11:未来の英雄との出会い
昨日と同じようにアルノルトと2人で王城へと向かい、試験へと向かう彼の背中を見送った。そして私は待合室でおやつを頂きながら優雅に待機する。
待合室の空気は昨日と比べていっそうピリピリしていた。合否は今日中に出るのだろうか。そんなことも分からない。下見だなんだといいつつも、アルノルトは自分からあれこれ教えてくれる性格でもなく、私も根掘り葉掘り聞くタイプでもないので――そもそも気軽に聞けるほど親しくない――ただアルノルトのお見送りをしているだけだ。
しかしまぁ、全く収穫がなかったわけでもない。
そう自分を励まし――ごまかし、とも言う――持参した文献に目を通し始めた。待ち時間を潰すために持ってきたのだ。昨日は手持ち無沙汰のあまり、時計の針の進みがやけに遅く感じられた。
――どこからともなく、鐘の音が聞こえてくる。
文献に熱中していて時間を忘れていたが、今何時だろう。アルノルトは試験中だろうか。
ぐぐぐ、と固まってしまった体を解そうと背伸びをする。その体勢のままなんとなしに周りの様子を窺い――入り口に、アルノルトの姿を見つけた。
もう終わったのだろうか。昨日より早いように思えるが、持参した文献に集中していたせいだろうか。
そう思いつつも慌てて席を立ち駆け寄ると、
「受かった」
アルノルトはなんてことのないように、さらりと言った。
「……は?」
アルノルトが発した言葉をうまく咀嚼できず、変な声が出てしまう。
受かったって――試験に?
それしかないと分かりつつも、あまりに早い合格の報告に私はたじろいでしまう。
「明日から王属調合師見習いだ」
「……その場で合否が分かるんですか?」
「よっぽど優秀だったらしい」
誇るようなそぶりも見せず、いつも通りの口調で言う。まわりがざわつき始めたのが分かった。
お父さんお母さんからしてみれば、突然現れた少年の合格報告を聞いて「うちの子は!?」と焦るのも無理もない。ざわざわと波紋のように広がっていく騒ぎに、アルノルトは我関せずとの態度だ。
それにしても、やはりアルノルトは優秀なのだ。当たり前のように試験に受かり、それを当然の顔で受け止めている。それだけ自信があったのだろう。
私も、自分には才能があると自惚れに溺れないよう気をつけなければ。あと2年、しっかり最後まで勉学に励もう。
2年後の下見というには些か物足りない遠出だったが、アルノルトの姿に刺激を受けた。明日からまた勉強が捗りそうだ。
「来い」
「え、ちょっ!?」
手首を掴まれ、そのまま引っ張られるようにして歩き出す。そのまま庭園を抜け、なんと城内部に入ってしまった。
子供2人が城内を突っ切る姿に、警備の騎士やいい身なりをしている学者たち、その誰もが驚いていたが、彼らは皆一様にアルノルトの顔を見るとその顔に含んだ笑みを浮かべていた。その表情の意味が分からず、そもそもアルノルトが私をどこへ連れて行こうとしているのかも知らされず、私はただあたりを見渡す他なかった。
赤い絨毯に豪勢なシャンデリア。「ラストブレイブ」で見た景色と同じだ。
2つほど大きな両開きの扉をくぐって、中庭に出た。その中心には大きな噴水があり、陽の光をうけてキラキラと水が輝いている。綺麗だ。
ふと、噴水の傍に人影を見つけた。こちらに背を向けるようにして佇んでいるが、その猫背気味の背中は明らかに男性のものだ。茶の髪はクセ毛なのかあちこちに跳ねており――早い話がボサボサ頭だ――裾の長い、白衣に似た形の衣服を身に纏っている。
「カスペルさん」
アルノルトは足を止め、ボサボサ頭の男性に声をかけた。その声に男性は振り返る。
彼はこちらを見るなり、丸眼鏡越しの目を大きく見開いた。そしてニカッと白い歯を見せて笑い、駆け寄ってくる。
「おお、天才くんじゃないっすか!」
天才くん。その言葉はアルノルトに向けられていた。なんとも名誉なあだ名だ。
それにしてもこの男性は王属調合師なのだろうか。格好も“それ”っぽい上に、現段階でアルノルトのことを知っているということは――
「そちらの可愛い子ちゃんは彼女っすか?」
私の思考が吹っ飛んだ。
「は!?」と目上の方に言い放ってしまったが、今回は見逃してほしい。
彼女ってなんだ。それに可愛い子ちゃんって。
丸眼鏡にボサボサ頭という外見から、「オタク気質な研究者」のようなのに、口調といい、案外若者らしい若者――言ってしまえば、チャラい――なのかもしれない。
「こいつも、2年後ここに入るんで」
アルノルトは男性の言葉に異を唱えるどころか、更にそんなことをのたまった。
何をそんな決定事項のように。確かに私は2年後、試験を受けるけれど――
次から次へと投げかけられる発言の数々に慌てるあまり、どう訂正を入れようか迷っていると、
「天才くんの彼女は……天才ちゃん?」
面白がるように男性がニヤッと笑ったので、それ以上話が広がり訂正を入れられなくなる前にと、慌てて声を上げる。
「いえ! あの、ただ2年後試験受けるだけですっ! そもそも私はアルノルトの彼女じゃ――」
「カスペル! 一緒にいるのは噂の天才少年か?」
無残にも、私の声は横から飛んできたの太い男性の声によってかき消されてしまった。
いったい誰だ! と憤りそうになり――その声に聞き覚えがあることに気がついた。いいや、“思い出した”。
成熟した男性の渋い声だ。よく通る、耳に馴染みのいい声だ。その声に幾度となく“私”は導かれた。励まされた。
かつてのように、その声に導かれるようにして振り返る。黒の甲冑を身につけた屈強そうな男性が、近づいてきていた。
脳裏に蘇る、気持ちのいい笑顔。オールバックに固められた紺の髪、細められた緑の瞳、大きく弧を描いた唇、大剣を振るうたくましい腕。騎士団一の豪傑だと多くの人々から慕われていた、その人。
“私”の脳裏に蘇った彼と、すぐ目の前に来ていた男性が重なる。記憶の中ではぼやけていた輪郭が、はっきりとしてくる。
――よろしく頼む、勇者殿。
そう笑った彼の右目には、大きな傷が――
「ヴェイクさん! そうなんすよ、他の受験者とは比べ物にならなすぎて、その場で合格が決まった天才くんっす。それでこっちの可愛い子チャンは天才くんの彼女で、この子も天才らしいっす」
――傷が、なかった。
記憶の中よりいくらか若いその人が屈む。私たちと視線を合わせ、ニカッと歯を見せて笑う。
「俺の名前はヴェイク・バッケル。こう見えてもシュヴァリア騎士団の騎士団長だ。将来お前たちの回復薬に助けられることになるだろうから、早めに挨拶しておこう。よろしく頼む、未来の調合師殿」
気持ちのいい挨拶をしてくれた男性――ヴェイク・バッケルは、「ラストブレイブ」のパーティーメンバーの1人だった。
ヴェイクはパーティーメンバーの中で最年長であり、主人公を導く成熟した男性として描かれていた。
オールバックに固められた紺の髪も、細められた緑の瞳も、大きく弧を描いた唇も、大剣を振るうたくましい腕も、そのままだ。ゲームの中で幾度となく助けてくれたヴェイクそのまま。ただひとつ違うのは――右目にあった大きな傷が、ない。
その傷のせいで、ヴェイクはほとんど右目が見えないのだ。しかしそれを気にする様子もなく、「名誉の負傷だ」と傷を眼帯で隠すこともなかった。その傷は魔物との戦いの中で負ったと説明があったが、いつ負ったものなのか、どういったシチュエーションで負ってしまったのか、といった詳細な情報は明かされていなかった。
メタ的な発言をするならば、キャラクターデザインに個性をつけるためのひとつの記号ではないか、と思っていたのだが――これから数年の間にヴェイクがその右目に傷を負うのかと思うと、胸がツキリと痛んだ。
「ラストブレイブ」の主要キャラクターとの思わぬ出会いに、私は自分でも気付かないうちに興奮していた。アルノルトがエルヴィーラの兄と分かった時も似たような高揚感を覚えたが、“本人”と出会えた今回の興奮は比べ物にならない。
なんだかんだと言いつつ、私は「ラストブレイブ」というゲームが大好きだったのだ。大きく脈打つ鼓動に、それを実感する。
私は興奮で頬を紅潮させながら、大きく頭を下げた。
「よ、よろしくお願いしますっ。ラウラ・アンペールです」
「あっ、オレもオレも! 王属調合師のカスペル・クラーセンっす。よろしくっす」
すかさず間に入ってくるボサボサ頭の男性――もとい、カスペルさん。ヴェイクはその頭を「邪魔だ」と軽く小突く。
あぁ、「ラストブレイブ」の主要キャラクターが、ヴェイクが、目の前で動いている。
こんなに感動するとは自分でも予想していなかった。その後すぐにヴェイクは騎士団の若者に呼ばれてこの場から去ってしまったけれど、この興奮と感動はしばらく尾を引きそうだ。
「あ、天才くん、ちょっと時間いいっすか? 今後のことを説明したいんすけど……」
ふと思い出したようにカスペルさんはアルノルトに声をかけた。その際ちらりとこちらに向けられた視線に、察する。
流石にその場に私がいてはまずいだろう。
「あ、私1人で帰ってますね」
お疲れ様でした、と頭を下げて方向転換。ここまでアルノルトに勝手に連れてこられたが、王城の地図は頭に入っているので問題ない。
「ラウラちゃん、2年後、楽しみにしてるっす!」
カスペルさんの言葉に、いくらか苦笑を滲ませた笑顔を返す。アルノルトのせいで――おかげで、と言うべきか――試験を受ける前から王属調合師の方に顔と名前を覚えられてしまった。ますます2年後、失敗はできない。
エメの村に帰ったら、今まで以上に勉強に励もう。そして2年後、絶対に受かってみせる。微力ながらもシュヴァリア騎士団の、世界中の戦士たちの、そして勇者様――英雄たちの力になるんだ。
そう燃えていたところ、
「アンペール!」
アルノルトに呼び止められる。
こちらへと駆け寄ってくる足音を感じながら振り返ると、思っていたよりもすぐ近くにアルノルトの顔があった。
「2年後、絶対に受かれよ」
「努力はしますって」
何度目か分からない言葉。それを私はさらっと笑顔で流したが、アルノルトの顔はさらに真剣なものになる。
「万が一試験に落ちたら一生笑ってやるからな」
そこまで言うか。
余程アルノルトは私に受かって欲しいらしい。
ならばもっと素直に、励ましの言葉をひとつぐらいかけるべきではないか、と思うのだが、アルノルトの性格からしてそれは期待できないだろう。
そんな失礼なことを思いながら、「分かりました」そう答えようとした。しかしそれよりも早く、
「待ってる」
――アルノルトの真っ直ぐな言葉が、私の鼓膜を揺らした。
なんだ、そんな言葉も言えるんじゃない。それも、そんな真っ直ぐな瞳で。
私は驚きながらも、駆けていく背中を見つめた。その背中は3年前と比べて、ずっと逞しく感じられて。3年という月日を思えば当たり前かもしれないが、今の今まで、気がつかなかった。
カスペルさんとアルノルトが何やら数言会話を交わし、中庭から移動を始める。それを見送ってから、私は改めて歩き出した。
――この日を最後に、私とアルノルトは2年後まで会うことはなかった。
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