117:思わぬ出会い
フラリアに到着した私たちを出迎えてくれたのは、オリヴェルさんとエミリアーナさんのお母様であるルイーザさんだった。
馬車から降りて、私たちに向かって微笑む彼ら二人の姿を見たときは驚いた。まさか出迎えてくれるとは思ってもみなかったのだ。
不思議そうに首を傾げるアイリスとバジリオさんに、どちらも私の知り合いだという旨を小声で伝えてから駆け寄る。
「オリヴェルさん、ルイーザさん! お久しぶりです」
先に応えてくれたのはオリヴェルさんだった。
彼は笑みこそ浮かべているものの眉尻を下げて、どこか泣きそうな表情で言う。
「メルから聞きました。エルヴィーラちゃんのこと……本当にありがとうございました」
「いえ、そんな……今日からよろしくお願いします」
フラリア駐屯地に派遣されているオリヴェルさんとは中々連絡が取れないでいたが、エルヴィーラの件はメルツェーデスさんから彼に伝えられていたようだ。向けられる感謝の意に照れを感じつつも、今日から色々とお世話になるであろうオリヴェルさんに頭を下げる。
頭を上げて、最初に目線が絡んだのはオリヴェルさんの後ろに控えていたルイーザさんだった。優し気に細められた瞳にほっとする。
「ルイーザさん、お久しぶりです」
「こちらこそ、よく来てくださいました。お手伝いできることがあれば何でも仰ってください」
精霊の飲み水を見つけるときにお世話になった二人だ。彼らがいなければ未だエルヴィーラを救うために四苦八苦していたかもしれない。
その後アイリスとバジリオさんも交えて、挨拶もかねて軽く雑談を交わした。しかし私がフラリア支部の支部長に挨拶をしなければならないこともあり、一旦は解散となる。また後で駐屯地、お屋敷にお邪魔する予定だ。
ちなみに今回は上からの命令での出張となったため、滞在するのはフラリアの宿屋だ。宿泊料は王属調合師の組織が負担してくれる。
アイリスとバジリオさんと共に、フラリアの案内もかねて支部へと向かう。――その道中の出来事だった。
「――あれ」
すれ違ったある少女に見覚えがあり、私は思わず立ち止まる。そして振り返り、その少女の背中をじっと見つめた。
動きやすさを重視しているのか、ショートパンツをはじめとして周りと比べると露出度の高い服装をしている。茶色の髪も短い。腰には何種類かのナイフを携えており、一見すると女冒険者のような出で立ちだ。
何よりも目線を奪われたのは、少女が身に着けている大きなイヤリングだった。大きな青色の宝石がはめ込まれており、日の光にあたる度にキラキラと輝く。光の当たり具合によるものだろうか、時折緑やピンクに色が変わって見えた。
――とても珍しいであろうその宝石を見たのは初めてではない。“私”は過去、その宝石を自慢げに見せてくる少女に出会ったことがある。
『ふっふーん! すごいでしょ! この宝石はアタシが手に入れたお宝の中でも一番よ!』
絶対あげないからね、と楽しそうに声をあげて笑う少女。それに対し“私”は――勇者は「すごいね」と頷いてみせた。
動きやすそうな露出度の高い衣装。ショートの茶髪。珍しい宝石が埋め込まれたイヤリング。“私”は彼女を知っている――
「ラウラさん、どうかしました?」
バジリオさんの問いに私はハッと我に返る。彼は首を傾げて私の顔を覗き込んできた。
私は首を振って答える。
「ちょっと知り合いに似ていた人がいて……さ、行きましょう」
笑ってみせればバジリオさんは頷いた。そして支部への道を再び歩き始める――その前に、再び振り返った。しかしそこに既に少女の姿はなかった。
フラリア支部への道すがら、アイリスとバジリオさんの和やかな会話を聞きながら、わたしはじっと考え込んでいた。
(さっきすれ違ったの、「ラストブレイブ」の仲間の一人だったよね……?)
そう、先ほどすれ違った少女は「ラストブレイブ」に登場した、お宝を探して世界を旅するトレジャーハンターの少女によく似ていた。彼女は旅の途中で勇者たちと出会い、勇者の旅に同行すれば珍しいお宝を見つけられるのではないかと仲間になるのだ。
ムードメーカーである彼女には随分と助けられた。魔王の手に一度世界が落ち、勇者たちが沈み込んだとき、彼女の明るさに救われたものだ。
(彼女はこの世界に生まれてたんだ。偶然にしてはびっくりだけど……)
きっと各地のお宝を探して旅をしているのだろう。彼女との思い出を思い出しながら、フラリア支部への道を急いだ。
***
フラリアに来てから数日は、仕事に加え荷ほどきも行わなくてはならず、中々に忙しない日々をどうにかこなしていた。フラリア支部では以前ほど敵意は向けられず――定期的に魔物が街の周りに現れるため調合に忙しく、それどころではない、というのが大きいだろう――仕事は平穏で順調だった。
ルカーシュたちの情報はなかなか入ってこない。今一体どの町にいて、どんなことをしているのだろう、と時折気になってしまう。
――そんなある日のことだった。
カンカンカン! という耳障りな音に私は目を覚ました。窓の外を見やればまだ空は暗く、おそらくは真夜中だろう。一体今の音は何かと起きたての頭で必死に考え――私の頭が答えを出すより先に、ある声が部屋の外から響いてきた。
「魔物の襲撃です! 皆さん、はやく屋敷まで避難してください!」
魔物の襲撃。その単語に一気に目が覚める。
寝巻の上から一枚カーディガンを羽織り、このようなことが起こったときに備えて枕元に置いておいていた回復薬や試作品が入ったポーチを手に、そのまま部屋を飛び出た。
私が部屋を出たのとほぼ同時に数部屋隣のドアが勢いよく開く。思わずそちらを見れば、茶髪の少女――「ラストブレイブ」のトレジャーハンターの少女と目があった。
彼女もどうやら同じ宿屋に滞在していたようだ。初対面ながら緊急事態である以上、一緒に避難しようとどちらからともなく頷き、出口へと向かった。
宿屋の宿泊客がみな、廊下を走り、階段を下り、出口へと走る。私が走る少し先にアイリスを抱えて走るバジリオさんの姿が見え、ほっと息をついた。
「皆さん、こちらです!」
騎士団の人の指示に従い、宿屋からルイーザさんのお屋敷へと向かって走る。その最中、どこからも火の手が上がっていないことに気が付いた。それどころか、誰の悲鳴も聞こえてこない。
それらはもちろん、いいことだ。被害がなければそれが一番。しかし今まで遭遇してきた魔物の襲撃とはあまりに違う静けさに、私は首を傾げた。
おかしい。静かすぎる。本当に魔物は町の中に入ってきたのだろうか。
――そう疑問に思った瞬間だった。右手の茂みから、私めがけて獣型の魔物が飛び出してきた。
「やば――!」
試作品を投げつけるにも間に合わない。脳裏に数人の顔が走馬灯のように浮かんだ瞬間、魔物の体を小型のナイフが貫いた。
牙が私に届く寸前、魔物の体がぐらりと倒れる。刺さったナイフを抜き取ったのは、茶髪のトレジャーハンターの少女だった。
「大丈夫っ!?」
少女の問いかけに何度も頷く。彼女はほっとした笑みを見せて、こちらに手を差し伸べてきた。その手を取って再び屋敷に向かおうとしたのだが、続けて数匹の魔物が茂みから現われたかと思うと、私たちの行く手を塞ぐ。
不思議なことに、数匹の魔物たちは他に逃げ惑う人々には目もくれなかった。茂みからどんどん魔物が姿を現すが、皆一様にただ私をじっと見つめ、すぐ横を他の人が通り過ぎても全く襲おうとしない。
――明らかに魔物の狙いは、私だ。
「なーんか、アンタを狙ってる感じじゃない、これ?」
すっかり魔物に囲まれてしまった少女は、冷や汗を垂らしながら呟く。私の脳裏には、いつぞやのアルノルトの言葉が蘇っていた。
あれはアルノルトの故郷が魔物に襲われたと聞いたときのこと。彼は魔物がエルヴィーラのみを襲ったと言っていた。他の村人には目もくれなかった、と。
そのときは不思議に思ったが、今思えば当時エルヴィーラの中には魔王が潜んでいた。それが大いに関係していたのだと思う。
この過去の事例から分かるのは、魔物たちはただ無作為に人を襲うのではなく、“狙い”を定めることがある、ということ。そしてその“狙い”は今、私だということ。
(……魔王に顔見られたからとか、そういう?)
心当たりがあるとすればルストゥの民の街で行った実験だ。あのとき私は魔王――黒靄に一度この身を飲まれた。そのとき、魔王に存在を知られたのかもしれない。しかしそうだとして、なぜ私を狙うのか――
魔物たちの狙いが分からないまま、じりじりと睨み合いを続けていると、不意に一匹の魔物が倒れた。かと思うとその勢いのまま、数匹の魔物の体が剣によって引き裂かれていく。
その剣の持ち主は、
「ラウラちゃん! 今こちらに魔物が……!」
「オリヴェルさん!」
シュヴァリア騎士団副団長、オリヴェルさんだった。
これ以上ない助っ人に私はほっと息をつく。そして若干余裕が出来たことでポーチの中の試作品の存在を思い出し、すぐさま構えた。そこまで強くない魔物であれば、一本で十分倒せるはずだ。
オリヴェルさん、少女、私と三人でお互いに背を預け合い、魔物の群れと対峙する。どうにか道を切り開くしかない。
――しかしここで道を切り開き、避難所となっている屋敷に私が到着したとしたら。魔物も同じように屋敷に向かい、多くの人を巻き込んでしまうのではないだろうか。
いや、まだ私が狙いと決まった訳ではない。ただの推測でしかない。とにかくここを切り抜けることを考えよう、と、再び目の前の魔物を睨みつけたそのとき。一際大きな獣型の魔物がこちらに数歩にじり寄ってきた。かと思うと、その魔物の口元が、ゆっくりと動く。
「オマエ、マオウサマ、クルシメタ……」
お前、魔王様、苦しめた。
その言葉を聞いてしまったらもう、狙いは私ではない、なんて言えない。間違いなく、魔物は私を狙っている。エルヴィーラに試作品を飲ませ、魔王を苦しめた私を。
私はその体勢のまま、オリヴェルさんに話しかけようと声を張った。
「私、もしかしたらここにいない方がいいかもしれません!」
「……それはどういう意味ですか?」
「魔王を苦しめた人間として、魔物たちのなかで、こう……指名手配犯みたいになってる気がします!」
答えた瞬間、私の目の前の魔物がこちらに突っ込んでくる。
「危ない!」
ぐい、と左手を少女に引かれた。その際、右手に持っていた試作品を魔物に向かって投げつける。――と、顔面に当たった試作品によって、魔物の顔はみるみる爛れ落ちていった。
魔物はその場に蹲り、低く唸るような悲鳴を上げる。やがてその声は途切れ――どさり、とその場に倒れた。恐らくは倒せたのだろう。
試作品を持ってきてよかった、と心底その存在に感謝していると、
「それ何!?」
少女が目を輝かせてこちらを見つめてきた。そのキラキラとした目を向けてくるとき、彼女が何を考えているか“私”は知っている。この表情をしているときの彼女は、十中八九「儲けられそう」と考えているのだ。
「私が作った……人に害はない対魔物専用の毒薬、みたいなものです」
「へぇ! 一儲けできそうじゃん!」
やっぱり。想像通りの言葉に私は思わず笑ってしまう。その笑みを見て「案外余裕じゃん?」と少女もまた、余裕そうに悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
そして、その名を口にした。
「アタシ、マルタ・ムルシア! アンタは?」
――やはりそうだ。名前を聞いて確信した。彼女は「ラストブレイブ」のパーティーメンバーの一人であり、自称・世界を股にかける凄腕トレジャーハンター、マルタ・ムルシアだ。
まさか彼女とこのように出会い、助けられるとは。思わぬ運命のいたずらに驚きつつも、私も自己紹介をする。
「ラウラ・アンペールといいます」
「よーっし、ラウラ! ここ救ったら、アタシにそれの作り方、教えてよね!」
この場に不釣り合いなマルタの声が響く。魔物に囲まれているはずなのに、いつの間にやら恐ろしさは薄れていた。
 




