている大きな鞄がもぞもぞ動いた。かと思うと、中から力ずくで水の精霊が顔をのぞかせる。
「ワフ!」
俯いていたエルヴィーラははっと水の精霊を見やる。しばらく目を丸くしてじっと見つめていたかと思うと、ふ、と優しく笑って水の精霊の顔を覗き込んだ。
「あなたの……お母さん? のおかげであたし、助かったの。ありがとう。ずっとお礼が言いたくて」
エルヴィーラが水の精霊の頭を撫でる。すると子犬は嬉しそうにしっぽを振って喉を鳴らした。
その様子を見ていたメルツェーデスさんが「ふふ」と笑う。
「嬉しいみたい、喜んでる」
「この子が何を言っているか分かりますか?」
精霊の言葉を聞けるエルフならあるいは、と思い問いかけたものの、メルツェーデスさんは静かに首を振った。
「いいえ。本当に赤ちゃんなんだと思うわ。ほら、人間の赤ちゃんも言葉は話せないでしょう。それと同じ」
「成長したら話せるようになるんでしょうか」
「もしかしたら、ね。でも精霊が生きる時間と、人間が生きる時間には大きな差があるから、百歳になっても精霊はまだ赤ちゃんかもしれないわね」
メルツェーデスさんの言葉には説得力があり、私は肩を落とす。確かに永い時間を生きる精霊にとって、百年なんてとてもとても短い時間だろう。
この水の精霊に言葉が通じるようになるのは一体いつになるのだろうか。少なくとも私が生きている間は無理そうだ。
ひっそりと落胆する私に、オリヴェルさんが声をかけた。
「ラウラちゃん、今回の話、一応各地の駐屯地に共有しています。何かあれば頼ってください」
「あ、ありがとうございます!」
頭を下げれば「当然のことです」とオリヴェルさんは頷いた。
確かにこの世界を救うために尽力している勇者に国も力を貸すのは当然かもしれないが、それでもオリヴェルさんには感謝してもしきれない。本当に私は周りの人たちに恵まれている。
「どうか気を付けて」
「皆さんも、お気をつけて」
オリヴェルさんと握手を交わし、三人と別れた。
――その後エミリアーナさんのご両親を尋ね、お別れとこれからプラトノヴェナに向かうことを伝えた。そうすれば手紙を出しておいてくれるというので、素直にお言葉に甘える。きっと迷惑をかけることになるだろう。
挨拶周りを終えた後は宿屋に帰り、カスペルさんと実家への手紙を書いた。それらの手紙を王都行の馬車に預けた頃には、もう日が沈み始めていて。
宿屋へ帰る道すがら、私は鞄から顔を出して夕日を眺めていた水の精霊に声をかけた。
「綺麗な夕日だねぇ」
生まれたばかりのこの子は、旅の中で様々な“初めて”を経験することだろう。精霊がどのように成長していくかは分からないが、聖剣のため、そして沢山力を貸してくれたフォンタープネ様のため、この子は守りぬかなければならない。
そこでふと思う。新しい水の精霊の名前はなんというのだろう。
「君の名前は何て言うの? フォンタープネ?」
問いかけに、水の精霊は口を閉じてぶんぶんと頭を振った。
「あ、それは否定するんだ。こっちの言葉は多少分かってるのかな?」
ぴくぴくと動く耳は、私の言葉を聞いて理解しているのだろうか。
撫でろと言わんばかりに私の右手にじゃれつく水の精霊を見下ろしながら、一人呟く。
「勝手に名前つける訳にもいかないしね……なんて呼ぼうか」
当然ながら答えは返ってこなかった。
***
翌日、鳥のさえずりで目が覚めた。カーテンを開ければ気持ちのいい朝日が部屋に差し込む。
快晴。絶好の旅立ち日和だ。
不思議と緊張はしなかった。私を気遣ってか同室のマルタとディオナが普段通り、何気ない話題を朝から提供してくれたおかげか、はたまた当日になっても現実味がないからなのか。
いつものように朝の支度を終えて、私たちは宿屋を出た。
ヴェイクから渡された旅人用のマントを身に着ける。思った以上に重く、若干足取りがふらふらしてしまう私をマルタは笑い、ディオナは心底心配そうに見つめてきた。
ふと、先を行くルカーシュがフラリアの入口で立ち止まる。かと思うと、こちらを振り返った。
「ラウラ、行こう」
こちらに手を差し伸べてくる幼馴染は、優しい笑顔を浮かべていて。
――本当に私は、勇者一行に加わって旅に出るのだ。
今更指先が震えた。けれど、きっと、仲間と一緒なら大丈夫だ。
私はゆっくりと差し伸べられた手を取る。そして、
「……うん!」
大きく頷いた。
目指すはプラトノヴェナ。長く険しい旅の始まりだ。




