ネタバレには素顔でも曝して
「……ぐふっ」
バケモノは何かに堪えきれず口元を緩ませる。
「……ッヒッヒッヒッヒッ」
―――なんだ? 何がそんなに可笑しい?
「ヒ~~ッヒッヒッヒッヒッヒッ」
バケモノは高らかに笑った。まるで俺を嘲笑うかのように。
そんな表情を、内包していた全てを、爆発させるように、どこまでも大きく、どこまでも高く、そして笑った。
「おいてめぇ、一体何がそんなにおか……」
「ギャ~~ッハッハッハ! やったわぁあ~~! やったわよ、ついに! あぁ、今回も頑張ったわアタシ! んもぅ、誰か褒めてぇ~~!」
バケモノは見るからにヘビーで巨大な腕を広げながら、感情を露わにして空中で高速スピンを連発している。
「おい、何だよ! いきなり何なんだよ!」
俺は完全にトチ狂ったとしか思えないバケモノにこの時点で漸く疑問を投げかけたのだが、それに対するバケモノの応答は俺の想像をはるかに越え、それと同時に俺は自らの浅はかさを知る結果となった。
「ん? あぁ、いたのね、気付かなかったわ」
「ちょっ、お前、気付かなかったってさっきから……」
「んねぇ~~!? アナタ、さっきから口の利き方がなってないんじゃなくって? アタシはアナタの上司よ! じょ・う・し!」
なっ、コ、コイツ……!
またも手のひら返しか。もしや最初からこれが狙いだったわけではあるまいな……?
「あら、なにかしらその目は? そうそう、そういえばアタシに何か質問してきてたわねぇ。今回だけ特別に許可してあげてもいいわよ」
何なんだこの上から目線は……!
そして俺はこのとき確信した。コイツは絶対俺より友達が少ないはずだ、と。
いや、この世界にそもそも友達と呼べるような有機体が存在するのかどうかすらも怪しいのだが。
「別に許可してもらわなくても結構。今さらお前に質問したいことなんて一つもねぇよ」
「だぁ~かぁらぁ~~!! その目つきと口の利き方は何かしら、って言ってんだけどっ!?」
どうやら俺は知らず知らずのうちに目の前のバケモノを睨みつけていたらしい。
だがこれ以上バケモノを刺激しても得るのは不利益だけだと思い直した俺は、仕方なく表情は変えぬままで目線を少し下へと移した。
そして俺はボソッと、自分の耳にも届くか届かないか分からないくらいの声で呟く。
「……さっき言っただろ」
「えぇっ、なにぃ~? 聞こえなぁ~い! 何だってぇ~?」
バケモノはいかにもわざとらしく耳に手を当てた。
―――クソッ、やはり失敗だったか。気乗りはしないがこうなれば仕方あるまいな。
「……い、い、いきなりどうなさったのですか」
俺はやむを得ず、まるで血を吐くかのごとくバケモノに向かってそう言った。
するとバケモノは虫けらでも扱うかのような目線で俺を見下し、ふてぶてしく、押し付けがましく、あくまでも自らの優位性だけは譲らまいとして俺に応える。
「うむ、良かろうぞ、教えてやろう」
―――そう言ったバケモノの顔はいつにもなく誇らしげだ。つまるところ、最高に気色悪い顔になっていた。
ここまで見るに堪えない顔だと、饒舌に話している相手の前歯に青海苔が挟まっていることに気付いたときくらいには哀れみを覚えてしまう。
「こう見えてアタシも雇われの身でね、今みたいな契約を取れっていうノルマがあるのよ! なのにここへ来る人ときたらヨボヨボの爺さんに耳の遠い婆さんに……くぅ~っ、今回は本気でダメかと覚悟していたわ! そうしたらなんと土壇場になってアナタが来てくれたじゃないの! アタシにとっては願ってもない今世紀最大のビッグチャンス! これを逃したらアタシが廃ると思って今回ばかりは躍起になってかかったワケよ! そうしたらもうチョロいことチョロいこと。こんな簡単に契約勝ち取れたのなんていつ以来かしらぁ~!」
バケモノは宙に浮きながら手団扇で前日譚とでも言うべきエピソードを広げ、そして勝ち誇ったかのような笑みを俺に見せた。
「お、おい、それってやっぱりここがブラック……」
「あ~~っ、安心してちょうだい、さっきも言ったように昇格も有給もあるから、それはウソじゃないわ。でもアナタ、ぐふっ、アナタ死んでるのよ!? 働いてお金貰ったところで、ど、ど、どうすんのよ! ギャ~~ッハッハッ!」
バケモノはそれまでの傲慢さを更に加速させると、俺に無情なる現実を突きつけた。
つまり俺がどんなに身を粉にして働いたところで、得られる報酬は今の状態の俺にとって全く価値のないものだということか。
クソッ、まさにしてやられたという感じだ。コイツ相手に迂闊だった……!
「て、てめぇ騙しやがったのか?」
「いいえ~? 騙してなどおりませんよ~? お金は貰えるのは事実、でも残念! その後が肝心だったわねぇ~。その使い道がないことに気付かなかったアナタがバカだったのよ~!」
コ、コイツ……!
だがこっちに少しでも落ち度があると分かっている以上は強く出られない。そうしたところで何十倍にもなって辱められるのがオチだ。
さてはコイツそれを知ってわざと……!
「あ~~っ、そうだわ言い忘れてたけど! 前戯ステージからこっちへ来た人は食事も要らなくてトイレにも行きたくならないわ。それに寝る必要もなし! だって死んでいるんだからずっと寝ているようなモンですもの~! ギャ~~ッハッハッ!! あっ、これもこの世界の鉄板ネタね!」
「ほぅ、なるほど。つまり食事の間も寝る間も必要ないからその時間も働けということを言いたいんだな?」
「あらご明察。なかなか鋭いじゃな~い! えぇ、そうよ、その通り。まぁそうは言ってもそこまでハードでもないから気楽にいきなさい! 人生もこれまで適当で何とかなってきたように、この世界もどうとでもなるものだから」
コイツの言うことがどこまで信じられるかはさておき、こうなればとりあえず何とかやっていくしか道はあるまい。それに給料の実質的無価性を突きつけられはしたものの、生活の基本である衣食住のうち二つを気にしなくてもよいのならば別にお金に困るってこともないだろう。
何より俺が今欲しいのはお金ではなく今目の前で完全に油断しているバケモノを手玉に取れるくらいの地位と権力である。
当然ながら、しぶしぶ、いやいやという気持ちは抜け切らない。
こんなバケモノごときに出し抜かれたという屈辱もとても拭えたものではない。
だが今さら喚き散らそうが仕方のないことなのだ。
ならば徹底的にやってやる。
俺は静かにそう決心すると、ふと契約成立前の会話を思い出した。
そ、そうだ……!
そういえばコイツ今なら相棒がどうとかって……
バケモノは数分前、俺に向かって「右京さんも垂涎間違いなしの相棒をご用意……」といったようなことを口にしていた気がするが、その話はどうなった?
まさかそんな証拠はないとか言って上手くごまかす腹積もりではあるまいな……?
「なぁ、おい、そういや相棒が……」
「あらあら、さっきからアナタ上司に向かっての口の利き方がなってないわねぇ。これで注意するの何回目かしら。こうなればもう直接身体に教え込むしか……!」
バケモノはそう言うと不敵な笑いを浮かべ、指をヌルヌルと動かしながらこちらへゆっくり近づいてきた。
「ご、ご質問よろしいでしょうか先ほど「相棒」という言葉を貴下の口から耳にしたのですがどういうことでしょうかご教示賜りたくお尋ね申し上げている次第でございます」
俺は咄嗟にこれでもかというくらい自らの感情を消し、心にもない言葉をつらつらと並べた。
だが正直少々やりすぎた感も否めない。
慇懃無礼さを露骨に出しすぎたため、いくらバケモノといえどもさすがに勘付いたかのようにも思えたのだが―――。
「ああっ、相棒ね」
どうやら心配には及ばなかったようで、あくまで俺に対しての尊厳を保ったかのようにバケモノは振舞い続けているようだった。
「うーん、相棒ねぇ、そういえばそんなことも言ったわね。うふっ、完全に忘れてたわ」
コイツ……立場が逆転したらその瞬間からシバき倒してやろう。
「おいおい、まさかあれは嘘でしたとか言い出しは……」
「あ~っ、はいはい、分かりましたよ! 相棒ね、いいわよ用意してあげるわよ」
バケモノは煩わしげにそう言うと、適当に周囲を見渡し、そして俺の後ろを指差した。
「そうね、あの子なんてどうかしら」
「はっ? あの子って……」
あの子?
まるで俺とバケモノ以外の誰かがこの空間にいるかような言い方じゃないか。
「一体何の冗談だよ。ここには俺たち以外に誰もいるはずがない……だ……ろ」
まさかとは思いつつ俺が後方を振り返ると、そこにはなんと一匹のネコが地面に倒れていたのだった。