116:勇者の旅立ち
――勇者の旅立ちの日。王都にはたくさんの人が集まり、勇者一行の旅立ちを祝福した。
大通りに人が立ち並び、その中心をルカーシュを先頭にディオナ、ヴェイク、アルノルトの順で歩いていく。あちこちから声をかけられながら、勇者一行はとうとう街の入口にある大きなアーチの近くまでやってきた。
私はアーチの下で、ルカーシュたちを待ち伏せていた。幼馴染が王都に来てから、彼はお偉いさん方に捕まりっぱなしで、一調合師の私は会わせてもらうことができなかったのだ。
流石に旅立つ前には声をかけたい、と思い、思い切って声をかけた。
「ルカ!」
「ラウラ!」
ルカーシュは私の声に気づいてくれて、こちらに近寄ってくる。笑顔ではあるものの、緊張した表情で――それもそうだろう。彼はもう、魔王討伐という使命を背負った正真正銘の勇者になったのだから。
私はルカーシュの両手をぎゅっと握った。指先まで冷え切っている。
「よかった、旅立つ前に話せて」
ほっと息をつけば、ルカーシュも小さく頷いた。
名残惜しいが、あまり時間を取らせてしまうのも申し訳ない。私はルカーシュの手をぱっと離して、それから持ってきた大きな鞄の中身を漁った。そして鞄の中から、更に小分けにしたポーチをルカーシュに押し付ける。
「これ、回復薬。麻痺に効くやつと、毒に効くやつも作っておいた。あ、あと精霊の飲み水も! 何かの役に立つかもしれないから、よかったら使って。気を付けてね、無理はしないで。毎日ちゃんと寝てね。あと、それから、それから――」
早口で捲し立てると、ルカーシュはふはっ、と息を吐き出すようにして笑う。そして、
「ラウラ、母さんみたいだ」
あはは、ととうとう声を出して笑った。
確かに後半は母のようなことを言っていたな、と思ったが、それでも私の本心には変わりない。厳しい戦い、険しい旅になるはずだ。しっかりと体に気を付けて――無事に帰ってきて欲しい。それが何よりの願いだった。
今度はルカーシュの方から私の手を取る。そして目を細める。先ほどの緊張感が滲む笑顔とは違う、いつもの幼馴染の笑顔だった。
「心強い仲間がいるから、きっと大丈夫」
「……うん」
大丈夫、きっと、大丈夫だ。お互いに頷き合って、手を離した。
一瞬脳裏をペトラのことが過る。ルカーシュが故郷を離れる際、彼女はどうしたのだろうか――しかし、こんな野次馬精神で突っ込んでいい話ではない。大切な友人の恋だ。私から探ることはやめよう。
ルカーシュとの会話を終えた後、その後ろのディオナと目が合った。彼女にも渡すものがあるのだ。
思わず「ディオナ!」と声をかける。すると彼女はすぐさまこちらに駆け寄ってきてくれた。
彼女に、ルカーシュに渡したポーチと似たような小分けのポーチを手渡す。中身は回復薬や精霊の飲み水だ。
「ディオナにもこれ、回復薬セット。ルカーシュのこと、よろしくお願いします」
「とんでもないです。勤め上げてみせます」
固い声だった。思いつめているような、背負い込んでいるような。
ディオナは“いい子”なのだ。ルストゥの民の期待に、この国の、この世界の期待に応えようと自分の気持ちを犠牲にして努力できてしまう、そんな子だ。
そんな彼女だからこそ、彼女の望んだ形の幸せを手にしてほしい、と思う。
この旅の中でディオナとルカーシュが一体どのような関係を築くのか、今となってはもう分からない。もし思いを通わせることがあったのなら、心から祝福して応援したい。しかし「ラストブレイブ」と違う関係を彼らが築くことがあれば――それもまた、祝福したい。
勇者と恋に落ちることだけが、彼女の幸せではないだろう。
「あんまり思いつめないでね。何かあったら、仲間に相談して……って私が言えることじゃないけど。自分を大切にしてね」
私の言葉にディオナは何かを噛み締めるかのようにゆっくりと頷く。そして「ありがとうございます」と微笑んでくれた。
ふと、ディオナの後ろからこちらの様子を窺っているヴェイクの存在に気が付いた。ぱち、と目が合うと彼は歯を見せた笑顔を浮かべながらこちらに歩み寄ってくる。
「ヴェイクさん! ルカーシュのこと、よろしくお願いします!」
「おお、嬢ちゃん。見送りありがとな」
やはり魔物との闘い・長旅に慣れたヴェイクがついていってくれるのは心強い。国民からの支持も厚いし、実際今日見送りに集まった人々の多くが彼に声をかけていた。きっと彼がいてくれれば戦闘面だけでなく、何かとスムーズに行えることも多いはずだ。
ヴェイクがふと表情から笑みを消す。かと思うと私にぐっと近づき、小声で囁いた。
「各地で人間の言葉を話す魔物が目撃されている。その魔物たちの強さは桁違いだ。遭ったら真っ先に逃げろ」
ヴェイクの言葉に息を飲み、それから頷いた。すると彼はニッと再び笑って、安心させるように私の頭をぽんぽん、と撫でる。
「嬢ちゃんが信じて待ってくれてるってことが、何よりの励みになる奴がいるんだ。嬢ちゃんも魔物には気を付けてくれ」
「はい。どうかお気をつけて」
ヴェイクを見上げて、私は回復薬等が入ったポーチを彼にも手渡す。ヴェイクはポーチを受け取りもう一度私に笑いかけると、その場から離れていった。
彼が去ったことにより視界が開ける。そこに立ってこちらを見つめていたのは――アルノルトだった。
アルノルトはゆっくりとした足取りでこちらに近寄ってきた。見慣れた王属調合師の制服ではなく、動きやすい旅人の服を身に着けている彼を見ると、なんだか不思議な気持ちになる。
「アルノルトさんもお気をつけて」
その言葉と共に、他の三人にも手渡した回復薬セットを渡す。彼はそれを受け取って、それから口を開いた。
「調合師が足りていないこともあり、負担をかけることになる。病み上がりのところすまないが、よろしく頼む」
そう言うアルノルトの眉間には皺が寄っていて。私に申し訳ないと思っているのか、はたまた騒がしい人々に囲まれて参っているのか。理由こそ分からないが、険しい顔のアルノルトを笑顔で見上げて、言った。
「こちらこそ。世界のこと、ルカーシュのこと……どうか、よろしくお願いします」
頭を下げる。頭上で「あぁ」という返事が聞こえたので顔を上げると、アルノルトはほんの一瞬、私に微笑みかけた。
彼もまた、私の許から離れていく。勇者一行が遠ざかる。彼らはとうとう、街の入口のアーチをくぐった。
「出立だ――!」
誰かが声をあげた。それに続いて、多くの人々が歓声を上げる。
――勇者一行の、出立だ。
前世の記憶を取り戻してから何度も夢に見たこの瞬間を迎えたことに、なんだか感慨深くなってしまう。「ラストブレイブ」とはメンバーも、出発した状況も異なっている。けれどとうとう、ゲーム本編の時間軸へと勇者が足を踏み入れたのだ。
(負けヒロインになりたくないって一心で村を飛び出して……とうとう、ここまで来たんだ)
これから旅が始まるのだから、前世で言えばようやくスタート地点に立ったようなものだ。しかし私はゴールを迎えたような気持ちだった。
王都で職を持ち、魔王に一矢報いて、後は幼馴染たちの無事を祈って待つ。過去、私にまとわりついていた負けヒロインという影はもうどこにも存在しない。
成し遂げた、という清々しい気持ち半分、幼馴染の旅路への不安半分。
私は周りの人々の歓声を聞きながら一人、勇者一行の背中をじっと見つめていた。その姿が見えなくなっても、集まっていた人々がすっかりいなくなっても、ずっとずっとその場に立っていた。
***
ルカーシュたちが旅立ってから少し経ったが、表面上はごくごく穏やかな日々を過ごしていた。
毎日調合しなければいけない回復薬の数こそ増えたものの、バジリオさんもアイリスも優秀で、日々のノルマはそこまで苦しくない。三人で時には談笑しながら、日々回復薬を調合していた。
――そんなある日のこと。私はカスペルさんに呼び出された。
上司の調合室に入るなり、彼は私に向かって大きく頭を下げてきたものだから、呼び出された理由を何となく察してしまう。
「ラウラちゃん、本当に申し訳ないっす」
「……どこかへ出張ですか?」
単刀直入に聞けば、カスペルさんはゆっくり、ゆっくりと顔を上げる。それから気まずそうに口を開いた。
「フラリア付近で最近よく魔物が目撃されるそうなんす。バジリオさんとアイリスさんを連れて、急遽応援をお願いしたいっす」
目に見えて消沈しているカスペルさんを責めることなんて私にはできない。それにフラリア支部ならばお邪魔したことがあるし、精霊の飲み水を調達しに定期的に訪れている。王都の次に馴染みのある支部だ。
久しぶりにオリヴェルさんやエミリアーナさんのご両親にもお会いできるだろう。そう考えると、少し楽しみになってきた。
「分かりました」
そう返事をして、支部への出張についてカスペルさんから説明を受ける。出発は三日後。明日、明後日中に荷物をまとめなければいけないとなると、なかなか慌ただしくなりそうだ。
私はもうすでにフラリア支部に行く決意を固めたが、バジリオさんとアイリスの意思も確かめなければならない。詳しく聞いた後、すぐに後輩二人に報告した。
「えー、お二人にご報告があります。三人でフラリア支部への出張を命じられました。ただ強制ではないから、出張が難しい場合は断ってくれて構わないんだけど……」
アイリスとバジリオさんは顔を見合わせる。それからふ、とどちらからともなく笑って――アイリスが私に抱きついてきた。
わ、と驚きつつも抱き着いてきたアイリスを受け止めると、
「三人なら大丈夫だよ!」
満面の笑みで彼女は言う。
「そうですね、三人で頑張りましょう」
バジリオさんもまた、笑顔で言った。
エルヴィーラの件もあり、後輩二人には随分と迷惑をかけてしまっている。それなのにこんな風に言ってもらえるのはありがたがったし、とても嬉しくて。
――三日後。馬車に後輩二人と乗り込んで、フラリアへと出発した。