101:幼馴染と後輩
その日、無事この世界の主人公とヒロインが出会った――のだが、ディオナ含めルストゥの民の方々は準備に忙しいようで、挨拶もそこそこに、すぐに解散することになった。
ルカーシュとディオナが出会った瞬間、とうとうこのときがやってきたのだ、となんだか感慨深さを感じて。ルカーシュは今日出会った彼女が、かつて夢に出てきた少女だと気が付いただろうか。
しかし、今回の邂逅で気になった点がある。ディオナとの出会いに何かを感じた様子のルカーシュだったが、一方でヒロインであるディオナの顔色が悪かったのだ。疲れていた、もしくは緊張していたのだろうか。退室前の、やけに青い顔をした彼女が脳裏にこびりついて離れなかった。
「――ラウラ?」
悶々と考え込んでいたところ、不意にルカーシュが顔を覗きこんできた。青の瞳にじっと見つめられて、幼馴染に城内を案内している最中だったと我に返る。
到着早々気疲れするような話を散々聞かされた幼馴染を慮って、今日はこちらが用意した部屋で休んでもらおうと思ったのだが、ルカーシュの方から「城内を案内してほしい」と強請られたのだ。
「ごめん、ちょっとぼーっとしてた。ええっと……あ、ここ、調合室だよ」
日の光が差し込む長い廊下の途中、私に与えられている調合室の扉を見つけ、私はルカーシュの方へ振り返る。すると彼は私の言葉に目を輝かせて「入ってもいい?」と聞いてきた。
私は頷き、調合室へとルカーシュを招き入れる。彼は勢いよく入室したかと思うと、「わぁ」とあたりを見渡した。
「ここがラウラの仕事場かぁ……すごいね」
調合台の上を観察し、戸棚の中をのぞき、本棚の背表紙を目線で辿る。そんなルカーシュを微笑ましく見守って――ふと、伝えるべきことを伝え損ねていたことを思い出した。
「そうだ。足りないものとか、必要なものがあったら言ってね。出来る限り揃えるから」
「うん、ありがとう。……そんな風に言われると、なんだか偉くなったみたいだ」
あはは、と笑ってみせたルカーシュはどこか寂しげで。
あちこちを見て回ったせいで離れてしまっていた私との距離を、ルカーシュは早足で詰めてきた。かと思うと、声を潜めてそっと尋ねてくる。
「ねぇ、ラウラ。ラウラの言うことを疑ってるわけじゃないけど……魔王って本当にいるのかな。正直実感が湧かないんだ。僕のこの力は確かに魔物に効力を発揮するけど、その王……魔王を退けられるかもしれない力、だなんて」
ぶつけられた戸惑いを含む言葉にどう答えるべきか分からず、私は押し黙ってしまう。
幼馴染の疑問はごく自然なものだろう。突然呼び出され、魔王の存在を明かされ、更にあなたの力は魔王に有効なんです、などと言われ――戸惑わない方がおかしい。
“私”の記憶の中に残る魔王についての情報をルカーシュに伝えるべきか――迷ったものの、開きかけた口をすんでのところで閉じた。“私”の知る魔王は「ラストブレイブ」の魔王であって、この世界の魔王ではない。「ラストブレイブ」との違いが多く見られる世界で、魔王もまた「ラストブレイブ」と違う点を複数持っていてもおかしくない。
間違った情報、余計な情報はいらぬ混乱を生むことがある。
大きく深呼吸をして、私は「エルヴィーラを救いたい」という自分の気持ちだけを伝えようと口を開いた。
「私も正直、本当のことは分からないけど……でも」
「エルヴィーラちゃんのことを救いたい?」
続けようとした言葉が、一字一句違わずルカーシュの口から語られて、私は思わず「え?」と間の抜けた声をあげてしまう。
顔を上げた先の幼馴染は、とても優しい表情をしていた。
「正解?」
「う、うん。正解」
頷けば、ルカーシュは更に目を細める。
その表情のまま、ルカーシュは柔らかな声で言った。
「ラウラならそう言うんじゃないかなと思ってさ。それは僕も同じ気持ちだから、魔王とかよく分からないけど、手伝うよ。出来る限り。あんな小さな女の子が命を落としてしまうなんてやりきれない」
笑顔はそのまま、ルカーシュは自身の右手を凝視した。
「それに、もし万が一、僕の力が人々を救う力になるのなら……出来ることは、やりたい」
その決意に溢れた言葉は紛れもない“勇者”のもので。私は素直に感心してしまう。
ルカーシュは確かに勇者の力という他者にはない特別な力を持っているけれど、まだ十五歳の少年だ。それでも彼は確実に、勇者の使命を自ら背負おうとしている。
「そんな風に思えるなんてすごいね、ルカーシュ。私だったら戸惑っちゃいそう」
素直な感情を吐露すれば、ルカーシュはきょとん、とした顔でこちらを見たかと思うと、浮かべていた笑みを苦笑に変えた。
「何言ってるの。僕はラウラの姿を見てこう思うようになったんだから」
「え?」
「ラウラは回復薬で多くの人の命を救ってるだろ? そういう、人々の役にたてる職業を選んだラウラを尊敬してるんだ。……僕もラウラみたいになりたいって、そう思ってるんだよ」
思ってもみなかった言葉を真正面から投げかけられて、私は咄嗟に反応が出来なかった。
ルカーシュは確かに私のことをしきりに「自慢の幼馴染だ」と言ってくれた。それに調合師という職業を尊敬してくれているような彼の言動も見てきた。しかし――こうも面と向かって私に影響を受けたのだと言われたのは初めてだった。
「それは……光栄だな。ありがとう」
考えて、ようやく絞り出せたのはその一言で。
今こそ自壊病の患者を――エルヴィーラを救いたいという思いで調合師をやっているが、当初としては勇者様から離れるためにこの仕事を目指した。きっかけがそうである以上、調合師としての自分をルカーシュに褒められると後ろめたいような、気恥ずかしいような、そんな気持ちになる。
――会話が一段落し、再びルカーシュがあちこちを観察し始めたとき、調合室の扉がノックされた。「どうぞ」と返事をすれば、勢いよく扉が開く。
「――あ、いた! ラウラ―!」
扉を開けたのはアイリスだったようだ。その後ろにはバジリオさんもいる。
「アイリスとバジリオさん、どうしたんですか?」
声をかけるとアイリスはニコニコと嬉しそうな表情で、バジリオさんは恐縮したように肩を丸めて入室してくる。そして私の傍に立つと、その表情のままルカーシュに向き合った。
突然の訪問者にルカーシュは目を丸くしていた。そういえば後輩二人にルカーシュを紹介する約束をしていたな、と思い出して、この場の微妙な空気をどうにかするためにも声をかける。
「ええっと、紹介するね。私の後輩のアイリスとバジリオさん」
後輩、という単語にルカーシュの目は更に大きくなり――数秒の後、ほっとしたように微笑んだ。その表情に隣に立つバジリオさんがほっと息をついたのが分かった。
バジリオさんの反応からして、大方アイリスが突然言い出したことに巻き込まれたのだろうと察する。リーンハルトさんからルカーシュが来ることを聞きつけたアイリスが挨拶をしたいとバジリオさんを誘ったのだろうか。
「初めまして、あたしアイリス!」
「バジリオと言います。よろしくお願いします」
天真爛漫なアイリスに、物腰柔らかなバジリオさん。そんな二人の組み合わせにすっかり心を許したのか、ルカーシュも笑顔で自己紹介をした。
「ねね、あなたラウラの幼馴染なんでしょ? どんなとこに住んでるの?」
「エメの村っていう自然に囲まれた小さな村で――」
和やかな会話を交わす三人を少し離れていた場所から見守っていたら、ふと部屋の隅に麻布の袋が無造作に置かれていることに気が付いた。そこにそんなものを置いた記憶はなく、一体中身はなんだろうと開けてみる。すると――欠けた容器が複数入っていた。
(ああー……あとで処分しようと思ってすっかり忘れてたやつかも)
このまま放っておいてたらまた忘れてしまうかもしれない、と思いちらりと三人の様子を窺う。依然和やかそうに話しており、話題が尽きている様子もない。むしろアイリスだけでなくルカーシュやバジリオさんも声をあげて笑っているのを見るに、随分と楽しそうだ。
この様子なら少しの間三人だけにしても大丈夫だろう、と思い、
「ごめん、ちょっとごみ捨ててくるね」
それだけ言い残し、私は調合室から退室した。
気持ち早足で廊下を歩く。そして角を曲がろうとし――突然現れた人影と、ぶつかりそうになった。
「わっ!」
すんでのところで止まり、後ろに数歩後退する。ぶつかりそうになった相手を認識しないまま、「すみません!」と咄嗟に声をあげて――
「あ、あれ、ディオナさん?」
人影の正体がディオナであることにようやく気が付いた。どこか怪我でもしていないだろうかと不躾にもじっと見つめ――その顔色の悪さに気が付く。
「ディオナさん、顔色悪いけど――」
「ディオナ、どこにいる!?」
私の言葉を遮るようにディオナを呼ぶ男性の声が鼓膜を揺らす。瞬間目の前のディオナはぴくりと肩を揺らして――なんと私の手首を掴み走り出した。
引っ張られるまま、私はディオナの後ろを走る。戸惑いにその名前を呼ぼうかと思ったが、彼女が誰かから逃げているのは明らかで――私の声でその誰かに気づかれてしまう可能性を考えると、無言で後をついていくことしかできなくて。
私の手首を掴む彼女の指先は、氷のように冷たかった。




