死因には裏事情でも添えて
「うん、いいんじゃないの? ネコよネコ! いかにも相棒って感じじゃない! それじゃ決定ね。そうしたら……」
「お、おいちょっと待て!」
俺は急ピッチでことを進めようとするバケモノを慌てて制止し、そのネコを見つめた。
―――このネコって……やっぱり、俺が助けようとして走ったときの……
間違いない。この色この模様。間違いなくあのときのネコだ。
どうして忘れていた?
俺が死ぬきっかけを作った……いや、そういう表現は少し違うな。あくまで行動に移したのは俺自身で、コイツに原因を求めるのは間違っている。
だが直接的にではないにせよ、コイツの存在が俺の人生を大きく狂わせた引き金にはなったと言える。
そんな陰の立役者こと、薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶していそうなネコのことをすっかり忘れていたなんて、こんなこと普通に考えてあり得ない。
―――と言いたいところだが、死にたてホヤホヤの俺の前に突如現れたバケモノの圧倒的存在感をもってすれば、そうした激情も止むを得まいとて潔く鞘に収めることができるというものだ。
だがここで一つ見逃してはならない事実がある。
助けたはずのネコもまた、この薄暗い部屋で、しかもどう楽観的に捉えたところで死んでいるという事実から逃れられないであろう状態で横たわっているということだ。
「な、なぁ、このネコもここにいるってことはつまり……」
「えぇ、無事に死んでるわよ。そもそもアナタたち一緒に死んだじゃないのよ! だいたいアナタ、あの距離でこの子を助けられるとでも思ったワケ? ヒーロー気取りなのもいいけど、アナタが事故の被害者になっちゃったおかげでトラックの運転手なんて今大変なんだからね!」
たしかに助けられなかったどころか俺も死んでしまったわけだが……そうか、結局このネコも命絶えちまったということか。
心のどこかで俺の気なんて知らずにのうのうと生き延びていることを期待していたのだが、そのイメージはこうして目の前の現実により打ち砕かれた。
というか俺を労わる気は微塵も無いんですかねぇ、コイツは。
―――だがそれよりも俺には一つ気になる点が。
「おい、まさか俺の死ぬ瞬間を見てたのか?」
「はい~? 見てなんかいないわよ! どうしてアタシがその劇的な瞬間の目撃者になんかならなくちゃいけないワケ!? アタシはただアナタが無事死んだって上から報告が来たから仕方なしに死因を調べただけじゃない!」
コ、コイツ、面と向かってよくもそんな……!
てかさっきから「無事死ぬ」という表現が気になって仕方ねぇ。なんだよ、このふざけたイディオムもこの世界の鉄板ネタとか抜かすつもりか?
だがそうかトラックの運転手、確かにそいつには悪いことしちまったかもしれねぇな。
俺のせいでその後の運命狂わせちまったんだもんなぁ。
俺は死ぬ間際に見た運転手の吃驚と恐怖の入り混じったような顔を思い出し、何ともいえない罪悪感に苛まれた。
「いいこと? トラックの運転手はね、不倫がバレて奥さんの元から逃亡中の身だったのよ。だけど今回の事故によってその奥さんも呼び出されて、それ以外にも家庭に複雑な事情を抱えていただけにもうホント可哀相! でもそこまでならまだいいのよ。ただでさえアナタに搔き乱された状況であるというのに、なんとトラックの助手席に乗っていた女の人がなんとその不倫相手本人だったのよ! こうしてついに運転手の男性が最も恐れていたであろう二ヶ月ぶりに再会した夫婦とその半身を引き抜く形となった女性との三つ巴の修羅場が……今もなお続いているわ」
バケモノは深刻な表情で淡々とそう語った。
「おい、ちょっと待て! お、俺の死はどうなった? てかそれって俺全然関係ねぇだろうが!」
「ちょっとアナタ無責任に何言ってくれちゃってんのよ! 関係大アリだわ! 不倫相手の女性との間にはもうすでに……赤ちゃんだってできてるのに!」
「そこまで進んでんのかよ! てか知らねぇよ、んなもん! そいつの自業自得だろ!」
「ひ、ひどいわっ! でも生まれてくる子供には罪は無いの、だからせめて……」
「おいおいおい、巧妙に話を逸らすな! 俺の相棒の話はどうしたんだよ!?」
「チッ……バレたか」
なっ、コイツ今舌打ちを……!
しかし危ない、完全にバケモノのペースに持っていかれるところだった。
いやそれよりコイツはその昼ドラみたいな展開の話をどこで聞きつけたんだか。
それか何か? これこそが全知全能たる証とでも言うのか?
偏食にも程があるぞ……!
「あぁ、忘れてたわ。えっと、このネコちゃんだっけ? いいわ、この子が喋れるようにしてあげれば文句ないんでしょ?」
「おい、だからちょっと待て! いつから俺の相棒がこのネコという設定で話が進んでるんだよ! だいたいネコなんて相棒の役割なんか……って待てよ、今ネコを喋れるようにって……」
バケモノは今確かにそう言った。
ネコに話す機能……だと?
ネコ―――近所で飼われているらしいネコが、たまに俺の家もトイレ代わりに利用している。
そして夜はネコ同士の諍いがうるさい上に、いつの間にか大量繁殖して荒らしまわる始末。
助けようとした身で言うことではないのかもしれないが、はっきり言ってネコは嫌いな部類に当たる。
そんなネコと言葉を交わせるようになる……だと?
ダメだ、絶対うるさいに決まっている! これは何としても阻止せねば……!
だが俺のそんな決意など知る由もないバケモノは、期せずして最後の追い込みに入った。
「業務規定第三章第八項、「上司の命令にはとりあえず頷いておくべし」ってここにそう書いてあるわよ。文句は言わない! まずもってそもそも本当はそんなシステム無いのにわざわざオプションで付けてあげてるアタシの心の広さをもっと敬うべきだと思うんだけど」
「んな規則読んだ記憶なんてねぇぞ! どこにあったんだよ」
「どこってほら、ここにちゃんと書いてあるじゃない!」
俺はバケモノが指差す紙―――先ほど俺が署名をしたであろう書類の一枚を凝視したのだが、そこにはおよそ文字と言ってはいけないほどの小さな何かが暗号のように書き記されていること以外認識できなかった。
これはもう人間国宝クラスの微細加工でも施されているに違いない。
「こんなモン読めるわけねぇだろうが! てかさっき全部読まれると困るとかなんとか言って……」
「おやおや? ここにサインしたのはどこの誰だっけなぁ? ちゃんと読めば良かったのになぁ、でももうサインしちゃったからなぁ~」
バケモノはわざとらしく残念そうな顔をして、俺を弄びはじめた。
俺は考える。
―――ここでどう反論しようと、おそらくバケモノが意見を曲げないらしいことは目に見えた話である。
あのネコに会話機能が搭載されるなんてまったくもって願い下げだが、しかし相棒と聞いて勝手に美少女をイメージした俺にも落ち度はあるのも否めない。
仕方ない。まぁ話すと大げさにいっても所詮ネコだ。
俺が期待するクオリティーには程遠いのかもしれない。
「あぁ、もういい、好きにしろ」
俺は仕方なしに、バケモノのその提案を受け入れた。
「えっ? なに? 目上の人にお願いす……」「よろしくお願いいたします!!」
「んもぅ、仕方ないわねぇ」
バケモノはそう言うと、倒れているネコの元へフワリと飛んでいき、そしてゆっくり降り立った。
そうして息を大きく吸い込んだかと思うと、何やら小さな声で何かを唱え始めた。
いかにもな儀式がはじまり固唾を呑んで見守った俺であったが、するとその数秒後、あろうことかネコは意識の無いままにして宙に浮き始め、薄暗い部屋の中でただそこだけが光りを放ち、それはもう眩しいほどに光輝いて見えた。
そしてその光はどんどんと眩しさを増してゆき、次第に目を開けていられなくなった俺は思わず目を瞑る。
「うっ……」
そのまま暫く腕で両目を覆い隠していた俺であったが、光はいつの間にか消えていたらしく、俺はゆっくり目を開けると恐る恐る辺りを見渡した。
「んもぅ、いつまで目を瞑っているのかと思ってたけど、アナタちょっとビビりすぎじゃない? ひょっとしてチキン?」
そこには別段先ほどと変わったところの見えないバケモノが宙に浮遊してこちらを蔑んだ目で見ていた。
この光景を普通と見なしつつある現状と俺の適応力にはまったく恐れ入るところだが、今は隅に置いておこう。
だが実際こうして周りを見渡したところで、部屋は相変わらず薄暗く、目を瞑る前と比較してどこが変わったかと問われても言葉に詰まるだけのような気がした。
―――ただし、それは一点を除いての話である。
そこにはなんと、さっきまでピクリともしなかったはずのネコが、何事もなったかのように地面を歩く姿があったのだった。