115:昔の話
王都に帰ってきてから、すっかり私の許に情報が届かなくなってしまった。どうやら黒靄が暗雲の下で発見されたらしいということと、近々王都からも討伐隊が出るらしいということ。私が聞いたのはその二点だけだ。
もう私のような調合師が関われる問題ではないのだと分かっているものの、どうしても歯がゆさを感じてしまう。そんなとき、調合室で一人片付けをしていた私の許をアルノルトが訪ねてきた。
彼は調合室に入るなり、私に向かって大きく頭を下げた。
「礼を言うのが遅くなった。エルヴィーラを救ってくれてありがとう」
「いえ、そんな……よかったです。本当に」
心からそう思う。噛み締めるように言った私の表情を、アルノルトはじっと見つめてきた。
ふと、彼の目元に隈があることに気が付く。王都に帰ってきてから彼と話す機会はなかったが、また随分忙しくしているようだ。しかし、それも当然と言えた。なんせ彼は勇者の旅に同行するつもりでいるのだから。
旅に出る予定ならなおさら、体調には気を付けた方がいいのではないか、と思うのだが――
「……初めて会ったときの話だが」
突然ぽつり、とアルノルトが呟いた。
脳裏に初めて出会ったときのアルノルトの姿が浮かんだ。こうして振り返ると、随分と大きくなった――なんて、親のようなことを思ってしまう。出会ったとき私は九歳だったから、もう六年の付き合いになる。気づけば、随分と遠くまで来たものだ。
あのときはまさか、こんな風に二人で過去の話をすることになるなんて、思ってもみなかった。
「お前のことが気に入らなかった」
いつもより小さな声でこぼされたアルノルトの言葉は、意外なものではなかった。昔の彼の態度からしてそれは明らかだったし、彼自身、隠そうとしていた訳でもないだろう。
私の反応を気にすることなく、まるで独り言のようにアルノルトは続ける。
「俺は寝る間も惜しんで勉強しているのに、お前は俺がなれなかったベルタさんの弟子になり、惚けた顔をして何でもサラッとこなしてみせる。劣等感を刺激された。妬ましかった」
当時は生意気な坊ちゃんだ、とアルノルトに対して思ったものだが、彼の当時の状況を知る今では、私の能天気さは彼にとって不快だったことだろうと思う。
妹が難病を患い、その治療法を探そうとまだ幼いのに一生懸命勉強し、模索していたアルノルト。そんな最中、才能に頼り切ってへらへらしている少女が現れたら――腹が立っても仕方ない。
「だが、同時にお前は俺にとって希望の光だった。……お前の才能をもってすれば、エルヴィーラを救えるかもしれない、と」
希望と称されたことが恥ずかしくて、過大評価だとしか思えなくて、私は曖昧に笑う。
当時私のことが嫌いだった、という告白は想定の範囲内だったが、まさか希望と思われていたとは。
「私一人の力じゃないです。むしろ私がしたことの方が少ないですし……アルノルトさんやメルツェーデスさん、お師匠、色んな方々が力添えしてくださったおかげです」
私の言葉にアルノルトは静かに首を振った。
「だが精霊の飲み水がなければ、試作品がなければ、どうなっていたかは分からない。そもそも精霊の飲み水を見つけられたからこそ、ルストゥの民は声をかけてきたんだ。アンペールがいなければ最悪の結果になっていた」
真っすぐ目を見て言われる。確かに精霊の飲み水の存在は大きかったが、こう改まって言われると嬉しさより恥ずかしさが先に立つ。
絡んでいた視線を先に逸らしたのは私だった。
「あ、あはは、なんか照れますね」
私の言葉を最後に、沈黙が訪れる。
エルヴィーラの件に関して、私は確かに尽力したが自分のおかげで彼女を助けられたとは思っていない。むしろ、精霊の飲み水も私一人では到底見つけられなかったし、試作品だってそうだ。沢山の人の力があって、そして過去の犠牲があって、今回の成功がある。それだけは決して忘れてはいけない。
アルノルトは大きく息を吸って、小さく吐いて、それから再び口を開いた。
「魔王は、自壊病は、沢山のものを沢山の人から奪っていった。許すことはできない。だから俺は、ルカーシュ殿の魔王討伐の旅に同行したいと考えている」
「……はい」
やはりエルヴィーラの代わりにアルノルトが旅に同行するのはもう決まっているようだ。だとすると「ラストブレイブ」とはパーティーメンバーが変わってくるわけだが、未だ出会っていない他の仲間は果たしてどうなるのだろう。
ルカーシュ、ディオナ、ヴェイク、そしてアルノルト。既にバランスのいいパーティーにはなっているが、それでも仲間は多い方がいい。道中で出会うことがあるのか、それとも。
「カスペルさんにもう許可はもらった。声がかかればいつでも出発できる」
もうすでに話は通っているらしい。あとはルカーシュを待つばかりか。
アルノルトは間違いなく大きな戦力になってくれるはずだ。ルカーシュと幼い頃は相性も悪かったが、いつの間にやら認め合う仲になっていたようだし、今の関係性としては悪くない。きっとお互いに高め合い、良い仲間となれるはず。
私はアルノルトに向き直る。そして頭を下げた。
「ルカーシュをどうか、よろしくお願いします」
あぁ、とアルノルトは力強く頷いてくれた。未知の旅に幼馴染が旅立つ不安は尽きないが、それでも彼がいてくれたら安心だ。それにヴェイクとディオナもいてくれる。きっと大丈夫だ。そう信じるしかない。
この会話を最後に、アルノルトは退室する――と思いきや、入口でピタリと動きを止めた。そして振り返る。
「おめでとう」
首を傾げる。何に対しての祝福か分からない。私はおめでとうと言われるようなことをしただろうか。
ピンと来ていない様子の私を見て、アルノルトは苦笑した。
「誕生日。過ぎてるだろう」
そう言われて壁にかけてあるカレンダーを見やった。――本当だ。エルヴィーラの件でバタバタしている内に、いつの間にやら自分の誕生日が過ぎていた。
前世の記憶を引きずっていることもあって、あまり自分の誕生日を意識していないのだ。そうか、いつの間にか十六歳になっていた。
「……あ。すっかり忘れてました」
正直に言えば、アルノルトは苦笑を深める。
「改めて礼をしたい。何か欲しいものがあれば言ってくれ」
そう言葉を残して、今度こそアルノルトは退室した。
彼が出ていった扉をしばらくぼうっと眺めて、それから再びカレンダーに目をやる。自分がいつの間にか十六歳を迎えていたことはそこまで気にならない。それより、私の誕生日が過ぎたと言うことは、もうすぐルカーシュの誕生日が来る、ということだ。
(ルカーシュもあと少しで十六歳になる……)
ルカーシュが旅立った頃の年齢は十六歳。もうすぐで十七歳の誕生日を迎えるという時期だったから、一年ほど早い旅立ちになる。
勇者たちを信じて王都で回復薬を調合し続ける。それが今後私にできることだ。だから私はここで大人しくルカーシュたちを待つことにしよう。旅を終えた幼馴染たちを、英雄たちを、笑顔で迎えられるように。
――その数日後、ルカーシュがエメの村から王都へと再びやってきた。それから更に数日経った後、オストリア国は正式に魔王討伐隊――勇者一行の旅立ちを国中に告げた。
この世界の未来を託された勇者の名はルカーシュ・カミル。金の髪に青の瞳の、間もなく十六になる青年。
彼の左目には、勇者の証である紋章が刻まれていた。




