113:今後
エルヴィーラとの感動の抱擁を終えた後、まだ本調子ではないだろうということで彼女たちは退出していった。
一人残された部屋でベッドに身を沈める。そして見慣れない白の天井をぼうっと眺めながら喜びを噛み締めて――安堵感からか、いつの間にやら眠りに落ちていた。
それから数日間、体力を取り戻すためにちょっとしたリハビリに励んだ。とはいってもベッドから起き上がり、固形物をとり、夕方に散歩をする、というなんとも穏やかな日々を過ごしただけだ。
ルカーシュたちは何かと忙しいのか、そんな私に付き添ってくれたのは主にメルツェーデスさんと――
「ラウラー! 無事でよかったぁ!」
――アイリスだった。
話を聞くに、彼女はまだ幼く危ないからという理由でリーンハルトさんたちに今回の実験への参加を拒否されていたようだ。当日はエルヴィーラのことに必死で思い至らなかったが、確かに顔を見た覚えはない。
「んもう、あたしだって力になれたのに!」
そう頬を膨らませるアイリスに、なんだか“日常”が帰ってきた気がして。
彼女は私を慮ってか、はたまた置いて行かれたせいで元気を有り余らせていたのかは分からないが、いつも以上にケラケラと声をあげて笑い、何かと楽しそうに散歩に付き合ってくれた。
――さて、そんな穏やかな日々が数日過ぎた後。私はルストゥの民の長・ハーゲンさんに呼び出された。正確には私だけでなくルカーシュとアルノルトも、だ。
呼ばれた場所――ハーゲンさんと初めて会った城のような建物の中にある、立派な部屋――に向かうと、そこにはヴェイクもいた。私たちと、ヴェイクと、ハーゲンさんの近くにはディオナ、リーンハルトさんが控えている。
集まった顔ぶれを見て、感付く。ここで今後の動向について改めて話し合われるのだろう。
ハーゲンさんは私の顔を見るなりにっこりと微笑んだ。
「意識が戻られたようで安心しました」
そして空いている席を私たちに勧める。彼の勧めのまま、豪華な椅子に三人並んで座った。
一方で先ほどまで座っていたハーゲンさんが立ちあがる。かと思うと彼はゆっくりと丁寧な動きで頭を下げた。
「この度の件について、心から感謝申し上げます。あなた方のおかげで、我々も大きな一歩を踏み出すことができました」
顔を上げたハーゲンさんの顔には笑みが浮かんでいた。しかしすぐにその笑みは消され、再び、今度は先ほどよりも勢いよく彼は頭を下げる。
「まず、謝らなければならないことがあります。当日の魔物の襲来の原因は我々にあります」
思わぬ事実だった。
私は両隣のルカーシュ、アルノルトの様子を横目で見やる。ルカーシュは驚きに目を見開いていたが、アルノルトは驚きを表に出す素振りは見せず、じっと次の言葉を待っているようだった。
ハーゲンさんは顔は上げたものの視線は下げたまま、ゆっくりと口を開く。
「今回の実験をよく思っていなかったルストゥの民が魔物に寄生され、行動を操られた結果、結界の一部が緩み魔物の侵入を許しました」
脳裏に浮かんだのはこの部屋で会った権力者たち。犯人は分からないし追及しようとも思わないが、ついつい彼らの冷たい視線が脳裏に蘇った。
それにしても“寄生されて行動を操られた”とは中々恐ろしい話だ。ファンタジーの世界ではよく聞く話かもしれないが。それこそ「ラストブレイブ」の魔王は人間の体を乗っ取り、好き勝手していた。
「行動を操られた、も正確に言うと違います。その者に寄生した魔物は人間の意識を乗っ取るほど強い力を持っておらず、その人間が持っている欲を増大させただけです」
「欲とは?」
「……こんな儀式など、失敗してしまえばいい、と」
アルノルトの端的な問いに、ハーゲンさんは苦々しい面持ちで答える。彼の答えにその場の全員が「あぁ……」と納得の声をこぼした。
「我々のせいで皆様を負傷させてしまったこと、誠に申し訳ございません」
「死者はいねぇ、治療も既に済んでいる。お前さんこそ、仲間の不始末で大変だろ。気にすんな」
誰よりも先に声をあげたのはヴェイクだった。
良い面を強調した言葉をかけて、更には気遣いまで見せるヴェイクは「ラストブレイブ」でもパーティメンバーのバランサーとして随分活躍していた。彼のような上司は理想だろうな、とぼんやりと思う。
「お心遣い感謝します」
ヴェイクのおかげでふ、と張り詰めていた空気が緩み、穏やかな空気が流れる。
ハーゲンさんの立場からすると今回の件はかなり重く受け止めていただろうが、ヴェイクの言葉で少しでも気が軽くなるといい、と思う。
結果良ければ全て良し――という訳ではないが、確かに魔物の襲撃によって怪我こそしたものの、エルヴィーラから魔王を引き剥がすという本来の目的は達成できたのだ。それに十分な治療も施してもらった。死者が出ていない以上、これ以上追及するのも酷だろう。
数秒の間を置いて、改めてハーゲンさんは口を開いた。
「次にあの暗雲についてですが……現在ルストゥの民から数名の調査団を派遣しておりますが、未だ報告はありません」
「シュヴァリア騎士団もだ。いや、もしかしたら王都にはもう報告があがってるかもしれねぇが、ここまで伝令はまだ飛んできていない」
つまりルストゥの民もシュヴァリア騎士団――もとい、「ラストブレイブ」の主な舞台となっているオストリア国も未だ暗雲の正体を掴めていない、ということか。
私が眠っていたのが五日間。リハビリに数日を要したから、暗雲の発生からおよそ十日前後。まだ正体が分からないのも当然と言えるだろう。
「我々はあの暗雲の下に魔王が身を隠していると踏んでいます。……有力な報告が上がり次第、精鋭部隊を送り込むつもりです」
――精鋭部隊。その単語にドキリとした。
ハーゲンさんの視線がゆっくりと、私の隣の人物に向かう。そこに座っていたのは――ルカーシュだ。
精鋭部隊。それはもしかしなくても、「ラストブレイブ」の勇者一行を指すのだろう。
「ルカーシュ様、いいえ、勇者様。お力を貸していただきたいのです。魔王討伐の旅に出るディオナに同行していただきたい」
予想できた言葉だった。幼馴染の旅がもうそろそろ始まるであろうことも、分かっていた。それなのに心臓はドキドキと大きく音を立て始める。
ルカーシュを見やる。彼は応えない。首を縦にも横にも振らない。
永遠にも感じられる長い沈黙を破ったのは――ヴェイクだった。
「それ、俺も乗った。若いモン二人じゃ何かと困るときもあるだろ。俺は各地に顔がきくし、いい物件だと思うぜ? 連れてってくれよ」
――あぁ、今回もヴェイクは一緒に旅に出てくれるのか。それは心強い。前衛は彼がいなくては心許ない。
なんだか主人公目線でほっとしてしまって、誰にも気づかれないよう私はこっそりと笑う。いつでもヴェイクの言葉は力強くて、頼りになる。
幼馴染はなんと答えるのだろう、と再び彼を見やり――しかし次に口を開いたのは、アルノルトだった。
「待ってください。ルカーシュ殿の意思を聞くのが先でしょう。彼はまだ旅に出ると決めたわけじゃない」
アルノルトのもっともな言葉に全員の視線がルカーシュへと向く。
彼は数秒の間、考え込むように視線を地面に落としていた。しかし次の瞬間、青の瞳がこちらへ向く。ぱちり、と目が合うこと数秒――幼馴染は、穏やかに微笑んだ。
絡んだ視線にどきりとする。私は笑うことも頷くこともできずにいたが、ルカーシュは気にした素振りは見せず、私から視線を外しハーゲンさんを見やった。
「――行きます。この力が役に立つなら、どこへでも。正直勇者とか呼ばれても、自覚はありませんけど」
僅かに苦笑する。しかしその瞳に迷いの色はなかった。
――ルカーシュは旅立つことを決めた。とうとう勇者の旅が始まるのだ。
ハーゲンさんは明らかにほっとした表情を見せ、その隣に立つディオナは不安そうな、何とも複雑そうな表情でじっとルカーシュを見つめている。ヴェイクはよし、と気合を入れるように声をあげ、アルノルトは――
「でしたら俺も旅に加わります。回復薬を作れてかつ魔法が使える人物がいたら役に立つでしょうから」
思いもしなかった言葉を、何食わぬ顔でさらっとのたまった。
――アルノルトも、勇者の旅に加わる?
驚きに思わず彼を見上げる。しかしアルノルトはじっとハーゲンさんを見るだけで、こちらに目線を寄こすことはなかった。
「ラストブレイブ」ではアルノルトがパーティーメンバーに加わることはなかった。そもそも彼は「ラストブレイブ」に出演していなかったのだから当然だ。ゲームで勇者一行に魔法が使えるキャラクターとして加わったのは彼ではなく、エルヴィーラだったが――しかしそう考えると、今世でアルノルトがルカーシュと共に旅に出るのも“分かる”気がした。
つい先日まで、エルヴィーラは魔王に寄生されていた。そんな彼女が旅立つことを兄であるアルノルトが許すはずもない。それに身内でなくとも、今の彼女を旅に出すことは誰だって反対するはずだ。ならば旅に出られないエルヴィーラの“代役”となるのは――彼女と同等の魔力の才を持つ、アルノルトが適任だ。
「おぉ、中々バランスが良いんじゃねぇか? ……まっ、お上の方々がどう判断するかは分からねぇけどよ」
ヴェイクの言葉にそれはそうだ、と心の中で大きく頷く。何せバランスがいいように神様が作ったパーティーメンバーなのだから。
勇者・ルカーシュは剣を中心に勇者の力を使える。ディオナは槍を片手に、光の力や魔力で仲間を癒すことができる。ヴェイクはその大剣で前線を切り開き、経験を生かして若者たちを引っ張ってくれる。エルヴィーラ――ではなくアルノルトは圧倒的な魔力で魔物を後方から蹴散らす。
不足のない、バランスのとれた良いパーティーだ。
「とりあえず俺たちは一度王都に帰る。きっちり報告しろと散々せっつかれてるからな」
「俺たちも一度戻ります。今後のことを考えるにも、上の指示を仰ぐ必要がある」
ヴェイク、アルノルトと順番に立ちあがる。まだ勇者の旅に同行できると決まったわけではない彼らは、一秒でも時間が惜しいのだろう。早く上司に報告し、旅の許可をもらわなくてはならない。
「私も共に向かえたらよかったのですが、今回の不始末の処理が恥ずかしいことに長引きそうでして。代わりにリーンハルトに全権預けてよこしますので、ルストゥの民に対する要望があれば彼に仰ってください」
どこか明るい声でハーゲンさんは言った。もしかすると今回の件で保守派に一気に詰め寄ることができるのかもしれない。それにしても長の代理がリーンハルトさんになるとは――ルストゥの民も、だいぶ様変わりをするのだろうか。
皆、話が終わるとあっという間に退室した。ヴェイクもアルノルトも行動が早い。一方で私はなんだかまだ勇者が旅立つという事実に現実味がなくて、ぼうっと座り心地のいい椅子に腰かけたままだった。
ふと、と目の前に手が差し伸べられる。
「ラウラ、大丈夫?」
疲れちゃった? と心配そうにこちらを覗きこんできたのはルカーシュだ。
旅に出るの? とは聞けなかった。聞いたところでルカーシュは頷くだけだ。それに彼が旅に出ることは、“私”はずっと前から知っていたではないか。
それでもいざ“そのとき”が目の前にやってくると実感がなくて、
「……旅に、出るんだね」
思わずぽつり、とそんな言葉がこぼれた。
ルカーシュは私の言葉にぐ、と顎を引く。それから照れ臭そうな笑みを浮かべた。
「今までずっとラウラが頑張ってる姿を見てきたから。今度は、僕の番」
――ルカーシュの言葉が、素直に嬉しかった。自惚れかもしれないが、私の姿に影響を受けたと言ってくれているようで。
正直言って、心配で仕方がない。多くの魔物と戦いその度に怪我をするだろうし、命の危険を感じることだってあるはずだ。今世のルカーシュの旅の全てを私は知ることはできないが、勇者の旅がいかに過酷かは十分知っている。
けれど彼なら。優しく、強いルカーシュなら。そしてディオナ、ヴェイク、その他の心強い仲間たちと、今世の新たな仲間・アルノルトと一緒なら――きっと成し遂げてくれるはずだ、と信じている。
差し出されたルカーシュの手を取る。うまい言葉が見つからず、ただ微笑みかけた。
するとルカーシュも微笑みかけてくれる。この、言葉がなくとも気持ちが通じ合う関係が心地よいなぁ、と噛み締めていたそのとき。
「母さんたちに旅に出ることを話さないといけないから、僕は一回村に帰るよ」
――キラリ、と彼の左目の紋章が光る。
脳裏に蘇ったのは「ラストブレイブ」序盤のあるシーン。旅に出る勇者を村の幼馴染の女の子が涙ながらに見送るムービー。暗転。続いて脳裏に浮かんだのは、ルカーシュが好きだと私にそっと教えてくれた今世の友人・ペトラの姿。
今世でも、“想いを告げた勇者の帰りを故郷で健気に待つ幼馴染”は誕生してしまうのだろうか。
一瞬背筋が凍ったが――今目の前にいる「ルカーシュ」は、そんなことはしないだろう、と思い直した。
私が知っているルカーシュは、ペトラの想いに応えるにしろそうでないにしろ、自分に想いを告げた幼馴染を宙ぶらりんのまま放っておくようなことはしない。もし今回の帰省の際にペトラがルカーシュに想いを伝えたとして、彼はきちんと答えを出すはずだ。――そう信じている。




