01:将来は負けヒロイン!?
――あ、これ、死ぬ。
幼い私はそれを悟った。それと同時に、“思い出した”。
――あ、このイベント、見たことある。
目前に迫る魔物の鋭い牙。鼓膜を劈く、幼い男の子の声。
「ラウラ――ッ!」
それは、私の名前だった。そして同時に――私が前世プレイしたロールプレイングゲームの、負けヒロインの名前だった。
***
はてさて、冒頭からいきなり死の危険に直面した私だが、前世の記憶からして死ぬことはないと分かっているので、まずは落ち着いて自己紹介をしよう。私の名前はラウラ。ラウラ・アンペール。エメの村という小さく閉鎖的な村の出身だ。
現在、“ラウラ”の年齢は8歳。しかし、“私”の精神的な年齢はおおよそ20歳過ぎ。どういうことかと言えば、簡単な話だ。私は前世の記憶を取り戻した。それも、たった今。
前世の私は、不運極まりない事故で短い人生を終えた、なんてことない普通の学生だった。日本に生まれ、日本で育ち、日本で死んだ。
――前世。その短い人生の中で、私は“ラウラ”という少女に出会ったことがある。
出会った場所は、テレビの前。画面越し。そう、ラウラは前世でプレイした、ロールプレイングゲームの登場人物だった。
ゲームの名前は「ラストブレイブ」。勇者の力に目覚めた主人公が魔王を倒すという、当時にしては珍しいぐらいの王道ど真ん中RPGで、一部からは陳腐すぎると批判を浴びていたほどだ。しかし私は、青臭いながらも熱い展開が次から次へと繰り広げられる「ラストブレイブ」に夢中になった。
迷いながらも成長していく主人公。旅の中で出会い、唯一無二の親友となる青年。主人公を導く成熟した男性。その小さな体に莫大な魔力を秘めた天才魔法少女。パーティーメンバーのムードメーカーであるトレジャーハンターの少女。そして、主人公と運命的な出会いを果たす古代種の少女。
どのキャラクターも魅力的で、どのキャラクターにもそれぞれドラマがあり、パーティーメンバーのみならず脇キャラもそれは同様であった。
良くも悪くも予想を裏切らない王道ど真ん中のストーリー。魅力的なキャラクターたち。シンプルで分かりやすい戦闘システム。物語を彩る壮大な音楽。全ての要素が噛み合い、お互いを引き立て合い、名作と呼ばれるに相応しい作品であった。それは私個人の評価ではなく、世間でも概ね好評であった、と思う。
――しかし、絶賛するプレイヤーたちのほとんどが、ある人物の扱いについては、不満を持っていた。
その人物こそが、ラウラ。ラウラ・アンペール。そう、現世の私だ。
ラウラは端的に言うと「ラストブレイブ」の主人公の幼馴染である。主人公と同じ村に生まれ、幼い頃から共に過ごし、勇者として村を旅立つ主人公を見送った、絵に描いたような幼馴染キャラだ。
――しかし、ただの幼馴染キャラとは言い難かった。
主人公が村を出る前夜、ラウラは主人公に告白している。そして涙ながらに告げるのだ。「あなたの帰りを待ってる」と。主人公はその想いにはっきりと答えることはしなかったが――ラウラ本人が返事はいらないと断った――拒否することもなく、満更でもないような態度をとっていた、と思う。
この説明を聞くと、ラウラはヒロインのそれに近い描かれ方をしていると感じる人も少なくないのではないだろうか。実際私も「ラストブレイブ」をプレイしていたとき、中盤あたりまではラウラがヒロインなのだとばかり思っていた。
――結論から言おう。
ラウラはヒロインではなかった。
ヒロインは、旅の中で出会った古代種の少女だった。
ラウラは確かに告白した。そして主人公もその想いを拒絶しなかった。しかし古代種の少女と出会ってから、ラウラの存在は世界から抹消されてしまったかのようだった。
確実に段階を踏んで近づいていく主人公と古代種の少女。次第に明かされていく世界の謎と闇。古代種の少女はそれらに密接に関わり、彼女を守るような形で主人公たちは様々な出来事に巻き込まれていく。
攫われる少女。助ける主人公。洗脳され敵になってしまった少女。必死の呼びかけでその洗脳を解く主人公。とうとう目覚めてしまった魔王。絶望の中、手と手を取り合う主人公と少女。その中で芽生える、想い。その想いはやがて、この世界を照らす光となる――!
王道だ。王道RPGだ。勇者として道を切り開く主人公に感情移入をし、その主人公と共に世界を救う仲間たちに親近感を覚え、主人公と想いを重ねる古代種の少女――ヒロインに好意を持つ。
ヒロインと出会ってからは、次から次へと怒涛の展開が迫り来る。プレイヤーは手に汗握り、世界を救うために奔走する。絶望の中で想いを通わせる主人公とヒロインに、希望を見出す。
――だから、忘れてしまうのだ。開始1時間で出番を終えてしまった、幼馴染の存在など。
前世の私も忘れていた。感動のエンディングを迎え、充実感に満ちていたその最中、彼女の存在を思い出す。いいや、強引に思い出させられる。なぜなら、スタッフロールでラウラのイラストが流れるからだ。
そういえばこの幼馴染の子、どうなった?
一度その疑問が浮かんでしまうと、だめだった。次から次へと疑問が浮かんできた。
そういえば、告白してきたよね?
今も村で主人公の帰りを待ってるの?
でも主人公はヒロインと両思いだよね?
主人公、どうするの?
そもそもスタッフは、このキャラをどうしたかったの?
――等々。
似たような疑問を抱いたプレイヤーは数知れず、ネットでは議論が交わされていた。そうは言っても結論は同じだ。
古代種の少女がヒロイン。
主人公は古代種の少女とくっついた。
ラウラは失恋した。
しかし同時に、ラウラの告白を受けた際の主人公の態度が満更ではなさそうだったことも、ほとんどのプレイヤーが認めていた。そしてその態度を思わせぶりだと咎める声や、幼馴染を待たせておきながら他の少女と距離を縮めることに全くためらいのない態度を叩く声もあった。それ以上に、スタッフはラウラをどうしたかったのかという製作者側への不満と、ラウラへの同情の声が多かった。
――それでも、プレイヤー達の結論は決して揺らがなかった。
ヒロインは、古代種の少女。ラウラは失恋した――謂わば負けヒロインだ、と。
私もその意見に同意だった。そして同じように、ラウラに同情した。
幼い頃からずっと一緒に育ってきて、村では半ば公認カップルのように扱われていたのに。主人公を健気に待っていて、いざ待ち人が帰ってきたらその隣には運命の相手がいました、なんて、どんな気持ちになるだろう。
そんなの、あんまりだ。それに何より、主人公が持つ勇者の力は――
幼い頃、魔物に襲われたラウラを助けようとしたイベントで覚醒したっていうのに。
***
「――ラウラ!」
重いまぶたをなんとかこじ開けるとそこには、私の幼馴染――未来の勇者様がこちらを覗き込んでいた。彼は青の瞳にいっぱいの涙をためている。
おお、未来の勇者よ、こんなことで泣くとは情けない! ――なんて、幼馴染が目の前で魔物に食い殺されそうになったのだから、これはむしろ当然の表情だろう。
「ルカーシュ……?」
昨日まで何も考えずに呼んでいた幼馴染の名を口にした。
未来の勇者様の名前はルカーシュ。ルカーシュ・カミル。ラウラは――私はルカ、なんて愛称で呼んでいた。
こちらに真っ直ぐに向けられた左の瞳に浮かぶ、金の紋章。これこそが勇者の証だ。森で迷い、運悪く魔物に襲われた幼馴染を助けるために目覚めた、この世界を救う力だ。
「ラウラ、目が覚めたのね! お医者様を呼んでくるわ!」
現在の私の母が、悲鳴にも似た声でそう告げ、部屋を出て言った。
“私”の記憶を思い出すのでいっぱいいっぱいだったため現状をしっかりと把握できていないが、見慣れた天井から察するにここは我が家だ。ルカーシュは目覚めた勇者の力で魔物を倒した後、私をここまで運んできてくれたのだろうか。
先ほどの勇者覚醒イベントは、ストーリー序盤から中盤に差し掛かるあたりで回想イベントとして発生した。当時、まだラウラがヒロインだと思っていた“私”は「ヒロインを守るために能力覚醒って、これまた王道だなー」と呑気に思っていたものだ。
――私がきっかけで勇者の力に目覚めた幼馴染は、数年後、私から離れていく。
一体全体どういう原理で前世プレイしたロールプレイングゲームの世界に転生してしまったのかは不明だが、なってしまったものを今更どうこういっても仕方がない。むしろ、将来起きることを事細かに知っているなんて、ゲームでいう強くてニューゲーム状態ではないか。
そう、負けヒロインなんて事実は取るに足らない。そもそも現世の私が主人公――ルカーシュに惚れなければ、大前提が覆る。
村の他の男の子と結婚しようか。いや、いっそこの村を出るのはどうだろう。今から勉学に励んで自分を磨き、王都で職を探すのだ。この小さく閉鎖的な村で一生を暮らすより、よっぽど充実した人生を送れるはず。王都にいればルカーシュが旅立ったとしても情報は入ってくるだろう。
「ラウラ」
8歳の女児にあるまじき――なにせ中身は20過ぎだ――現実的な考えを巡らせていた私に、未来の勇者様が声をかけてきた。そちらに視線を向けると、強い光をたたえた青の瞳とかち合う。
思い出した前世の“私”の記憶が多少邪魔をするが、それでもルカーシュは私にとって、8年近く一緒に過ごしてきた幼馴染だ。“私”の記憶はもちろん、ラウラとして過ごしてきたこの8年間も揺るぎようのない事実であり、現実である。
ルカーシュは優しかった。気弱、弱虫だと村の他の男の子に揶揄されることも少なくなかったが、他人のことを思いやれる、とてもいい子だ。
未来の勇者様だけあって、顔はとても整っている。今はかわいい、という形容詞がよく似合う中性的な顔立ちをしているが、年齢を重ねるごとに幼さが抜け、この村を旅立つ頃には美青年に成長することを“私”は知っている。その金の髪も絹糸のような髪、という表現がぴったりなサラサラ髪で、ゲームのムービー中に何度「主人公髪サラッサラだなぁ」と思ったことか。
未だ“私”の記憶を持て余し気味の私の手を、ルカーシュはぎゅっと握りしめた。そして、
「ラウラのことは、僕が守るから」
――あぁ、可哀想に。
ゲーム内のイベントでは、ルカーシュの能力が目覚めた場面でムービーは終わっていた。だからその後のやりとり――つまり、今――を、プレイヤーである“私”は知り得なかった。
ラウラがこんなことを、こんな真剣な表情で言ってもらっていたなんて。
勝手に大きく鼓動を刻んだ心臓は、きっとラウラのものだ。“私”のものではない。けれど、ラウラ――いいや、私の気持ちは痛いほど分かった。
今まで見たことのない、強い決意が現れた表情。こちらを見つめてくる青の瞳には、金の紋章が浮かび上がっていて。迷いのない口調で、私を守ると言ってくれた。
あぁ、こんなの、“私”の記憶を思い出させずにいたら、きっと今、私はルカーシュに恋をしていた。
――でもね、破れる恋と知りながら、それでも恋焦がれるなんて愚かな真似はいたしません。私は近々、勇者様の幼馴染という職業からジョブチェンジします。してみせます。
そう、私は――悲しい負けヒロインにはなりません!