14:同期と上司と先輩と
アルノルトに連れられてやってきた部屋は、中庭に面した廊下にあった。一体何に使われている部屋なのか、アルノルトは説明もなしに「また後で会うだろ」と言葉を残すだけ残して、どこかへ立ち去ってしまった。
随分とおざなりな案内だなと些か不満に思いながら、目の前の扉を開ける。するとそこにいたのは――カスペルさんではなく、私と同世代の女の子だった。
彼女は私の姿を視界に捉えるなり、ソファから立ち上がる。赤髪のおさげが揺れた。
「アッ、アタシ、チェルシー! チェルシー・ガウリー。よろしくね、同期さん!」
少女は人好きのする笑みを向けてくれる。
体に入っていた余分な力が抜けて行くのを感じながら、右手を差し出した。
この子――チェルシーが私の同期ということは、今年の合格者は2人だったのか。同期というからには一緒に研修を受けたりするのだろう。とても感じの良い子で一安心だ。
「私はラウラ・アンペール。よろしく、チェルシー」
差し出した手をぎゅっと握られる。そしてチェルシーは握った手をぶんぶんと振った。
溌剌とした笑顔からも感じていたが、彼女は活発な性格のようだ。口調もとてもハキハキとしている。
「ラウラはどこの町の出身?」
「エメの村っていう小さな村。何もない田舎の村だよ。チェルシーは?」
「アタシはリッチェルの村。こっちもなーんもない田舎!」
あはは、と声をあげて笑うチェルシー。彼女も田舎の出身とのことで何かと感覚が合うのか、その後も雑談は続いた。
つい先ほど受けた試験の話。
好きな調合方法の話。
出身地の話。
好きな食べ物の話。
王都にきて驚いた話――等々。
お互いへの興味は尽きることなく、どちらからともなく新しい話題が飛び出る。初めは遠慮がちに、探るような口調だったのがどんどん迷いも遠慮もなくなっていき、笑い声が混じるようになった頃、
「わっ、お2人ともお揃いで。遅れちゃいましたかね? すみません」
扉が開き、カスペルさんが現れた。
私とチェルシーはパッと座っていたソファから立ち上がる。そのタイミングが全く一緒で、私たちは思わず顔を見合わせて笑った。
チェルシーとはいい友達になれそうだ。
「改めて、お2人とも合格おめでとうございます! 一応お2人の上司……ってことになるんすかね、カスペル・クラーセンっす。明日からさっそく王属調合師見習いとして、お2人に働いてもらうんすけど……」
カスペルさんの口から放たれたその言葉に、私は唾を飲み込んだ。“ここ”を目指して頑張ってきたのだから喜ばしいことなのだが、そうは言っても緊張しているようだ。
明日から私は、王属調合師見習い。
その事実を噛み締めていたら、カスペルさんが突然閉じている扉に向かって声を張った。
「リナさん、入ってきていいっすよー!」
カスペルさんの言葉から数瞬間が開いて、扉がノックされた。そして、開く。
現れたのは淡い水色の髪を持つ、美しい女性だった。――いや、女性というには少し幼いか。かと言って女の子というには大人びていた。
長い睫毛を瞬かせて、彼女は私とチェルシーを見つめる。そして、
「私の名前はリナ・ベーヴェルシュタム。あなた達の教育係を任された、ふたつ先輩よ」
大人びている外見にぴったりな、落ち着いた声で自己紹介してくれた。
リナ・ベーヴェルシュタム。リナ先輩。私たちの2つ先輩ということは、16歳か。そしてつけ加えるならば、アルノルトの同期だ。
私とチェルシーも慌てて自己紹介をする。すると先輩はしっかりと目を見て優しく笑ってくれた。
優しそうな先輩だ、と安堵のため息をこぼそうとした瞬間――その問いが投げつけられた。
「ところで、アルノルトの彼女ってあなた?」
私を見つめる金の瞳は決して睨みつけてきてはいないが、笑ってもいなかった。しかし唇は優雅な曲線を描いている。
――アルノルトの彼女って、あなた?
「はぁ!?」
意味を理解するよりも早く、困惑の声が口を突いて出た。それも、自分でも驚いてしまうぐらい大声で。
チェルシーもカスペルさんも驚きに目を丸くしていた。けれど目の前の先輩は全く笑顔を崩さない。それどころか笑みを深くする。
その微笑みはとても美しいのに、なぜか迫力があった。さらにピリッとした空気が先輩のあたりに漂っているように思えて。
私はその迫力と空気に気押されるようにして、慌てて口を開いた。
「あ、あの……なんでそんな噂が? アルノルトって、調合師見習いの方ですよね?」
私の疑問に1番に反応したのは目の前の彼女――ではなく、隣のチェルシーだった。
「アルノルトさんは見習いじゃないよぅ! 今年、最年少で王属調合師になった天才じゃない!」
「……そうなの?」
――初耳だ。
天才くんと呼ばれていたアルノルトだが、まさか最年少で王属調合師になっていたとは。先ほど再会した彼はもう、“見習い”ではなかったのか。
それならそうと言ってくれればよかったのに。いや、もしかすると調合師界隈では天才が現れたと話題になっていて、アルノルト本人は私が知っているものとばかり思っていたのかもしれない。しかし生憎、私は田舎に引きこもっていて――
などと考えを巡らせていると、
「……知らなかったの? じゃあ彼女っていうのは嘘?」
リナ先輩がぽつりとこぼした。あの迫力があった笑顔も今は姿を消し、目を丸くしている。
和らいだ空気に安堵しつつ、私は何度も大きく頷いた。
なぜそのような噂が広まっているのか分からない。私はつい先ほど合格が告げられたばかりなのに。その後、アルノルトにここまで連れてきてもらったが、誤解されるような言動もしていないはずだ。
「そもそもなんでそんな話が……。私たちの師匠同士が師弟関係で、何回か会ったことがあるだけです」
私の返答に驚きの声をあげたのは、今まで静観していたカスペルさんだ。
「えっそうなんすか!? てっきり2年前からラウラちゃんはアルノルトの彼女なのかと……」
「違います違います!」
何を言いだすんですか、カスペルさん。
その言葉は飲み込んで、苦笑にとどめる。未だ驚きに目を丸くしているカスペルさんを眺めながら、ぼんやりと2年前のことを思い出した。
――天才くんの彼女っすか?
そのようなことを言われた覚えがある。そのときも私は否定したはずだったが――と記憶を掘り起こして、その否定の言葉に被せるようにヴェイクが声をかけてきたのだと、はっきりと思い出した。
なるほど、あの否定の言葉はカスペルさんの耳を通り抜けていったという訳か。それにしてもこの驚きようを見るに、もしや噂の出所はカスペルさん?
密かに心の中で頭を抱えていると、水色の髪の彼女は「なんだ、そうだったの!」と明るい声をあげた。そして改めて私たちに向き直る。
「改めてよろしく頼むわね、ラウラ、チェルシー」
その笑顔は美しかった。その声はとても澄んでいた。それだけに、先ほどの笑顔の異様さが際立つ。
ただ噂の真偽が気になって尋ねてきた、という様子ではなかった。しかしあからさまな敵意をぶつけられた――という訳でもない、と思う。
たしかに先輩が纏っていた空気は不穏なものだったが、その空気はただあたりを漂っていただけで、矛先が私に向けられていたようには感じなかったのだ。もっとも、私がそう思いたいだけかもしれないが。
リナ先輩はアルノルトに何らかの感情を抱いている。それは確かだろう。その何らかの感情が好意だとしたら――ああやって尋ねてきたのも、納得できなくはなかった。しかし、どうも腑に落ちない。
そうはいっても、いくら考えようと当然答えが出るはずもなく。「部屋に案内するっす!」そのカスペルさんの言葉を聞いて、私は早々に考えを放棄した。
***
「ここがお2人の部屋っす。好きなように家具とかおいてもらって構わないっすよ」
案内された部屋は、こじんまりとしながらも日当たり良好の小綺麗な部屋だった。私とチェルシーは今日からここで共同生活を送るらしい。
二段ベッドに、2つの机。見るに、壁には大きいクローゼットがはめ込まれている。なかなか居心地の良さそうな部屋だった。
どちらからともなくチェルシーと顔を見合わせ、頷きあう。いい共同生活を送るためにも、協力し合わなければ。
「隣の部屋がリナさんの部屋っすから、何かあったら訪ねてもらって大丈夫っす」
カスペルさんはそう案内してくれたあと「今日はゆっくりしてください」と言葉を残して部屋から去って行った。
チェルシーと2人きりになった途端、肩から力が抜けた。上司と先輩との対面に、知らず知らずのうちに強張っていたらしい。
「チェルシー、ベッドの上と下どっちがいい?」
「……下でいい? 恥ずかしいんだけど、アタシ寝相がそんなよくなくて。夜もうるさかったらゴメン!」
「あはは、そうなの? いいよいいよ、じゃあ私が上ね」
運び込まれていた着替えなどの荷物を雑談しつつも解いていく。
一応服はそれなりの数を持ってきたが、こうして並べてみると色合いがどうも地味だ。田舎のエメの村で売っていたものだから、と言ってしまっていいものかとは思うが、やはり王都を行き交う人々の服と比べると見劣りしてしまう。給料をもらったら、服を買いに出かけよう。
――作業が一段落した頃、ふいにチェルシーが口を開いた。
「でもよかった」
「何が?」
「同期がラウラみたいな子で。つーんと澄ました子とか、怖い子だったらどうしようって不安だったの」
チェルシーの笑顔には、ほんの少しの不安が滲んでいた。
田舎から1人、親元を離れて14歳で王都に出てくるのだ。目指していた目標を達成できた喜びとは別に、そのような不安を抱えてしまうのも当然と言えるだろう。“私”ですら両親やルカーシュと別れる際、寂しさを感じてしまったのだから。
これから2人同室で、生活圏を共有する。共に研修を受ける。家族のように、とはいきなり難しい話だが、良好な関係を築きたい。この思いはきっとチェルシーも同じだろう。
その場から立ち上がり、チェルシーの元に近づく。そして再び彼女に右手を差し出した。
「改めてよろしくね、チェルシー」
「うん、一緒にがんばろうね、ラウラ!」
――とても可愛らしい同期に恵まれて、私の王属調合師見習いとしての日々がスタートした。




