107:幼馴染と先輩
――アルノルトが試作品を飲んでから数時間。幸いにも、彼の体には特に異変は見られなかった。しかしそれはあくまで現段階での話であって、今後どうなるかは分からない。
エルヴィーラのことを思い、息が詰まるような数時間。それは確実に私の体力を奪っていった。
はぁ、とついたため息が思いの外部屋に響いてしまう。慌てて取り繕うように軽く咳払いをした時だった。隣に座っていたルカーシュが顔を覗き込んできた。
「ラウラ、顔色が悪いよ。横になったら?」
「でも……」
ちらり、とアルノルトの様子を見やる。彼は先ほどからずっと、何かを考え込むように俯いている。
何かあった時用に先に回復薬は作っておいたが、もし万が一、休んでいる間に彼の体に異変が起きたら――そう思うと、おちおち寝ていられそうにない。
そうは思うものの、自分の体が疲れを訴えているのも分かっていた。
「アルノルトさんのことなら僕が見ておくから。ベッド借りよう」
ルカーシュの言葉に、ディオナがすかさず立ち上がったのが視界の隅で分かった。彼女はそのまま私に近づき、「行きましょう」と優しく声をかけてくれる。
ディオナに手を引かれ、立ち上がった。そしてそのまま客室へと向かって歩き出そうとルカーシュたちに背を向ける。――その瞬間、肩にルカーシュの両手が添えられた。
「ラウラも自分を大切にしてね」
――ラウラ“も”。
その言葉は先ほど私がアルノルトに言った、「自分を大切にしてください」という言葉に対してかけられたのだと分かった。
振り返る。ルカーシュは眉根を下げて、苦笑にも似た笑みを浮かべていた。
***
――ふ、と意識が浮上した。爽やかな目覚めだった。
眠気を引きずることなく体を起こす。そしてあたりを見渡したが客室に時計はなく、日の高さで大まかな時間を把握しようと窓に近づく。すると――日が傾き出していることに気がづいた。どうやらずいぶんとぐっすり眠っていたようだ。
一応身なりを整えてからリビングへと降りる。そこにはルカーシュの姿もアルノルトの姿もなく、ディオナが一人、キッチンで何やら作業をしていた。
彼女は私の姿に気づくなり駆け寄ってくる。
「ラウラ様、具合はいかがですか?」
「すみません、ご心配をおかけして。もうすっかり大丈夫です」
笑顔で答えれば、ディオナはほっと息をついた。心配をかけてしまったようだ。
ルカーシュたちの姿を探してあたりを見渡す。その時だった。外から何やら大きな物音が響いてきた。
「ルカーシュとアルノルトさんは?」
「外で魔法についての授業を行っているようです」
魔法についての授業、という言葉に首を傾げたが、それより先に確かめなければならないことがある。
「あの、アルノルトさんの具合は……」
「大丈夫そうです」
ふわりと微笑んで答えたディオナに、「よかった」と私はほっと息をつく。外でルカーシュと何をやっているのか気になるが、とにかく体に異変が出ていなければそれでいい。
――不意に、鼻孔を甘い香りがくすぐった。そういえば先ほどディオナはキッチンに立っていたなと思い出す。
「何か作られてるんですか?」
「ルカーシュ様たちにお届けしようと思って、クッキーと紅茶を」
なるほど、この甘い香りはクッキーの材料だったか、と納得する。
ひょい、とディオナの肩越しにキッチンの様子を覗く。調理器具が並んでいるのを見るに、おそらくはまだ作り途中だろう。
「お手伝いします」
そう言えばディオナはとても嬉しそうに笑った。
実家にいたときはそれなりに母の手伝いをしていたが、王都に出てきてからは自炊は時間的に厳しく、キッチンに立つのは久しぶりだ。うまく手伝えるだろうか――などと若干不安に思っていたのだが、どうやらもうほぼほぼ出来上がっているようだった。
私が任された仕事はクッキー生地の型抜きだ。一つ一つ丁寧に型抜きをしていると、なんだか幼い頃を思い出して楽しくなってきてしまう。
――ふと、クッキーの生地から嗅ぎ慣れた薬草の香りが香ってきたように思えて、首を傾げる。一度手を止めてじっと生地を見やると、すり潰した薬草と思える材料が目視できた。
「薬草、混ぜてますか?」
「はい。こうすることで健康にもいいって、リーンハルトが。それに味も爽やかになるんです」
なるほど、その発想はなかったなと感心する。今度母にも教えてあげようと思い――ふと、ディオナの口から出てきたリーンハルトさんの名前に動きを止めた。
以前、彼女は兄と一緒にクッキーを作った、と言っていた。しかしきょうだいと聞いていたジークさんとレオンさんは、アイリス曰く手先が不器用でクッキーは作れないらしい。ならば、クッキーの作り方をディオナに教えた兄は誰かと疑問に思っていたのだが――
「リーンハルトさんに教えてもらったんですか?」
そう問いかければ、ディオナはあ、と口元を手で覆った。その反応を見るに、口が滑ってしまったようだ。
ディオナは束の間、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが――ふ、と表情を緩める。そしてどこか吹っ切れたような笑みを浮かべて答えてくれた。
「ええ。リーンハルトは私たちの兄なんです」
「瞳の色が同じなのはごきょうだいだったからなんですね」
「はい、そうです。もう言ってしまいますが、アイリスもきょうだいです」
いつぞやに立てた仮説は正しかったらしい。琥珀色の瞳はルストゥの民の容姿的特徴ではなく、ディオナたちきょうだい特有のものだったようだ。
納得はしたものの、この事実を隠していたということは何か訳があるのではないかと勘繰ってしまう。突かずにさらっと流しておくべきだったかもしれない。
「すみません、立ち入った話でしたよね」
「いえ、我々の街に来ていただいたときに、嫌でもわかることでしょうから。私たちは皆、異母兄弟なんです」
言葉の端々に引っかかりを覚えつつも、おそらくはきょうだいの顔を思い浮かべているであろうディオナの表情はとても穏やかで。彼らが仲の良いきょうだいであることは明らかだった。
「みなさん、とっても仲がいいんですね」
「はい。自慢のきょうだいです」
そう言ったディオナの表情は、今までで一番の笑顔だった。
彼らきょうだいは何か大きなものを背負っているのだろう。それは明らかだ。だからこそ、彼らが少しでも穏やかな時間を過ごせるように願わずにはいられない。
「ラウラ様はごきょうだいは……」
「いません。あぁ、でも強いて言えば、ルカーシュがきょうだいみたいなものかも」
話を広げるためにもそう笑えば、ディオナは目を輝かせる。
「素敵ですね」
心からそう思ってくれているのだろう、と分かる表情で。
――その後、ディオナのきょうだいの話を聞きながらクッキー作りを手伝った。
リーンハルトさんはディオナさんにとって兄であり父のような存在で、幼い頃はよく叱られたこと。しかし叱った後は必ず、こっそりクッキーを作ってくれたこと。
ジークさんはきょうだいで一番真面目で、光の力の特訓に遅くまで付き合ってくれたこと。怒るとリーンハルトさんよりも怖いこと。
レオンさんと幼い頃一緒に山ではしゃいで遊んだこと。ああ見えて怖い話が苦手で、一緒のベッドでぎゅうぎゅうになりながら寝た夜のこと。
アイリスはディオナたちにとって娘のような存在であること。誰よりも好奇心旺盛で手を焼かされることもあるが、宝物のように大切に思っていること。
――ディオナのきょうだいについての話は尽きず、クッキーが焼きあがるまで彼女の口が閉じることはなかった。私は相槌を打ち、時折疑問を投げかけるために口を挟む程度だったが、なんだかとても安らかな時間を共に過ごせたように感じて。
ディオナの思い出が沢山詰まったクッキーを一番に食べさせてもらう。口の中に広がった爽やかな甘さ。混ぜた薬草の効力によってじわりと体もあたたかくなる。初めて食べた、しかしどこか懐かしさを感じる、そんなクッキーだった。
「美味しい!」
「よかった!」
いつもより砕けた口調でディオナは喜ぶ。それがなんだか嬉しくて、二人で顔を見合わせて笑った。
クッキーを盛りつけたお皿と、紅茶を淹れたティーカップを机に並べればちょっとしたお茶会のようだ。自分は大した仕事もしていないのに満足げに机の上を眺めていると、
「あれ、いい匂いがする」
キッチン近くの裏口の扉が開き、ルカーシュが顔を覗かせた。その頬は土で汚れている。
ルカーシュは私の姿を見るなり駆け寄ってきた。そしてぐっと顔を覗き込んでくる。
「ラウラ、具合は大丈夫?」
「うん、おかげ様で。ディオナさんがクッキー作ってくれたから、みんなで食べよう」
そう伝えればルカーシュは嬉しそうに笑って、洗面所の方へと向かっていった。その背中を見送っていると、背後から足音が近づいてくるのに気が付いて振り返る。そこに立っていたのは何やら難しい表情をしてこちらを見下ろすアルノルトだった。顔色は悪くない。
「アルノルトさん、体の調子はどうですか?」
「異常はない。……すまなかったな」
――すまなかった。そう言ってアルノルトは瞼を伏せた。
謝罪の言葉は、試作品を飲んで怒った私に対するものだろう。難しい顔をしていたのも、どう切り出すか悩んでいたからかもしれない。
アルノルトを見上げる。瞼を伏せ、じっとしているアルノルトは、なんだか叱られた幼い子供のように見えた。
「いえ、こちらこそ。声荒げちゃってすみませんでした。異常がないのならよかったです」
アルノルトは目を開ける。絡んだ黒の瞳が僅かに細められて、しかし何も言わずに彼もまた洗面所の方へと向かっていった。
――すっかり身なりを綺麗にしたルカーシュとアルノルトを招いて、ささやかなお茶会の始まりだ。ディオナが作ってくれたクッキーと紅茶をお供に、思いの外穏やかな時間を四人で共有することができた。
「二人で何してたんですか?」
「アルノルトさんに魔法を教えてもらってたんだ。僕、まだ魔法は苦手だから」
「ラストブレイブ」では勇者の力とは別に、基本的な攻撃魔法・治癒魔法を使えた勇者だが、今世ではまだ魔法の勉強はできていなかったはずだ。もしかするとアルノルトがルカーシュにとっての魔法の師匠になるのかもしれない――なんて、こっそりと思う。
「粗削りだが、基本的な能力は平均以上だな」
アルノルトはそう言ってから紅茶を口にした。
彼が素直にルカーシュを褒めたことに驚く。アルノルトは他人を見下すような人ではないが、それでも今まで散々幼馴染との相性の悪さを見せつけられた身からすれば、正直この二人の交友には不安があったのだ。
ルカーシュはアルノルトの言葉に喜ぶ――のではなく、ジトっと彼を睨みつけた。
「そう言いつつ、アルノルトさんは僕の魔法を片手で相殺しちゃうんだから、自信なくしちゃうよ」
「粗削りで魔力を固めきれていない。相殺するのは簡単だ」
むっと目尻を吊り上げるルカーシュ。しかしその表情はアルノルトを嫌悪している故のものではなく、彼の負けず嫌いの面がのぞいたのだろうと推測できた。
「とりあえずは俺に片膝をつかせることを目標にしろ」
挑発するような言葉だったが、その声音はどこか楽しそうだった。それをルカーシュも感じたのだろう、彼もまたニッと歯を見せて笑う。
「望むところです」
いたずらっ子のような、普段とは違うルカーシュの笑顔。その笑みに私の心配は杞憂だったかもしれないと安心する。
ディオナを見れば、彼女もまた私を見ていたようで琥珀色の瞳と目線が絡んだ。するとディオナはにっこり笑って「仲良しですね」と私にだけ聞こえる小声で言う。それに頷き返して、再びアルノルトとルカーシュの様子を見やる。
魔力を持たない私は彼らの会話の内容を全て理解することは難しかったが、熱心に議論をかわしていた。
(なんだか二人とも、楽しそうだな)
睨み合っていた彼らは昔の話だ。今はお互い成長し、背負うものも増え、それだけに共有できるものもまた増えたのかもしれない。
話し込む二人の間に入るのは憚られて、私はディオナと他愛のない話を始めた。ひどく穏やかな時間が、今はとにかく幸せだった。




