128:二手に分かれて
持って帰ってきた土を、アルノルトはフラリア支部へと持っていった。毒素が含まれているかどうか調べるには、それなりの機材が必要になる。
今フラリア支部にはアイリスとバジリオさんがいて、私の分も調合を行ってくれている。顔を見たい気持ちはあったが、街を無暗に歩き回らない方がいいだろうと判断し宿屋で待機していた。
アルノルトは思ったより早く帰ってきた。――いつも以上に眉間に皺を寄せて。
「間違いない。土に毒素が含まれている」
一瞬、誰もが息を飲む。それから、
「うげぇー。じゃあアタシらが会った魔物はこの森にも細工してたってこと? むしろそっちが本命で、ラウラを襲ったのは目くらまし? こざかしー!」
マルタが一番に声をあげた。
私はアルノルトに近づく。すると彼は無言で検査結果が書かれた紙を手渡してきた。
いくつかの場所で土を採取したが、毒素の強さは均一ではなく、全て異なっていた。一番毒素が多いのは入口付近の土で、精霊の飲み水のある大樹の近くは――あくまで入口付近と比較して――少ない。しかし全体的に思っていたよりもずっと多い毒素が含まれていて、このままでは毒がフォンタープネ様の大樹を腐らせきるのもそう遠くないかもしれない。
毒素の強さにばらつきがあるのを見るに、毒の発生源が森のどこかに複数設置されているのではないだろうか。
「今も魔物はその細工を行っているっぽいですよね。でしたらその元を叩かないと」
「そうだね。急いで森の中を探索しよう」
私の手元を覗き込んだルカーシュが同意する。しかし、冷静なヴェイクの声が割って入った。
「むやみやたらと探して見つかるようなもんか? それも一か所じゃねぇ可能性の方が高いぞ」
「でも、やらないと。手遅れになる前に」
ルカーシュは力強く、自分に言い聞かせるように言う。
幼馴染の言うことはもっともだ。手遅れになる前に毒素を森に広めている元を叩かなくては。しかしヴェイクの言うことも正しい。なんの策もない状態でただ探していてはそれこそ手遅れになる。
誰もが考え込み、数秒の沈黙が落ちる。
不意に、何かに気づいたらしいディオナが口を開いた。
「毒素を広める元を解決したところで、汚された土は元に戻るんでしょうか?」
ディオナの言葉に仲間たち皆で顔を見合わせる。
もし毒素をばら撒いているのが魔物であったとして、倒すことができたのなら、あるいは魔物が作り出していた毒素も共に消滅するかもしれない。しかし、そうならなかった場合――なんらかの方法で土の中の毒素を消滅させる方法も考えなくてはならなくなる。
解毒薬を調合して、それを土の中に浸透させればあるいはうまくいくかもしれない。しかし広大な森全土に手作業で解毒薬を浸透させることはできるのだろうか。
――再び落ちた沈黙を破ったのは、いつの間に現れていたのか、元気な風の精霊・ウェントル様だった。
『ライカーラントはできるはずだぞ。アイツは土の精霊だから、土を元気にすることぐらいお手のもんだ! 汚れた土地の浄化はよくやってた!』
ライカーラント。土の精霊。――それらの単語に、昨晩の会話を思い出す。
まだルカーシュたちが助けられていない、精霊の名前だ。
「だとしたらそっちを先に助けた方がいんじゃない? 毒の原因はまだ分からないけど、土を元気にする方法が分かってるなら、そっちから行った方がいいでしょ。んで土が元気になったらもう少し落ち着いて対策練れるし」
「しかし土の精霊を助けている間にこちらが完全に死に絶える可能性もある」
マルタが提案する。アルノルトが冷静に言う。
毒素の元を叩いたうえで、土の精霊であるライカーラント様に土を元気にしてもらう。それが一番いい流れだ。しかし毒素の原因が分からない以上、大元を叩けずとも先に土を元気にしてもらった方がいいだろう。また毒素に侵されたとしても、時間を稼げる。時間を稼げればそれ相応の対策も練ることができるはずだ。
しかし土に含まれている毒素の量を見るに、このまま何の手も打たずライカーラント様の救出を優先してしまっては毒が回り切ってしまう可能性も高い。
――私がここに残って解毒薬の調合をしましょうか、と手を上げかけた瞬間。
「……名案とは言えねぇが、二手に分かれるか?」
ぽつり、とヴェイクが呟いた。
皆の視線が彼に集まる。私も上げかけた手を下ろして、ヴェイクを見つめた。
「ここで毒素の調査して被害を抑える組と、ライカーラント峡谷に向かって土の精霊を助ける組と二手に分かれて、それぞれ行動するってのはどうだ」
ヴェイクの口調は苦々しい。彼としては戦力を二つに分けるのは得策とは思えないのだろう。しかしこの状況下である以上仕方ない、苦渋の決断といったところか。
すぐさまアルノルトが口を開いた。
「ならば俺はフラリアに残る。専門分野的にも適している。アンペール、力を借りたい」
アルノルトが振り返る。じっと黒い瞳に見つめられて、私は反射的に頷いた。
「も、もちろんです」
元からそのつもりだったのだ。断るという選択肢はなかった。
それにしても相変わらずアルノルトは腹を括ったら判断が早い。提案したヴェイクもあまりに早い返事に苦笑して、先ほどよりも柔らかな表情で言った。
「流石に二人はきついだろ。魔王に動きを勘づかれて、襲撃される可能性もある。せめてもう一人ぐらい……」
彼の言う通り、アルノルトと私だけでは戦力的に心許ない。騎士団に手を借りることもできなくはないが、彼らも活発化する魔物との闘いで忙しいだろう。
もう一人ぐらい、と仲間を見渡したヴェイクに対し、手を上げたのはマルタだった。
「ならアタシ残ろうか? ルカーシュは絶対いた方がいいし、ディオナは光の力を使える。初めての土地に行くならヴェイクもいた方がいい。そう考えると、アタシぐらいじゃん?」
マルタの判断は冷静で、誰もが納得するものだった。
「……そう、そうだね。それがいいかもしれない」
ルカーシュもゆっくりと同意を示す。
なんとなく、私とアルノルトとマルタ、ルカーシュとディオナとヴェイクのそれぞれの組で固まって、対面する形で立った。しかしこうして見ると、魔王の息がかかった場所にこの三人だけで向かうのはいくら何でも危険すぎるような気がして。
「でも、いくらなんでも三人で向かうのは危険じゃありませんか? 魔物は多いでしょうし……」
これから向かうライカーラント峡谷が“私”の記憶の中の峡谷ダンジョンと同じだった場合、厳しい足場を歩きながら決して弱くはない魔物たちと対峙しなければならない場所だ。ルカーシュとディオナが魔物に特化した力を持ち、更に戦闘慣れしているヴェイクがいたとして、それでも三人パーティは少なすぎる。
ヴェイクは右手でガシガシ、と頭を掻いて、「そうだな」と声をこぼした。
「そこは適当に騎士団の奴に声かけてみるか――」
「メルツェーデスに声をかける」
会話に割って入ったのはアルノルトだ。
斜め後ろに立っていた彼を振り仰ぐ。アルノルトは眉間に皺を寄せながら、迷いのない口調で言った。
「メルツェーデスは俺の調合の師匠で、優秀な魔術師でもあるエルフだ。こちらの事情もよく分かっている。どこに魔王の息がかかった者がいるか分からない以上、精霊の地に他人を易々とあげたくはない」
――それは“私”からしてみると、思わぬ提案だった。
アルノルトの代わりとしてどうしても思い浮かぶのは「ラストブレイブ」の正式メンバーであるエルヴィーラだ。しかし病み上がりかつ幼い彼女を、妹を大切に思っているアルノルトが戦場に向かわせるとは考えられない。そう分かってはいたが――まさかメルツェーデスさんに白羽の矢が立つなんて。
けれどアルノルトの言葉を聞いて、考えれば考えるほど適任のように思えてきた。
アルノルトという優秀な調合師の師匠であり、生まれつき魔力の強い者が多く生まれる種族のエルフであるメルツェーデスさん。本人のいないところで話を進めてしまっているが、大きな戦力となってくれるはずだ。
しかし突然出てきた見知らぬ女性の名前に、一部の仲間が困惑した表情を浮かべる。
「メルツェーデスさんのことは僕もよく知っています。幼い頃からお世話になりました」
すかさずルカーシュもフォローするように重ねて言えば、流石に皆納得したようだった。
ライカーラント峡谷へはルカーシュとディオナ、ヴェイク、そしてメルツェーデスさんの四人で向かう。私とアルノルト、マルタはここで調査を進めつつ少しでも毒素が広がるのを食い止める。――それで話が決まった。
不意にアルノルトが宙を漂うウェントル様に声をかける。
「ウェントル、妹を頼めるか。一人で村におくことになる」
『まっかせてー!』
メルツェーデスさんがいなくなって心配だったのはエルヴィーラの安全だ。しかし精霊様がついてくれるとなれば今まで以上に固い警護になる。安心だった。
あと残る不安材料としては――私が長期間フラリアに滞在していて大丈夫か、という点だ。私がフラリアで襲われたのは森にこの細工を仕掛けるための目くらましだった可能性はあるが、それでも魔物は確かに私の顔を認識していた。
勇者一行であるアルノルトやマルタがいる以上、どうしても魔物は襲ってくるかもしれないが、できる限り周りを巻き込みたくはない。
「私、フラリアにいて大丈夫でしょうか? また狙われて街が襲われたり……」
『我がフラリアの街に結界を張ればよかろう。あくまで簡易的な結界だが、今張られている結界よりははるかに頑丈だ』
どこからともなく現れた火の精霊アヴール様の力強い言葉に驚きつつ、安堵した。「ラストブレイブ」では主に戦闘面でのサポートのみだったが、実際に精霊様の力を借りられるということは、思っていた以上に心強い。
マルタがひゅう、と口笛を吹く。
「アヴール様ったら頼れるー!」
『あくまで、我の力が持つまでだがな』
「……なるほどね、こっちも時間制限付きってワケか」
マルタがルカーシュたちを見やる。彼らはフォンタープネ様の大樹が朽ちる前に、そしてアヴール様の力が保っているうちにライカーラント峡谷に向かい、精霊様を救わなければならない。
私たちの間に緊張が走る。数秒見つめ合った後、すぐに彼らは旅立つ身支度を開始した。一秒でも時間が惜しい。
一方で私たちはというと、
「取り急ぎ、メルツェーデスには“器”を使って俺の方から話す。アンペールは念のためカスペルさんに連絡しておいてくれるか」
アルノルトの言葉に頷いた。
夜の便に間に合うように、私は急いでカスペルさんへの手紙を書く。手紙というより報告書に近かった。フラリアにいることと、手短に現状の報告。手を借りたいという訳ではなく、私が身を隠すという理由で特別にお休みをもらっている以上、変化があれば伝えるべきだ。
手紙を書きながら、ふと脳裏に浮かんだ二つの顔。
(ああ、そうだ、アイリスとバジリオさんにも連絡を……)
色々と面倒をかけてしまっている後輩たち。彼らにも私が今フラリアにいることは伝えておこう。
――と、そこで思い出す。そういえばバジリオさんは毒草について詳しかった。彼の知恵を借りることはできないだろうか。
カスペルさんへの手紙を書き終えて、ふと窓の外を見る。太陽が沈んでいく。慌ただしい一日が終わりを迎えようとしている。
(まさかこんな形で、勇者一行の旅に関わることになるなんて)
ここ数日、思いもよらない展開の連続だった。しかしこれからが本番なのだ。
絶対にフォンタープネ様の大樹を枯れさせはしない。失敗すれば、魔王を倒すために必要な聖剣への道が閉ざされてしまうかもしれない――
頬を軽く叩いて気合を入れる。私は夜フラリアから王都へと出る馬車に手紙を預けるべく、マルタに同行を頼んで街へと繰り出した。
***
無事カスペルさんへの手紙を出し、宿屋へと戻ってきた私を出迎えてくれたのは、なんとメルツェーデスさんだった。どうやらアルノルトの頼みに二つ返事で頷いてくれ、更に移動時間が惜しいからと危険を冒して時空の狭間を通ってやってきてくれたそうだ。
「ラウラちゃん、大変だったわね」
「そんな……こちらこそ、バタバタとしてしまってすみません」
「いいえ。お役にたてて嬉しいわ」
ふふふ、と美しく笑うメルツェーデスさん。実は彼女の魔法がどれほどのものか見たことがないのだが、こういった状況でここまで落ち着いていられるのを見て、なぜだか安心した。
きっとメルツェーデスさんなら大丈夫。間違いなく、ルカーシュたちの力になってくれるはずだ。
私とメルツェーデスさんが話していると、ゆっくりとアルノルトが近づいてきた。それを見つけたメルツェーデスさんが小さく笑ってから声をかける。
「アルノルト、エルヴィーラがどうしてあたしじゃないのー! って怒ってたわよ」
「エルはまだ早すぎる」
「えぇ、そうね。あの子もそれを分かっているから、明日から精霊様と――ウェントル様と特訓を始めるそうよ」
エルヴィーラが拗ねる様子が目に浮かぶようで、私もこっそりと笑う。精霊様からマンツーマン指導を受けられるなんて、彼女にとっても良い経験になるだろう。
メルツェーデスさんはアルノルトの眉間をつん、と指先でつついて、小さな子どもに言い聞かせるような優しい声音で言った。
「あの子だって、あなたの力になりたいんだから。その気持ちは分かってあげなさい」
アルノルトは答えない。しかし口を先ほど以上にぎゅっと引き結んだ。
絶対に妹を戦場に出したくない兄と、兄の役に立つために魔力を鍛える妹。お互いがお互いを想うが故に、ロコ兄妹の気持ちは徐々にすれ違いつつあるのかもしれない。
ふとメルツェーデスさんがアルノルトの背後に目をやった。そちらを見れば、すっかり旅支度を終えたルカーシュたちが立っていた。
彼らは時間を惜しんで、危険を承知で夜の内に発つようだ。
「それじゃあ行ってくるわ」
「お気をつけて……!」
私たちの許から離れていくメルツェーデスさんにそう声をかければ、彼女は微笑んでくれた。
メルツェーデスさんと入れ替わるように、ルカーシュが私の許へと歩み寄ってくる。彼は右手に、私がプレゼントしたお守り――フォンタープネ様の精霊石を持っていた。
彼は私の手を取り、精霊石を握らせる。
「ラウラ、これ。きっと置いていった方がいいと思うから。預かっててくれる?」
頷き、手の中にある精霊石を見つめる。美しい、水面をそのままくり抜いたような石だ。
数秒精霊石を観察したあと、ルカーシュへ視線を上げた。彼の青の瞳は不安に揺れていた。
「ルカーシュ、気を付けて。私たちも出来るかぎりのことはやってみるから」
ルカーシュは頷く。そして――ぎゅ、と私の体を抱きしめた。
「すぐ戻るから」
ぎゅう、と強く抱きしめられる。震える肩を抱き返そうにも、ルカーシュの力が強くて腕を動かせなかった。
その代わり、そっと目を閉じて「うん」としっかり返事をする。数秒の後、ルカーシュはもう一度ぎゅっと腕に力を込めて、それから私の体を離した。
青い瞳と目線が絡む。迷子の子どものように不安そうな目をしていたので、安心させるように微笑んだ。そうすれば歪にではあるが、ルカーシュもまた微笑み返してくれる。
「それじゃあ、行ってきます」
そう言葉を残して、幼馴染は――勇者は街を出た。