132:故郷の敵
――魔物に追われてフォンタープネ様の結界の中に招かれたのは、「ラストブレイブ」のパーティーメンバー、勇者様の未来の親友だった。まさかこんなところで、こんな形で出会うなんて。
驚きのあまり数秒その顔を見つめてしまったが、
(と、とにかく治療しないと!)
はっと我に返り、ポーチの中から回復薬を取り出す。そして青年の口に容器を当てた。
青年の眉がピクリと動く。意識を取り戻したのだろうか。
「う……っ」
うめき声。僅かに開いた口に、私はそっと回復薬を注ぎ込んだ。そうすれば彼の喉がごくりと大きく上下する。
瞼がゆっくりと開いた。そして現れたのは“私”の記憶通り、綺麗な緑の瞳。うつろで焦点が定まっていないその瞳を覗き込んで尋ねた。
「大丈夫ですか……?」
「ここは……?」
「フラリア近くの森の中です。貴方は魔物に追われていて……」
私の言葉に徐々に今自分が置かれている状況を理解したのか、うつろだった瞳に光が差し込む。そして、青年は“その単語”を口にした。
「あ! 勇者!」
「へっ?」
勇者って言った?
目を丸くした私の前で、青年はばっと体を起こす。しかしその際貧血を起こしたのか、うめき声を上げて頭を抱えた。
私は慌てて彼の背に手をやりもう一度寝かせる。
「おーい、大丈夫?」
「マルタ」
短剣――確かルーくんとターくん――をしまいつつ、マルタが歩み寄ってくる。見れば青年を追っていた魔物はすっかり丸焦げになっていた。原型もあまり分からない。短剣でとどめを刺した後、念のため魔法で焼いたのだろう。
マルタは周りを見渡しながらぽつりと呟く。
「魔物はやっつけたけど、緩んだ結界は元に戻ったかな。アヴールに聞いてみた方がいいかも」
「そうですね」
そう、気になるのはこの地に張られた結界のこと。青年を招きいれ、更には魔物の侵入を許したということは、結界が一時的に緩んだということに他ならない。傷ついた人を招き入れた後、自然と緩んだ結界は元に戻るのだろうが――今の状況では果たしてどうなっているだろう。正直不安だ。
マルタの言葉に同意を示す。ただ一点、今フラリアに戻っていいかが気がかりだ。もしかすると結界の外には更に魔物がいるかもしれない。
「ただ、今結界の外に出て大丈夫でしょうか?」
「うーん……ねね、襲われてたアンタ、周りに魔物はたくさんいた? 街は魔物に襲われてたりする?」
マルタはしゃがみ込んで青年の顔を覗き込む。未だ横になったままの彼は、その体勢のままゆるく首を振った。
「いや、さっきのやつらは俺を追ってきたやつらで、他の魔物はいなかったと思うぜ」
口調もどんどんはっきりしてきている。その様子を見て、おそらくは強い毒や麻痺などに侵されてはいないだろう、とほっとした。
しかし油断は禁物だ。あくまで先ほど処方した回復薬は応急処置に過ぎないし、詳しい症状を聞いてその症状に適した回復薬を飲んでもらわなければならない。
魔物が外にいないと分かったからには、一刻も早くフラリア支部に行きたいところだ。
「それなら一度街に戻った方がいいかもしれません。まだきちんと治療できていませんし」
そだねー、と私の言葉に頷きつつ、マルタは青年の顔を真上からじっと見つめた。そしてじろじろとその顔を様々な角度から観察する。
困惑する青年と、どうしたのだろう、と不思議に思う私。数秒の後、マルタの呟きで私の疑問は解消された。
「……魔物が化けてたりしないよね?」
どうやらこの青年が結界を破るために魔王が差し向けた手先ではないかと疑っているようだ。「ラストブレイブ」を知る私としては無条件で信頼してしまいそうになるが、万が一の可能性もある。今世の彼も仲間になるかどうか分かるそのときまでは、警戒しておいた方がいいかもしれない。
マルタは青年の頬に手を伸ばすと、彼の頬をつねった。化けていないかどうか見破るためだろうか。
「いたた! 何すんだ!」
「あー! 命の恩人への態度がそれー!?」
咄嗟にマルタを責めた青年だったが、命の恩人との単語にしゅん、と大人しくなる。そう言われてしまえば何も言えないだろう。
彼はさりげなくマルタの手を自分の頬から払いつつも、素直に謝罪した。
「わ、悪かった。助かった、本当にありがとう」
「どーいたしまして」
謝ればマルタは特に気にすることなく許したようだった。
こうして賑やかに話す二人を見ると懐かしい気持ちになる。この二人は勇者パーティー内での盛り上げ役だったのだ。テンポのいい彼らの会話にくすっときたことは一度や二度ではない。
フラリアで二度も「ラストブレイブ」の英雄と出会うなんて。イベントの偏りを感じつつも、勇者一行の戦力が増えるのではないかという期待に胸が膨らんだ。
***
その後私とマルタ、そして負傷した親友キャラはとりあえず落ち着くために宿屋へと帰ってきた。部屋に入るなり、マルタは声をあげる。
「アヴール! フォンタープネの結界緩まってない? 大丈夫?」
『何があったのだ』
どこからともなく現れる赤色の光の玉。隣で青年が息を飲んだのが分かった。
「魔物に襲われたこの人を精霊様が招き入れちゃったみたいで、そのときに一緒に魔物が入ってきたんだよね。その魔物は倒したから魔王に場所を知られてはいないと思うけど、結界がきちんと張られてるか確認したくて」
マルタの言葉にアヴール様は『なるほど』と呟いた。そして念のため確かめておこうと提案される。それにマルタは躊躇いなく頷き、入室したばかりの宿屋の部屋から出ていこうとした。
「それじゃあ、アタシはアヴールと一緒に見てくるわ。ラウラ、その人よろしく」
「あ、はい」
そう言葉を残してバタン、と扉が閉まる。あっという間に青年と二人きりになってしまった。
ちらり、と青年を見上げる。すると緑の瞳とばっちり目が合った。しかしすぐにバッと視線を逸らされてしまう。
――なんだろう、気まずい。
「えっと、とりあえず回復薬を取りにフラリア支部まで行きましょう」
愛想笑いを張り付けて青年に声をかける。そして返事も聞かずに部屋から退出しようと扉のドアノブに手をかけて――背後から呼び止められた。
「その前に! 俺の名前はユリウス・ハウエリング。本当に助けてくれてありがとう」
振り返る。そうすれば青年――ユリウス・ハウエリングがこちらに向かって頭を下げていた。
「ラストブレイブ」で主人公の友人となり、最後には互いに唯一の親友と認めあう栗色の髪の青年、ユリウス。拳や脚を使い素早い動きで魔物を圧倒する一方で、回復魔法が得意でよく助けられたものだ。そうそう、彼が回復魔法が得意なのには理由があって――
いや、今は前世に想いを馳せている場合ではない。自分で回復できていなかったのを見るにMP切れに近い状態だろうし、とにかく回復薬を取りにフラリア支部に向かわなければ。
「私はラウラ・アンペールといいます。調合師です。私はただ回復薬を処方しただけですから、お礼はマルタ……先ほどの彼女に」
挨拶をかわして二人でフラリア支部へと向かう。そう長い距離でもない上、未だ本調子ではないであろうユリウスにあれこれ聞くのも憚られたため、支部につくまで私たちの間に会話はなかった。
聞きたいことは沢山ある。なぜ今ここにいるのか。勇者を探しているようだったが、何の用があるのか。故郷の村は無事なのか――
「……誰だ、その男」
フラリア支部の調合室に入ってきた私たちを出迎えてくれたのは、僅かに目を丸くしたアルノルトだった。アイリスたちは昼休憩だろうか。
胡乱な目でこちらを見つめてくるアルノルトにユリウスを紹介する。
「フラリアの森で保護しました。旅人のユリウス・ハウエリングさんです。フォンタープネ様、もしくは他の精霊様が結界内に招き入れました」
「どうも……」
ユリウスは自分を睨みつけてくるアルノルトに警戒しつつも、軽く会釈する。するとアルノルトは大股でユリウスに近づいてきたかと思うと、彼を見下ろしながら問いかけてきた。
「魔物に襲われたのか」
「えっと、はい」
「手足の痺れは」
「少しだけ」
その後も症状の質問を数回投げかけ、おおよその状況を理解したのかアルノルトはある一本の回復薬を棚から取り出しユリウスに押し付けた。そして言葉もなしに「飲め」と目線だけで訴えかける。
あまりに愛想のない対応にユリウスは目をまるくしつつも、治療される側である以上強くは言えないためか何も言わずに渡された回復薬を少しずつ飲み始める。その横でアルノルトがこちらに視線を寄こしてきたので、私は「ちょっとすみません」と失礼だと思いつつも彼の腕を掴み、部屋の隅まで連れてきた。
現状を報告しなくてはならない。
「ユリウスさんは魔物に襲われていたようで、彼を助けるためフォンタープネ様たちは結界の中に招き入れ、同時に魔物も結界内に入ってきました。マルタが退治したので魔王に場所は知られていないと思いますが、万が一という場合はあります」
ユリウスに聞こえないよう小声で伝えれば、アルノルトは小さくため息をつき腕を組んだ。眉間には深い皺が刻まれている。
正直今はあまりいい状況とは言えない。
「ルカーシュたちがここを発ってからそれなりの日数が経過している。戦力を補強しつつ、彼らの帰りを待つしかない」
「そうですね。私たちができることはそれぐらい――」
「――なぁ、今ルカーシュって言った?」
「へっ!?」
背後から突然声をかけられて驚きに少しだけ飛び上がる。振り返れば、ユリウスは「悪い」と謝った後、こちらに問いかけてきた。
「ルカーシュって勇者の名前だよな? あんたたち、勇者の知り合いなのか?」
「知り合いというか……」
詳しい話の内容は聞こえなかったようだが、ルカーシュという名前が彼の耳に届いてしまったらしい。それにしてもユリウスからの問いかけになんと答えるのが正解か分からず、私は助けを求めるようにアルノルトを見上げる。
彼は動揺をその顔に出すことなく、素知らぬ顔で口を開いた。
「挨拶が遅れた。調合師のアルノルトだ」
「アルノルト……黒髪……あっ! あんた、噂の黒髪の魔術師か!」
ユリウスの顔がぱっと明るくなる。噂の黒髪の魔術師。薄々分かっていたことではあるが、アルノルトもその能力からして随分と有名になっているようだ。
先ほどまでのアルノルトに対する警戒はどこへやら、ユリウスは溌溂とした笑みを浮かべてアルノルトの右手を取った。そして強引に挨拶をする。
「いやぁ、運がいい。まさか勇者のお仲間にこんなところで会えるなんて。ってことは、勇者も今ここにいるのか?」
「赤の他人のお前に答える義理はない」
アルノルトは忌まわし気にユリウスの手を振り払う。アルノルトの他人に対する刺々しい態度を見たのはなんだか久しぶりだった。丸くなったと思っていたが、それはあくまで過去の本人比での話であって、やはりアルノルトは一般的には不愛想な人間だ。
アルノルトに強く拒絶されたことでユリウスは少しだけトーンダウンする。眉尻を下げて改めて問いかけてきた。
「あぁ、いや、悪かった。少し興奮しちまって……なぁ、なんか、俺のせいであんまり状況が良くない感じなのか?」
「…………」
アルノルトは答えない。実際はそうなのだが、精霊云々の事情を知らないユリウスに対して易々と頷くことはできなかった。頷けば、状況を説明しなければいけなくなる。
何も答えない私たち二人にユリウスは真剣な表情を浮かべて言った。
「警戒しないでくれ。俺は力になりたい。……いいや、俺は魔王に復讐したいんだ」
「……復讐?」
思わぬ単語がユリウスの口から飛び出てきて、私は思わず首を傾げる。
「ラストブレイブ」のユリウスは「復讐」などといった言葉とは無縁の人物だった。いつも明るくて、マルタと一緒にパーティーメンバーを盛り上げてくれて、主人公が悩んだ時は一緒に悩んでくれる王道な親友キャラ。ふざけるときはふざけて、シリアスな場面では本気を出す、そのギャップがまた魅力的だった。
(彼は故郷の村が魔物に襲われていたところを勇者たちに助けられたことがきっかけで、旅の仲間に加わるけれど……)
そう、彼の故郷の村を勇者が訪れたとき、まさに魔物によって襲われている真っ最中だったのだ。それを勇者たちが助けたことがきっかけで、お礼も兼ねて彼は勇者一行に加わることになる。
――その流れをしっていたからこそ、彼の故郷の村がどうなっているのか、少し気がかりではあった。しかし「ラストブレイブ」のユリウスの出身はオストリア国のごくごく一般的な村だ。今世でもそうであるのならば、騎士団長ヴェイクと新人魔術師フロルによって村の結界を強化してもらっているのではないかと思ったのだが――
ユリウスは俯く。しかし俯いたのは数秒だけで、すぐに顔を上げた。――そのときの緑の瞳には、確かな“憎しみ”が浮かんでいた。
「俺は魔物に滅ぼされた故郷の敵を取りたい」
――そんな。
息がとまる。指先が震える。ぎゅうと拳を握りしめた。
思わぬ展開の連続に、私の頭は混乱するばかりだった。